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2012年4月28日 (土)

北斎展(三井記念美術館)

4時ごろ行ったら「5時までですがいいですか?」と言われた。マジすか? 土曜なのに5時までとはトノサマ美術館ですな。

さて、北斎展によくあることとして、出点数があまりに多く、年代順のため、前半の春朗期やら、絵本やら「北斎漫画」やらで疲れてしまい、「富嶽三十六景」でやっとここまできたかってことで燃えつきてしまって、あとロクに見てない、という、これが実にもったいないのだ。北斎錦絵のおたのしみは晩年からだ。とはいえ私も、「諸国名橋奇覧」や「諸国瀧廻り」あたりで燃えつきてしまい、そのあとはもうアカン。要するに北斎はそれだけスゲエ点数描いている。

今回「輝ける晩年の揃い物」ということで最初に「富嶽三十六景」がずらっと並ぶ。おいしいところが最初にくるじょ。うーん、でもこれらはさんざん見たしー、「凱風快晴」は初摺りじゃないようだしー、これはちょっと外したかと思って、次は「諸国名橋奇覧」だ。これもずいぶん見たなあ。しかし嬉しいじゃないか君、次が「百人一首うばがゑと起」百人一首を暗示させる絵のシリーズで、完成度がかなり高いものの、北斎展では概ね終盤で出てくるので、ちゃんと見てないの。霞の表現、煙の表現、月と建物の柱での区分けの表現とか、形体を利用した抽象表現とも感じられる作品群だ。次が「詩哥写真鏡」これもあまり見ない揃い物。それから「諸国瀧廻り」がある。中でも「木曽路ノ奥阿弥陀ヶ瀧」。滝の上にある円形の水面が垂直に立ち上がって波模様がこっちを向いている超現実風景だ。北斎はさらっと面白がってやっているが、これは実はセザンヌが頭を抱えて注意深くやりとげたことと同じ。あの「神奈川沖浪裏」もフラクタルの本に出ていたり、北斎の表現は時代を相当先取りしていたのだ。

その後は晩年までの年代順。春朗ものやら摺り物もあるぞ。惜しいのは肉筆が2点ぐらい。晩年の肉筆見てえなあ。
http://www.mitsui-museum.jp/

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2012年4月23日 (月)

草間彌生「永遠の永遠の永遠」(埼玉県立近代美術館)

大阪でやってた時から話題だったんで、とにかく早いところ見たかった。朝一で行ったら長蛇の列。でもこれは講演会の整理券取得なんだって。本人が降臨するのかと思ったらそういうわけはなかった。じゃあいいや。

入り口に早くも水玉オブジェ。受付にもケバいオブジェ。吹き抜けに全長10メートルの「ヤヨイちゃん」人形がある。あと中には黄色と黒の巨大カボチャ。赤い水玉チューリップの部屋もあるぞ。この手の立体ものは撮影可能。でも、こういうウケのいい造形物より、やはり最近の絵画作品がいい(撮影禁止よ)。「我が永遠の魂」と名付けられる作品群。老境に達し、死の予感に襲われた時から、爆発的創造が始まった。死の恐怖を克服するには、永遠の中に死を取り込むしかない。総力を挙げて永遠を、永遠の中に息づく生命を描かんと草間は戦い始める(※こういう文章にゃ私の勝手な想像も入ってる)。
かつて気持ち悪いので克服するために描いた水玉は、今や共に生命を謳う伴侶と化した。人の横顔や目のイメージも反復され使われる。狂気のごとく無数に描かれるパターンは全て命を宿している。ま、簡単に言えば、顕微鏡を覗いたら微生物がウヨウヨしててワクワクしたなんてところか。目の模様がいっぱいなのはゾウリムシの群にも見えるしね。たまに犬を連れた女の子とかがいるのがご愛敬。あと詩が二つほどあって、その一つが「永遠の永遠の永遠」というタイトル。創作の意気込みが書かれていて、なかなかいい。これ、朗読したいね。

