2019年10月13日 (日)

岸田劉生展・後期(東京ステーションギャラリー)

えーと、一週間以上前に後期にも行ってきたので、その話を。なんたってパスポート持ちなので、行かなきゃ損じゃ……とはいえ、そう大量に入れ替わっているわけではなかった。

初期の水彩は結構入れ替わってますな。「雨」は前はなかったが、うん、まあ手堅くうまい。「築地風景」とか油彩の「築地居留地風景」も入れ替わっているが、同じタイトルのものが同じ場所で入れ替わっているので……何か違うのか、という感じだ。「怒れるアダム」なんていうエッチングも同じものが別所蔵のものに入れ替わっているようだが……いや、要は版画だから、見ている側としては同じだよなあ。

明らかに前に無かったのは「The Earth」という木版。人体が土の中という、ちょっと神秘的表現が珍しい感じ。鉛筆画の「草」もなかったね。これは写実。これマジうめえよ。「画家自画像」……ったって沢山あるが、その一つも後期初だった。ええと、頭になんか巻いてるヤツ。描くのに木炭とかチョークとか使っている、要は油彩じゃないよ。「蓁」という顔も前なかった。

それから麗子については、顔がマルマルとしているいやマジでマルマルの「麗子立像」、木炭で描いた「麗子之像」……あれ、どんなんだっけ? 逆に「麗子微笑像」や「麗子坐像」は、これ前あったっけとか思ってしまったが、あったんだって。うむ、これはですな、その前のところにある「麗子八歳洋装之図」がかなりのインパクトなもんで、ついそのあとに並んでいるヤツの影が薄くなってしまうのだよ。

あとは「白狗図」という……白キツネか? それが前はなかったと分かる。あと、日本画は結構入れ替わっているのだが……春が夏にとか、同じ作品内の違う部分とかいうもんで……ん? 作品ごと入れ替わってるのもあるな。ううむ、でも同じ感じなもんで、出品リスト見なけりゃ気がつかないし、見ても忘れているのだ。
主要作品はほとんどそのままでしたな。
http://www.ejrcf.or.jp/gallery/exhibition/201908_kishida.html

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2019年10月 7日 (月)

エドワード・ゴーリーの優雅な秘密(練馬区立美術館)

先日、「トロッコ問題」というものを小学校で行ったところ、それを聞いた親から子供を不安にさせないでとかいうクレームが来て、先生が謝罪したとかなんとか。これがなにかっていうと暴走トロッコの行く先に5人の作業員がいて、このままでは5人死んでしまう。しかし待避線があり、そこには作業員が1人いて、トロッコを待避線に誘導すれば死ぬのはその一人だけだ。どうする? というもの。マイケル・サンデルの哲学書で有名になった(一応読んだことあるよ)。この場合、「犠牲が少ないんだから待避させた方がいいんじゃない?」という意見が多いそうだ。うむ、よし。しかぁし、これには続きがある。線路脇に人がいて。そいつを線路内に突き飛ばすと、暴走トロッコは止まって5人は助かる。さあ、君は突き飛ばすか? これは……ちょっとできないんじゃないかな? なぜ? どうして? 一人が犠牲になって5人が助かるのは同じだぞ……と、まあそんな際どいことを延々と考える思考実験だ。クレームを入れたヤツは、子供には明るく楽しい不安のないものを与えておくべきだと思っているのかもしれない。しかし、日常のちょっとしたことで「不安の世界」が出現するのは、誰もが知っているはずだ。
で、エドワード・ゴーリー。アメリカの絵本作家。割と最近の人です。絵本は明るく楽しいもの、と思っている向きには唖然とするような作品を作ったもんだ。それも細密なペン画で。それは黒い線だけで生み出された不気味で不安で、しかし魅力的な世界。その原画展。いや、私は実はぜんぜん知らなかったんだけどね。絵本を読めるコーナーが展示の最後にあり、そこでいくつか読んだ……うわっ、これはヤバい! 熱狂的ファンがいるわけだ。「不幸な子供」なんて、後味悪すぎ。小説ならともかく、これ絵本だぞ。まあこれ、どう見ても子供向けじゃないよなあ。

展示は年代順という感じ。ペンとインクによる絵本原画がずらり。でも沢山の絵本のそれぞれから数枚ピックアップなもんで、原画展示だけ見ても絵本のストーリーというか全貌が分からない(一応あらすじっぽい解説は出ているが)。最初に「現のないハープ」5点ほど。うむ小さい。でも細かい。ここの人物は、あのほら、スピルバーグのE.T.に似て。目鼻口が前方に出ている。それから有名な絵本だという「うろんな客」原画4点。なにやら妙な生き物が、家に居座っていろいろやらかす話。これはいろんな国の言語に訳されているようで、その展示もあり。「ギャシュリー・クラムのちびっ子たち」これがなかなか強烈で、A~Zのアルファベットに従って、子供が一人ずつ死んでいく。うひゃあ。こんな絵本をどういうメンタリティで作成しているのかね。絵本読めるコーナーで全部見たけどね、結構ストレートに死んでるヤツもあるんよ。「ウエスト・ウィング」はただの室内風景。でも不気味な印象で不安な気分にさせる手腕はすごいです。文章がない分、これが結構クる。シュールレアリズムにも近いかな。絵本はまだいくつも出ているが、ここでもう一つ「おぞましい二人」これなんぞは完全大人向け。実話ベースだって。でもちゃんと絵本だ。いろいろ原画を見て、気になる人は展示の最後にある、絵本コーナーで読んでから(全部あるわけではないが)、あらためて行くとよい。わたひもそうした。やっぱり話を分かっている方が、原画も楽しめる。救いのないヤツばかりではなく、「キャッチ・ゴーリー」のような、愛嬌のある猫キャラでまとめているる場合もある。キャラものでは「荒れ狂う潮:あるいは、黒い人形のごたごた」。これはキャラもの……なんだけど、妖怪ともなんとも言えない人形っぽいものの戯れ。4人おるが、一人は足がなくて松葉杖とか、そういう不気味系なもん。

