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2014年1月25日 (土)

ラファエル前派展(森アーツセンターギャラリー)

ラファエロより前の美術こそ至高、という意識で集まったイギリスの画家達のことなんだけど、素朴な疑問として、なんで「ラファエロ前派」って言わんのでしょうね?

冒頭、アーサー・ヒューズの「4月の恋い」でまずいい感じでスタート。ジョン・エヴァレット・ミレイ「釈放令、1746年」はドラマチックながら、男がスカートはいとるやんけ! ……スコットランドだから普通だろ。でもね、目に付いちゃったからさ。それからヘンリー・ウォリス「チャタートン」……おお、人が死んでる! ウィリアム・モリス「麗しのイズー」珍しくモリスの人物画なんだけど、草花模様でも描いてた方がいいな。ミレイ「マリアナ」人物よりも背景のステンドグラスとか、テーブルの模様の感じとか、えれえ緻密でいい。その隣が目玉の一つであり世界的名作、ミレイの「オフィーリア」だ。

「オフィーリア」見たのは2度目でね、確か前は都美だったよなあ。あんまり何とも感じなかったが、今回はちょっと違った。周囲の草木がよく描けてるのね。で、ラファエル前派の意識としては「自然をよく観察して描く」というのがあったそうで、これまたかなりのレベルの写実なんだな。その後に紹介される風景画なんかも結構イケるんだが、とにかくこの「オフィーリア」のインパクトは人物を囲む草木の写実的な、あまりに写実的な描写。その枝が、葉が、どういう状態になっているか、枯れているとか、水に浮いているとか、入り組んでいるとか、もうこれでもかってくらいガッチリ描いてあるんだな。そうかそうかこの絵の魅力ってそこか。中心のオフィーリア自身はそんな大した人物画じゃないし、死体としてはさっきのチャスタートンの方が「死んでる」。二度目でやっと分かったぞ(ちなみに前回周囲に注目してなかったわけじゃないし、周囲の草木についてのパネル解説もあったんだ。でも実感というヤツは不思議なもんでな。言われて感じるとは限らないのさ)。

ラファエル前派は宗教画でスキャンダルを炸裂させる。聖人っぽく描かない。いきなり極めつけのミレイ「両親の家のキリスト(大工の仕事場)」、キリストのお父様はおなじみ大工さんです。だからキリストを大工んちの小僧として描いた。もちろんえらくカワイイ子なんだけど、大ヒンシュク。もう一つはダンデ・ゲイブリエル・ロセッティ「見よ、我は主のはしためなり(受胎告知)」。おなじみ天使ガブリエルによるマリア様への受胎告知だけど、天使なのに羽を描いてない。マリア様は「え、なんで?」みたいな顔してる。体の調子が悪いので、病院で検査をしてみたら、看護師のねーちゃんが来て「できてます」マリア様驚いて「えっ、そんな覚えありません!」。

風景のコーナーがあり、一見地味です。でも先のオフィーリアの背景もそうなんだけど、実はここがラファエル前派の本領とも言える、と思う。なんたって写実、細密。チャールズ・オールストン・コリンズ「5月、リージェンツパークにて」でやや遠景にもかかわらず、葉の一枚一枚を描く。ジョージ・ブライス・ボイス「木立の中でブナの側に立つ少女」は、コローの絵によくある木立の中なんだけど、コローとの印象の違いを感じられたい。ウィリアム・デイヴィス「ある日の猟果、ビドストン・ヒル」もチマチマ細々描かれ、ウィリアム・ダイス「ペグウェル・ベイ ケント州」の岩場の描写にも唸る。そうだこれは写実だ。ラファエル前派って、ミレイやロセッティがいて、後にバーン・ジョーンズとか出てきたんで神秘やら象徴派のはしりみたいにとらえていたが、この自然の写実描写ってのも大きな柱だったんだなあ。