モノクロの作品群「愛はとこしえ」がとにかく凄い。カラーには無い線描写の密度で迫ってくる。アウトサイダー・アートには似たようなものはあるが、絵画としてのバランスはさすがプロという感じ。
画狂老人卍といえば北斎なら、まさに草間は画狂老女と言える。北斎は富嶽百景で「一点一画にして生きるが如く」と言ったが、今の草間も水玉の一点一点に生命を込めようとしているように見える。限りある命の人間が、永遠を描くことはできない。しかし、描き続ける。そして描き続け、生み出し続けている限り、終わることのない永遠の中にいることができるのだ。草間は永遠を謳うために永遠の中にいる。
インスタレーションの「魂の灯」は、鏡の無限反射を使って、見せ物としてはありがちでも、この場で見ると「永遠」をいやが上にも感じさせる逸品。いや、これけっこう感動するよ。
齢を重ねることは怖くない。もちろん迫り来る死は恐ろしい。しかし、だから永遠を、命を描かんとするエネルギーと化すのだ。そのエネルギーを得ることができるなら、死が迫り来るのも一興ではなかろうか。草間が教えてくれるのは、そんな生き方だ。
単に作品を鑑賞する、にとどまらない。むしろ戦う芸術家の生き様を目撃しに君も行くべし!
http://www.asahi.com/kusama/

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2012年4月21日 (土)

レオナルド・ダ・ヴィンチ美の理想(Bunkamuraザ・ミュージアム)

ダ・ヴィンチ展で満足したことがおよそ無いのは、そもそもダ・ヴィンチ本人の点数が少ないもんで、あとの展示を同時代やら弟子やらの作品で埋めるとか(それもたいしたデキじゃないやつの)、解説で埋めるとかしかないからでしょうなあ。
今回も、そういう意味ではボチボチだったけど、いい作品もある。

最初の女性像のコーナーではラファエロとその工房「ヒワの聖母」がラファエロらしくていい。
次のダ・ヴィンチとレオナルド派で、いよいよ御大登場……なんだけどまず「衣装の習作」とか。これはガッカリさせないようにいい解説がついてますぜ。目玉は「ほつれ髪の女」これは褐色土なんぞを使ったなんていうかモノクロみたいなんだけど……うーん、なんか普通だな。見る人が見ればスゲーって思うんでしょうなあ。あーそれより、ガラスケースに入ってんだけど、部屋の反対側の壁とか照明とかが映っちゃってチクショーメイ、なんとかならなかったのかな。私としてはそれよりもダ・ヴィンチと弟子の「岩窟の聖母」がいい。これは、なんか有名な絵でルーブルとロンドンナショナルギャラリーにもあるんだって。これが三枚目。これは、凄いねダ・ヴィンチって思ってしまうのは聖母などの手の描写。手のしわが描いてあるんだけど、いかにも「手」なんだよね。あと陰影も他の月並なのとは違う感じがいいね。
なもんで、他の人の絵は漫然と見ていて、「聖女カテリーナの殉教」に描いてあるトゲトゲの装置みたいなのは何ですか、処刑道具か拷問道具か、うあぁあっ、こういうので、なんかやられるんですか、とかいうヤバい妄想を、多分同時代の人もしてたような気がするね(ネットで調べたところ、これで殉教したわけじゃないらしいが)。
それから「モナ・リザ」が並ぶコーナー。他人が模写したのとかが多いんだけど「アイルワースのモナ・リザ」は、ダ・ヴィンチの未完成作かもかもだって……そうか、でも、左上背景の上下対称のヘンな物は何だ? そこに水面があるから映り込んでいるんだろうけど、水面が見えないんだが。
「裸のモナ・リザ」と「レダと白鳥」のコーナー。ダ・ヴィンチ構想、弟子のサライが描いたという「裸のモナ・リザ」……………ぬぁんじゃこりゃあ? どう見ても顔がオトコだ。いや、髭面とかじゃないけどさ、なんかオトコだよな。でもオッパイが出てるんだよな。しかし……腕が太いからやっぱオトコだ。で、これはモナ・リザのパロディとかじゃなくて、こういう元のなんたらがあって、ダ・ヴィンチの「最後の創意」かもしれないという解説。だとしたら、普通のモナ・リザもややその毛があるみたいだけど、「両性具有」を描くのがお目当てなんじゃないの? ダ・ヴィンチぐらいの才能があると、性別を越えた何者かを描きたがっても不思議じゃない。あと周辺の画家による「レダと白鳥」な。これもなんだな、「聖アントニウスの誘惑」とか「水浴のスザンナ」と同様、ハダカの女を描く口実の奴だな。。
最後の方にダ・ヴィンチを描いたのが並ぶが、んーなんかどうでもいいや。
http://www.bunkamura.co.jp/museum/exhibition/12_davinci.html

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2012年4月10日 (火)

ひっくりかえる展(ワタリウム美術館)

いわゆる美術作品というわけでもない、社会的メッセージを発信するお騒がせ(アート)集団の紹介。日本からは広島上空に「ピカッ」を描いてヒンシュクを買ったChim↑Pomが出ている。