ゴーリー作の絵本だけじゃなくて、他人の原作で絵を描いたのもあり。「輝ける鼻のどんぐ」文字通りだ、鼻がすげえ造形。輝きはサーチライトのごとく。有名なミュージカル「キャッツ」の原作絵本も、絵はゴーリーが描いたんだって。それからゴーリーの手紙の封筒が出ているが……封筒の表紙すなわち宛先を書いておくところが全面絵になっていて、住所はその中に不自然なく書き込まれている。すげえなこれも。日本でも誰かやらねえか。あとは舞台美術。「ミカド」という日本っぽい舞台で、衣装デザインがギルバー&サリヴァンだそうで、衣装デザインが……ん? なんじゃこりゃ? これはちょっと日本っぽいけどさ、成人式のオーダー衣装よりセンスがないぞ。あとはポスター群。大きいのはいいんだけど、やっぱ原画の迫力の方が、あると思う。

全体を見ると、やっぱり最初の方の絵本原画の密度、魅力が相当なものだ。いやしかし「不幸な子供」なんて、なんであんなもの作ったのかね。解説なんぞでは、当時のヴィクトリアの絵本のお約束、「いろいろあるけど、結局ハッピーエンドだろうねえ」という「お約束」をぶブチ壊すために描いたようなことになっているし、それがまた高く評価されたことになっている。しかし、恐らくはそれだけではなくて、我々には人の不幸を愉しむ嗜好があるんではないか。同情したり悲しんだりする、そのすぐ背後に、何か高い酒でもたしなむようにちびちびと、哀れな者達の不幸と嘆きを痛みとともに愉しむのである。それは展覧会のサブタイトル「優雅な秘密」であり、サドを訳したかの澁澤龍彦言うところの「高貴なる種族」の高貴なる趣味なのだ。

さて君も味わいに来ないか? 原画だけでなく、絵本そのものも待っておるぞ。 
https://www.neribun.or.jp/event/detail_m.cgi?id=201906011559352588

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2019年9月29日 (日)

あいちトリエンナーレ文化庁公金全額不交付について

アート界の最もホットな話題。あいちトリエンナーレに文化庁が公金全額不交付。これに反対としてChange.orgに署名したが、あまり鼻息荒く、という感じでもない。
文化庁の全額不交付はちょっとやりすぎだろうと思った次第である。あの騒動が起きた「表現の不自由展」の420万円分を引くなら、分からんでもないよ。まあそれでも、えー検閲だー文化殺しだーと言う人も多いかもしれないが、落としどころとしては、妥当だと思うんよ。それを全額とは無粋極まりないじゃないか。

420万円引くの? うん、引きたい。あれが公の展示として問題なかったかというと、私はあると思う。
「平和の少女像」は、私は2015年に見ている(あれもレプリカだったかな)。なかなか悪くない印象の作品です。よくできてます。間違えちゃいけないのは、作品がどんなに優れていても、それは史実を証明するわけではないということ。ファンタジーからでも「本物」は生まれる。ただ、「表現の不自由展」での展示はどうも、そうした「芸術の絶対性」を主体としたものじゃなくて、日本がひどいことした故に生まれたのだという、韓国の市民団体(だよな)側の主張まんまで展示している(2015年のパンフがそうなんで、多分同じだと思う)。で、その「史実」を日本政府が認めたがらんので、展示できなかったのだと。まあ、要はあっちのプロパガンダまんまだ。まあ別にプロパガンダの芸術も「あり」なんだけどね。これを日本の公金でやるにゃあ納得できない人々も多いだろう。不交付反対の人が「税金は文化庁のものではない、我々市民のものだ!」って言うけどさ、不交付賛成している人も市民なんだよね。それが正しいかどうかは別として。
「平和の少女像」の扱われ方はちょっと不幸でもある。例えば丸木夫妻の「原爆の図」を日本の市民団体が、アメリカを非難するために量産して、アメリカ大使館前なんぞにドカンと置いたとしよう。そうした情報というか手法が広まるにつれ、「原爆の図」は本来の、国を問わない普遍的な核兵器への非難や、まして芸術性なんてものはどんどん削がれていって、単なる主張の道具に成り下がっちゃう。「平和の少女像」もそんな残念な感じ。戦争により、不幸な目にあった女性達全てを象徴できるはずだったが、もうそうはならない。
しかしまあ、実際この作品展示だけなら、そうアウトでもない。

それよりもマズいと思うのは、昭和天皇の写真に火を付ける映像である。んで、ここで、「あれは違うんだよねー。あれは天皇をコラージュして作った作品の図録を美術館に処分されたから、抗議のために作ったものなんだよ」って言うだろうし、当初私もそれで、あーなんだそんじゃ問題ないのか、と思っていた。ただ、やっぱりなんか腑に落ちない。やっちゃいかんことを、こういうことをされましたって、それそのものをやっちゃっていいのか?
第一の例、ツイッターにも書いたが、映画のネタバレ。さる新聞の投書にあった、映画館のとある映画で、既に見ていた近くの観客に「○○は××なんだよ」とばらされてすごく腹が立った、というもの……いや、お前書いてるじゃん、それを、そのものを! おかげで私はそのとある映画を見ることができなくなった。いいのかこれ?
第二の例、さるマンガで、チンギス・ハンの顔にラクガキをして、モンゴルの人が怒ったって事件ありましたね。みんなその時なんて言った? 忘れちゃいないよな。「無知もはなはだしい」「知らないでは済まされない」「チンギス・ハンは日本で言えば天皇に等しい」とにかくボロクソ。「いや、あれはあくまで有名人の顔で笑いを取るのが目的です。チンギス・ハンを侮辱するつもりはありません」ったってダメなもんはダメ。黒塗り芸人と同じだ。
さて、このニュースを日本で知ったとあるモンゴル人も頭に来て、そのマンガを自分で再現したとしよう。モンゴルに帰って人に見せる。「おい、ちょっと見てくれ、日本にこんなひでえもんがあったんだぜ!」さて、どんな反応するかな? 「あーそれはひどいねー」だけじゃないと思う。「お前は何を描いてるんだ!」「いや、俺が描いたんじゃないって、こういうのがあったって」「それをなんでそのまま真似してるんだバカヤロウ!」多分こうじゃなかろうか。要は天皇炎上動画これと同じじゃないのかい? 
昭和天皇は戦争当時は神と等しいと崇められ、それは戦後否定されたが、叩き込まれた宗教観というのはそう変わらん。現に靖国に参拝する人も多いし、天皇陛下に靖国参拝してほしい、という人も多いではないか(中にはただのネトウヨもいるんだろうが)。今でも崇拝している人はいるはずだ。写真を燃やさないなんてことは、そうした人々に対する配慮。チンギス・ハンが常識なら、こっちだって十分常識だろう。ところがですよ、戦時のトップだったが故に反戦者達は「あの人達は洗脳されている」とか言うのです。
イスラム教徒の前でコーランを燃やすバカはおらんと思います。その言い分が「イスラム教はかつて沢山人を殺したでしょ。皆さんは洗脳されているんです」それでもダメだろそれは。まじめで普通に暮らしているイスラム教徒がほとんどなんだから。まじめで普通に暮らしている天皇崇拝者もいるはずなんだ。

