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2011年7月28日 (木)

おおこまつさきょうが

小松左京先生が亡くなった。私のSF志向は何をカクソー映画「さよならジュピター」から始まった。映画としてのデキは後年見直してありゃまと思わんでもなかったが、同時代の高校2年生を夢中にさせるだけのものはあったのよ。後年、金星のテラフォーミングの小説を書いたが、それはこの「さよならジュピター」の影響なんだ。

しかしもう一つ自分にとって重要な作品があった。

「青い宇宙の冒険」

これは小学生の時、図書館で借りて読んで、相当のインパクトを受けたものの、タイトルも作者も忘れてしまい、たまたま登場人物の一人の名前を覚えていたので、ネットで探し出したのです。小松左京だったんだなあ。ジュブナイルだけど凄いスケールの小説なんだぞ。

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2011年7月27日 (水)

ワシントンナショナルギャラリー展(国立新美術館)

印象派とポスト印象派だってんだから手堅いというか守りというか冒険しねえというか。俺は象徴派系が好きなんだけどね。人間ドックのバリウムを排泄しながら行ってきたぜ。

なんたって出だしはコローなんだから手堅い。タイトルは「うなぎを穫る人々」別に落語のようなことをしているわけではない。クールベさんの「ルー川の洞窟」も手堅い。クールベさんは毎回誉めてるから今回は略。

マネはさすがに上物が並ぶ。特に「プラム酒」という人物画、いいね。目玉の「鉄道」はあまりピンとこなかった。フレデリック・バジールって初めて聞くような。「エドモン・メートル」の肖像がイケる。

モネは見尽くしたと思ったが「日傘の女性、モネ夫人と息子」にゃひさびさに唸る。うむむ。この逆光の人物、明るい空そして雲がたまんねなあ……これがありゃ他の5枚はどうでもいいや。ドガの「障害競馬ー落馬した騎手」はどこかで見たな。ピサロの「麦わら帽子をかぶる農家の少女」は珍しく人物。まあ普通。ルノワールの「踊り子」はさすがストレート直球の傑作「ンマァ可愛らしいワ」という手堅い魅力にあふれている。しかしメアリー・カサットの変化球にも注目されたい「麦わら帽子の子供」のリアル感、顔のイマイチ感はルノワールには無い。言うなれば「まあ人んちの子なんてこんなもんだよなナ」というところだ。いいぞ。

素描版画はパス(別に悪いもんじゃないよ)

ポスト印象派。やはりセザンヌの「ヤバさ」を感じたい。太郎が「芸術は爆発だ」というなら爆発寸前で寸止めをしているのがセザンヌと言えよう。セザンヌを評する時に使われる「堅牢な画面構成」というのは、本人がそう言っているのかもしれないが、魅力としてはちょっと違うんじゃないだろうか。言うなれば「無理矢理堅牢にしている感」をエンジョイする方がセザンヌの楽しみではなかろうか。人物画「アントニー・ヴァラブレーグ」「りんごと桃のある静物」「赤いチョッキの少年」いずれもエキサイティングじゃないかい。静物画がエキサイティングというのも凄いが。ちなみに、同じことを日本でやっていたのが北斎だったりする。人体構造を無視した美人画とか、遠近をあえて外した風景とか。美人画なんてじつにさりげなくやっているぞ。

ゴッホ3点「薔薇」などを見ると、なんで当時売れなかったのか不思議だよな。自画像は傑作だと思うが、あの手は結構見ている感じがする。

手堅くおすすめ。
http://www.ntv.co.jp/washington/index.html

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2011年7月17日 (日)

磯江毅=グスタボ・イソエ(練馬区立美術館)

写真が発達してから、写実画は意味をなさなくなった、なんて思っているヤツには声を大にして言いたい。そりゃ写実の凄さをまだ知らないんだよキミィ。高島野十郎しかり……誰だっけ、あれあれ前ここでやってたそうそう稲垣仲静しかり、優れた写実画家は共通してある種の凄みがある感じでオレは好きだぞ。今回の磯江は主にスペインで活動したとのことで、「マドリード・リアリズム」の一派なんだってさ。

