« 2013年9月 | トップページ | 2013年11月 »

2013年10月28日 (月)

INFINITE RENEW(エスパス ルイ・ヴィトン)

土曜に行ってた。
ブランドビルの中にあるアートスペースでは、銀座のエルメスに行ったことがあるが、表参道のヴィトンは初めてだ。ビルの一番上な。エレベータはシンドラーじゃなくて三菱だった。それにしても落ち着かん。池袋が一番落ち着くような人間にゃ敷居が高いよ。よれよれの格好で入ったらつまみ出されるんじゃないかとか、Androidスマフォを出したらi-phoneじゃなきゃダメだとか言われんじゃねーかと思ったりしたが、まあそんなことはなかった。結構客も入ってたな(店の方だが)。

森万里子といやあ、現代美術館での大規模個展が記憶に新しい……って、いつだよそれ(調べたら2002年だった)。なんかヒーリング装置みたいなのがあって並んでて入れなかった。今回のは装置じゃないんだけど、高さ7メートルものファイバーグラスとLEDと制御装置の作品「Infinite Energy Ⅰ~Ⅲ」が目立つ。螺旋状の構造体を下からLEDで照らし、人のいる位置でLEDの発光色が変わる。いやあ、なんか大型メカなんだけど……どっから作る金出てるんだ? ファイバーグラスって高いんじゃないのか。まあ見応えというか、なんか面白いものを見たなあ、という感じはある。他にも自由曲面の構造体作品がいくつか。しかしなんていうか、不思議な作品群なんだよね。強力な個性や主張があるわけではない(主張がないわけではないようだが)し、正直「この人の作品なんぞはどうでもいい」感じなんだけど、しかし「あると行きたくなる」んだよ。こういう「金かかってる感」とか「気取ってる感」とかの鑑賞も面白い。洗練されてるといえばされてるし。口当たりのいいお酒でも飲んでる感じか。デートなんかに向くんじゃないか。

それより、展示スペースに私以外客がおらんかったが、スタッフは3人もおった。超ヒマそう。それよりこの人件費は店の利益から出ているんだろうからスタッフが豊富である分、原価は安いってことだなあ。やっぱブランドって無駄に高いんじゃねーの。
http://espacelouisvuittontokyo.com/ja/

|

2013年10月23日 (水)

ターナー展(東京都美術館)

秋の本命。会社を休んで(誕生日に休みをくれる)行った次第である。ほとんどテートから持ってきていて、質、量とも十分といえる。

年代順で「初期」のコーナーから。若描きで既に風景画として完成されている感じが凄い。遠近を駆使した建物のスケッチも得意だったらしい。ターナーといえば抽象画風の風景だが、「パンテオン座、オックスフォードウトリート、火事の翌朝」とか「ダラム大聖堂の内部、南側廊より東方向を望む」とか見ると確かに建物描写もきっちりイケている。「月光、ミルバンクより眺めた習作」では、月の周囲にうっすらと広がる光が巧みだ。これは写実的な月夜だ。

次のコーナーが「崇高の追求」ということで、ここでは「バターミア湖、クロマックウォーターの一部、カンバーランド、にわか雨」(しかしいちいちタイトルが長いんだな)がいわゆるターナー風が始まっている感じで印象的。白い虹が出ているぞ。「ディドとアエネアス」といった歴史画テーマの絵も描くが、主役はあくまで風景だ。クロード・ロランみたいな理想風景の雰囲気だが、中央に水面に映る建物群があってそれがまた美しいものだ。

「戦時下の牧歌的風景」のコーナー。ここには珍しい風俗画がある。「鉄の値段と肉屋の小馬の装蹄料を巡って言い争う田舎の鍛冶屋」しかし、フランドルあたりの風俗画を見ちゃうとこれのドラマ性はイマイチかな。そつなくやっている。「スピッドヘッド:ポーツマス港に入る拿捕された二隻のデンマーク船」は波が見事だ。クールベさんに見せたい……が、理想化を嫌うクールベさんは鼻で笑うかもしれない。見事に演出されている波なんだ。「イングランド:リッチモンド・ヒル」は光当たる木々に注目。