Chim↑Pomは今回初めてまともに作品を見たようなものだが、なんていうか、一歩間違えたことをするが二歩三歩は間違えない感じ。良くも悪くも引き際とセンスがいいのだ。「ピカッ」の場合もちゃんと謝罪するわ検証本を出すわだし、震災後にちょっと話題になった岡本太郎の壁画「明日の神話」の隅っこに福島原発の事故絵を無断で追加したのも、これも早々に正体を明かしちゃうし(今回その絵の本物を展示している。裏の両面テープが生々しいぞ)。渋谷のネズミをとっつかまえて剥製にしてピカチュウのペインティングをしちゃうのは素直に面白かった。その剥製が展示されてるが愉快なポーズを取らされているHAHAHAこりゃええわい。今回の新作はワタリウムの壁をガソリンで焼いて作品にするというもの。屋内で火を使うヤバい感じがいい……けどこれも場所が場所だけに安全管理をちゃんとやっていたんだろうなあ、という、安心感がかえって惜しい。もっと残念なのは被災地での「気合い100連発」という映像作品。大震災の被災地で何人かで円陣を組んで「がんばるぞー」とか100回やるもの。場所は被災地だがどうせ終わったら帰って「あーがんばったぜーアハハハ」とか言いつつ一杯やって盛り上がりそうな安直感。気合いのパロディというか被災地でVサインやるっぽい味の悪さ、まあそれはもう折り込み済みだろう(まさか普通に被災地に気合いを入れたかったんじゃあるまいな)。しかし、なぜそんな人の居ない安全なところでやるのか? こういうのは避難所でチャラチャラした格好でやり、白い視線を浴びつつ、あるいは善良な市民にマジギレされつつ続行すべきものではないか? このあたりが筋金入りじゃない若さがある。あらゆる「作品」で自分達がその場で鑑賞者と対峙することない安全圏にいるのだ。やってることも面白いだけに惜しい。

海外のこの手の連中の紹介。もっと危険でスケールがデカい。ロシアのヴォイナという集団の、跳ね橋が上がる寸前に、路面にイチモツの巨大な絵を素早く描き、跳ね橋が上がるとKGBのビルを向いてイチモツがそそり立つ、というおバカ作品が強烈だ。アメリカではYESMENというグループがニューヨークタイムズの偽物を大量配布。ロゴまでそっくりだ。うーん、あとのは、解説が多くてちょっとよく分からなかったな。

そうそう、例の福島原発の固定カメラに映った謎の「指さし作業員」が紹介されている。なんとその人のドローイングも展示されているのだ。ということはアーティストか?
http://www.watarium.co.jp/museumcontents.html

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2012年4月 8日 (日)

セザンヌ パリとプロヴァンス(国立新美術館)

セザンヌを本当に語るには美術だけ知っていてもダメである。同時代の音楽を聴いてもダメ。セザンヌが何をやりたかったかを理解するには、フッサールの「現象学」を知っていなければならない。と、これはつい先日私が思いついたことだが、同じことを考えていた人もいるようで、ネットで探すと「セザンヌの現象学的方法」といった記述もあるようだ。ちなみに現象学は私、ちょっとしか知りませんが。ともあれこのセザンヌ展は、見応え十分。初期から晩年まで、いいエッセンスの作品群でイケる。

初期は、そう大したことはないが、最初の「砂糖壷、洋なし、青いカップ」でクールベさんの技法の影響と解説にある。うむ、いやむしろ「自然を自然として描いた」というスタイルに影響を受けているような気がするが。クールベさんが嫌がった理想化は、印象派における明るい外向の美しさにも似てると思うよ。「囚われの悪魔」みたいなちょっと意外な作風もあり、大作「四季」というのがある。これは何とも古典的雰囲気で、有元利夫が影響受けた、あの感じ。

風景のコーナーでいよいよセザンヌ節全開。セザンヌは考える。この風景は美しい。では絵画の中に永遠に留めておこう。どうやって? 風景をいかに永遠の物として表現するか、まず影が消失する。だって影は動くじゃん。だから落ちる影は描かない。光を感じさせるものも描かない。だって外の光あるところは、いずれは夜になるでしょ。その景色が持つ真の色彩だけを描くのじゃ。まあ簡単に言えば、後の抽象画のように、美の要素だけを表現したかったんだけど、まだそんな表現方法は見つかってなかったので、セザンヌは一人狂ったように我が道を行く。それがいいのだ。特に「サンタンリ村から見たマルセイユ湾」あるいは「大きな松の木と赤い大地」、終盤の「森」これらは描いてある対象が分かるけど、ふと見ると、あれ、これ抽象画として見えないか? これ「水の反映」あたりになるとちょっと行き過ぎちゃって。抽象画を見慣れた目には、逆に普通の絵に見えてしまうのです。見たいのはやはり具象と抽象のギリギリの間を突っ走る作品群だ。

