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2006年9月30日 (土)

三歳神話

最近になって「三歳神話」という言葉を初めて聞いた。何でも3歳までは保育園とかに預けずに、母親がつきっきりで育てるべきだというのだ。うーん、状況にもよるだろうが、あまりそれは無いと思うぞ。というのも、私の父親経験あるいは母親観察上、乳幼児とつきっきりでいると、ひたすら遊んでいるか、散歩してるか、ミルクとかメシを与えてるか、あるいは泣いてるのにつきあってるかで、せいぜい何かできるったら昼寝の時間ですよ。それも一人じゃ外には出られん。で、ずーっとそれでいるとだんだん煮詰まってきて、うーむ、ちっとは子供と離れてパァーっと遊んできてえや……ってなります。昔だったら親と同居も多かったろうし、ご近所づきあいも地域社会もあり、そう母子が密室にて孤立とか、無かったろうし。逆に子供が多かったから保育園はぎゅ―詰めで、その状況なら三歳神話も分からんでもない。でも、なんかもう時代が違う。核家族化時代ですよ。隣は何をする人ぞですよ。日々子供と一緒にいて煮詰まってストレスぎっしり常にイライラしてるけど、三歳神話があるからひたすらガマンして預けません、なんて本末転倒ではないか。多少手を抜いても精神的余裕がある方が子供にとっても良いはずじゃ。

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2006年9月29日 (金)

水戸から先

ブーブに乗せられ重い重いノートの納品作業。それが茨城県は水戸からもっと先んとこで、10時半ごろ出て着いたのは1時半。途中で例によって営業さんが「ラジオ人生相談」をガンガンかけて、車内は極めてどんよりと湿っぽくなり(やめてほしいのだがなんか病み付きになるのも分からんでもない)、メシは途中の高速のサーヴィスエリアで、トラック運ちゃん御用達の食堂カレーを食いにけり。なんちゅうか、不思議だ。インドカレーとはもう似ても似つかないような、「和食」だよな。

客先に着き、置いてくるだけかと思ったら。CADの質問。先日別の会社で同じ質問をされ、これはよく聞かれる内容だからちゃんと調べておいたほうがいいなあ、というヤツを調べてなくて、また同じ質問を浴び、また取り乱しつつその場を何とかごまかし、何とか帰ってきた。

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2006年9月28日 (木)

閨房哲学

マルキ・ド・サドの「閨房哲学」という本を読んでいた。なんでまた、というかもしれないが、先にマザー・テレサに関する本を読んでいたんで、その直後に一気に対極の位置にある本を読む、というのが面白かろう。

この本は物語というより、割と分かりやすい哲学……というかまあ、「悪いことしたっていいじゃん」というのを会話形式で理論的に語っているような、そうでないような、澁澤先生がそういうところをうまく選んで訳したというか、そんなもんです。読んでて分かるのは、サドは何か確固たる生き方というか、哲学があるというより、なんか当時のキリスト教を基本とする価値観が嫌で嫌で、もう全部ひっくり返してやる、という気合みたいなもんですかね。それで、面白いのは、神様がいないとなると、何を神の位置に持ってくるが、人間は何の声を聞けばよいか、というと「自然」なのです。この「自然」という単語がやたら出てくる。つまり、盗みだろうが殺しだろうが淫蕩だろうが、何やったところで「偉大なる自然」が止めるわけじゃない、ってことは「偉大なる自然」にとってマイナスじゃないんだ。むしろ全てを無に返すなんてプラスだよってな内容。

これは例えば、現在でも「母なる自然は正しく生きる人間を愛してくれるに違いない」なんていう、一見いい感じでも実は人間様の勝手極まりない理屈であるものをぶち壊したいと考える諸氏にはなかなか刺激的ではなかろうか。ちょっと思い出したのだが、だいぶ前に「戦争なんて増えすぎた人口を調節するためにやるんだよ」と言って顰蹙を買った芸能人だかがいたと思うが、増えすぎた人間が結局のところ文明により自然破壊しかしないとなると、「母なる自然に代わり、人間どもを皆殺しにしてくれるわ」という実に全うな「サディスト」が現れないとも限らない。

もう少し愉快な価値観の転換をすると、人間はこの偉大なる自然から誕生したにもかかわらず、実に自然にとって不完全なのは、戦争をして淘汰することを嫌がるからである。弱い者も劣った者も皆等しく生き延びることを望むことは、とりもなおさず、この狭い地球上において無限の増殖を望むことである。諸君が偉大なる自然の忠実なしもべであれば、自ら戦争を起こし、あるいは誰彼かまわず自分より弱い人間を殺し、人口を抑制させ、自然にとって余分である人間どもを全て処分すべしと行動するであろう。うむ、プチサディストみたいな文章だな。

以下は気に入った文章

「この増殖ということは、さっきも言ったとおり、自然の掟などではさらさらなくて、せいぜいのところ、自然の寛大さのあらわれでしかないのである」

「そもそも心っていったい何のことか、僕は知らないね。僕はただ精神のいくつかの弱点を、そう呼んでいるだけだよ」

「この世の悪人どもはすべて自然の気まぐれの代理人でしかないのだよ」

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2006年9月27日 (水)

おひごと

納品するノートパソコンにCADソフトをぶち込んでいる。最近のノートは解像度がやったらあるんだよね。横1920とか。それはいいんだけど、問題は、ソフトのボタンアイコンが豆みたいに小さくなって使いにくいことこの上ない。ソフトによっては大きなサイズも使えるんで、今回入れてるのもそうできないかとオタクに訊いてみたら。「できないね」と冷たい返答。使うのはジジイらしいんだぞ。こんなアイコンボタンじゃオレだって見えねえよ。どうするだ。

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2006年9月26日 (火)

たざわこ

日帰り出張。新幹線が通ったおかげで相当遠くても日帰りでやらされる。盛岡のまだ向こうなんだよ田沢湖。温泉地だよ田沢湖。東京から3時間ぐらい。

秋田新幹線で一つ向こうは角館だ。おお角館! なんだよかねてから行きたい行きたいと思っていたところぢゃないか。江戸時代の洋風絵画である秋田蘭画の中心地にして北の小京都。そこの一つ手前まで行って帰ってくるとはにゃんたることじゃ。週末だったら妻子を差し置いて角館に泊まってくるんだがのう。また呼んでくれねえかな。というか、インストール及びセットアップに来させてくれよ金曜日に。

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2006年9月25日 (月)

明日は出張

田沢湖だと……なんだそりゃ? どこなんだ? 秋田? 日帰りで行けってか?