「イタリア」のコーナー。見てわかるヴァチカン風景「ヴァティカンから望むローマ、ラ・フォルナリーナを伴って回廊装飾のための絵を準備するラファエロ」尊敬する偉大な画家ラファエロを登場させる……が、建物の気合いの入り方に対し、ラファエロの顔(だよな、下の右にいるヤツ)があかんやろそれ。まあ小さいけどさ。「レグルス」は光演出ものの傑作。瞼を切られて眩しくて失明したレグルスの見た光だそうだ。建物と光を見事に使っている。「チャイルド・ハロルドの巡礼ーイタリア」は高い木が見事ですな。漱石「坊ちゃん」の赤シャツが言う「ターナー島」の木みたいだってさ。

「英国における新たな平和」コーナー。ここではペットワース・ハウスという邸宅のスケッチ群が面白い。別に大したもんじゃないが、楽しんでる様子がいいだろ。

次に「色彩と雰囲気をめぐる実験」コーナー。ターナーは風景画の雰囲気を研究するため、色の組み合わせのようなものをいろいろ試していたが、いやいやここが凄いんだ。風景の雰囲気を色彩だけで出すってことは、要するにやってることが抽象画なのだ。「『バンバラ城』のための習作」とか「『ロングシップス灯台、ランズエンド』のための構図」なんてのを見ると、我が愛するザオ・ウーキーって名前でブリヂストンあたりに並べちゃっても違和感ない。いやしかし一番仰天したのは「三つの海景」。これは一つの画面に3つの海を並べて試し描きしたものなんだけど、解説を見て3つを確認するだけではもったいない。全体を見てみよう。どうよこれ! 時代を100年ぶっ飛ばして見事なモダンアート。東京都現代美術館に並べてもオッケー。全く問題ない。このオーパーツ的な驚きこそがターナーだ。

「ヨーロッパ大陸への旅行」コーナー。ここは光りもの大作「ハイデルベルグ」が一押しかな。それから「ヴェネツィア」コーナー。「サン・ベネデット教会、フジーナ港の方角を望む」で、いよいよターナー節本領発揮か。

クライマックス「後期の海景画」。「荒れた海とイルカ」極めて抽象性が高くなる……が、なんとこれ未完なんだって。つまりターナーは抽象画を描くつもりはなくて、抽象性の高い雰囲気に、色々具体的に描き加えて完成させるつもりだったらしい。今日、我々が仰天して見るターナーって実は途中で描くのやめちゃったヤツとか、未完成作品が多いらしい。そうだよ当時抽象画なんぞ無かったからな。見落としがちだが水彩で描いた習作群「日の出」とか「ビギニング(はじまり)」とかのモダンな雰囲気にも仰天されたい。プリミティブに描かれた抽象性は20世紀を先取りしている。「風下の海岸で砕ける波、マーゲイト(『烽火と蒼光』のための習作)」これも習作らしいが凄い。ザオ・ウーキーの抽象画と並べて互角に勝負できる。いや、ザオ・ウーキーはきっとターナーを見てその要素を読み取ったに違いない。

「晩年の作品」コーナー。最後にある「湖に沈む夕日」これもほぼ抽象画。これで完成のつもりだったかそうでないかは、議論してるんだって。

古典ではなく、むじろモダンアート好きが行くべきだ。19世紀の絵画に図らずも宿った現代性に驚くに違いない。
http://www.turner2013-14.jp/

|

2013年10月19日 (土)

六本木クロッシング「アウト・オブ・ダウト」展(森美術館)

ギロッポン! 会社帰りに行くんじゃなかった。かなり「濃い」展示なので、疲れている状態でボケーと見れるもんじゃないのね。3年に一度の企画で、今回は「いまを問う」ということで311を始め社会的な視点の作品も多い。ビデオも多い。文字情報も多い。まともに全部消化しようとすればかなりの時間と体力が要る……なもんで、一時間ちょっとで出てきちゃったヘタレですいません。