身体のコーナーはいかにして女からの誘惑を描くか……だけどまあどうでもいい。肖像のコーナーも同様。もちろんセザンヌらしく「風格あるっぽい」表現なんだけど、セザンヌの良さはこれではないと思う。

そして静物のコーナーがクライマックス。損保にある「りんごとナプキン」もここに出張中。目玉はもちろん「りんごとオレンジ」。風景画において色彩でやろうとしたことを、今度は形状と物の存在感でやろうとする。個々の物の美しさを余すところ無く表現し、なおかつ全体として調和のとれた絵画となっているという、無理難題をやろうとした結果、現実の投影法が犠牲になり、それぞれがちゃんと描かれているにもかかわらず、個々の物の向きが微妙に矛盾する。「牛乳入れと果物のある静物」みたいにかなり不自然に見えるのもある。しかし全体を見たまえよ、この印象こそが、セザンヌが美しいものとして表現したかったことなのだ。いや面白い。実に面白い。意図も分かる。うーむ、でも実感として「美」を感じるのは難しいぞ。美というよりやはり「風格のある絵画」なんて認識の方が分かりやすいかもしれない。静物を置く白い布、背景、隙が無い色彩と形状表現、しかし、投影法を無視した構成。ピカソが、セザンヌのやっていたことを見抜いた時の衝撃は想像して余りある。ピカソは物体の向きはもちろん、面の向きまで好き勝手にやり、それがキュビズムとなったのだ。
それから、前も書いたかもしれんが、セザンヌがやった同じことをその前に日本でやったのが葛飾北斎。解剖学的に無理があるが全体として美しい宗理風美人画や、遠近法をあえて適当に使って描く風景画がそれに当たる。

セザンヌを見る時は油断をするなよ。そいつは実景でも抽象でもない、セザンヌだ。
http://cezanne.exhn.jp/

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2012年4月 2日 (月)

「ザ・タワー~都市と塔の物語」(江戸東京博物館)

あのブリューゲルの「バベルの塔」みたいな感じが好きなので、行ってきたんですけどね。まあ、美術展示じゃないだろうなという予測はついていましたが。パネルとか写真とか入場券の切れ端とかがメインかな。版画やら浮世絵などはそれなりにありました。

最初はもちろん「バベルの塔」なんだけど、本の一部の絵だったり。あとジョン・マーティンというイギリスの人の「バビロンの陥落」なんていう銅版画は明暗のコントラストもきれいで、これは美術品として見れる。
それから歴史に沿って日本の愛宕山(あたごやまって読むって初めて知ったのだ)、これは東京にある山なんだけど、その上に「愛宕塔」というのがあったそうな。それから浅草公園に木造の富士山があってかなり話題になったんだってんだって。これらは主に当時の浮世絵で説明。
それからパリのエッフェル塔の紹介。今でこそパリのシンボルなんだけど、当時は反対者も大勢いて「パリの恥」とまで言う人までいたそうです。まあ大阪万博の太陽の塔も似たような賛否両論だったしね(そういえば太陽の塔の顔の部分が常設展に出てるらしいけど、券が企画展だけのだったから見てないや)。エッフェル塔は写真やら版画やらで紹介。あとコンペでの対抗馬「ブルデ 太陽の塔」も紹介。それから北斎の「富嶽三十六景」にならって、「エッフェル塔三十六景」を描いた人がいるぞ。リヴィエール……あれ、ビュッフェじゃなかったっけ。それから面白いのはエッフェル塔の改造計画があったらしく、その構想図が展示。なんかエッフェル塔でジョークかみたいな図もあるな。全部包んじゃうのとか。
次はおなじみ浅草十二階こと凌雲閣の紹介。これいいねえ。関東大震災で倒壊しちゃったのが惜しい。
それから大阪通天閣。初代通天閣というのがあって、なんとデザインが「下が凱旋門、上がエッフェル塔」やで。なんやそれおフランスコンプレックス丸出しやないか。
それから東京タワーの紹介。これも当時は凄かったんだなあ。
次が二代目通天閣。名物ビリケンさんも展示中って、なんでここにあるのだ? まあいいや、足を撫でるといいことがあるらしい。撫でてきた。
最後にスカイツリーとか。

まあ、美術鑑賞という感じではなくとも、いろいろ知らないことがあって楽しめたよ。
http://www.edo-tokyo-museum.or.jp/exhibition/special/index.html

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