近代生活のコーナー。フォード・マドックス・ブラウン「あなたの息子をお抱きになってくださいな」お母さんツラが恐いです。ロバート・ブレイスウェイト・マーティノウ「我が家で過ごす最後の日」。差し押さえられたのか知らんが、家を失う一家の、それでもお気楽なカオの父と息子。母とかはションボリ。しかしなんか「桜の園」とかを思い起こさせるな(関係ないが)。

次は詩的な絵画ということで……ちょっとスケールダウンした小ぶりの絵が並んでる。あー水彩だったのか。そういやそんなことが書いてあったな。ロセッティが多いね。

「美」というコーナー。唯美主義とかいうのにつっこんでいくそうです。ロセッティの美女画が並ぶ! うむむ……あのね、なんか、ロセッティの描く顔って両性具有って話をどこかで読んでな、そういやロセッティの描く女って、みんな女装したイギリス男だなって感じがしちゃってさ、なんかちょっと萌えないんだよなあ。いかついんだな。そこいくと高畠華宵の描く顔も両性具有と言われてるが、なんかうまく男女分けて描いてるよな。「ベアタ・ベアトリクス」なんかはソフトな感じだからまだイケるよな(何が?)

最後に象徴主義コーナー。エドワード・バーン・ジョーンズ3点。まあよい。

展望台に入れず(確か入れないよな)、荷物預かりもないのに(あったのかな?)、1500円の強気価格。んーまあ、でもそのくらいいけそうだし、今後混みそうだしなあ。早めに行っておいたほうがいいかな。
http://www.roppongihills.com/events/2014/01/macg_raphael_exhibition/

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2014年1月19日 (日)

遠藤彰子展(上野の森美術館)

圧倒する大画面の絵画を本気でやる画家は多くないと思う。やりたくても場所がないとか物理的な問題もあるのかもしれないが、多分「大画面で仰々しくやって魅せるのは安直みたいで恥ずかしい」なんてのがあるかもしれない。とっちかというとストイックで哲学的で見た目が洗練されてた方が美術通というか通気取りというか、そういう連中にはウケると思う。私はかねてから大画面の快楽主義みたいなものに惹かれて遠藤彰子を非常に好んでいたのであるが……しかし今回現地に行って分かったのが、思ったよりも計算されて画面が構成されているのだ。特に最近の春夏秋冬の四部作(これがまた一つ一つ巨大なのだが)、大画面でも構図が見事にキマっている……んー整っている感が以前より増している感じ。仰々しいイロモノっぽさ(これはこれで好きだぞ)よりも、ある種の洗練が見られていて、なにげにこの画家は進化してるのだと思った。アーティスト・トークも見たので満足じゃ。

絵は新作を除けば概ね見たことがある。府中や筑波の企画で見たもの。初期の「楽園シリーズ」と呼ばれる、人が箱状の中に並んでいるのから、安井賞を取った作品「遠い日」、空間を歪ませた都市風景「街シリーズ」、空と地上を一画面に描いた初の五〇〇号「見つめる空」(これは気に入った作品だったが売れたのであとでこっそり複製を作ったそうな。その複製も出ている。複製はちょっとパワーが落ちているようだ)。私の好きな夜の絵「私は来ている此処に、何度も」とか「黄昏の笛は鳴る」も出ている。うん、ああいう「夜の感じ」は好きだな。要するに代表作は一通り出ている。そして五〇〇号をやり尽くし、60歳近くなって一〇〇〇号に手を出す凄さ。1階の大展示室がそれで埋められる。新作「我、大いなる船に乗りてゆく」の船が骸骨でそれに乗っている(これは500号か)。凄いのはその発想というより、それをちゃんと大画面に構成して魅せるというところ。春夏秋冬についてはあとで書こう。あとは立体ものやら、新聞連載の鉛筆画も並んでいる。小さい画面でもちゃんと描けるのだ。

