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2014年6月29日 (日)

現代美術のハードコアはじつは世界の宝である展(東京国立近代美術館)

ヤゲオ財団コレクションだそうで。こだわりの現代美術。解説が多くて、読んでいるとなかなか大変だが勉強になるよ(オレは勉強してないが)。

最初にポップアートのコーナー。おなじみリキテンスタインやウォーホルがあるが、珍しくマン・レイの絵画がある。女性像だな。隣にもサンユウという中国人アーティストの女性が寝そべっている……なんかこれどこかで見たな。どこだか忘れた。それから今時の中国人アーティストいろいろ。サンユウの「蓮に白鶴」はなかなかいい。ホワン・ミンチャンの「向晩Ⅰ」の写実っぷりがナイスだ。草原キラキラ……いや草原じゃない田んぼだよな。どこかでこういうの見たな(さっきからそればっかり)……ほらあの印象派っぽく原色をチマチマ描いてくの。

「崇高」というタイトルのコーナーがあります。おなじみマーク・ロスコ。うん、私はそんな好みじゃないんで、むしろ杉本博司の海景写真がいい。水平線を上下の中心で切らない、というのは写真の基本なんだけど、あえてそれをやって、しかも何ともいえない静寂とかすかな波の動き。ううむ、同じ杉本博司の「最後の晩餐」があるが、これは絵の写真か? ゲルハルト・リヒター……あー名前はよく聞くな。こんなんだっけ? 次の部屋「威厳」というコーナー。おお、ザオ・ウーキーではないか。ブリヂストン以外で目にできるとは。やっぱいいよなあ。抽象画家としては最強だよなあ。そういえば解説には珍しくコレクションやオークションに関する内容もある。ザオ・ウーキーは昨年亡くなったが、その後値段が高騰したらしい。それから「リアリティ」ってコーナーで写真がいろいろ。こないだ個展で見た。アンドレアス・グルスキー。うん、結構好きだな。この人や、ニコラ・ムーランの「超現実」写真を知るに、写真もやっぱ見るべきかなあ。

次の部屋「記憶」。おお、アンゼルム・キーファーだ。それこそ池袋のセゾン美術館の「記憶」が……あの頃はよかったなあ。何ヶ所ものデパートで大型美術展をやってたしなあ。あとツァイ・グオチャン。アートスペース「P3」の記憶が。あの頃はよかったなあ。まあこれは、単に今あるイベントスペースに行く時間的余裕が無いってだけなのだが。当時は漢字で名前を書いてたんだよ「蔡國強」って。火薬を爆発させて描いた絵画を生み出すアーティスト。フランシス・ベーコンも2枚ある。見ましたねえベーコン展。マレーネ・デュマス「若い少年たち」が解説ともども印象的だ。あーこれ今の森美術館の企画「ゴー・ビトゥイーンズ」に出ていてもおかしくないな。権力により子供たちが犠牲になりそうな不安感、というのは今の日本にもありそうだし、現に多くの「アート系」の人がツイッターなんかで危惧していたりするのだが、結局こういう表現ができるかできないかが、アーティストかどうかだと思うんよ。「アート以前に一人の人間だ」と言うかもしれないが、やっぱり自分が受け取った何もかもを作品にしてナンボでしょう。こういう作品を見習ってくれい。

最後の部屋はこれからの美術だったかな。ロン・ミュエクの人形(立体人物像か)「若いカップル」初々しいなコノヤロー。オレなんかコノヤロー。ペンペン草一本生えてはおらぬ青春時代よ。まあいいや。建物の庭にデカい人物像があるけどさ、その小さい版、マーク・クインの「ミクロコスモス(セイレーン)」、「ミニチュアのヴィーナス」……キメエ。体が柔らかすぎる立体女性像。

最後に作品を並べて50億円以内にしようゲームがある。今回の展示作品いくつかを家の模型の中に5点まで並べて、ボタンポチで購入価格が出る。50億円以下ならセーフ。オレがやったら50億なにがしかで若干のオーバーだった。適当なんでまぐれながら惜しい。
http://www.momat.go.jp/Honkan/core/index.html

