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2011年3月30日 (水)

みずぱにっく

放射性物質混じりなんで水道水の乳児摂取を控えてとかいう話で、うちは乳児ではなく幼児だけどやっぱ気が気じゃない。いつ「幼児もアウト」になるか分かったもんじゃない。とりあえず、雨の日と、その後2,3日がヤバそうだ。あとは、まあいい。

目安として東京都健康安全研究センターの水道水中の放射能を見ている。とりあえず、ヨウ素131が、WHO基準(ここに書いてあるらしいがよく分からないが)の、10Bq/kgを切っていればオッケーとして、とりあえず今日明日ぐらいは大丈夫そうだ。でも雨が降ったらまたヤバくなるな。100Bq/kg以下というのが食品衛生法だかの基準なんだけど、これは非常時の暫定値なんだって。

水道局のサイトでも同じような調査をしているんだけど、なんとまあ、20Bq/kg以下を「不検出」にしてしまっている。んなはずはないだろと思うが、余計な水パニックを抑えるためにわざと公表してないと思われる。ニュースでも「検出できない」とか言ってたが、これがいわゆる情報統制というヤツか。

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2011年3月28日 (月)

レンブラント 光の探求/闇の誘惑(国立西洋美術館)

こちらも今節電で常設展はやっていない。

最初は同時代の画家達だが、すぐに始まる光と闇のレンブラントワールド。うひょーこの調子でやられたら狂っちゃうぜいつ見終わるんだと思いきや。安心してくれ諸君、途中から延々版画なんだ。油彩好きな君は開館と同時に入り、最初の油彩をがんばって見て、版画が始まったら他のヤツラが気を取られている隙にがんがん歩いて地下に駆け込み、「音楽を奏でる人々」やら貫禄十分の「書斎のミネルヴァ」をじっくり鑑賞しよう……と書こうと思ったが、地下は別に時間が経っても混んだりしなさそうだ。そこまでの版画を見てたら疲れちゃうので。いや、まあ、版画が悪いってんじゃないけどさ、やっぱ私は油彩が好みなもんで。あと版画だと数がある以上、いつでも見れそうじゃないか。

さて最初から油彩を見ていくと、「アトリエの画家」は解説にいろいろ書いてあって初期の重要作らしいが、まあ、あまり大したもんではない感じだな(シロート目だよ)。自画像2つは手堅くいい顔している。でも私は最晩年の名品を見ちゃってるから……あの微妙な表情はよかったねえ。あと「トビトとハンナ」は窓からの淡い光もの。うむ、闇の描き手だと納得もの。「旗手(フローリス・ソープ)」は肖像大作。あとレンブラントの弟子のとかもあるよ。最初の油彩はここまで。

あとは地下までひたすら版画じゃ。企画としては多分こっちがメイン。あまりに数が多いので適当にしか見てないんだけど、自画像でヤツのツラを確認し、「病人達を癒すキリスト(百グルデン版画)」を見て「おお、版画でここまでできる。まるで天から光が降り注いでるかのようだ」と賞賛し、最後の「3本の十字架」と「エッケ・ホモ(民衆にさらされるキリスト)」という2大作をフムフムと見ればツボは押さえるのではなかろうか。あとのはだいたい似たようなもん、だと思う。自信ないや。
http://www.nmwa.go.jp/jp/index.html

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2011年3月21日 (月)

「岡本太郎展」(東京国立近代美術館)

このご時世でガラガラかと思ったら結構混んでいる。さすが太郎パワー。「明日の神話」は原爆の惨禍から立ち上がる人々のエネルギーを描いたが、まさに今震災から立ち上がる人々のエネルギーに期待したいところ。
場所柄さすがに、川崎の岡本太郎美術館ほどのスケールは無理なんだけど、内容はベストオブ太郎といったところで、いい感じでツボを押さえている。ほとんどが「対決」でくくられるところが、まさに太郎の生きざまと言えるでしょう。
まー私はですね、川崎の方に何度も行っていて、太郎は見尽くしたと思っているんですがね、でもまあ、初めて見るのもチラホラ。