地図のサイトで訪問先の住所を入れたら周囲に等高線しかなくて一瞬気が遠くなった。ただ、これは住所の間違いだったらしく、実際は普通に車道沿いにあるらしい。

金券屋に行ったら、売り子のねーちゃんが田沢湖なんて駅は知らんとか分からんとか言うので、ブチ切れて店を破壊……することもなく、秋田までの往復切符を買う。

CADソフトを入れてあるノートパソコン(正確にはモバイルワークステーションっていうハイグレードなものだじょ)がめちゃくちゃ重い。

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2006年9月24日 (日)

中野から新宿

中野の「タコシェ」と新宿の「模索舎」にフリーペーパーを置いてきた。タコシェでは「復活! 精神病新聞 全部3」というミニコミを入手。ミニコミ界では有名なんですけど、とにかく著者が精神病で、病気ネタもあるんだけど、ゲームやらコスプレやらの話が載っていたり、愚痴が書いてあったり、啓蒙的なところがまるで無い。

無いんだけれども、本人の意識はともかく、何かテレビ番組で「障害者でもこんなにがんばっているんですよ」とかいうのがガンガン流され、それゆえ「健常者はいいけど障害者はだらだら生きたらいかんのかい」という強固な主張が背後にちゃんと流れている気がします。こういうのをカウンターカルチャーってんですかね。

それから、中野で衣料が極めて安い、おなじみ「キクマツヤ」に行って安い下着を買おうと思ったら、あまりに安いので買う気が失せた。丸首アンダーシャツ2枚290円って、そりゃねーだろ。1枚150円か。うーん100円ショップにあったっけ。まあ、もう少しお高いのがあったからそっち買ったけどね。

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2006年9月23日 (土)

まさこー5

今日はICC(メディアアートの展示)に行ったが、特筆すべきものが特に無いので、いや、まあまあ面白かったんですよ。ただ、常設展(無料だよ)は2人ぐらいで行った方が楽しいよ。あと、企画展は、私の苦手な「突然デカい音を立てるもの」が置いてあって嫌だった。

それより、坂東ちゃんがなぜ、「もし私が……」の最後に例の文を入れなかったのか。思うに彼女も前者つまり、避妊を選択する方じゃないかねえ。でも彼女としては、その選択に話を持ち込みたくないのよ。無意識的に避けてるというかね。でも、現に子猫殺しちゃってるじゃん。それはどう説明するよ。うーん……彼女の感覚がおかしい、じゃ面白くないなあ。

あーそうそう、もう一つ。普通は、子猫が邪魔で育てられなくたって、何も崖から投げ捨てること無いじゃんと思うでしょ。だいたい保健所とかさ、そういう所に持っていくでしょ。その末路が殺されると分かっていても、自分の目では何も確認できない。「もしかしたら苦しまないで楽に死なせてくれるんじゃないだろうか」という希望を持って、自分自身を納得させるだろう。文章にするなら「なるべく苦しまずに天国に行けるように祈っています」とか書けばよい。非難はそう浴びないだろう。坂東ちゃんは頭がいいので、そのぐらいは分かっているだろう(あれは頭の悪いやつの書く文章じゃないぞ)。しかしながら、そういう希望的な考えが、実に人間様のご都合で卑怯千万ということが分かっている。毒を食らわば皿までじゃ、逃げちゃダメだじゃ、卑怯なヤツにはなりたくない。罪は罪としてとことん行い、いさぎよく、罪人らしく手を下そう……と思ったんじゃないか。そのいさぎよさは、わざわざ「崖から投げ捨てた」って書いちゃうことでも現れている。

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2006年9月22日 (金)

まさこー4

毎日新聞に坂東ちゃんの寄稿だぴょん。言ってることがさほどかわりばえしない。

おいおい坂東ちゃん、また「もし私が……」って文章を使っているな。その文の最後に、なぜこれを付けない?

「私ならば、自分の生まれたばかりの子供が目の前で殺されたほうがましである。」

この文があれば、この人はおかしいなあ、と思いつつも、一応話には一貫性がある。これがないから、ものすごくアンバランスで、ものすごく「言い訳」とか「嘘」みたいにしか見えないのだ。「あなたは避妊させられるのと、生まれたばかりの子供を殺されるのと、どっちがいいですか?」という問いに人々は、どっちも絶対嫌だけど、うーんどっちかなら前者かあ? 坂東ちゃんは後者なのか、そうかそうか、ってな感じで一応納得するんじゃね? でも坂東ちゃんはひたすら哀れな子猫を無視して(投げ捨てっぱなしにして)「避妊は嫌じゃそんな行為は罪じゃ」と叫んでいる。おっと最初の方に子猫側に言及し「私は自分も殺している」という文が一応ありますな。でも、いかにも扱いが軽い。あとにだらだら書くために、とりあえず入れただけだろ坂東~♪  

ナチスドイツに言及。おほほほほ♪ ナチスを敵にしたから味方が増えるとか思ったかな。病人の断種とかはワイマール時代からやってるよ。確か。ヒトラーがいきなり始めたわけじゃない。

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2006年9月21日 (木)

新総裁

安部いや安陪いや安倍氏が新総裁だそうで。私はこの人、よく知らない。いや、ホームページがあって「美しい国へ」とかいうパンフレットがあったんだが、読んだところで、早い話が、今問題になっていることを何とかします、みたいなことしか、書いてなかったんで、どうすんだよ、みたいな。

憲法を変えるのは嫌だなあ。特に9条はあのままがよい。現実と矛盾してるって? 自衛隊は軍隊でしょうって? 別にいいんだ矛盾してたって。今まで通り苦しい解釈で切り抜けるがよい。戦争放棄。実にいいじゃないか。理想は高い方がよい。

キリスト教徒がさんざん宗教戦争をやらかしても、「聖書を書き換えろ」というヤツはいない。「右の頬を打たれら打ち返せ」にしましょうなんて、言わんでしょう。いや、憲法は聖書と違うと言うかもしれないが、同じようなもんだ。

神の不在でこの国はガタガタになった。今や日本国憲法は最後の神である。アメ公はジャンクフードを持ってきたりロクなことをしなかったが、この憲法だけはどういう間違いか、自分達にできない理想を我が国に押し付け、かなりガタはあるが、日本はそれでやってきたじゃないか。今さら音を上げるか日本。日本国憲法を祈りのごとく唱えるがよい。「現実に即した」、ビジネスライクな憲法にしたらこの国は崩壊するであろう。そこから理想が消滅するからだ。最後の神が死ぬからである。

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2006年9月20日 (水)