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2014年6月24日 (火)

ヴァロットン展(三菱一号館美術館)

あんまり知らない画家だったもんで、なんとなくアートセレブ御用達の知的でクールな感じかなぁと思ってたんだが、なかなかどうして、虚しく妖しく愉快でもある。

出だしはアングルを意識した「トルコ風呂」で裸女数名。「四つのトルソ」で尻が4つ(この時は何とも思わなかったが、あとで思わぬものを目にする)。それから自画像とか肖像、「ナビ派」だったっていうんだけど、あんまりナビ(ゴーギャン)な感じはしないな。「マルト・メロ」という肖像がクールにうまい。「ワルツ」は思わぬ和風な印象を受ける。ヴァロットンは浮世絵も好きだったようで、時々持ってた浮世絵が展示されてるよ。あと版画もよくやり、これは「ナビ」な感じだ。山の版画が結構浮世絵っぽくうまい。「モンブラン」なんて、なんかナビ派の広重みたいだね。ポスターにもなっている「ボール」は解説通り、ただの子供がいる風景じゃなくて不安な感じがずる。これはアレだなデ・キリコの輪回し少女みたいな感じかな。

この辺りから本領を発揮してくるようだ。妻との関係がどうにも冷え切っていたようで、家庭を描きながらも鬱々とした絵が並ぶ。「室内、戸棚を探る青い服の女性」は文字通りなんだけど、女性(妻?)は後ろ向き。なんでこんな場面を描いたのだ? という冴えない構図。「夕食、ランプの光」はもっと虚しい。家族の食卓風景ながら本人は後ろ向きの影だ。嗚呼冷たい家庭。「貞節なシュザンヌ」は老人どもの誘惑をはねのけるシュザンヌ。一見クールな絵ながら、どうも女性に何もかも見通されてる感じの恐怖。絵はがきにもなっている男女の恋愛風景を描いた版画群「アンティミテ」。一見オシャレながら、体温がない感じのカップル。「髪を整える女性」も殺伐とした部屋と、なんでこんな顔もよく見えない姿をしかも隅っこに描くのか。人物がいれどサービス精神が感じられない虚しい絵画。しかしこれがヴァロットンだ。

廊下をたどって部屋を移動。版画が並ぶ。版画はうまいがそう面白くはない(オレには)ので割愛。次の裸婦群に注目。目玉の「赤い絨毯に横たわる裸婦」尻が目立つ。ヴァロットン氏、尻に大いに誘惑されておる。「オウムと女性」はアングルの横たわる裸婦風。「秋」はシンメトリーでモダンな雰囲気の裸婦。「猫と裸婦」はナビな感じだ。

階を降りて、当館収蔵のナビ派のコレクション。ドニがいいよ。そして部屋を移動。ここからがヘンな絵が並ぶクライマックス。「アフリカの女性」まあこれはいい。「赤い服を着たルーマニア女性」これは……男か? 「海からあがって」これも……男か? どっちもツラが全く女らしくなく妙な印象を受ける。そして究極「臀部の習作」うぉおおおおおっ! こりゃすげえ。尻だ。尻だけだ。リアルだ。なんちゅーか、尻に誘惑されてるから、その尻の正体を暴かんと狂気のごとく克明に描いた尻だ。やるじゃんヴァロットン。続いて「神話と戦争」というコーナー。神話というか神話のパロディをマジでやるぜ。「シレノスをからかう裸婦」はナニやってんだこのエロババア。「竜を退治するペルセウス」こ、これは……これ、あかんやつや。このアンドロメダ姫(笑)、このペルセウス(笑)、こ、こ、これが竜ってマジすか? だだだダメだ文章にしたくない。もったいない。見に来なさい。アンドロメダの表情(笑)「なんであんたみたいなのが助けにくるのよ」、おめーこそなんだその髪型……あかんこれ以上書けない。「憎悪」これは中年アダムとイブらしい。アダムが自分で、イブが妻らしい。ああ、ダメだな(笑)、ダメだよこの二人(笑)。最後は「引き裂かれるオルフェウス」で虚しく終える。ヴァロットン、ただものじゃないぜ。
http://mimt.jp/vallotton/