まー、いくら書いても屁理屈と言われるだろうなあ。でもまあとにかく自分はそういう理屈で、あの展示はアウトなのですよ。ましてね、「表現の不自由展」実行委員会は、あの天皇炎上動画を「天皇写真を燃やされた抗議の作品」として出したとはあまり思えん。反戦、反権力を主体とする他の作品群をみる限り、あれはどうも「天皇を燃やしている」映像であるが故に選ばれたと思わずにはおれんのです。「燃やしちゃいました。してやったり」みたいな。ニュアンスは恐らくそっちだ。そっちじゃなくてもアウトだが。
いや、それでも文化庁は表現の自由を保証すべきという人よ、先の例で言えば、チンギス・ハン落書きマンガを公金で出せるか? 自費でもヤバそうなのに、まして公金だぞ。
でも、当初に戻るとあくまで「表現の不自由展」は、愛知トリエンナーレの一部。全額不交付じゃ、そりゃ萎縮しちゃうよ。全額不交付は反対。
今自分の考えているのは以上のようなところだ。

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2019年9月28日 (土)

TOKYO2021「un/real engine」(TODA BUILDING)


戸田建設本社ビルが建て替えられるんで、その前に空いた部屋でアート展やっちゃおうっていう、まあ、こういうのはよくありますわな。美術展用ではないけれど、デカい展示空間を好きに使えるので、やりがいタプーリ。バリバリインスタレーション。でも、この手は得てしてキバっちゃうのか、詰め込みすぎるのか、ガチャガチャした見た目にも騒々しい物が少なくない。まあ、よく見ればそうでもないのだが。で、今回は会場が1階だから、通行人にも目立つお。

会場が2ヶ所に分かれていてSiteA「災害の国」、SiteB「祝祭の国」。SiteBはWeb予約が要るんだけど、その場で名前を書いても入れるっぽい。SiteBから入っちゃったけど、SiteAからの方がいいかも。

入った順、SiteB。檜皮一彦の蛍光灯アートがガツンと目に入る。おや、太陽の塔の顔があるではないか。本物の模型(ってのも変だが当時使われてたもの)だってさ。ちなみに檜皮氏は手足が不自由で、それで地面を這ったり、スケボーで突っ走ったりするパフォーマンス映像もある。ついでに、本人在廊だった。えーそれから、VR作品……すまんやってない。映像酔いしやすいの。MESのインスタレーション。ラッブだお。ちょっと風刺っぽいリリックで。しかしこの日本語ラップの雰囲気は20年ぐらい変わってないような気がする……って変わるもんでもないか。キンチョメの映像。目が怖い……妙に赤いのと、妙にくぼんでいるのは、どうやってんだろ。リアル映像? ここにも太陽の塔が登場。裏側の。目が、目があああっ。次、弓指寛治。えーと、阿波踊り。えーと、高円寺っぽい(他に形容はできんのか)。あ、絵も描いてる。なんか蛆虫しか目に入らんのだが。中島春矢のどこでもプロレス映像(私が見た時はそれだった)で、ここにも太陽の塔あり。うむ、このアート企画自体、東京20202と大阪2025を意識し、これを「祝祭」としておるので、万博の太陽の塔が多く出てくるのも不思議ではない。それから、ちょっと隠れたところにキース・ヘリングかなと思ったら、SIDE COREによるヘリングをトレースして反転した作品だそうで。オリジナルが渋谷某所にあるそうな。藤元明「幻爆」サイトとかに出ているもの。えーと、他の人もいろいろ。最後に戸田建設の展示。新しいビルの解説パネルとか模型とかあって、ここだけビジネス展示っぽい雰囲気だ。

SideA。座布団を長く敷きつめてある梅田裕作品。受付で座布団を靴で踏まないでと言われるが、その受付の前に既に座布団があるから踏んじゃうでござる。こっちもたくさん出ているなあ。そこにシーツにくるまってる人みたいな作品は……う、動いた! 本物じゃん。誰? なんと飴屋法水氏本人らしい。本人入りインスタレーション。ツイッターとか見たら顔出してるときもあるようだ。それから巨匠会田誠。デカいパネルにツイッター上の311の時のつぶやきをレイアウトしたものだそうだが、元が人様のものなので展示できるとかできないとかって話になり、今回は白っぽいシートで覆ってしまってた。「一人表現の不自由展」。八谷和彦。なんか1996年の名作らしいんだけど、解説を読んでも、どれがどうなのか……このLEDパネルのこと? 渡辺英徳。震災の津波の時、一人一人がどう行動したかをヴィジュアル化。ああ、なんかこういうの、意味があるし分かりやすくていいよねえ(分かりにくいのがいかんということではないが)。高山明の個人ビデオブースみたいなのがあるが、すまん時間の関係で見ておらぬ。カオス・ラウンジ。萌え娘も多数いる東海道五十三次パネル。うめえな。秋葉原あたりでも活躍できそうだ。SIDE CORE。工事現場っぽくしてスケボーやっちゃう映像。これは見ていて一番面白かった。寺山修司の「市街劇」とそれを元にカオス・ラウンジがいわき市でやった「市街劇 怒りの日」の計画地図(小さいが)。巨匠三上晴子の立体あり。

