« 超然孤独の風流遊戯 小林猶治郎展(練馬区立美術館) | トップページ | ミュシャ展(森アーツセンターギャラリー) »

2013年3月 9日 (土)

フランシス・ベーコン展(東京国立近代美術館)

一人暮らしのとある日にベーコンとほうれん草の炒め物を作ったが、ほうれん草一把にベーコン150グラムを使ってしまい、それを一度に食おうとしたが、エグい塩分と脂分でとても食えなかった。ベーコンなんて少し入っている程度でちょうどいいのだ。何が言いたいかというと、フランシス・ベーコンも、何とか美術館展で一枚あるぐらいがちょうどよく、まとめてたくさんなどではもうええわいとなってしまうのではないかと思ったのだが、別にそういうことはなく、ベーコンワールドに浸れる企画。さすが日経文化事業部が関連情報をバカスカツィートして宣伝するだけはある。点数も多すぎないのが返っていい。それぞれの作品にじっくり対峙できるぞ。

冒頭から既に30代の作品(それより前のが無い理由は現場で読んでね)、「人物像習作Ⅱ」おおおこれこれ、このどこにあるともない口を開けてるの。叫んでいるのか。いいね。こりゃ女だね。でも私はこの2つ先の「肖像のための習作」の方が好みね。男だ。ネクタイだ。叫びだ。顔がよく分からないが目があるのがいい。最初の作品は女の体と口の位置関係がちょっとズレている感じがしたが(それはそれでいいんだが)、こっちはちゃんと体の上に乗っている。しかしベーコンの異様な人物というか人体って、ネクタイ姿がよく似合うな。それにしても「習作」って書いてあるけど全然習作らしくない。完成品みたいなのだが。それで、叫びものでは少し先の「叫ぶ教皇の頭部のための習作」がある。これはストレートだ。あと「座る人物(枢機郷)」。ううむ絶妙ですな。暗い背景から浮き上がるでも背景に溶け込むでもない。そうかこの感じがベーコンなのだな。

さらに進んで、ゴッホのための作品を描いたそうで、「ファン・ゴッホの肖像のための習作Ⅴ」で思わず「ぬおっ!」と声をあげてしまった(心の中でだが)。ベーコンには違いないが、こういう色合いは初めて見る。こりゃ確かにゴッホだ。ゴッホか? いや、ある意味ヴラマンクよりもゴッホに迫っている感じがするね。しかしこのゴッホ像はいいのか? ゴッホものはもう1枚ある。それからスフィンクスものが4枚。やっぱネクタイ男のがいい。なので「スフィンクス―ミュリエル・ベルチャーの肖像」が普通に見える。

それから顔の3連作が2つあるが私的には普通。それより全身像の方がいい。「横たわる人物像No.1」ううむ……いいな。なぜいいのだ? そうだ背景だ。私が思うにベーコンがベーコンなのは人物描写だけではない。巧みにして無駄のない背景が人物を……うーん何て言うかな、その存在を際だたせる。この作品の床のカーペット(?)はどうだ。よく見ると凝っている。なぜこうなっているのか? こうあらねばならないからだ。しかし「歩く人物像」の簡素な背景もいい、そこに人物が出現する。思うに、背景と人物は相反するものであるが、それを分離させることなく納めるのがベーコン技ではなかろうか。我々は神秘の定番「コインシデンティア・オポジトルム(相反するものの一致)」をそこに見るのだ。背景無くしてベーコン無し。してみると、展示されているベーコンリスペクト作品は、土方巽の舞踏であれペーター・ヴェルツ/ウィリアム・フォーサイズのインスタレーションであれ、ベーコンを全て捉えたとは言い難いと思うのです。身体表現に比重がかかり過ぎて背景が無いからだ。

はい、最後の部屋。三幅対が多い。でもとりあえず「三つの人物像と肖像」がいい。下の小さいヤツがイカす。口と歯が付いた肉塊みたいなの。三幅対では闘牛を題材にしたのがいいが……うーん、傷口使っちゃうのはちょい安直かな。とてもいいんだけどね。それよりこの感じあれだよあれあれ「花札」。ベーコンは花札見て描いたのか。そんなことないか。ここの作品群でも背景が気になる。人物を隠して背景だけでもそれなりの作品になっているではないか。

めちゃくちゃ混むとも思えないが、絵が好きなら行って当然。ベーコンを浴びに行くのだ。
http://bacon.exhn.jp/index.html

|

« 超然孤独の風流遊戯 小林猶治郎展(練馬区立美術館) | トップページ | ミュシャ展(森アーツセンターギャラリー) »