ついでに、同時開催(別料金)の「バルテュス最後の写真」も見た。少女を裸(半裸)にしてほんの少しずつポーズを変えては時間をかけて何枚も写真を撮る。バルテュスが考える少女という絶対の美に対する細部までのこだわりを時間をかけて追求……えぇー? ボクはそう解説通りに素直にはとらんよ。これは少しでも長い時間少女と時を過ごしたかっただけで、実は何も考えてなかったんじゃないかと思う次第である。絵画に比べると……まあ、見たければ見ればという程度の内容。
http://mimt.jp/balthus/

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2014年6月22日 (日)

「ゴー・ビトゥイーンズ展」(森美術館)

森アーツセンターで「こども展」をやっていたがどうも行く気にならない。画家の「愛にあふれた視点」とやらがどうにもイヤなのだ。嘘っぽいのだ。お前さん、子供の可愛さのいいとこ取りだけしようってんだろ。子供のダダにつきあったことあるんかい。子供はそんなキレイキレイでカワイイカワイイだけじゃないんだぜ……って親のオレは思うわけよ。

そんなわけで、よりリアルに近いこっちの企画の方がむしろ興味深い。といっても「こういう境遇の子供達の写真」なんかが多いいもので、見ている方は「うむうむそうなのか」と思いつつ進むしかない。働かなきゃならない子供、リトルトーキョーの日本人が戦時中に収容所送りになっていたが、そこでの写真。極力日常と同じように過ごしているが、周囲に鉄条網が張られている。占領軍との間にできてしまった子供達、日本の朝鮮学校の子供達、いかなる境遇であれ、子供達は健気に生きるのである……ってな言い方は陳腐だな。ジャン・オーって人の撮った、米国家庭に養子に来た子(主に娘)と父の写真。「パパとわたし」の作品群。にこやかだが、なーんかアブネエ雰囲気を感じてしまうのはオレの心が歪んでいるからか、いやー、血のつながってない娘を普通に育てる自信なんてないっすよ。

奈良美智の女の子の絵が3点ほど。してみると奈良はうまいこと「子供」を描いてるよな、と思う。奈良美智展での「NO NUKES」を持った子供を思い出す。あの「保護者の意向でしかたなくやってる感」の見事さよ(まあ作者はそのつもりで描いたんじゃないかもしれないが)。小西淳也「子供の時間」子供が自分だけの世界に浸っている時の表情の撮る。おお、あるあると思うと同時に、そうかこれが「作品」となっているわけね、という何となく意外というかちょっと残念な感じも受ける。「エイト」という何とも言えないビデオが何とも言えない(なんじゃ?)。

トレーシー・モファットの「一生の傷」シリーズ。子供の辛い、苦しい、悔しいシチュエーションの写真群。時に痛々しいが、子供の世界って今思うと残酷だったよなあ。梅佳代の「女子中学生」写真の数々。これがなんかその、「パンツ丸出し」みたいな感じなのだが、紳士が喜びそうな「見えちゃったイヤン」というもんじゃなくて「どりゃあああっ!」みたいなガキンチョノリなので、なんか見たくもないものを見せられてる感じがする。生き生きした女子中学生。そうだよね、これがリアルなんだよね、という男にゃさみしい写真群。それより近藤聡乃のアニメーション「きやきや」が結構エロいな。リアルよりも、こうした性的な幻想と戯れる、というような感じの方がオレにはとっつきやすいよ。

ウォン・ソンウォンの写真。合成か何かだろうけど、超現実感があふれて、今回の中では一番アートっぽい。それから山本高之の子供のためのワークショップ「どんなじごくへいくのかな」。子供達に地獄を作らせ、発表させる。その作品とともに展示。地獄を作らせるなんてうまいこと考えたじゃないか。学校じゃやらないもんなあ。子供達の作品も、かわいいのもあるが、中には針から血が滴ってるとかいうエグい造形もあり……でもまあ子供は自由が一番さ。よくやった。