アーティスト・トークの時間が迫って、大展示室に椅子を並べ始めたが、いや、結構な数の人が来ているのね。100人以上はいた。筑波のギャラリートークでは多くなかったのだが、さすが都内。で、始まって、最初に来場していた野見山先生(野見山暁治先生か? よく分からんが)を紹介して、せっかくなんで一言、ということになったが、なんかこの先生あまり空気が読めず、マイクを手に長々しゃべっている上に、遠藤先生と対談っぽくなり、遠藤先生が「お座りになった方が」と言っても「いえ大丈夫です」とか言って。いや、野見山先生の話を聞きに来たわけじゃないんだけどな。ここで遠藤先生も、野見山先生に気を使いつつ自作を解説するというなかなかの技に出る。野見山先生が「あんな絵を描いているのに会ったら普通で……」とか言ってるのも面白い。いや、世の中には、優れた芸術は自己中なアウトサイダーにしか生み出せないって思っている人が少なからずいるんじゃないかと思ってるけど、実は才能と素行、作品と人柄はあんまり関係ないのね。朝から晩まで芸術のことを考えてヨレヨレの生活をしたって、才能無いヤツは無いのじゃ。

アーティスト・トークで出た話でメモったもの。街シリーズを描いていた頃に子供が病気になって、なんかこのままではいかんと思ったそうで、それで自分の絵を発展させていった。大きな絵は、それをどう「動かすか」を常に考える。絵には何かの中心的なテーマがある。「秋」は蛸が出てくるが、蛸を描こうとしたわけではなく、当時のもやもやした気持ちをどう表現するか考えていたら(最初は木だった)、最終的に蛸になった。その後東日本大震災があって、一時期何も描けずドローイングばかりしていた。震災後の作品「夏」は蜘蛛の糸だが、ひまわりを出すことで進めることができた。大きな絵はその基となるドローイングを1000枚ぐらい描く。小さいサイズで全体を描き、できたら少し大きいのにする、という繰り返してしだい大きくなる。絵の完成までは、90%まではすぐに行くが残りの10%を仕上げるのに非常に時間がかかる。全体に「何か哀しい感じ」が出た時に完成となり(これがなぜそうなのかは分からないそうだ)筆を置く。絵を描くことは自分と向き合うこと。色彩については、最初は白黒で考えているが、ドローイングを繰り返す段階で色が付いてくる。「庭園に陽射しおり」は金箔の強さに匹敵するものとして男の背中を描いた。これで手があるとくどくなる。ちなみに赤い一本の線は最後に加えたが、これがあると画面がキマる、といったようなもの。「翳をくぐる鳥」は自分の影が鳥に見えたことを発展させた。空想ではなく、こうした日常で得たことを発展させていくことも多い。影響を受けた画家(というかよく見ていた画家)、ボッス、ブリューゲル、エッシャー。あと宇宙の本を好きでよく見る。

アーティスト・トークはこうした感じで質問の受け答えまでして終了。一人の方(大学での教え子のようですが)が言っておられたが、見る年齢によって、何年か経ってから見るとまた違うと。うーん、そうだなあ。いろんな要素が入っているしな。いや、人が大勢出てきていて、前は「群衆」みたいな個性のない印象しかなかったのだが、今回見たら、結構仕草も様々で、表情も様々だったりする。これは前は気づかなかった。

ともあれ、今回この機会を逃すと、また何年も、東京近辺でまとめて出逢う機会もないと思う。期間は決して長くはない。未体験の人は必ず訪れてほしいと願う次第だ。
http://www.ueno-mori.org/exhibitions/article.cgi?id=33

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2014年1月13日 (月)

「都市ソラリス展(ICC)

建築という「芸術」には普通の美術にはない何か、うーん、利用空間との接点というかせめぎ合いというか、そういうものがあって、展示など面白くすればすごく面白くなると思うのだ。しかし実際の、美術館での建築関係の展示ときたら、解説がやたら多くかつ難解で、全部読んで理解するのに何時間かかるんだ、というものが少なくない。