そんなアンケートで

時々ニュースになるんだけど、例えば万引きが流行った時に、学校の生徒に「万引きは悪いことですか」というアンケートをとったところ、「その人の勝手」とかいう回答が多く、そら見たことか今の子供は道徳観が壊れてる、とかいうヤツ。暴走行為やら飲酒喫煙援助交際なんぞも同じ結果だったりする。私の記憶では……これって昔からそうなんだよね。

大人は裏と表ができていて、例えば大人は「道徳的に悪い」と思っていても、割と目の前で見て見ぬふりが平気でできる。でも子供は、アンケートで「悪い」と答えたら、やっぱり目の前で万引きしてたら、じゃあなぜ自分は止めないのか? 止めなかったのか? って悩むじゃんねえ。その現実との折り合いをつけるには、たとえアンケートでも「どうでもいい」みたいな答えをしちゃうのさ。私が子供の頃から、確かそうだった。子供はアンケートにおいて正直じゃなくて、大人はその結果を見て嘆いていた。それは何度も何度も何度も繰り返された、また繰り返されている。子供の心理は解かれていない。

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2006年9月19日 (火)

昼メシの時間でちゅ

CADの講習を受けに(いったいいくつ受けりゃいいんじゃ~)、新宿に行った。私の好きなラーメン「天下一品」を発見(ちなみに、これは好き嫌いがはっきり分かれるシロモノだゾ)。ひさびさに食べました……ところがですよ。9月2日に食って腹をぶち壊した「じゃんがら」の「ぼんしゃん」が連想され、たちまちペースダウン。ああっ……そんなっ! だってあっちは純とんこつ、こっちは鶏ガラと野菜だから系統が違うはずだぞ。味も違う。でも、似てるんだもん。思い出しちゃったんだもん。あうううう……好きだったのに天下一品。もう、しばらく食えないのか?

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2006年9月18日 (月)

とっこうたい

えーなに大和が終わったら今度は人間魚雷の回天の映画ですと? 例によって、なぜこんなことを→「この国を、愛する人を守りたいんだ!」という調子なんだろうなあ。大和はつまらなかった。肝心の大和のバトル・シーンが、単なる一方的被弾……というか、どんな敵が来て、何を撃って、それがどこに当たって、それに対してどうなって、という物の動きが見えなくて、単に爆発が起こって人がガガガガガーン!ってやられるだけ。つまらん。まあ、多分、製作者側は、バトルシーンは「肝心」じゃなくて、むしろ「人間ドラマ」が中心(っていうか、そうあるべきだという思考)で、戦闘シーンをエキサイティングにすると戦争賛美だと思われるので嫌だったんだろうかね。だからダメなんだよ日本映画……というか悲惨なものを見せれば反戦になるっていうのはもう浅はかだ。人間の暴力癖も支配欲も全部無視したものがいくら溢れたって反戦の力にはならんのに。「時計じかけのオレンジ」でウルトラ・ヴァイオレンスをきっちり描いてしまったキューブリックを見習ってもらいてえな。おっと、回天の映画の話だ。うん、見てないし、見る気が起きんなあ。

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2006年9月17日 (日)

閑散

法事の中華で昼から紹興酒をしたたか飲んでしまい眠い。でもがんばってひさびさに行ったんだよ Ben's Cafe 明日休みだしさ。朗読しに及び人様のも聞きたかったよ。でも……司会入れて全部で4人という惨状。そんな、バカな。いつのまに。聞けば近頃、第3週のオープンマイクはえらい少なくて。でも第4週のスラム(競技会)は人が多いらしいんだ。スラムも行きたいけどさー あれ最後まで残ってないと結果が分からんのよ。最近遅いのダメ~ 特に次の日会社だと。

さて今日は何をしたか。まず自分の詩を音楽と合わせるの。でもあそこってあまり音響こだわってないので音楽がほとんど聞こえないんだな。それから即興を1つ。調子はイマイチ……いや、イマニぐらいで、なんだか途中でテンションがダウンしちゃった。それから中原中也の「秋日狂乱」。これはまあ、安定して読めたし聞けたことでしょう。

本日のスープ「トマトと生姜」がうまかった。

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2006年9月16日 (土)

ウィーン美術アカデミー名品展(損保ジャパン)

クラナッハが目当てだった。ウィーンの美術大学なんだってさ。ボッスの絵なぞも持ってるんだと。展示はルネサンス以降の、まあ、なんかそのあたりのイタリアとかフランドルとかスペインの。
最初の部屋でファン・ダイクの十五歳自画像、美形で始まり。それから……なんかほとんど知らんヤツばかりなんだけど、ピターティ(ヴェロネーゼ)っちゅう人の「野外で楽しむ人々と踊る人々」が近代絵画に慣れた目には新鮮だ。なんたって……踊ってねえ。やる気無さそう。でも絵はきれいなんだ。それからもういきなりドイツ・ルネサンスの代表クラナッハ(父)。「不釣合いのカップル」では言い寄る爺さん。「ルクレティア」これが一応目玉の一つ。クラナッハの描くルネサンス裸婦。ちょい洋梨。ちょいヘン。結構ハマる。しかし、ずいぶん小さいねこりゃ。クラナッハもう一枚あったけどいいや。それからルーベンスの「三美神」なかなか見ものだ。ほほー、ルーベンスってもっとデブデブボケボケの印象があったが、これはきっちり描いてある。三美神すなわり裸婦3名。骨格がいい。がっちりだ。ルーベンスもう一枚あったけどいいや。

えーと次の部屋。ヤン・フェイト(知らん)の「猫の習作」猫五匹。フジタの方がうまいな。同じフェイト(フランドルの静物画家なんだと)の「(メモってない)」は、出たっ、狩りの獲物。鳥類哺乳類の死体はなんか日本人には馴染まねえ。魚はなぜか大丈夫。それからー農民の食事の絵とか。ええとムリーリョ「サイコロ遊びをする少年たち」。ムリーリョってどこかで聞いたな。スペイン? あープラド美術館展のマリアの絵描いた人じゃんねえ。なるほどうまいよな。それからオランダ社会派の絵。どうでもいい絵だなあ。おっとニコラス・マース(知らん)「アドニス装いの少年の肖像」。少女みたいでキャワイイぞ。ウキキ。それから、オランダとイタリアの風景。あーさらにどうでもいい絵だなあ。「クロード・ジュネ(通称ロラン)」って、これはクロード・ロランですか? うーん、こんなちゃちい絵描く人だったっけ? それから……つまらんな。ロイスダールってどこかで聞いたな。おっとまた静物かよ。ホーホストラーテン(知らん)「トロンブ・ルイユの静物」これはなかなか面白いぞ。騙し絵だ。壁に扉があって布とかがかかっているように見えるのよ。それから、ドンデクーテル(知らん)の絵は鳥だらけだ。でも若冲にはかなわない。フランソワ・ド・ノメ「奇想の建築」はなかなか面白い。一見建物風景。でも絵の具絵の具したヘンな彫刻みたいなのが山ほど描かれている。それからシェーンブルン宮殿の庭の絵、行きてえ。マリア・テレジアの肖像。確かマリーアントワネットの母だよな。肝っ玉かあちゃんみたいなゴキゲンの肖像。