無料だがなかなかのボリュームです。
https://www.tokyo2021.jp/bizyututen/

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2019年9月23日 (月)

バスキア展(森アーツセンターギャラリー)

連休二日目の朝一に行ったら並んでおって30分ほど待たされた。
「大人一枚」
「2100円です」
「ふざけんじゃねーよ!」
「お気に召さなければお帰りになっても結構です(ニヤニヤ)」
「く、くそっ、アシモト見やがって……大人一枚」
というやりとりはもちろんフィクションだが、バスキアを世界中から130点もかき集めてきたんでえらい強気価格だ。
「音声ガイド付きだからいいじゃありませんか(ニヤニヤ)。内容を考えれば安いぐらいですよねえ(ニヤニヤニヤ)」
という、去年のフェルメール展で味をしめた強制音声ガイドレンタル方式で、値段で文句を言われることがないようにナイスサポートだぜコンチクショー。
で、バスキアなんですけど、これ何も知らないで一枚だけ見ても「なにこれ? ただのラクガキじゃん」としか思わんと思うんだが、何枚も見ていると「あー、どれを見てもバスキアって分かるんだなあ」と思い、さらに見ていると、「こいつはもしかして天才じゃねーか」と思ったりするであろう。そんなに分かりにくいアーティストではないよ。

入るともうバスキアワールドだ。おなじみのクラウン(王冠)マークが嬉しいぜ。彼がリスペクトする物に付けられる。しかし、ホワイトキューブ(いわゆる美術館風の白い壁)が似合わんですなあ。やっぱストリートの壁とか、の方がいいでしょう、とか思っても何枚も見ていくと、そういうのも気にならなくなるほどバスキアの絵はスゴい。線が力強い、とか色彩が鮮やかで、とかまあ月並みに要素を褒めることもいろいろできるんだけど、そういうのは別にミロだってデュフィだってそうだしね。だからもう総合してもうバスキア以外の何ものでもないところがガッツリ感じられるところが魅力だ。うーんそうだな「無題(フライドチキン)」なんか見ていると、やっぱこれ天才だわ(絵のタイトル「無題」なんてのが多い。あと出品リストは現地に無い)って思うし、それからZOZOの前澤氏が買って有名なヤツ。あのデカい顔のもあるんだけど、やっぱり他と比べても結構パワーがあるな傑作で、氏が大枚はたいてゲットしただけのものはある。そうしたカラー作品がドカドカ並んで、次の部屋で一旦休憩みたいに小さいドローイングとかが並ぶ。これもなんか、少ない線でもバスキアって分かっちゃうね。「EGO」という字と一緒に描いてあるごく小さい絵でもバスキアだから驚く。これはなんかすげーよ。あと文章書いたノートがたくさん貼ってあるが……結構字がきれい。ドローイングがアレなんで、字も汚いのかと思ったらそうではないのだ。あとゴッホの顔とかもあるぞ。

言葉は絵の方にも結構出てくる。「中心人物への帰還」なんかは字がイパーイ。何かを説明しているっぽいけど、抽象的だし、矢印とか使っているし、考えるものなのか、何かぼーっと感じ取ればいいのか分からん。言葉が分からないと後者にしかなれんが。えーそれから、今回のサブタイトルが「MADE IN JAPAN」で日本との関係が出てくる。作品内に「100YEN」「200YEN」とか書いてあったり、「MADE IN JAPAN」もあるぞ。何か? 当時日本はバブルで、製造業も絶好調で、日本製品がガンガン海外を制圧していた。バスキアは、その勢いと力強さに対抗すべく、作品内に皮肉っぽく「YEN」だの「MADE IN JAPAN」だの使うようになった。リスペクトじゃないけど、ちょっとあいつらすげーやって感じか。しかし……なんか今見ていると切ねえなあ。今や家電もスマホもハイテクも中国に押されて、国産類はイマイチ元気がない。今の時代にこのJAPAN騒ぎを見せられてもねえ…… えーそれからアンディ・ウォーホルとの合作がある。どの部分がアンディかな? 2人展もやったらしくポスターがある。

それからまたドローイング類。小品が多いコーナーだが、ここで「無題(偽りの経済)」というアクリルと石墨(鉛筆に見えるが)だけの作品に注目。おっとこれ、なんか他と違って丁寧に描いているゾ。人物を動物化させたカリカチュアもいい顔だ。しっかりした線でも描けるじゃないかバスキア。あとちょこっとした線で描いた猿の絵が実に巧みだったり、なかなか細かいところでも侮れない。それから見てくと、おや、アボリジナルとか書いてあるが、股間から子どもが出てきている出産の像じゃないかい。と、ここでバスキアについて意外なことに気づく。そういえば性的な表現が無いぞ。普通この手合いの絵画だと、性的表現こそ我が自由じゃみたいになってるのが多くて、男性像を描きゃあ、股間にゃ立派なシンボルが、とか、何かと男女が裸で、とかやりたがるような気がするが、バスキアはそういうのが無いのだ……無いのかな。今回も女性ヌードはあるけど、性的って感じじゃないし「バレンタイン」っていう男女のはあるが、これもべつに性的ではぜんぜんない。あーそうかー、だから「Pen」や「BRUTUS」みたいな意識高い系カルチャー誌が喜んで特集できるんだな(まあ別にそういう理由でもなかろうが)。今回、図書館に「Pen」があったんで、予習で斜め読みしてきたんよ。内容忘れたけど(忘れるなよ)。だってさ、そこに出ている広告がだよ、例えばシャツが5万円とか、一桁違うんよ。これはあかん、オレのようなウニクロで固めているような意識低い系が手にしてはいかん書物ではにゃかろうか。そう思ったら早々に書棚に戻してもうた。まあいいや。そうそう、性的表現ですが、基本ストリート魂で老若男女子供も目にするんで、速攻消されそうなもんは描かなかったのかも。で、最後の方に、大量の文字がある謎めいた大作で終了。ちなみに、昼頃出てきたら、列がほとんどなかった。やっぱ朝一は混むんだな。