子供に創造性を持たせるおとは重要なんだけど、そのためにはまず親が自分で何かを作ること。世の中にあるものは全て「買って」手に入れるものではなく、作って手に入れるものもある。また、買って手に入れる「完成品」にも必ずそれを作るための「プロセス」があるということ。私が自分の子供に伝えたい最も重要な点はそこだ。プロセスの存在である……まあ、こうキバっても子供が創造性を発揮してくれる保証はないがね。
http://www.mori.art.museum/contents/go_betweens/

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2014年6月13日 (金)

デュフィ展(Bunkamura ザ・ミュージアム)

デュフィは好きな画家ですよ、はい。カレンダー買ったこともあるしな。今回は初期から晩年まで網羅するだけでなく、テキスタイルなどの意外な一面も紹介してるぞ。

初期は印象派やフォーヴのような風景画が並ぶ。「サン=タドレスの桟橋」や「マルティーク」における水面とかは、ヴラマンクのように遠目でリアルに表現。フォーヴほどハデハデでなく、落ち着いた感じだ。それからセザンヌに影響を受け、「ヴァンスの風景」や「レスタックの日々」はセザンヌ風。キュビズムに影響を受けて「浴女」はキュビズム風。え? なになに風と言われてもどんなんだか分からんとな? まあいいんだこの辺は練習みたいなもんだから。

次に「木版画とテキスタイル」のコーナー。意外なんだよ木版画なんて。テキスタイルもやってて布が展示されとる。今まで紹介されてこなかったしな。パッと見、隠れた名作というより、あんまし面白くないから紹介されなかっただけじゃねーか、とか思ったんだが、これがまあなかなかどうして「動物詩集あるいはオルフェウスとそのお供たち」という版画連作など見ると、テキスタイルばりのきっちりしたイメージをモノクロで表現できる手腕に唸る。「毛虫」や「ハエ」「クラゲ」なんて見事にデザイン化した画面だ。ううむ、こういうしっかりした下地があるから、後に自由奔放な描線を使っても絵が崩れないのだな、と思った次第である。

次のコーナーからいよいよおなじみのデュフィらしくなってくるだ。でもあれだな、最初の方はまだ地味なのね。「サン=タドレスの大きな浴女」は中央に水着来た浴女はドーン……って、結構デブだな。なんとデュフィは結構デブ専なのね。うーん、色彩の音楽ともいうべき絵画ではスタイリッシュな美女のほうが似合うと思うんだが。まあいいや。「ル・アーヴルの水上の祭り」はだいぶおなじみな感じだが、まだ色が暗いぞ。競馬場ものが並び「エプソム、ダービーの更新」で明るい色彩が登場。「クロード・ロランに捧ぐ」という絵で、一応説明もあったのだが……どこがロランなのかな? 名作「パリ」。適当にザザっと描いてるように見えて実になんかパリの鳥瞰を感じさせる。そしてパリ万博電気館用に作成した超大作の縮小版「電気の精」。これ電気にまつわる偉人は取材してきっちり描き(このキッチリ感が好感度高いな)、それ以外は自由に描線を踊らせる。そこに色が加わる。

今回感じたのだが、デュフィの魅力は色彩と描線の調和(ハーモニー)である、というのはまあそうだなと思う人も少なくないと思うんよ。しかしそれゆえ、意外と遠目で見るとキタナイ絵が多いのね。「電気の精」も遠目で色だけ見てるとなんじゃこりゃって感じがするし、如実なのは「ラングルの風景」の一つ。遠目でうえええい。でも寄って見ると描線と実に調和して、ありゃ、いい感じじゃんというわけだ。そうだよ遠目じゃダメなんだよデュフィの絵は。線もちゃんと見えなきゃ。