あと多くの企画で、単なる建築物や都市計画の紹介だけでなく、アート的な要素への憧れというのも、ひしひし感じる次第である。決してうまくいってるものは多くない。やはり利用されることが目的で作られたものを、いかに「美術館で鑑賞されるもの」に変換して提示するか。うまくいかなきゃ「やっぱり建築って芸術じゃないじゃん」なんて言われると思っているのか、アートっぽい要素を入れて展示するぞ、という意気込みを感じるものが多いのだ。そしてまた、この意気込みがどれくらい生きてるかが建築系の美術展の面白いところでもある。まあつまらんことも多いが。専門家や建築に詳しい客向けには従来のパネル紹介などで十分かもしれんが、ほとんどの企画者がそれで満足してるとは思えんの。

さて今回のこの企画も、意気込みは感じるものの、やっぱり情報量が多すぎるのね。空間が広くないので、情報総量というより密度が濃いに過ぎない、といってもまあいいんだけど。それにつけても難解だ。だいたい……僕「惑星ソラリス」結構好きなんだが(映画だが)、それとの関連は序文で示されるのみで、もうちょっとこの作品に対するこだわりというか関連というか、あれだけの情報量の中にゃあってもいいんじゃないか? こういう名前を挙げた既存コンテンツに対する中途半端な態度ってのも、「ここでソラリスを持ってきちゃうオレ」のドヤ顔だけで終わってる感じがするんよ。いや、関連を諸君が読みとれというのかもしれないが、やっぱ分かりやすくしようというサービス精神が足りない感じだよなあ。

途中の「海市」のところにある世界地図は「ダイマクションマップ」です。「世界には一つの海と一つの大陸しかない」というコンセプトで地球を展開し平面化させたもので、バックミンスター・フラーって人が作りました。ちなみに「宇宙船地球号」って言葉を作った人でもあるな(これも序文で言葉出してた)。こういうのは建築家諸氏には常識かもしれないが、親切に書いてくれりゃあもっと分かりやすく面白くなるんだサービスサービス! その「海市」のところに「中心を無化し、網目で埋める」と書いてあったが、それはまさにフラーの「ジオデシックドーム」なんだ。これを都市に利用しようという話……だと思う。私が読みとれたのはこの程度で、あとは分からん。サービスプリーズ! 

あと合板とフェルトの破片を組み合わせて構造物を自由に作り、それをセンサーが読みとってどうたら、というインスタレーションがあった。まあ、この作る部分は子供なんかが楽しめそうだ。

それより常設展(オープンスペース2013)のティル・ノヴァクって人の「遠心力体験装置」という作品がすげえ。CGと実写を合わせた架空の遊園地映像だが、かなりぶっ飛んでいる。見てるとクラクラしてくるぞ。

http://www.ntticc.or.jp/Exhibition/2013/ISOZAKI_Arata_SOLARIS/index_j.html

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2014年1月12日 (日)

DOMANI・明日展(国立新美術館)

文化庁芸術家在外研修の成果、というものなんだけど、今時期待のアーティストの展示という感じで割と毎回行ってる。今回朝10時に行って、ガラガラかと思ったらそれなりに入ってた。

最初は大栗恵の写真。ポスターにも使われている窓の写真。うん、まあ普通にきれいだな。音楽付きのは少々音楽がうるさい。いや、静かな感じのピアノ曲なんだけどね。なんかいかにもという感じなもんで。

次は徳丸鏡子。彫刻……か? 「磁」だから焼き物ですかね。「原初の庭」というのが、なんていうか、白いんだけど、あの映画版「AKIRA」の変容したテツオみたいな感じ(って分かるのか?)。鳳凰は普通にうまい。