撮影可能なのが何枚もある。シャッター音が気にならんといえば嘘になるが、まあバスキアだし。本人がいりゃあ撮影も大いに結構と言うだろうなあ。値段はアレだが、さすがに損をする内容ではない。なんか平日5時以降だったら2回目入れるサービスもやってるみたい。出るところで申し込むみたいだが。
https://macg.roppongihills.com/jp/exhibitions/basquiat/

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2019年9月14日 (土)

コート―ルド美術館展(東京都美術館)

木曜に会社サボって行ってきた……いやちゃんと有休取ってます。取れるんです。弊社はホワイトですよ。給料以外は。
えー「魅惑の印象派」だそうです。あーもー印象派飽きたーっ……っていうオレみたいな輩がいるのを企画側も分かっているのか、あの手この手の切り口で満足度を高めようとしている。今回も画家の言葉だとか絵の解説パネルとか、ぐぁんばってるねえ。準備も大変だったでしょうねえ。
コート―ルド美術研究所というのがロンドンにあるんだって。レーヨンで大富豪になったコート―ルド 氏のコレクションだお。そこを改修するってんで印象派カモのいる日本にカモン。ここで大儲けだべ。

画家の言葉から読み解くってコーナーから。解説は読みたまえ。豊富だから。最初はホイッスラー「少女と桜」日本画好きなホイッスラーらしい日本風テーマ。少女が……猫背じゃん。なかなかいい絵なんだが。次はゴッホの「花咲く桃の日々」ゴッホらしい点描風厚塗りで……しかし照明が薄暗いですなあ。最近のゴッホはみんなこれだもんなあ。モネ「アンティープ」モネはもう飽きるほど見たんだが、これは木一本の演出がうまい。セザンヌ「アヌシー湖」セザンヌらしい青い世界。風景以上の何かを表現できているネ。で、ここからなんとセザンヌ特集だお。セザンヌに目をつけるとは、やるじゃぁねえか。印象派とシュールレアリズムなどの前衛との橋渡しをしたナイスガイ。セザンヌ作品からピカソはキュビズムを生んだのさ。セザンヌの絵に関する珍しい手紙も読める。展示作品ではおなじみ「大きな松のあるサント=ヴィクトワール山」例のよく描いてる山だね。他も風景が多いが、人物もある。「カード遊びをする人々」これは見て、ふーんと通り過ぎるだけだったのが、解説パネルがあって、それを見ると……ぬぁに? 左の人物が? おおお、そういえばそうだな。いつも読み解きなんぞバカにしてるが、読んで愉快になるヤツもある。いや、これは不思議だ(それが何かは現地で読みたまえ)。実はおなじようなことを北斎が美人画でやっているのだ。

ここで資料とコート―ルド氏の映像。映像を見てると出てきた部屋に飾ってある一枚に目が行く。おや、あの絵は超有名なヤツじゃん、あれコート―ルド氏が持ってるのか? 来てるのか? そしたら大騒ぎじゃん?

時代背景から読み解く、のコーナー。ブーダンが二つ。「空の王者」と呼ばれているほど空が得意だってお(そうなのか)。マネ「アルジャントゥイユのセーヌ川」直球印象派勝負。モネ「秋の効果、アルジャントゥイユ」モネらしい絵だが解説パネルがあって、いろいろ発見できるぞ。で、これ以降、普通の印象派が並ぶ。シスレーとかピサロとかアンリ・ルソー(印象派じゃないが)とか。ここで今度はルノワール特集。「春、シャトゥー」おお、緑の風景。「ポン=タヴェンの郊外」おお、赤みがかった風景。風景は珍しい。色も凝っている上物じゃん。「アンブロワーズ・ヴォラールの肖像」有名な画商だそうだが、丸頭の男で、こ、こ、このハゲーっ……いや解説に体格や顔つきの記述はあったがハゲの指摘はなかった(いや、なくていいだろ)。ルノワールの目玉「桟敷席」。桟敷席の男女。どっちも舞台見てねえ。男は双眼鏡で……お前どこ見てるんだ? 他の客か? ルノワール特集が終わってドガ「舞台上の二人の踊り子」うむ、いいね。怪しい男の影がないのもいいね(「怖い絵」読んだよ)。ロートレックが2つほど。それから、おおっ、こ、こ、これはっ! マネ「草上の昼食」女性だけヌードになっているスキャンダルまき散らした超有名なヤツじゃねーか! 先の映像に出ていてあれっと思ったが、ここにあったのか! ……じゃねえ、これはパチモンだ。いや、パチモンじゃなくて、まず超有名なのはオルセー美術館にあるんだって。で、それの背景を検討するための習作。うむ、習作だけあって画面は雑。でも遠目で見ると雰囲気はあの絵と同じなんだお。そしてマネの目玉が「フォリー=ベルジェールのバー」晩年の傑作だそうで。パネル解説あり。バーの女の子を描いてるが、女の子の表情が冴えない。それもそのはずで、時に娼婦をやっていたケースもあるそうだ。絵では背後の人々は適当だが、手前の静物がマジヤベエ。特にガラス器に持ったオレンジ。バキバキの写実。こういうのも描けたのか。

技法、素材から読み解く……というコーナー。まず実験的なのが並ぶ。ドガ「傘をさす女性」とか。スーラの「クールヴォワの橋」最初の点描だそうだが、もうデキあがっているじゃん。スーティンの「白いブラウスを着た若い女」……顔デフォルメしすぎや。ええと、ゴーガンコーナー。ここはやっぱタヒチヌードの傑作「ネヴァーモア」だな。これも解説パネルあり。モディリアーニ「裸婦」タイトルそのまんま。結構エロい。彫刻いくつか。ロダンの「叫ぶ」顔がイイネ。