アカデミーにおける新古典とかいうコーナー。シェードベルガー「理想的風景:夕方」。こりゃいい。キマっている。いかにも理想風景だ。対してローベルト・ルス「ペンツィンガーアウの早春」これがまあ、凄い。野十郎もびっくりの「ド写実」。夕日かと思ったら月だと。それにしても、よくぞここまで現実の風景、現実の光を再現した。理想風景と対比して見てみよう。人間の空想の及ぶ範囲ってのが分かるようで面白いぞ。

月休11月12日まで。

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2006年9月15日 (金)

神の不在

しかしマザーの話なんか読んで、立ち返って昨今の事件なぞを見ると、なんちゅーか世間の心の荒廃ぶりはすさまじい。大人も子供もいったい何やってるんだ。事件だけじゃなくて、そこらじゅうに愛が無いよな。いやーとうとうブログで「愛」とか書き始めてやんのこいつは、というぐらい愛が無い。先の白河ちゃんの駄文も何が「高スペック」じゃ愛にスペックは関係ないんだぞマザーの爪の垢でも煎じて飲むがよい。

しかし急に寒くなりゃーがって。調子が悪~い……

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2006年9月14日 (木)

祈っていますという者達

マザーはなぜ祈っていたか? そりゃあ先にも書いたけど、いくら行動しても不幸な人が減らなかったからじゃないですか……と思っていたが、どうもこりゃ違うようだぞ。祈れば神が見えてきて、神の愛が行動をもたらすんだって。だから、祈ることは行動の原動力ということになる……そうだな、本来、そうあるべきではないか。どうも私は「戦争の無い世界になることを祈ってます」とかいう、何か、祈ってるから遊んでたっていいじゃん、的なものばかり目にしているので、祈りなんて役に立たんと思っていたが、ありゃあ、祈りでも何でもなかったわけか……

私は~を祈っています、と一度でも言った者達よ、その祈りの言葉を言ってみろ。そこに神様がいるんだろうな。祈りの言葉も無く「祈っています」なんて平然と言うヤツは恥を知るがよい。

しかし、今、日本に神様がおるのか? 日本は八百万の神の国である、ったって、実感できるのか? 靖国の英霊? ご先祖様か? その神ために祈れば、何か行動の力が沸いてくるか?

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2006年9月13日 (水)

今になってやっと

マザー・テレサの記録本とか読んでいるんだが、想像以上に行動的で実践的なんで驚いた。何よりエピソードがいちいち感動させる。えれえ人だ。

しかしマザー、私は未だ祈りの効能が分からないのです。「生活に祈りを持ち込みなさい。祈れば神が見えてくる」とは何ぞや? 祈りなんて役に立たんと言い続けて幾年月。初詣以外祈ったことなんか無いですよ……いや、あるか、仕事でハマってソフトが動かねえという時はもう。「頼むから動いてくれ!」 これは祈りか? あ、思い出した、分かる人には分かるがあれだ、エヴァンゲリオンのシンジ君の声でな「動け! 動け! 動け! 今動いてくれなきゃ困るんだよ!」 ああ、これは「祈り」じゃなくて「泣き」だと思うぞ。

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2006年9月12日 (火)

911と美術鑑賞

911自爆テロだったか、イラク爆撃だったか定かでないのだが、ネットで「その事実を知って、私は恐ろしくて家で大泣きした」とかいう文章を見て、ずいぶんな違和感を覚えたことがあるのだ。身近な人が巻き込まれた、というわけでなく、海の向こうの報道を聞いただけで、なんでそんなことになるんかい。もしかして、そういうことをネットで表明することによって、自分は平和主義者だという、つまり自己顕示欲だけで書いてるんじゃないかと思ったわけだ。

話変わって、某掲示板など見てると、時々「美術鑑賞なんて何がいいわけ?」という文章を目にする。そして「本当は何も分からんくせに、単に自分が賢いとか偉いと思われたくて見てるだけじゃないの?」という考えになるわけだ。似てるな。うん、似てるよ。もしかして、911で大泣きした人は、本当に悲しくて実際に泣いてたのかもしれんなあ。感情や感覚を説明するのは難しい、というか説明したところで、納得させられるものではとてもないのだが、多くの人は、ちゃんと説明されれば、感情であれ何であれ、あらゆる事が納得できると思っている。だから私は「いったい何がそんなに悲しかったのか説明してくれ」と言いたいのと同じぐらい「美術鑑賞の何がいいのか説明してくれ」と言いたいのだろうし。私が、何をどう説明されても、悲しかった理由に納得できないのと同じぐらい、美術鑑賞の何がいいのか相手に納得させられないだろう。感覚でとらえるものに説明も理論も役に立たない。しかし理論により納得させられないのは、あくまで相手の技量が未熟なためと思い込んでしまう。それは、実際に存在しないものを、あると思い込んでるようなものだ。

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2006年9月11日 (月)

祝男子だって?

前も書いたかもしれないが、自分に何か、一生涯追い求めるテーマがあるのかといえば、次の一点となる。

人間は優れた者のみが生き残るべきか否か?