最初の自画像っぽい「人物」で早くもただ者ではない感じがする。宗教画の模写なんぞもキメている。「子供」は泣いているところだが、いったいどうやって描いたのか? 写真見ながら? いやぁ、まさか。しかしなにより仰天するのは「新聞紙の上の裸婦」。敷かれた新聞紙の上に裸婦がおる。こりゃ見たことが無い。並の画家なら文字と写真の並んだ新聞紙を写実的に描こうなんて面倒でやらんと思う。

あと裸婦では代表作「深い眠り」解説の通りにモデルの生きざままで描かれている、ここには生や死もあるのだと仰天してもいいし、オッパイが生々しいのでちょいとパクッとやりたいものだと考えてもよい(何を書いてやがると思うかもしれないが、だいたい解説にしろ美術鑑賞系ブログにしろ、皆マジメで参っちゃうぜ)。ちなみに他の裸婦の絵を見ても、オッパイの表情は様々なんですなあHAHAHA。そうか写実に徹すると理想化されない分、普段描かれない表情まで出てくるわけなんだな。理想化イコール無表情ってのはオッパイも同じなのかHAHAHA。

静物も多数、無造作にぐちゃっと置かれた感じのものを克明に描いたり。対象物が一つだったり。「静物(盆の上の鶉)」はマジヤベエ。皮を剥かれている鳥が死んでいるぞ。「鳥の巣」や「蜂の巣」は鉛筆などで描いているが描線がどうなっているのかすら分からない恐るべき写実っぷり。いやそれより「シャコ」が凄い。これは鳥なんだけど、ここまでの羽毛の質感表現は見たことがない。しかもモノクロ。こいつぁスゲエ。

自画像にドクロを含めた「ヴァニタス」もいくつか。面白いのは「鮭”高橋由一へのオマージュ”」あの「鮭」そっくりなのを描いちゃってるぞ。もちろんバリ写実。あと、風景画が少ないながらもある。

とにかく写実をナメてる鑑賞者に来ていただきたい。ナメてなくてももちろん行った方がいいぞ。
http://www.city.nerima.tokyo.jp/manabu/bunka/museum/

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2011年7月10日 (日)

ラファエル前派からウィリアム・モリスへ(目黒区美術館)

茹で上がりそうな夏の日、どんなに節電が叫ばれてても、美術館は冷え冷えだぜっ。なんたって作品保存温度が決まってんねん。

ラファエル前派とは……イギリスで生まれ、ラファエロより前のイタリア美術を理想とする一派である。有名なのはバーン・ジョーンズやロセッティ……ったって、そういう知識があっても何がどうなのがラファエロより前なのかよくわからんちんですね。今回何となく分かったのは、要はボッティチェリのあの雰囲気よ。それにしても「ラファエロ前派」って言わないけどなんでかな?

ロセッティは官能的女性をよく描いたと言われるが、どうもあたしゃあどこかで「顔が男でもある」とかいうのを読んで以来、そういやあロセッティの美女って顔が青年だよなあ、と感じるに至り、素直に美女として見れなくなっただ。今回も「レディ・リリス」や「マリゴールド」なんて優れモノ美女が出ているが、うむむこれも顔が男、とか思ってしまう。

エヴァレット・ミレイといえば有名な「オフィーリア」を前に見たが、今回も「めざめ」という作品が出ている。女の子がベッドの上で目覚めているだけのところだが、なかなか象徴派っぽくていい。天を仰ぎ何やら神秘的な夢でも見たあとではなかろうか。

アーサー・ヒューズ「彼は蘇る:最初の復活祭」これはもう、象徴派ですよね。好きだけど。
バーン・ジョーンズは今回結構堪能できる。美女を描くのがうまい、というかロセッティほどツラがイカつくない。全身像がいいよね。「花環」などは、単なる後ろ姿なんだけど、赤い衣装も気品があっていいですな。「ティスベ」も「ピロメラ」もただの美女立ち姿だけどいいよ。装飾美術系では「ペリカンの献身」がうまい感じ。

あとはイーヴリン・ド・モーガンという人の「フローラ」、おおっ、いいねこれ、まさにボッティチェリの「プリマヴェラ」そのままの雰囲気(美女一人だけだが)。プリマヴェラの近代イギリス風

肝心のウィリアム・モリスは、そう大量にあるわけでなく、モリス商会のとかも多い。タイルとか。
刺繍やら椅子やら陶器やらステンドグラスもあり。間もなく終了。
http://mmat.jp/exhibition/archives/ex110604-2

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