なかなか気合いの入った企画で、作品そのものの充実だけでなく、解説やパネルも見応えあるぞ。開始早々の平日だったんでまだそう混んでないが、今後混むね。混みますな。がんばってくれ。
https://courtauld.jp/

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2019年9月 8日 (日)

岸田劉生展(東京ステーションギャラリー)

冷蔵庫じゃなかった麗子像でおなじみの岸田劉生です……って、そこらでよく見る割には、まとめて見たことがないですな。東京ステーションギャラリーで大回顧展を開催。こないだメスキータで早くも次の企画。年間パスポート持ちなんで企画の回転が早いのは嬉しいぜっ。それぞれ期間が長くて年3回とかじゃあパスポート買っても元が取れねえべ(都内某美術館)。あーまあそういう場合は同じのに何回も行くんじゃろうけど。わしゃあ基本一回しか行かんもんで。

えー展示は年代順で。最初水彩描いてたけど、「白樺」で紹介されたゴッホやゴーギャンの絵を見て「第二の誕生」ってぐらい衝撃を受けたそうです。あれ……「白樺」ってなんだっけ。雑誌か? まあいいや。16歳の水彩「緑」風景画。バカウマ。すげー。水面に写ったものまで正確に描いてるじゃん。「子守り(想像画)」人物はイマイチだ(風景に比べてって話だが)。「白樺」後の「自画像」はゴーギャン風の……ええと陰が緑みたいな。「虎ノ門風景」「築地居留地風景」このあたりもゴーギャンの劣化コピー風……劣化は失礼か。でもがんばって消化吸収しようとしているじゃんねえ。

それから今度は肖像画が増えてきます。顔に味がある人々。自画像もイパーイ。おっさんに見えるけど、まだ二十代そこそこなんだがね。肖像自画像ともにどんどん上達と変遷をしてきて、最初大味だったのが、細密にして写実的になってくる。顔のテカってるのまで描いて、顔つきもより「濃く」なってくるぞ。一方「怒れるアダム」とか「石を噛む人」とかいうエッチング作品があるが……昔の版画の模写かな。「黒き土の上に立てる女」これは西洋風に、出さんでもいい胸出してる。「Tの肖像」……「濃ゆい顔」ってメモしてあるが、濃いのは結構あったからなあ……あれかな。肖像については、他の美術展で見たことがあるヤツもチラホラ。

ここで屋外にも目を向け、よく見る「道路と土手と堀(切通之写生)」、坂道がボリュームを持って迫ってくるような風景画。よく見るだけに、そうか、時代的にはこの辺りかと。肖像も「高須光治君之肖像」なんかバッキバキの写実、顔のシミでも皺でもなんでも描いちゃうぜ。この辺で肺病になって外に行けんので静物にも手を出す「壺の上に林檎が載って在る」壺写実。ええと、たしかこの辺りで展示階が変わってだな、「静物(白き花瓶と台皿と林檎四個)」バリ写実。風景もないではなく、「霽れたる冬之日」しかしこれ、写実ではないよな……なんとなくぶわぶわっとして印象派に近い。ここで麗子像登場「麗子(麗子五歳之像)」麗子を描いた初めてのヤツらしいが、なかなか写実的にとらえています。顔もリアルに黒いしな。変に美化してないよな。他人である「村娘之図」の方がなんとなく美化してたりして。あーこれは水彩とコンテですね。油彩とまたちょっと感じが違っていいですな。「麗子六歳の像」は丸々してる。「麗子坐像」着物着てる。しかし解説読むと麗子本人の言葉があったりして、父ちゃんは絵を描き出すと没頭しちゃうので、幼いながらモデルもなかなか大変だったようだ。以降も麗子像がかなりの数出ている。こんなにあったのか……いや、まだ他で見たあれもあれもないぞ、じゃあ麗子像は大量にあるのか。麗子に混ざって風景「麦二三寸」「窓外風景」いずれも同じく写実でなく印象っぽい。自然風景だからそうなのかというと分からんだが、例えば電柱のエッジとか、もっとシャキッと描いてもよくねえかい。麗子に話を戻すと「麗子八歳洋装之図」見事じゃ。写実なんだけど、この辺りから心象的デフォルメというんでしょうか、ちょっと歪めて普通でない感じになる。しかしそれがいい。

で、それがまあ「卑近美」と「写実の欠除」だそうで、西洋画にはないものを表現すべく日本画にも手を出し始める。こうなるともうマルチですな。この頃の「麗子」はなんか妖怪っぽくさせられちゃって、笑顔がなんとも妖しい。この手合いは他んとこで油彩も見たけどな。また見たいな。「七童図」は日本画だが、蘇我簫白の子供みたいな魅力があるぞ。「鯰坊主」はまんま江戸浮世絵。「鵠沼風景」は日本画。「四時競甘」は果物とかなんだけど、もうバキバキの写実やってた「あの人」と同じ人とは思えんほどくだけた日本画じゃ。

時代は晩年……たって三十八で亡くなったんで若い……んだけど「冬瓜図」なんか見ると、なんとなく晩年ムードな感じがしちゃうのは気のせいか。日本画でもマンガ風のものがあり、肖像も「岡崎義郎氏之肖像」なんていう、心象的写実のイイヤツもある。最後にある大連の風景は印象派風で、風景画のこの感じも最後まで変わらなかった。

全編岸田劉生で見応え十分。前期後期あり。パスポート持ちだから後期も行くかあ。そういえば写真撮影コーナーとかなかったね。あったのか? まあでも今時にしてはナイス環境。小うるさいシャッター音がどこにもなかった。
http://www.ejrcf.or.jp/gallery/exhibition/201908_kishida.html

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2019年9月 1日 (日)

話しているのは誰? 現代美術に潜む文学(国立新美術館)

文学的なアプローチで迫る6人の現代美術。解説の冊子を読みつつ、じっくり対峙すべきものであった……というのにあとから気づく。いや実はですね、暗いところじゃ印刷物の小さい字が読めんくらいのロロロローガンで、ええいもう読むのがメンドウだ読まねーとかやって挑むから中途半端にしか分からないのDeath。ジュニアガイドがあるんです。それの方が時も大きいし少ないし分かりやすいぞ。おお、こっちでいいじゃん……と思ったが、あとから解説を読むにやっぱしちょっと違う。