プロローグの彫刻群はゴキゲン。「若い太陽の塔」が建物っぽくてむしろ新鮮。
最初の「ピカソとの対決」コーナーで太郎が言うことにゃ「自然と抽象のぶつかり合い」というのがパリ時代にやろうとしたことだそうで、してみると後の縄文土器なんてのは、まさにドンピシャですな。
「『きれいな』芸術との対決」は、絵画の代表作が並ぶ。おなじみ「森の掟」や「重工業」ね(4/5からは「重工業」に替わり「夜」が出る)。「電撃」や「夜明け」は初めて見たが、なかなかいいねえ。特に「夜明け」の、一見抽象だけど、よく見ると中央に獣、なんていう描き方。あと「反世界」も抽象的な代表作になれる。
「『わび・さび』との対決」では、おなじみ縄文土器の写真。縄文土器にドッキドキ♪ それをもとにした作品「縄文人」のモンスター的存在感がイカす。
東北や沖縄の伝統文化(ナマハゲとか)のスライドあり。それから「太陽の塔」プロジェクトの紹介。これもビデオで語る太郎が見れるぞ。そういや愛知万博でも塔があったな、フミヤだっけ。ケッケッケもうみんな忘れてるだろ。太郎はすげえな。
「戦争との対決」では、ベトナム戦争時の「殺すな」の書があるぞ。
「消費社会との対決」では、ネクタイとかコップとか、タモリにいじられてるビデオとか(楽しいねえ)。「宇宙人東京に現わる」のスケッチ。実際に使った着ぐるみはアホだったがスケッチは結構いい。
最後にまた晩年の絵がずらっと。私は何度も岡本太郎美術館に(岡本太郎展で)行くうちに、太郎は最終的に失敗したのでは、と思っていたのだが、なんとなく理由が分かった。あの「目」なんだよね。眼力というか、目に力がありすぎて、他の部分に何を描こうとも目が中心になってしまう。それで、どれも似たような絵に見える。絵にパワーを持たせたい太郎だったが、その目によって、太郎の絵は食われてしまったようだ。とはいえ、それも企画側には分かっていたようで、これらの絵は1室にびっしり並んでいるだけ。広いエリアは取っていない。
最後に「太郎のことば」の三角クジを一つ引くことができる。私が引いたのは「成功は失敗のもと」だった。うむっ……

地震の後なんで開館時間に注意。今常設はやってない。
http://www.momat.go.jp/

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2011年3月12日 (土)

ながいいちにち

会社にいた時に地震が来る。最初はあまり揺れてなくて「あー地震かー」という程度だったが、一向に終わらず、まただんだん揺れが大きくなる。これはなにかまずい、という雰囲気になり、全員一応机の下に隠れた。かなり揺れて、とにかく長い。治まったと思ったら、まだゆらゆらやっている。余震が何度かあり、もはや業務にならない。怖いのか自分の手や体が震えている。地震でこんな状態になったのは初めてだ。帰れる人は帰ってよしということになった。私は帰ることを選んだ。だいたい夕方5時だったか、電車は動いていない。でも歩いて行けるかもしれない。いや、行けるだろう。保育園では子供が待っている。よし、行こう。これが五反田から千川までの長い長い帰路の始まりなのだった。
五反田の会社を出て、山手通りを北へ。結構他にも人が歩いている。車はぎっしりでほとんど動かず、はっきり言って歩いている方が速い。不動前を過ぎ、中目黒へ向かうもなかなかたどり着かない。中目黒に着いてもちろん電車は止まっている。その先の大橋へ。実家に連絡をしたら(ケータイから固定電話はそこそこつながった)、渋谷から池袋行きのバスがあるという。山手通り沿いを行き、そこから渋谷に向かう。子供達は、保育園が私の実家から歩いて行けるので、我が実家が引き取った。やれやれ。とりあえず保育園で待ちぼうけはないわけだ。でも、やはり祖父母ではなく、私か妻が行かねば。妻の勤め先は遠く新所沢。電車も動いていないしとても帰れない。やはり自分が帰らなければ。きっと帰る。
渋谷駅前に着いたが、ああ、あの光景の凄さよ。とにかく人人人で埋まっている。池袋行きの乗り場を確かめ、行ってみたら、もう長蛇の列なんてもんじゃなく、乗れるまで何時間かかるか、また乗ってからも何時間かかるか。よし歩こう、と。原宿方面へ。同じように歩いている人も多い。代々木を過ぎ、なんか疲れてきた。新宿近く。渋谷のあの様子を見ると、新宿駅前もとんでもなく人だらけだろう。そこで高層ビルの方面へ。新宿NSビルでもうバテた。足が痛い。実家に電話。もう車で来てもらおうかと思った。しかし、実家の我が父は、妻を迎えに新所沢へ向かった。おおお、ここから歩いて帰るのか、私が音を上げると、我が母上が言うことにゃ「歩いて帰れる距離なんだから。男ならしっかりしなさい!」よし、行こう。NSビルで少し休んだら、力も出てきた。子供達が起きている間に必ず帰る。上の子は繊細だから泣いているかもしれない。必ず着いてやるのだ。
それから山手通りに戻り、北へ。途中寒くて100円ショップがあったので、210円マフラーを買って巻いていく。中野坂上、東中野、下落合、中井、MP3に付いているラジオを聞きながら延々歩いた。ケータイは通じない。公衆電話はやや通じやすいと思われるが、人が並んでいる。我が父も妻に会えない。渋滞がひどいらしい。椎名町に着き、そこから一気に我が実家へ。たどり着いたのは夜9時40分。4時間半以上、歩き通しだった。子供達は起きていた。結局我が父は妻に会えず、深夜3時に帰ってきた。妻は翌朝、電車で帰ってきて合流。

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2011年3月 5日 (土)