これがそう単純に答えが出ないことは、まあ分かると思う。それで、割と身近でもあるのが、先日の紀子様の出産で「男子でよかったねえ~」と、私なんぞもついつい書いてしまったが……じゃあ女子だったらどうなのよ。そりゃあもちろん女子でも大切に育てます……っていうのは実にきれいごとで、というか当然のようにそう言わざるを得ないし、当然そう言ってのけるのだが、実は望まれていなかったらどこまで本気でそれを押し通せるか分からんのだぞ。人間ってのは実に実に怖いんだぞ。あと、産み分けなんて簡単に言いますけどね、望むものを生むというのは、望まれざるものを産まなくする、というのと表裏一体、というかイコールだ。障害者を産まなくするテクノロジーが発達したとしても、じゃあそれまでに生まれてきた障害者達は「自分達は望まれていなかった」のか? 果たして紀子様は産み分けたのか? さあ君よ、生み分けなんて本当にやっていいのかい? 将来、産み分けが一般化した時になって、愛子様が、実は今の時代だったら、自分は生まれていなかったんじゃないか、と悩みだしたらさあさあさあどうするどうする。優れた者って、人間が人間を判断できるのか。生まれて来た者全てが幸福に生きる社会を実現……という美しい理想を受け入れ実践するように人間様の心はできているのか? できてないがそうなるべき? じゃあそういう風に洗脳しちゃうのってはどうだ? 北の一見洗脳されたような人々がそんなことを日々考えて生きていたらさあどうするどうする。テクノロジーに生命倫理がついていけない。問題てんこ盛りしかも単純にして難しい。死ぬまでにいくつか答えが出せるかな?

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2006年9月10日 (日)

ラウル・デュフィ展(大丸ミュージアム東京)

ハシゴだ~ 大丸♪ 大丸♪ 天井低いぞ大丸~♪ 照明悪いぞ大丸~♪ いっちょ前にメモにシャーペン使うなとか言ってきやがった。鉛筆の芯が大丸~♪ もっととんがったのよこせよ。

ファブリックデザインが半分ぐらいある。そう、デュフィってね、布デザインもやってたのよ。でもまあ、絵の点数もそこそこあるので、がっかりはしないだろう。あと、デュフィデザインの布を使ったドレスも展示してあるぞ。

しかし、マティスとデュフィって、そんなに差が無い感じなんだけど、どうもマティスは合わない。デュフィは好きだ。これは美術鑑賞の奇妙なところだ。何か言葉にできない差があって、それが感覚に合ったり合わなかったりする。きっと逆の人もおるんだろうなあ。美術の評価には多数決があるだけで、何が絶対的に優れている……ってのは無いんだ。まあ、それが信じられないで絶対評価があると思っている人もいるが。

うーん、とはいえ、特にメモが無いなあ。織物のデザインは昔のテレビゲームみたいですな。ドットできている。対して、水彩はあくまで軽やかに色彩が舞うがごとく。一枚挙げるとすれば「埠頭のカジノ、ニース海岸通り」この色使い。いいねいいね。あと布コーナーの中に埋もれて「パリのコンポジション」という油彩があるんだ。一見デザインの原画みたいだけど、これは絵画作品としてなかなか面白いぞ。

ハシゴは疲れる……

9月26日まで。

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国宝風神雷神図屏風(出光美術館)

国宝である俵屋宗達の「風神雷神図屏風」、それを尾形光琳が模写し、それを酒井抱一が模写する。琳派を代表する3人が、同じ図柄の屏風を描いた、それが一堂に会する。うぉー! ……まあ、光琳と、抱一のは見たことあるんで、お目当てはもちろん宗達。
展示は大きな一室で3点がババーン。そこに解説パネルがたくさん。特に比較のパネルは役に立つと思う。

しかしまあ、結果から言うと宗達のはやっぱりオリジナルで最も優れている。迫力があるね。それを光琳がかなり忠実に写したんだけど……どうも何か、欠けてる感じでイマイチだ。それで、抱一になるともう相当劣化して、ほとんどマンガである。かなりダメだ。扱いも国宝(宗達)→重文(光琳)→なし(抱一)だし、まあ素人目にも劣化コピーしているのが分かると思うぞ。だから、宗達のを見ればとりあえず、光琳と抱一のは見なくても良い。ちなみに抱一は宗達のオリジナルを知らなかったらしい。

それで、なんでこうも劣化しちゃうの? というのが私の疑問。次の部屋に、抱一の「紅白梅図屏風」があるんだけど、これで汚名返上よ。抱一の描写力の凄さが分かるであろう。隣にも光琳の作品ある。草花をデザイン的に構成していく我が国が誇る琳派の技だ。これだけ描写力を誇るのに、なぜ風神雷神図の模写はうまくいかないのか? 思うに、光琳は宗達の、草花におけるデザイン的な構成に惚れて、それで宗達の真似を始めた。真似だけでなく、琳派として発展をさせたわけです。ところが宗達は別にそういうことばかりしていたわけでないので、風神雷神図ってのは、琳派の範疇の作品じゃないんだな。どっちかというと、金剛力士像とかの「マッチョ系」なんですよ。ところが光琳は、がんばってそれを写したもののマッチョなセンスが無いもので、どうがんばっても気が抜けてくる。光琳自身、これはチャレンジだと思ったに違いない。それで、やっとできたのが光琳作「風神雷神図」。さて抱一は光琳のこの作品を見て、多分光琳の新たなる愉快な様式だとか思ったに違いない。普段の光琳と違うからだ。それで、愉快に真似し始めたというわけさ。様式から来ているので、迫力なんか二の次なんだ。

この劣化っぷりはあれにも似ているね。写楽の1期2期と3期4期。明らかに何かが抜けているのだ。写楽複数説の根拠でもある。あと劣化といえば、昨日の「素朴派」。素朴派はいずれちゃんと把握しなければならんが。絶対ルソーのを劣化コピーをしている。そしてそれに対し素朴だから「素朴派」などというルソーに似合わないレッテルがつけられている。うん、そうなると、宗達が「琳派」だというのも同じ無理が生じているのかもしれないね。

10月1日まで。

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2006年9月 9日 (土)

ピカソとモディリアーニの時代(Bunkamura)

「芸術の秋」の味まりだじょ。今年は結構いろいろあるので大変だ~♪ で、まず手始めにこの「ピカソとモディリアーニ」。うーん、期待していいのかな? という感じだったが、モディはよかった。ピカはイマイチ。

イントロでキュビズムの誕生についてのテキストで、結構演出している。こういう気分を盛り上げる形はもっとやっていいと思うぞ学芸員諸君。

第1章。最初はキュビズムしか知られていないブラックのキュビズムの始めの方の「家と木」。まだ出だしなんで単純だ。それからブラックのキュビズム。「モンマルトルのサクレクール寺院」は渋くてよい。で、その流れでピカソのキュビズム作品に流れてしばらくピカソ。とりあえず描いてるピカソ。「楽器と頭蓋骨」は、半分抽象というかデザインというか、「帽子を被った女」いわゆる「ピカソの絵」……うーん、あまりズガッと来るものが無いな。続いてレジェ。うーん、普通のレジェの絵が並んでいるが、この人は意外と面白くないんだなあ。非常に整っていてまとまりがいいし、当時の先端の芸術的でもあるが……なんか単調な円筒形での造形を見てるとだんだん飽きてくる。むしろ挿画本の「サーカス」みたいなうにゃうにゃ人物画の方が面白い。