最初に田村友一郎。1枚のナンバープレート、何やら建物を設計しているオフィスの一室、何やらナンバープレートが並ぶ大部屋、最後の空間で映像付きのポエトリーリーディング。「空目」という存在しないものが見えたような気がする、というのがテーマらしいが、あとから解説を読んでも何がそうだったのかイマイチ分からない。多分あれかな、というのはあります。しかしながら、見せ方がドラマチックで、最後の空間に入ると、おお、こういうことか、なんて勝手に納得してたりした。あとね、部屋をのぞき込むような窓があるんだけど。その前に透明アクリル板があって、その板がじぇんじぇん見えない。ほとんどの人が部屋をのぞこうとして頭を「ゴン!」してた。

ミヤギフトシ。写真と、動く風景写真、会話の音声。会話をちゃんと聞いて何を話しているかを読みとると写真も生きてくるってことよ。ええ、しばらく会話を聞いてました。すまねえ、イマイチ分からねえ。時間が短かったかな。会話がちょっと台本っぽくて自然な感じがあまりなかったが、これはまあ意図的であろう。インタビューじゃないしな。あとで解説を読んで、あーこういうことかと。

小林エリカ。うむ今話題の小林エリコじゃないんですね。1940年、ベルリンに続き東京オリンピックが計画されていた。その聖火の到着と、日本でも原子爆弾が計画されていて、その原料ウランの到着をかけて、詩と立体とドローイングと写真、動画等々を総動員して、ほとんど総合美術みたいな見せ方でナイスに迫る。内容もハードだしポエジーもあるしカッコイイですなあ。これはまあ割と、分かりやすく鑑賞できます。

豊嶋康子。木でできたパネルというか、パネルの裏側に、全体を支える木のフレームがありますね。あれを複雑化して作品化。あるいは棚の裏側とか。普通に面白いが、さてどこが文学的かというと答えられない。

山城知佳子。「チンピン・ウェスタン『家族の肖像』」という32分のアートムービー。すいません、時間の都合で後半っきゃ見てません。沖縄の基地建設問題を中心に、アート表現あり、コミカルな表現あり、ミュージカルあり、ドラマ風あり、多分全部見ると楽しい……って楽しんでいい内容なのか、というところもある。基地であれ原発であれ、それがあるから生活が豊かになった、それがないと貧しい暮らせない、なんていう問題がどこにでもある。現場から遠くの人々は平気で、けしからぬ施設建設には毅然とした態度で臨め、と言うかもしれないが、こっちはもう死ぬか生きるかなんだぞ、って返されるであろう。こういうのは施設だけじゃない、家出した少女が行く場所がなくて、もう生きられなくなりそうで、多少怪しいと分かっていても声をかけてくる大人についついていってしまう、なんてのもこれに近いかな。悪人ども、というか実は連中はそういう自覚はあんあまりなくて、いやー私達人助けのつもりなんですけどねえ。ほらこの苦しんでいる村も、基地のおかげで潤ってんだよよかったですね。WinWinでございますね。ふざけんなお前はこの土地の神を殺したんだぞ、これを見ろ……なんてのがアートになる。

最後は北島敬三、写真です。人物の写真あり、それより廃墟風の写真。山奥とかじゃなくて、道路脇とかの壊れ家屋みたいなの。おや、こんなところにこんなものが、みたいな。中には向こうにドラッグストアが写っているようなものあり、奇妙ながら、ありそうな感じ。実は近所にもそういうのがあって、つい毎日見ていると意識していないってだけかもしれない。

6人でも一つ一つのテーマが大きく、見応え十分、というか俺も全容はつかんでない。おすすめはできる。冊子を読む時間と中高年は老眼鏡を確保せよ。
https://www.nact.jp/exhibition_special/2019/gendai2019/

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2019年8月27日 (火)

坂本繁二郎展(練馬区立美術館)

うむ、よく知らん人です。福岡に生まれ、同級生に早世の天才青木繁、だそうです。最初に青木繁の絶筆「朝日」があるのですが、この心象的海の色が結構いいもので、その後の坂本さんが食われっちまうのではないかと心配したりして。次に坂本の出世作「うすれ日」牛の絵。うしっ。これ夏目漱石が気に入ったそうです。うむ、印象派風か。これだけ見ても何がいいかよく分からぬ。

で、年代順になって、神童と呼ばれたそうです。15歳頃描いた水墨画「立石谷」えっ? じ、しゅうごさい? これまじ神ってる。16歳の「夏野」クールベさん的暗さがあるが、これもすげえなあ。それから福岡から上京した。先に青木が行ってて、神童も激しく震動するぐらい上達してて自分も行くことにして、青木に連れられて行った。画塾で基礎からやり直し、その辺りの絵が並んでいて、地道に試行錯誤している。「海岸の牛」とか牛の絵にこだわったのもこの頃。「馬」という絵もあって、うむ色が独特ってメモってあるがどんなんだったかな。「牛」も最後の方になると全体に黒いのになって光をどう表現するかにこだわったりして。それからパリに3年ばかり行ったそうで、でもルーブル見てもピカソ見てもピンとこなくて、やっぱし自分の画風ってことで邁進したそうです。その頃の絵はフォーヴ……というか、なんかこう淡くてラフな感じ。

日本に帰ってきて、東京じゃなくて、九州に戻る。馬の絵がイパーイ。この辺りもまあ、パリの延長ぐらいかな、と。なんかこう……ここまでズガッとくるものがありませんなあ……などと素人丸出しの印象を持ちつつ進むが、静物画が出てきてからだんだん素人にも分かる本領を発揮してくるゾ。「甘藍」で半抽象的な静物の様式ができてくる。「砥石」もそこに砥石があるというより、そこの、それを、感じるんだという絵になっている。「梨」はもうなんだか分からないスレスレみたいで、フランシスベーコンが梨描いたみたいに。梨なのにベーコンとはこれいかに。いや、とにかく俄然絵が面白くなってくるではないか。