次、小笠原美環。写真かと思ったら油彩なのね。写実というより写真トレースっぽい感じがする。この差は小さいようで大きいのだ。

次は川上りえ。針金インスタレーション一本勝負だ。面白いがこれも普通だな。なんかもうどこか狂気のような要素がないとボクは反応しないのだ。なんかこうズガっとくるものないのかね。

次に今回初めて導入された「建築」コーナー。建築家一人ずつ細かいブースで展示。しかし建築の美術館での展示ってのも難しいのね。美術作品っぽいノリだけでは単なる美術作品だし、かといってパネルに解説に図面では、単なる紹介でつまらん。一番いいのは建築模型とか、せめてCG動画かな。建築ってのは芸術の要素はあるし、バウハウスなんかじゃ最上位に建築があったんだけど、なんか「建築は芸術です」ってためらいなく言っちゃうヤツって「なんか違うぞ」って思うんよ。やっぱり人がいて何かする空間なんだから、見た目だけじゃなくて使いやすいとか心地よいとか、周囲と調和してるとか、メンテしやすいとかも入ってくるんだな。「建築は芸術です」なんて言う前にちょっとだめらってくれ。今回の展示では山岡嘉彌という人の「木造回遊式円楼」が面白かった。模型だったがああいう建築ならでわの面白いものが見たいものだ。

後半、大野由美子。銀と白のジグソーパズルが10万ピース。それを敷き詰めて作品にしてるが……うーん、広くて壮観だけどイマイチ「技」を感じないんだなあ。

次の榊原澄人のアニメーション。これが今回一番良かった。ブリューゲルとボッスとモンティ・パイソンあたりから影響受けたと思われるが、アニメならではのメタモルフォーゼあり、狂気あり、結構見入ってしまう。横長画面が少しずつ動いていくのでは、場所によって雰囲気も全く異なるので、時間かけて全部見られたし。

あとは吉本直子。白い古着を四角く畳んでぎっしり積み上げた作品。これも壮観だけどね、なんか日常のものを大量に使った作品はちょと見飽きとるの。いや、古着であるというアートっぽい意味を含めてもね。

最後は土橋素子。空間だ。うん。

http://domani-ten.com/

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2014年1月 3日 (金)

「大浮世絵展」(江戸東京博物館)

12月後半は忙しくてどこも行けず、当ブログもひさびさとなった。新年最初は浮世絵展です……って結構混んでるじゃねーか。なんだよー2日の午前だぞ。箱根駅伝でも見てろよー。
で、タイトルに「大」が付くだけあって、かなりの点数かつ展示替えバリバリ。出品リストを見ると、この東京会場でも8期に分かれている。期ごとに再訪再々訪する鼻息荒い御仁もいるかもしれないが、オレは無理だ。えー、見たいものが見れなかったらどうすんの? それは見たいものにもよるが、基本的には運命だよ。

最初に「風俗図屏風(彦根屏風)」がいきなり炸裂。国宝だぞ国宝。えーと、これ浮世絵のハシリとして試験にでるヤツだっけ。いずれにしても右側の美女など結構もう完成されてんじゃん。これ1月14日までの展示だぞ。次の「婦女遊楽図屏風」でいきなり女がオタフクみたいになっててトーンダウン。ええとね、今回全部が見どころとかアホなこと言うつもりはないです。北斎歌麿なんか別の浮世絵展でも出てくるんだからさ、肉筆以外適当見ときゃええ。この手の物量展示を始めからキバって見ると終盤で息切れしてくるが、その終盤がキモだったりするの。今回だって東京じゃあまり見ない上方絵が終盤近くにあるんだぜ。

基本年代順。おなじみ菱川師宣の吉原モノクロ版画とか。ポスターになってる見返り美人図は1月28日から2月16日までの展示のようじゃの(オレは千葉市立で見たからいいや)。懐月堂安度の美人画と、宮川長春の美人画と手堅い。西村祐信の美人画も安定。それから版画じゃこいつの工夫の数々は外せない奥村政信作品群。「羽子板を持つ八百屋お七」は大判縦2枚だ。あと浮絵とかもあったかな。