第2章。ここからモディ登場。「若い女の胸像」はこれがモディか、というほどの若描き。24歳だって。35で死んだんで、いわゆるモディリアーニ風って10年も無いんだな。「肌着を持って座る裸婦」こりゃいいぞ。なんか人体にボリューム感がある。健康的だ。そうか、私はモディリアーニって細くてペラペラな印象しか無かったが、この絵みたいにしっかりどっしりしたのもあるんだな。というか、本来こういうのを描きたかったんだろうね。不健康だったんでそれが絵に出たのが多いんだろうなあ。同じく、「母と子」も同じ。目は例の黒目の無いヘンな目だけど顔色がいい。パースかけまくりのユトリロが1枚。ルオーがある。「鏡の前の娼婦」という宗教がかってない頃の絵が新鮮だな。これでも色彩はルオー。

第3章。シュールレアリズムのコーナー。ミロがある。「顔」はなかなか顔だ。「絵画」は得意のヘンな物体浮き上がり系。「偉大な音楽家の顔」という色彩にこだわったのが面白い。ケルマデックという画家初めて見た。線ぐちゃぐちゃ系。それからクレーが3枚。「のみ込まれた島」の青い色での構成はなかなかいい雰囲気だ。そうだ、クレーって「雰囲気画家」だって思いついた。彼の作品は全部「雰囲気」なのだよ。

第4章。ビュッフェから素朴派だって。ボーシャンの「ステュク川」の岩と小さく描かれた娘。ほほー鮮やかなこと。カミーユ・ボンボワって人、初めて見たぞ。「ヒナゲシの花束を持つ田舎の娘」うむむむむ、な、なんか、いいねこれは。なんちゅーか「エロふとっちょ」みたいな娘だな。ランスコワはイマイチ(絵も思い出せん)。お、ルソーがある、と思ったら。ルイ・ヴィヴァンって人の「トリアノン」……なんじゃこりゃ~ そ、素朴だ……なんていうか、絵のうまい子供が描いたみたいな稚拙な絵だ。そうか、だから素朴派っていうのか。ルソーだけ見てても素朴とは思えないが、フォロワーがルソーの素朴な部分だけ真似しやがったんだな。だからルソーが「素朴派の祖」とか言われるのか。ルソーは素朴じゃないぞ! 隣のオーブラディとかいう人のもルソーに似てる。こっちはもう少し写実? なんだがこれもルソーとは違う。違うんだ素朴派ども~ 待て、今回ルソーは出てないのかよ! さて、最後にベルナール・ビュッフェ。おお、これは、なかなかいい絵が並ぶ。この冷たい人物。色彩の無い世界。なんかあれだな、河原温の「浴室」ってこれの影響を受けてるんじゃないかな。

「モディリアーニとビュッフェ」にした方がよくね?
10月22日まで。

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2006年9月 8日 (金)

続き

昨日は書いててうにゃうにゃしてきたので、後半は自分でも何書いたんだかよく分からん。

ランチだけじゃダメだろ。

なぜかというと、食通たるもの、アルコールは不可欠だからだ。「生のトリュフが……」とかほざいてフレンチ食うヤツが。「ワインは何が合うかな」と訊かれて、「いえ、ランチでしか食べませんので」とか「お酒はよく分かりません」とは返せない。洋食にはワイン、和食には日本酒、中華には紹興酒だ。当然白河ちゃんは大見得切るに違いない。曰く「最近の女性はカクテルの知識も豊富ですわよ」。ということは、食のスキルはディナーでもゲット。じゃあ昼は何だ? まさか牛丼屋をあれだけ蔑んでおいて牛丼屋や仕出し弁当なんか食わねえだろなおうおうおうおう(ドタマに血が上ってきたじょ♪)。昼も豪華ランチで、夜は豪華ディナーかい、おうおうおうおう、まさかボサボサ頭&スッピンじゃ行かないだろ。真の食通は食に命かけるため。格好は気にしないのだが。高レベルOLはそうも言ってられんでしょ。じゃあメイクするんだな。いったい化粧に何時間かける気だおうおうおうおう。化粧品もダイソーの100円ってわけにいかんでしょ。あのほれほれファックスマクターだっけ、そういうブランド品使うけん。無駄に高いんだろそれ。そんで高級レストランに入って、まさか30分で出やしない。2時間はいるよな。5時に退社して、6時までメイクして、6時半食べ始め、8時半レストランを出る。帰りは9時半だ……なんだそんな遅くないじゃないか! うーん、でも金は続かんでしょ。キャリアがあるから高給取りだと? おうおうおうおうじゃあ、残業1時間は必要だべ。男性社員と肩並べんなら働け働けこら~。君の嫌いな男性社員の部下ははちんたら仕事してるから定刻には終わらないんだよ~ん。部下の責任は上司の君が取るんじゃ。よって君の帰りは11時だ。いや~ん。遅~い。肌荒れちゃうわ~……ダメだ書いてて疲れてきた。

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2006年9月 7日 (木)

進化ですと?

書こうかどうしようかと思ったが書いちゃうけど、近頃ネットで話題の愉快な文章が次のものである。

白河桃子の「“キャリモテ”の時代」(第3回)

野郎の読み物ではなく、30代独身女性向けなんで、読者に対するお世辞半分かもしれんし。「女の三高」がそんなにゴロゴロいるのかとか、それが「女の進化」かどうか、とか。それに男がついていくべきかどうか、とか、それはどうでもいい。次の文章が大いに気になる。

例えば女性たちが、話題のシェフが腕を振るう最新のフレンチレストランで「やっぱり生のトリュフが食べられる季節は逃せないわ」などと言っている時、シングル男性たちはマンガ雑誌を片手に牛丼を食べているのかもしれない。

まあ、ここまで男をコケにした文章も珍しいが。ちなみに牛丼屋はガツガツ食う所でマンガ読んでいるヤツはまずいないんだが、まあ白河ちゃんは入ったことも無かろう。それより「生のトリュフが食べられる季節は逃せない」って、これはあなた、これこそオーバースペックでねえか? 食通のセリフだぞこれは。そこらのOLが普通に会話で使えるんだろうか? もちろん白河ちゃんは、使えると思って、これが、もののたとえであったとしても、このぐらいの食のスキルは近頃の女性達は持っているだろうという認識(あるいは読者への媚)で書いたのであろう。しかしこのスキルはちと大変だぞ女性諸君。