静物画の時代に本格的に入って、ついにここまで到達したかという、優れものが並ぶ。「鮭」なぞ到達点だ。背景と対象物の一体感が絶妙で、静物画としてキマっているレベルはセザンヌに匹敵するであろう。そういうイカした静物画、しかしそれだけではないっ。能面が登場してボルテージがさらにアップ! 能面マジヤベエ。静物でありながらそこに何かの表情があるので、一種シュールな、超現実的な画面になる。「壁」なんてどうよ。壁に能面の絵だけど、スゴくねえかい。スゴいだろ? 「猩々面」の赤いのもいいね。それから階段を下りて、静物画では箱が出始める。これはエッジの直線がきっちりで、また違う感じで迫ってくる。モランディに近いかな。屏風状の大作「雲仙の春、阿蘇の秋」があり、晩年の月シリーズ。まあ、月はね、誰が描いてもそこそこいい感じなるけどな。でも「馬屋の月」なんていう馬屋から見たのもあったりするのがこだわり。

私としてはとにもかくにもこの人は静物画がベスト。マジいいぜっ。
https://www.neribun.or.jp/event/detail_m.cgi?id=201906011559351169

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2019年8月13日 (火)

マリアノ・フォルチュニ 織りなすデザイン展(三菱一号館美術館)

ファッションものはアウェーなんでこれも敬遠気味だったが、割とよさげな評判も聞いてるんで行ってみたしだいです。行ったところ、ファッションものというより絵画やデザインや建物の設計とかもやっていたりして、結構マルチに活躍してる人なんですなあ。「ヴェネチィアの魔術師」と呼ばれたそうです。
 
最初の方には自画像とかあるが、「絵画からの出発」ってコーナーでは、ティントレットやティエポロというヴェネツィア派の絵画が出ている。ほう、ここでこういう古典絵画と出くわすとは。小降りながらルーベンスもあって「三美神」、ルーベンスらしい肥え方の女神である。そして本人作「貝殻の中の海のニンフ」もヴェネツィア派っぽいヌード絵画になっております。あー、あとゴヤの模写とかもやってましたねえ。そういえばこの辺に「デルフォス」というドレスが一つ出てたように思うが。裾が床を引きずっているがそういうものなのか? 床が汚れてたらどうするんだ? と本日同行していた妻に訊くもよく分からず、ただ「ルンバみたい」というナイスな答えが返ってきた。それはさておき。「総合芸術、オペラ、ワーグナーへの心酔」だってお。ワーグナーのオペラを見てハマり、オレもああいう総合芸術やりたいとか言い出した。ロクナモンジャネエ……あ、いやオペラがロクナモンジャネエわけではなくて、オペラ関係のものを美術館で見たってしょーがないってもんなんだよね。オペラじゃないけど一度バレエ・リュスの舞台衣装を展示で見て、チャチいもんで困惑した。あれは舞台上で動いてナンボ。オペラものはオペラを見てナンボ。私オペラ観る習慣ないでござる。さてこっちの展示はというと……オペラをイメージした絵画。「『ワルキューレ』より山岳風景」とか……普通の山の絵だが、「『バルジファル』より クンドリ」とか……人の名か? とにかく花に囲まれた裸婦画だ。オペラすごい、だからこんな絵描いちゃう、という感じなんで、やっぱりオペラの副産物感が強い。あとは……なに舞台装置の設計? なんと「クーポラ」という明るさを自在にコントロールする新しい照明装置を開発したそうです。あと電気配線図みたいなのも出ているんで、技術系の人でもある。へへー、文系ってだけじゃなくて工学系じゃん。
 
それからドレスの展示なんぞが増える。「最新の染色と服飾 輝く絹地と異国の文様」だってお。ええと……なんか出品リスト通りじゃないんだよな、何があったっけな……着物風の衣装とかあるんです。あといろいろ。大きな部屋を出て、廊下を通って次の部屋に行くと、テキスタイルで日本風があったり、そうそう、コイノボリのウロコみたいなヤツがあったり、あとここで、ギリシアをイメージした定番ドレス「デルフォス」が出てくる。細かいひだひだの……プリーツか。それの薄くて長いヤツ……あかんファッション用語知らなすぎる。で、驚いたのが箱。箱に入れるんですってよ。それも結構小さい。ハンガーで吊さなくってもいいんです。しわにならんそうです。妻の実家にも同じようなものがあって、やっぱり箱に入ってるんだって。すげえやデルフォス。あと何があったっけな……「織機の設計図」がある。ちゃんと図面だぞ。
 
「写真の探求」というコーナー。ガキの頃からカメラ持ってたって。「異国、そして日本への関心と染色作品への応用」コーナー。日本の着物とか出ている。型紙が和風のきれいなヤツ。最後は「世紀を越えるデザイン」ってことで、今に生きるフォルチュニデザイン。レオナルド・ダ・ヴィンチ社のフォルチュニ設計「デスクランプ」……その社名なんでしゅか。人名が社名って日本じゃマツモトキヨシか……いや、宮本むなしもあるぞ。世界の山ちゃんも一応人名だな……まあいいや。ヴァレンティノのオート・クチュール、2016年春夏コレクションにフォルチュニリスペクトの衣装が出たそうで、その映像がでている。なるほどデルフォス風もあり……床ルンバじゃないじゃん。モデルの身長が高いのか。それより生地が薄いしそれっきゃ着てないんで下がほとんど見えるんだが……モデルも「えーこんなハダカ見えるの嫌ですぅ」とかならんのかな、ならんのでしょうな「おまえモデルのくせにハダカに自信ねーのかよHAHAHA」とか言われるんじゃないですか(適当)。それよりこれでは外歩けないじゃんと妻に訊いてみると、これはヴァレンティノのファッションショー用のドレスなんで、そのあたりはどうでもいいんだとか。あれ、オート・クチュールって機械生産じゃなかった? ……あれはプレタポルテか。
 
なんかドレスだけじゃなくていろいろあるんで、ファッションだけじゃない総合の面白さみたいなのはありますな。
https://mimt.jp/fortuny/

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