入るといきなり椅子を壁のように積み上げた(どうやって接続しているのだ?)小林史子の作品に出くわす。つかみはオッケー(と今は言わないが)。あと目に付いたものでは、風間サチコの超大型木版(彫って一枚だけ作るらしい)。「獄門核分裂235」という原発風刺もんが冴えている。同じ部屋におなじみ中村宏(好きだぞ)と赤瀬川源平のマンガ原画があった。先に進んで丹羽良徳の共産党レポート(といっていいのか?)共産主義の赤いテーマのアート的切り口の展示。とはいえ日本共産党はマルクスを掲げよ、という一見ストレートにまともなテーマなんだ。共産主義の赤い色をアートっぽく使うのは、なんかゴダールの映画「中国女」の印象が強いもんで、他の誰がやっても二匹目のドジョー的な印象を持ってしまう(表面的鑑賞ですまんが)。それから新井卓のダゲレオタイプカメラ写真、中央に時々強い光を出す照明があるのだが、どういう意味かな? そういえばここイヤホンガイドが無料なんよ。いつもはいらんと思うが、今回はあった方がいいかもしれん。見てパッと分かるのではなく、解説を要する作品が多いの。それから白タイルの展示は見落としがちだな……って名前は誰だったかな。

今回、一番気に入ったのはコレだ。自称「未来芸術家」遠藤一郎、GPSを使い日本全土をキャンバスにして巨大メッセージを書く。「いっせーのせ」とか。それを歌にして歌っている。次は船でやるらしく、そのド派手な船を展示。バカだ……が、このスケールは好きだ。バカなことほど大スケールで真剣にやるべきだ。それこそがアートだ。

唯一パッと見で意図が分かったのは泉太郎、動物の画像の目のところだけ人間の目に入れ替える。おっとこのインパクトはかなりのもんだぞ。あと流井幸治が有名人の写真をクシャクシャにして吊り下げている……って書いたってあの面白さは伝わらん。

他にもいろいろ。廃墟のアート化とか、心に切り込みポエム映像とか。

そういえば、入口で出品リストは無いかと問うて、くれたのはなんとMAMプロジェクトの今後のスケジュール……って、ぜんぜん違うじゃねーか。それより出口付近にあった新聞にほとんど出ていた。
気力と体力でじっくり対峙すると 半日は楽しめるぞ。
http://www.mori.art.museum/jp/index.html

|

2013年10月11日 (金)

印象派を超えて 点描の画家たち(国立新美術館)

おなじみ「印象派」発展系は「新印象主義」と呼ばれている。なぜ「新印象派」じゃないのか? ここがミソでな。「主義」として割と方向性をはっきりさせちゃったからなのね。スーラとかが。「点々で描いたら面白いんじゃないか?」ではないのよ。ちゃんと理論的な理由がある。色を混ぜると灰色に近くなって暗く汚くなる。混ぜないで絵を描くにはどうしたらいいか? 印象派の原色を多用して印象を描くやりかたを、学問的に研究。原色の点々でやれば色混ぜなくてええやん、ということをスーラは考えた。赤いドットと黄色いドットを並べたら、離れて見りゃあオレンジに見えるべ。これを「視覚混合」といいます。さらに赤と緑とか、対照的なドットを並べると「補色効果」で色が際立ち輝いて見えるのだ。かくして、点々をチマチマ描いて埋めてく点描法ができあがった。この辺は解説にも書いてあるぞ。その点描法の有名どころの画家と作品が来てるとくりゃあ、ありがてえなこんちくしょー!

こう書いておいて何だが、私としては、鑑賞者諸君にぜひとも先入観は捨てて、今回は挑んでいただきたい。なぜなら……なんかこの「新印象主義」って、やりかたそのものが失敗してると思うんよ。いいですか? 色が混ざって見える「視覚混合」はある程度距離がないと起こりません。一方、「補色効果」は色が混ざって見えたらダメなんよ。この時点でもう矛盾している。シニャックはその辺分かってたらしく、もうスーラみたいな細かいドットは捨てて、あえて太い筆跡を使うようになった(もう混合ちゃう)。言うなれば赤と黄色で、オレンジっぽく感じりゃええやん。そしてゴッホも点描法をやったが、チマチマしたやり方に耐えきれずブチ切れて、大胆に筆で描くようになった。ヴラマンクなどのフォーヴだってそこから生まれた。結局、点描法は筆の描線を殺してしまっている。そして印象派好きは、屋外の明るい色を楽しんだだけじゃなく、筆の描線もちゃんと楽しんでいたってわけだ