1.世界三大珍味(オレは食ったことも無い)「トリュフ」を普通に食ってること。ということは、「トリュフ」はよく知ってるが、「キャビア」「フォアグラ」は知りませんってことは許されない。
2.「生」かそうでないか、トリュフを食べるだけでなく、その加工法にも通じていること。つまり貴重な食材をいかに調理するか、ということに関する知識を所有。当然、焼くなり煮るなり一通りの調理法を経験していること。でないと「生」にはこだわるなんて許されない。
3.「季節」を把握していること。「トリュフの季節」が終わったら、では次は何の季節か? まさか「トリュフの季節は知ってるが、あとは知りません」は無かろう。

このスキルが(特に食が趣味ではない)普通のOLに可能か? ……うん、不可能ではないだろう。有名レストランにはランチメニューがあるからだ。昼なら多少は安い。それでも、このスキルになるまで毎日通っていたら、やはり懐には厳しいだろう。親と同居(パラサイトと書いてありますな)せざるを得ない。ランチのために節約するので早く家に帰ってスーパーで買い物……するとも思えん。同居してるんだから母親が頼りね。それにアフターファイブで習い事とか行ってるだろうしね。そうすると、晩メシは母の金で母が作るんじゃ。当然「私はお料理得意」という状態になるとは思えん。結婚したら、まさか母と同居してメシ作らせるわけにもいきません。ダンナが全部作るか? 主夫なら可能。何プライドが許さん? でも働いてる男だとまず無理だぞ。ジャップの男は貧乏人はバリバリ働かされ、金持ちはバリバリ働くんじゃ。作れません。じゃあもう毎日夫婦で外食だ~ ……経済的に厳しいのはもちろん。絶対体壊すぜ。こりゃもう男がどうこうより、結婚は難しいですなあ。

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2006年9月 6日 (水)

祝男子

おお紀子様、男の子か。いやー、よくやりました。よかったねえ。これで雅子様もちっとは気持的に楽になって、病気も快方に向かうと期待する。まさか雅子様も、これから男子を産んで天皇の流れをこっちに、なんて考えておらんでしょう。皇太子様もそうお考えのことと思います。とにかく今のあのプリンセスの状態はヤヴァい。

全然話違うんだけど、「ベストジーニスト」が決定ですって。倖田 來未と、もう一人は知らんヤツで、要はまたエイベックスとジャニーズかよ。本当に投票で決めたのか? 事務所からの頼み込みじゃない? それから荒川静香……って、なんかこう、今話題の人で、とりあえずジーンズを1回でもはいてりゃいいって感じですなあ。選ぶ側に、ジーンズに対するこだわりを評価する姿勢が微塵も無い。これほど露骨に話題性重視で、賞として何の価値も無いってのも珍しいな。うん、そうか「レコード大賞」ってのもあるが。ありゃあまだ歌手の本職つまり業務を評価するものだから、事務所の力関係で物事が決まっても、さもありなんだけど、「ベストジーニスト」は別に、そんなもん関係無く決定したって十分成り立つだろうし、そうあるべきでしょう。つまり「レコード大賞」以下だ。まさか、あれを見て「今年はこの人がジーンズが一番似合うんだあ」と感心する人もおるまいよ。情けねえ。あ、そうだ他にもあったぞ「今年の新入社員は○○型」ってやつ。あれもひでえ。「ベストジーニスト」といい勝負だ。

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2006年9月 5日 (火)

すししゃん

それで、「寿司シャン」とは何かというと、これは昨日のzakzakに出ていたのだ。曰く「寿司をつまみながらシャンパンを飲むことですよ。どちらも高級品の代名詞的存在だけに、女性を口説くにはうってつけなんです」だそうだ。出どころは「ちょいワル」とか「ちょいモテ」でおなじみのモテたいオヤジご用達雑誌「LEON」。

しかし「寿司シャン」とは、なかなかいいネーミングだな。もちろんストレートに言葉のセンスがいいという意味ではないぞ。この「ちょいダサ」感がいいじゃないか。オヤジはバカではない。いかにも「センスいいだろ」というネーミングを真面目に使っちまうのがいかにマヌケに見えるかぐらい十分分かっているのだよ。この「寿司シャン」なら苦笑半分、シャレで「ちょっと『寿司シャン』しようぜ」と言えるじゃないか。「それじゃ相手にダサいって言われるだけじゃん」と思うかね諸君。君のレベルが高いならば、あえてダサい言葉を使っているのに対し「それってダサい」と指摘するのがいかにカッコ悪いか分かるであろう。黙って「寿司シャン」についていきなさい。

……寿司屋にシャンパンは置いてねーだろ普通。なんか「新感覚」の寿司屋か? あーそうそう、もっとすごいのがあるんだって。「寿司ドン」 これは「寿司+ドンペリ」。アハハハハハハ。まあ、それにしても、高級品同士だからありがたがるって女性もおらんでしょう。シャネルのドレスの上に西陣の帯締めてるようなもんじゃんねえ。

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2006年9月 4日 (月)

げんだい

しゅーかんげんだいで、子猫投げ捨て坂東ちゃんの言い訳が出ていたが、あまり面白くなかった(立ち読みで面白くなかったもなにもないんだが)。人間は食べるためにたくさんの命を殺してるじゃないかとか、保健所でたくさん殺されてるじゃないかとか、それはあなた陳腐じゃありませんか。もっとマッドな意見じゃなかったのかい。避妊については、第三者に「愛」をもって身体の加工をされたくない、のであろう「愛の避妊」などと言ってるが。うん、そうね、それが愛であるという認識を持って身体機能に手を加えているのが、育てられんから殺すという感情よりも恐ろしいらしい。うん、そうかそうか、分からんでもないな。ある恐怖漫画に、愛する相手を手放したくないので、口を縫って手足を切断しちゃうってのがあったけど、多分それと連続した世界にあると思っているのであろう。そこに人間の「愛の底知れぬ恐怖」を見るので、そんな狂ったヤツと一緒にされたくない。むしろ愛する者が、子供を産んだ場合、それはもう第三者なので、じゃまだからさっさと処分する、という方が原始的でシンプルな感情なのでこっちの方がすっきりするのだろう。子猫側を無視できるのも、人間様が食うため狩るため飼えんために大量に殺してるから「そんな大したことじゃない」んだって。しかしまあ、坂東ちゃんは昨今の加熱するペットブーム、ペットに対する異常な愛情を問題視していて、「ペットに自分を投影してしまう」とか何とか書いてあったけど、それは他ならぬ自分ですよあなた。猫は自分の体に医学的処置をされたなんて理解できないんだから。避妊処置されてものんびり寝ていたりする。どう見ても異常な愛情を持っているのは坂東ちゃんなので、「今の日本が異常」というにゃちと無理がありますなあ。しかしまあ面白いのは(結局面白がってるじゃないか)、坂東ちゃんは自分に異常な愛情があるという自覚が微塵も無くて、「生と死を深く考えた」結果である、とのたまっていることだなあ。

