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2013年5月25日 (土)

夏目漱石の美術世界展(東京藝術大学大学美術館)

漱石の美術に関する記述は「吾輩は猫である」のアンドレア・デル・サルトや「坊ちゃん」におけるターナーぐらいしか覚えていなかったのだが、結構いろんな記述をしているのと、「文展と芸術」なんていう芸術論っぽいのも書いてるんだって。私は基本的に美術作品はそれだけで鑑賞してナンボじゃと思っているのだが、こうして漱石の文章と一緒に味わうのも、また楽しからずやであろう。英国留学した漱石先生は、英国文学と英国美術が密接に関わっていると気づいていた。まあ、文学的主題の作品も多いからねえ。

展示は珍しく三階からで、最初にそのアンドレア・デル・サルトに関する解説があるものの、作品模写パネルも何もなかった。そんなマイナーな画家なのか。代わりにターナーがいくつか。「金枝」なんて見事な油彩があるぞ。いやターナーですな。あともっと有名どころの絵はパネル紹介だったりしたが(一見本物かと思っちゃったが)、いずれにしても漱石の文章がちゃんと傍らに書いてあるので、知らなくてもオッケーさ。ジョン・エヴァレット・ミレイの「ロンドン塔幽閉の王子」もなかなか名作(「ロンドン塔」って漱石の作品あるよ)。もっと有名な「オフィーリア」はパネル紹介で。サルヴァトール・ローザって人の「川のある山岳風景」はクールベさんっぽい。

次は古美術ってことで日本の狩野なんたらとか。ここでは渡辺崋山の「黄梁一炊図」が漱石の「こころ」においてこれを描くために死を日延べさせる件で言及したとかで、話として面白い。荒井経描く「酒井抱一作《虞美人草図屏風》(推定試作)」は「虞美人草」で出てきた実在しない抱一作を推定で描いたもの。実在しない絵画作品を自分の小説内で書いちゃうところがアートフリーク漱石だ。こういうのがあってほしいと。いや分かりますよ私だって小説書いてるし。どうでもいい話だが、私が今書いているSF小説では、架空の都市の礼拝堂にある天使のイコンを描いたのが、ベルギー画家のレオン・フレデリックってことになってるのだ。まあ、これは実在の作品をモデルにしてるけどね。

それからまた文学作品から「草枕」って読んだこと無いんだけど、結構アートな話みたいね。それも伊藤若冲とか長沢芦雪とかに言及してるようで。若冲なんてブームになったのは最近だから、当時若冲に目を付けるなんてさすが漱石先生じゃん。そんな若冲と芦雪作品展示。「三四郎」に出てくる女性像としてジャン=バティスト・グルーズの「少女の頭部像」。ベラスケスの明らかにうまくない模写があるなと思ったら、和田英作って人の模写で、これまた漱石が「三四郎」で名を変えて下手な模写として作中に出しているのが面白い。

地下展示室に移動して、漱石と同時代美術のコーナー。「文展と芸術」って作品があって、そこに書いてある言葉がまず紹介される。「芸術は自己の表現に始まって自己の表現に終わるものである」 他人の言葉など気にせず、没交渉で孤独に耐え、あくまで自己の表現と向き合うことだ、ってな内容。いやぁ、さすが漱石先生。この言葉を村上隆にぶつけてやりたいねえ。もっとも今の村上隆のポジションが、当時西洋の先端芸術を取り入れんと奮闘した黒田清輝なんかと同じだと思う(漱石はこうした連中に攻撃的だったようだしな)。まあ、現代日本美術を西洋美術史文脈においてプレゼンするんだという村上とはちょっと違うと言えば違うんだけどね。西洋の目を気にし過ぎの点では同じ。ところで、出ている絵ではまず今尾景年の「躍鯉図」が面白い。鯉が跳ねておる。それから横山大観の「瀟湘八景」。この作品についての漱石の評価がいい。大観にしか描けない作品であり、巧みであるがどこか間が抜けている。そう、そうなんだよ大観って、巨匠大観なんだけど、その作品って何かマヌケなんだよね。隣に同じ画題の作品があり、寺崎広業作。重厚と評され、詳細であり、大観と並べた時にもこっちの方が優れていると思えるが、でもまた見たい画家は大観の方だったりするんだな。
あとは親交の画家達として橋口五葉など。それから漱石本人の掛け軸もある。決してうまくはないが、なかなかがんばっている。それから装幀とか。アール・ヌーヴォー風など。

なかなか見応えもあるし、漱石の文とのコラボが面白い。楽しめるぞ。
http://www.geidai.ac.jp/museum/exhibit/2013/soseki/soseki_ja.htm

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