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2014年1月19日 (日)

遠藤彰子展(上野の森美術館)

圧倒する大画面の絵画を本気でやる画家は多くないと思う。やりたくても場所がないとか物理的な問題もあるのかもしれないが、多分「大画面で仰々しくやって魅せるのは安直みたいで恥ずかしい」なんてのがあるかもしれない。とっちかというとストイックで哲学的で見た目が洗練されてた方が美術通というか通気取りというか、そういう連中にはウケると思う。私はかねてから大画面の快楽主義みたいなものに惹かれて遠藤彰子を非常に好んでいたのであるが……しかし今回現地に行って分かったのが、思ったよりも計算されて画面が構成されているのだ。特に最近の春夏秋冬の四部作(これがまた一つ一つ巨大なのだが)、大画面でも構図が見事にキマっている……んー整っている感が以前より増している感じ。仰々しいイロモノっぽさ(これはこれで好きだぞ)よりも、ある種の洗練が見られていて、なにげにこの画家は進化してるのだと思った。アーティスト・トークも見たので満足じゃ。

絵は新作を除けば概ね見たことがある。府中や筑波の企画で見たもの。初期の「楽園シリーズ」と呼ばれる、人が箱状の中に並んでいるのから、安井賞を取った作品「遠い日」、空間を歪ませた都市風景「街シリーズ」、空と地上を一画面に描いた初の五〇〇号「見つめる空」(これは気に入った作品だったが売れたのであとでこっそり複製を作ったそうな。その複製も出ている。複製はちょっとパワーが落ちているようだ)。私の好きな夜の絵「私は来ている此処に、何度も」とか「黄昏の笛は鳴る」も出ている。うん、ああいう「夜の感じ」は好きだな。要するに代表作は一通り出ている。そして五〇〇号をやり尽くし、60歳近くなって一〇〇〇号に手を出す凄さ。1階の大展示室がそれで埋められる。新作「我、大いなる船に乗りてゆく」の船が骸骨でそれに乗っている(これは500号か)。凄いのはその発想というより、それをちゃんと大画面に構成して魅せるというところ。春夏秋冬についてはあとで書こう。あとは立体ものやら、新聞連載の鉛筆画も並んでいる。小さい画面でもちゃんと描けるのだ。

アーティスト・トークの時間が迫って、大展示室に椅子を並べ始めたが、いや、結構な数の人が来ているのね。100人以上はいた。筑波のギャラリートークでは多くなかったのだが、さすが都内。で、始まって、最初に来場していた野見山先生(野見山暁治先生か? よく分からんが)を紹介して、せっかくなんで一言、ということになったが、なんかこの先生あまり空気が読めず、マイクを手に長々しゃべっている上に、遠藤先生と対談っぽくなり、遠藤先生が「お座りになった方が」と言っても「いえ大丈夫です」とか言って。いや、野見山先生の話を聞きに来たわけじゃないんだけどな。ここで遠藤先生も、野見山先生に気を使いつつ自作を解説するというなかなかの技に出る。野見山先生が「あんな絵を描いているのに会ったら普通で……」とか言ってるのも面白い。いや、世の中には、優れた芸術は自己中なアウトサイダーにしか生み出せないって思っている人が少なからずいるんじゃないかと思ってるけど、実は才能と素行、作品と人柄はあんまり関係ないのね。朝から晩まで芸術のことを考えてヨレヨレの生活をしたって、才能無いヤツは無いのじゃ。

アーティスト・トークで出た話でメモったもの。街シリーズを描いていた頃に子供が病気になって、なんかこのままではいかんと思ったそうで、それで自分の絵を発展させていった。大きな絵は、それをどう「動かすか」を常に考える。絵には何かの中心的なテーマがある。「秋」は蛸が出てくるが、蛸を描こうとしたわけではなく、当時のもやもやした気持ちをどう表現するか考えていたら(最初は木だった)、最終的に蛸になった。その後東日本大震災があって、一時期何も描けずドローイングばかりしていた。震災後の作品「夏」は蜘蛛の糸だが、ひまわりを出すことで進めることができた。大きな絵はその基となるドローイングを1000枚ぐらい描く。小さいサイズで全体を描き、できたら少し大きいのにする、という繰り返してしだい大きくなる。絵の完成までは、90%まではすぐに行くが残りの10%を仕上げるのに非常に時間がかかる。全体に「何か哀しい感じ」が出た時に完成となり(これがなぜそうなのかは分からないそうだ)筆を置く。絵を描くことは自分と向き合うこと。色彩については、最初は白黒で考えているが、ドローイングを繰り返す段階で色が付いてくる。「庭園に陽射しおり」は金箔の強さに匹敵するものとして男の背中を描いた。これで手があるとくどくなる。ちなみに赤い一本の線は最後に加えたが、これがあると画面がキマる、といったようなもの。「翳をくぐる鳥」は自分の影が鳥に見えたことを発展させた。空想ではなく、こうした日常で得たことを発展させていくことも多い。影響を受けた画家(というかよく見ていた画家)、ボッス、ブリューゲル、エッシャー。あと宇宙の本を好きでよく見る。

アーティスト・トークはこうした感じで質問の受け答えまでして終了。一人の方(大学での教え子のようですが)が言っておられたが、見る年齢によって、何年か経ってから見るとまた違うと。うーん、そうだなあ。いろんな要素が入っているしな。いや、人が大勢出てきていて、前は「群衆」みたいな個性のない印象しかなかったのだが、今回見たら、結構仕草も様々で、表情も様々だったりする。これは前は気づかなかった。

ともあれ、今回この機会を逃すと、また何年も、東京近辺でまとめて出逢う機会もないと思う。期間は決して長くはない。未体験の人は必ず訪れてほしいと願う次第だ。
http://www.ueno-mori.org/exhibitions/article.cgi?id=33

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