「フェルメール《地理学者》とオランダ・フランドル絵画展」(Bunkamura ザ・ミュージアム)

かねてからフェルメールというだけでホイホイ行くヤツはバカだと思っていたが、結果的にオレもフェルメールというだけでホイホイ行っている。昨日始まったばかりで今日おじゃましました。

最初は「歴史画と寓意画」コーナー。フェルディナントなんたらとかいう人の「ネズミのダンス」が、例のグランヴィルみたいでよい。油彩だからちょっとリアルね。ルーベンスのダヴィデ王とレンブラントのダヴィデはまあ普通。それよりカーレル・ファン・マンデルの「洪水以前」が妙ちきりんでいい。解説にゃマニエリスムの絵に含まれた記号とかなんとかあったが、それより裸の女の後ろ姿の奇妙に延びた体こそがマニエリスム的な感じがしますな。

「肖像画」のコーナー。レンブラントが大したことないからといって、フランス・ハルスを通り過ぎてはいかんぞ。「男の肖像」「女の肖像」、いずれも生き生きと「味」がある。レンブラントよりいいじゃん。次のバーレント・ファブリティウスという人が、亡きマイケル・ジャクソンの肖像を描いているがどうやって知ったんだろうか。

次のコーナーでいよいよいよ目玉のフェルメール「地理学者」。まさにああこれこれのほりゃでたでたの、ド演歌のサビみたいな感じだべ。惜しいのはフェルメールってのはポスターとそんなに印象が変わらない……というか渋谷の駅がフェルメールだらけなもんで行く前から見た気になっている。まあ、あとは暗い部分に何が描いてあるか観察とか、光線オタのこだわりの光のポッチンがどこにあるか探すとか、解説を読んでウンチクを溜めるとか、君のやることはいろいろある。今回は地理学者だから地球儀とか世界地図とかも周りに展示されてて気分を盛り上げてくれるぜっ。少し先のピーテル・ヤンセンス・エーリンハの「……(長くて書き写すのが面倒だ)」もフェルメールばりに光線にこだわっているので、注目してね。でもなんちゅーか、悔しいことにというか、やっぱりフェルメールの絵にある種の特別感があるのはなぜだ? ネームバリューで審美眼が狂っているならそりゃ鑑賞者として恥じゃ。ここは一つ、フェルメールはカメラ・オブ・スキュラを使ったという説があり、それで他の絵とは光の描き方が違うのかもしれんのよ。

さて、しばらく「風俗画と室内画」コーナー。アドリアーン・ブラウエルの「苦い飲み物」のヘン顔で和んだあとにアドリアーン・ファン・フォスターの「納屋で畜殺された豚」と隣のちょっと不気味な「納屋の内部」で気を引き締めようぜ。それから次「静物画」コーナー。農耕民族には耐えがたい死んだ哺乳類と鳥類の絵(これが好きというヤツもいるんだろうかね)以外は普通。「地誌と風景画」コーナーではヤーコブ・サーフェレイの「村の風景:秋」が緻密でなかなかイケる。有名どころではヤーコブ・ファン・ロイスダールがずらずら。この絵の暗さがなかなかいい。特に空がね。後のクールベさんやコローに通じる感じもありあり。中でも「街灯のあるハールレムの冬」この寒々とした景色はたまんねえなあ。

何も買わないつもりが出口近くでフェルメールのジグソーパズルのガチャコロリン(300円)をやってしまった。細かい。いつやるんだ?
金曜は夜9時までがいいね。今日は空いてたぞ。
http://www.bunkamura.co.jp/museum/index.html

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2011年3月 1日 (火)

グランヴィル展(練馬区立美術館)

解説も充実した力の入った企画。うむう、しかし何か驚異的な作品に出会えるのかというと、私的にはボチボチ。まず「幻想版画」ということで、ボッスやブリューゲルや、あるいは象徴派のような作品を期待するとやや違うものに出くわす。社会風刺のカリカチュアが中心で、人物が動物になっているという、「人獣戯画」なのだ。そしてそれも、我が国の国芳や暁斎を見慣れていると割と普通の「洋もの」という感じ。

後の○○に影響を与えた、という場合(今回の場合、シュールレアリスト達とか)、得てしてその価値が出始めの地味な感じが多かったりする。うーん例えば……そうそう、浮世絵版画の原点は菱川師宣だからと言って、後の春信や北斎の錦絵を見てからでは、ちょっとなんじゃこりゃ的印象が多いというわけで。

後半の「もうひとつの世界」や「生命ある花々」は割と期待に沿う感じ。あとアレだ、途中にあった「春」「夏」「秋」「冬」とか、その隣のメタモルフォーゼしていく作品とか。おっ、と思うのもあるにはある。

そんなわけでイケてるおフランス風刺人獣戯画の作品群を解説付きで見れる、ということで、好きな人にはおすすめできる。
http://www.city.nerima.tokyo.jp/manabu/bunka/museum/tenrankai/2010grandville.html

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