つまりですね、スーラやシニャックの絵を見て、あたかも「新印象主義」の意図通りの作品が、そこに実在しているかのように言っちゃう解説ってのは何かおかしいんだよ。どこに目ぇつけてんだよ。ちゃんと絵を見てんのかよ。今回は解説はどうあれ疑ってかかれってこと。

最初のコーナーは印象派。シスレーとか。悪くないけど飽きてる。次はスーラとシニャック。ここが言うなれば山場だ。シニャックの「ダイニング ルーム 作品152」とか、スーラ「ポール=アン=ベッサンの日曜日」とかはドットが細かく丁寧で、おお、これがそういうことか、と思う作品だ。ところで「視覚混合」はどのくらい離れたら起こるだろうか? やってみたが、まあ5メートルぐらい離れた方がよさそうだな。絵から相当離れて見ることになる。そうすると、各作品小さいんだよね。確かに明るくスッキリした色彩だけどね。あとマクシミリアン・リュスの「鋳鉄工場」はなかなかいい。点描法だけど新印象主義らしくなくて。そう、なんか新印象主義の点描法ってね、あんまりおもろないのよ。スッキリしすぎだし、描線は死んでるし。
次、ゴッホのコーナー。油彩が7つも来とる。「レストランの内部」はマジで点描法をやった珍しい作品。先も書いたがチマチマしたのが性に合わず、点描法は続かなかった。それから「種まく人」は……なんかもっと大きくなかったっけ? どうやら何種類も描いたんだって。「麦束のある月の出の風景」らしくてよいな。あと、ヴラマンクが1枚……なんかもっといいのあるはずだが。それからベルギーとオランダの分割主義(点々で原色に分けることよ)。スーラとかに似たヤツばかりだが、ヨハン・トルン・プリッカーって人の「十字架の傍らで」とかはいいな。一応点描だけど、色混ぜてやってるんだから、単なる質感上の演出だ。最後はモンドリアンのコーナー。発展プロセスが分かっていいが最後はもちっと力作を持ってきてほしかった。

結局、新印象主義ってのは「点々で描いた絵なんて面白いじゃないか」というあたりで流行って終わった感じがする。
展示としては見応えはあるが。
http://km2013.jp/

|

2013年10月 5日 (土)

近代への眼差し 印象派と世紀末展(三菱一号館美術館)

名品展、ということは収蔵作品展、ということは再会が多い。私は同じ企画にリピートする習慣はないが、なんかこういう機会にあれこれ再会して、同じ作品を何度も見たりする。

最初は「ミレーと印象派」コーナー。ミレーは1点。ピサロの「エラニーのロックおばさんの農園」は点描風で色もいい。丁寧な印象だ。ポスターにもなっているルノワールが2つ。「麦藁帽子の女性」はぶわっと系(勝手な命名だが)。それにしてもなんかよく洋画で青白い肌見るんだけど、もちっと赤みがあったほうがいいと思うんよ。ルノのもう一つ「長い髪をした若い娘」こっちはしゃきっと系だな。わたしゃこっちの方が好きだ。セザンヌ「りんごとテーブルクロス」ううむ、よーく見るとセザンヌらしい、リンゴ1個ずつのキメ方向にこだわった絵画に見えなくもないが(もちろんセザンヌの絵だというのは一目として)、これで「驚異のセザンヌ」を実感するのは難しい。セザンヌって、それが何をやらかした絵か理解できると仰天するのだが、分からないで何となく「あーセザンヌの絵じゃ」とスルーしちゃうことも少なくないのだ。