えーそれから「レセプション」なんていい感じの絵があり、裸婦がいくつかあるがみんなデブで、花瓶とかの陶芸と椅子がある。

最後のコーナー。最晩年の黒い貨物船シリーズは2点あったがもっと見たいな。私はこれ「死の予感」についての絵だと思っていたのだが。なんか黒を使うことで逆に光が云々とかよく分からん解説があった。「マキシム」おお痩せ美女がいっぱいだ。「交響楽団」など数点黒一色で勝負……これはしかし、努力は分かるが、色付きを見ちゃうとなあ……イマイチだなあ。音楽家に捧げるシリーズ。お、これは遠目でもイケるかな。バッハのがいいね。ヴァイオリンに目が行っちゃうけど、その周囲を飾る葉の描線とそれを包む色彩が見事だ。そして最後の方、水彩の花の絵いくつか。おお、これ初めて見たよ。いいねいいね。ポスターでもあったら買いたかったが複製画しかないや。高くて買えねえ。

http://www.bunkamura.co.jp/museum/exhibition/14_dufy.html

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2014年6月 1日 (日)

ジャン・フォートリエ展(東京ステーションギャラリー)

二十世紀美術の美術の動向である「アンフォルメル(非定型)」の一人のようだ。うむ、名前は聞いたことがあるし、試験にも出たかな。広告を見て抽象画ばかりかと思ったら、初期は写実しかも裸婦なんか美化されないリアルななんちゅーか肉タプタプみたいな感じで描いてあるので、それがなかなか好感度が高い。まあ、あとでビデオがあって写実はみんな失敗作みたいなこと言ってはいるのだが。他にも裸婦が多くてボワッとした感じのヤツとか。

それから少し行くと「プリミティズム」の説明があって、なんかアフリカ美術の影響が云々とか書いてあるのね。うん、でもそればあくまで「プリミティズム」であって「プリミティブ」とは違うと思うんよ。前から時々書いてるけど、私が考える「プリミティブ」ってのは、あくまで原初的な創作衝動に忠実な作品で。だから力強い。例えば、「本物そっくりに描きたい」という衝動で描いた写実画なんてプリミティブに属するのだ。作品の力強さがそうした衝動に現れるわけだ。力強さがなければプリミティブではない。一方アフリカ美術のモチーフをいくら取り込んだって、それが知的な取り込みに過ぎないならそれは「プリミティブ」ではないんだ。ピカソのアフリカ美術を取り入れた作品も、巧みではあっても力強いとはちょっと違う感じだ。
まあいいや。ウサギの皮が吊り下げられている作品とか、羊の頭の作品とかあるが、生々しくはないな。ちなみに出品リストがないもんで、作品名は書けんのじゃ。

下の階に行っていわゆるアンフォルメルであるところの絵の具厚塗りの抽象が増える。最初は「人質」シリーズで、これが戦争の犠牲者というか拷問とかで痛い目にあった人物の顔とかを描いたものらしいが、ほとんど抽象なんで、なんか痛々しくないというか、むしろそういう情報なんぞない方がいいかもしれん。厚塗りだから当然マチエールが写真では出せないものなんだが……うん、バルテュスほどのインパクトがないのはなんでかな? フォートリエは製作にほとんど時間をかけないそうで(ビデオでそう言ってた)、マチエールも即時的な感じがする。バルテュスの長期間を感じさせるのとは対照的なんだな。

ビデオってのが本人が出てくるもんで、アンフォルメルとはなんぞやみたいなことを語る。結構カッコいいことを言うのね。「アンフォルメルは現実をとらえる罠である」とか。そんなスゲエもんだったのかと思う次第である。

知名度からすると入場料千百円とはまあ妥当だとは思うが、でも入るとカウンターに二人、券売機に一人、エレベータ前に一人って、ちょっと多くね? そこ三人でいいから千円にしてくれよ。お金持ちの道楽じゃない。汗水流して働いて得た金なんだぜ(まあケチなだけだが)。
http://www.ejrcf.or.jp/gallery/exhibition/201405_JEAN_FAUTRIER.html

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