あ、そうだ思い出した……「寿司シャン」の話題を書こうとしたが今日はもうお開きよ。

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2006年9月 3日 (日)

東京オリンピック

やりたい人~ 手ぇあげて~

ちなみに日本橋の上に高速道路を通すというバカなことをしたのは、前の東京オリンピックのために、首都高速を作っちまったからです。まあ、高度経済成長期だから歴史遺産とか何とかよりも、経済的に舞い上がっちゃうよな。

それはさておいても、やるのー? まじー? 誰が鼻息荒いんだ? 石原君か? 石原~さっさと木場の現代美術館潰して、あの建物でカジノ作れよ~ 現代美術館は今の東京国際フォーラムに移動じゃ。今の東京国際フォーラムにある相田みつを美術館は、どうしようかな、お台場とかあっちの方はどうだ? いや、元々あった銀座でいいじゃん。

オリンピックやったって、どうせ入場券争奪だし、オレは行く気もねえし……2016年じゃ、う、うちの子が11歳じゃんかよ。「行きた~い」とか言われたら困るな。「他のだれそれさんが行ってる~ 何とかして~」とか、言われたらねえ、こっちだって何とか考えなきゃいかんからのう……あーだめだだめだ面倒くせえや。来るなオリンピック。 

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2006年9月 2日 (土)

歌麿と栄之(太田記念美術館)

超久々の太田だーっ! 浮世絵のページを持っていながら近頃とんと浮世絵を見てなかった。さて、歌麿はともかく、同時代の美人画描き、栄之をまとめて見る機会もそうそう無いべ……と行ってみた原宿。じゃんがらの超こってりラーメンでパワーアップして見るべ……って今月は歌麿中心かよ!(来月が栄之中心らしい)

畳の肉筆コーナーは歌麿と門人で、弟子はいたんだけど、何分美人画ってのは時代と共に流行が変わるんで、あまり師匠を忠実に受け継いだってのは無いそうで、結局歌麿派というのはできなかったそうです。確かに、式麿とか、二代目歌麿とかいうのも見ても、歌麿というより、やっぱもう少し先の美人画風なんですな。ココ・シャネルは女性のスカート丈でシャネルレングスしか使わなかったが、現在のシャネルのデザイナー、カール・ラガーフェルドはミニ丈だって使うぞ……って適当な知識ですまんが、まあそういうもんだ。

歌麿の錦絵が並んで、その技法とかが解説されてます。丁寧です。無線彫りとかね、見立て絵とかね、あと大首絵の「毛割」がね、彫師はすごいね。髪の生え際の一本一本を彫るんだぜ。つまりこれは歌麿が描いたわけじゃなくて、彫師の職人技なのだ。

ここから2階じゃ。まだ歌麿の錦絵。母と子とか。あと、秀吉を描いて手錠かけられた。戦国以降の実在の武将を描いちゃいけなかったんだってさ。当時はいろいろうるさかったのよ。それから歌麿の師匠、鳥山明じゃなかった鳥山石燕の肉筆の掛け軸がある。「鶏図」だ。なかなかキュートでうまいが、やっぱコケコッコフェチの若冲には勝てない。ちなみに石燕の弟子には恋川春町という戯作者もいて、二代目歌麿に戯作を教え、さらに詩人でもあって現在でもポエトリーのイベントとかを開催している。私とはマイミクでもある。それはそれとして、やっと栄之が並んでいるぞ………………うううううう………………じゃんがらが胃にもたれてきた。助けてくれ。気持が悪い。しかし栄之はちょっと見、歌麿と見分けつかねえな。いや、つくのもあるんだけどね。明らかに品がいいとか。でも歌麿だってそういうの描けるしなあ。大判5枚続きの美人群あり。屋形船だぞ。美人はさておき、橋のパースの描写が結構いい。それから美人3人全身像を大判3枚に描いたのはいかにも栄之……うう、これだけかよ。いや、まだあった。巻物「吉原十二時之図」いいねっ。美人はシャープな線でキメっ、石灯籠とか野郎とかどうでもいいもんは、ラフな線で描く。

それから歌麿と栄之以外の美人画。万人受けの春信、我が前世司馬江漢こと春重、春信がザクならグフであるところの湖龍斎(※ガンダムだよ)、八頭身美人の清長、肉筆の方がいい美人を描く春章。概ね1枚ずつ。

それからもう少し歌麿。美人画で売れる前は、狂歌絵本とか描いてた。狂歌絵本は当時大流行したんだって。で、これが結構うまい。特に貝を描いた絵があったが。リアル。すげえ。実は歌麿、写実もかなりできるのさ。ちなみに狂歌絵本は写楽と同じ、レンタルビデオの蔦屋プロデュースだ。

来月の栄之中心に期待したい。諸君が歌麿見るなら今月行ってもいいぞ。

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2006年9月 1日 (金)

祈る人

前にも書いたかもしれないが、マザー・テレサは祈る人であった。ただ、彼女は貧しい人や傷ついた人のためにひたすら行動して行動して行動して、それでもてんでそういう人達が、世界中で減らないので、それで祈っていた。祈りが本物になるためには、真の無力感に到達する必要がある……のでは? ところがそこらの、一般庶民の祈りなんて、例えば「平和を祈ります」なんてのも「反戦運動なんかしてたら遊ぶ時間がなくなっちゃう」なんてのが背後にあって、そういう安っぽい無力感というか、面倒くさがりというか、そういうんで「祈り」という姿勢だけ表面してんだろおまーらは。だから「祈る」なんて行為は嫌いなんだ。「世界中で飢えている人々がいなくなることを祈ります」と平然と書きつつ暴飲暴食。それでも極めて冷静に平然としていられるのは、例のクソバンドの理屈と同じで「何もしないよりマシ」とか、「○○で考えるきっかけを得られました」とか、あーやーだねー じゃあ紀ノ川君はいったい何をしてるんだよ。うん、何もしておらん。募金なんかビタ1円したことねえっ。いいんだ。偽善者になるぐらいなら、何もしない罪悪感をずっと背負って生きてやる……ってそんなたいそうな心がけは無いけどさ。あー私「考える人」ってのはどうだ?

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