錦絵の時代になり当然出てくる鈴木春信。この人はよく見るからいいや。春重(司馬江漢)はおらんのか? 勝川春章が出たぞ。5人組の役者絵があっていいですな。しかし春章の肉筆美人画は無いのか? と思ったら出ていた「遊女と燕」ううむ……もっとすげーのあるんだけどなあ。あと勝川春好「三代目瀬川菊之丞」ううむ……大首絵だが、もっと痛風で描けなくなって太線になった時の方がインパクトがあるな。浮世絵界のグフ(ザク=春信)であるところの磯田湖龍斎は……うん、出てるけど普通だ。

浮世絵の黄金期。もうおなじみ過ぎるんで適当に鑑賞。清長の版画とか。いやしかし、珍しく清長の肉筆画が出てた。しかも風景だよ「駿河町越後屋正月風景図」おお、うまいよこれ、浮絵だよ。人の大きさも不自然さは無いな。それから歌麿も適当に鑑賞。美人画だけでなく「画本虫撰」と「百千鳥狂歌合」の細密花鳥画に驚きたまえ。うーん、歌麿の花鳥画だけで企画展示やらないかな。知られざる歌麿の技量を堪能したいものだ。あと歌麿美人画では着物の墨線が無くて柄だけで表現したのがあった。あと立ち姿で前からと後ろから描く「難波屋おきた」とか。それから春英、栄之、写楽、豊国なんかと続き(ここも適当よん)、はい国政が2枚。写楽以上にうまいけど少ないことで知られる。今回は美人画(一応役者のだが)だが(1月21日から2月2日に団十郎が出るな)。しかし国政の美人画は個性的ながらイマイチだった。それから北斎が続く。なんと「百物語」5つ全部出てた。1月14日までだが子供も来る正月に怖いこれを出すこたあないと思うが。あと北斎は晩年近い肉筆「端午の節句」が凄い。うまい。さすが「画狂老人卍」と書くだけある。隣には娘の葛飾応為「夜桜図」得意の光に照らされて浮き上がる絵。父親譲りの才能が光る。それから国貞「五節句ノ内 文月」踊る6人美女。浮世絵絶頂期に最も描いて売れた国貞なんだけど、評価はあまり高くないのね。でもこの絵を見りゃあ分かるだろ。実はめちゃくちゃうまいんだぞ。国芳もいくつか。中でも「亀喜妙々」亀の顔が役者似顔。実は役者絵禁止されてた中での作品だ。この手でお面とか落書きとかで役者似顔がある反骨精神。特定秘密保護法案で表現ができなくなるーって嘆いている弱気なアーティストは見習いなさい。

ここでいきなり祇園井特のエグい肉筆「太夫道中図屏風」そうだここから上方だ。見逃すなよ。この辺まで体力残しておいてね。「滑稽浪速名所」が面白かったな。大阪のドツキ漫才みたいで。でも流行斎如圭が見たかった。上方の役者絵はどう見ても「写楽」。そう、私は写楽は上方の絵師の誰かだと思っているのだ。ちゃんと調べてないが。

それから明治時代だ。芳年の、鬼婆が半裸の妊婦を吊してる「奥州安立がはらひとつ家の図」があったが、子供も来る正月に恐いこれを出すこたあないと思うが。小林清親は光線画はもちろん戯画もカバー。最後の(江戸風)浮世絵師、楊洲周延「千代田の大奥」が美しいぞ。あと橋口五葉や伊東深水などもあるが、もはや浮世絵でなくて、単なる木版画作品なのね。何かが加わり何かが抜け落ちてしまったのだ。

いやいや早足で見てもこのボリュームだもんなあ。全部を堪能したい人は気力と体力つけて行ってくれ。
http://ukiyo-e2014.com/

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