次「ルドンの黒」コーナー……もう飽きた。何度も見とるけん。顔クモはおらんかった。目玉気球もおらんかった。ただ「ゴヤ頌」はいいね。暗闇にヌッとゴヤ出るルドンかな。ゴヤ氏の怪しい魅力をうまく出してます。「陰気な風景の中の狂人」とか、そのままや。

次「ロートレックと仲間たち」最初のポスター「メイ・ベルフォール」と「メイ・ミルトン」うむ、ミルトンの顔なんか理想化されてないもんで、浮世絵の役者絵の影響をありありって感じか。おなじみのデカいポスターがいくつか。それからアンドレ・マルティって出版人の紹介。有名画家を集めたこだわりの版画集「レスタンプ・オリジナル」で有名なんだって。おお、「レスタンプ・オリジナル」ね。ブリヂストンで解説付きで見たのを覚えているんだが、あの頃は確か体調が悪かった。話がありがたかった(覚えてないが)。で、それの結構な点数が出ている。ルノワールの「水浴の少女たち」いいですね。もう色いらないじゃん。あと、マルティが関わった作品。ロートレックの「ラルティザン・モデルズ」は初めて見た(とメモってあるが、どんなんだったかもう忘れた)

別室に移動し「レスタンプ・オリジナル」が続く。どれも結構な完成度でファンタン・ラトゥールの「聖アントニウスの誘惑」という艶めかしい女を描きたいヤツの定番テーマもいいが、ここは一つカリエールの「ネリー・カリエール」ううむ……オレ、この人もっと評価されてもいいと思うんだが。いや、もちろん評価されてるけどさ、西美でロダンと合わせた展示をやったこともあるし。でも、なんかこの人、評判以上に「ヤバい」のよ。母子像とかよく描いてるんで母性の画家とか言われているけど、なんか違う……こう、幻想のモチーフに人間を使っている感じ? このネリーの絵も、目が無いように見えるし、遠目で見てみよ、暗い中に顔だけ浮いてる感じがする。いや、顔みたいな物体の浮遊にも見える。幻想性はそこらの象徴派よりよっぽど高いんじゃね。えーそれから、アンリ・ブテ「パリの女」はい、美人画っぽくていいな。

「版画家ヴァロットンの誕生」次回の企画がヴァロットン展なので、ここで特集してるのね。私はあまり知らん人なのだが。「ベレー帽をかぶる子ども」ほう、うまいな。「アカデミー・フランセーズ会員」という似顔絵みたいなの。「息づく町パリ」という版画集。これも江戸浮世絵風に枠まで描いてある。企画展ではカラーも出るようだ。

「ルドン 夢の色彩」コーナー。ルドンの版画集「夜」6点。「夢想」6点。パステル画の「小舟」は初めて見た。そしておなじみ大作「グラン・ブーケ」。またこの場所かよ。ここはダメだって離れて見れないから。初めて見る人は隣の部屋からも見てみようね。何度も見てるもんで今回ちゃんと見てないや。

「ルノワールとモネの後半生」あ、なんだルノもモネもまだあるのね。ルノ「パリスの審判」うひょおおおおおお……ルノが萌える太目で変なプロポーションの裸女。誰を選べと言われてもパリス困っちゃう。モネ1点は普通(いや、悪くはないのだが)

「画商ヴォラールと画家たち 出版事業を中心に」ここでまずルドンの「ベアトリーチェ」に驚く。何ルドンはこんな淡いカラーのを描くようになったのか。しかし、ここの山場は……というか全体の山場だと思うがモーリス・ドニ「アムール(愛)」なんたってこれの元ネタ「マルトへの愛」のポエムがキモい。なに幻想的で美しいって? いやいや、別にいいんだよ相手は婚約者らしいから。でも片恋でこれ書いてたらアブなくねえかってぐらいラヴ妄想冴えわたる。しかしなんですな、森美の「LOVE展」に出してほしかったなこれ。シャガールも蹴散らせる「愛」の作品集だ。カラー版画ね。それからボナールの「パリ生活の小景」もある。これもカラー版画ね。

んーまあ手堅くいろいろ見れますわな。版画が多いけど。
http://mimt.jp/

|

« 2013年9月 | トップページ | 2013年11月 »