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2014年6月22日 (日)

「ゴー・ビトゥイーンズ展」(森美術館)

森アーツセンターで「こども展」をやっていたがどうも行く気にならない。画家の「愛にあふれた視点」とやらがどうにもイヤなのだ。嘘っぽいのだ。お前さん、子供の可愛さのいいとこ取りだけしようってんだろ。子供のダダにつきあったことあるんかい。子供はそんなキレイキレイでカワイイカワイイだけじゃないんだぜ……って親のオレは思うわけよ。

そんなわけで、よりリアルに近いこっちの企画の方がむしろ興味深い。といっても「こういう境遇の子供達の写真」なんかが多いいもので、見ている方は「うむうむそうなのか」と思いつつ進むしかない。働かなきゃならない子供、リトルトーキョーの日本人が戦時中に収容所送りになっていたが、そこでの写真。極力日常と同じように過ごしているが、周囲に鉄条網が張られている。占領軍との間にできてしまった子供達、日本の朝鮮学校の子供達、いかなる境遇であれ、子供達は健気に生きるのである……ってな言い方は陳腐だな。ジャン・オーって人の撮った、米国家庭に養子に来た子(主に娘)と父の写真。「パパとわたし」の作品群。にこやかだが、なーんかアブネエ雰囲気を感じてしまうのはオレの心が歪んでいるからか、いやー、血のつながってない娘を普通に育てる自信なんてないっすよ。

奈良美智の女の子の絵が3点ほど。してみると奈良はうまいこと「子供」を描いてるよな、と思う。奈良美智展での「NO NUKES」を持った子供を思い出す。あの「保護者の意向でしかたなくやってる感」の見事さよ(まあ作者はそのつもりで描いたんじゃないかもしれないが)。小西淳也「子供の時間」子供が自分だけの世界に浸っている時の表情の撮る。おお、あるあると思うと同時に、そうかこれが「作品」となっているわけね、という何となく意外というかちょっと残念な感じも受ける。「エイト」という何とも言えないビデオが何とも言えない(なんじゃ?)。

トレーシー・モファットの「一生の傷」シリーズ。子供の辛い、苦しい、悔しいシチュエーションの写真群。時に痛々しいが、子供の世界って今思うと残酷だったよなあ。梅佳代の「女子中学生」写真の数々。これがなんかその、「パンツ丸出し」みたいな感じなのだが、紳士が喜びそうな「見えちゃったイヤン」というもんじゃなくて「どりゃあああっ!」みたいなガキンチョノリなので、なんか見たくもないものを見せられてる感じがする。生き生きした女子中学生。そうだよね、これがリアルなんだよね、という男にゃさみしい写真群。それより近藤聡乃のアニメーション「きやきや」が結構エロいな。リアルよりも、こうした性的な幻想と戯れる、というような感じの方がオレにはとっつきやすいよ。

ウォン・ソンウォンの写真。合成か何かだろうけど、超現実感があふれて、今回の中では一番アートっぽい。それから山本高之の子供のためのワークショップ「どんなじごくへいくのかな」。子供達に地獄を作らせ、発表させる。その作品とともに展示。地獄を作らせるなんてうまいこと考えたじゃないか。学校じゃやらないもんなあ。子供達の作品も、かわいいのもあるが、中には針から血が滴ってるとかいうエグい造形もあり……でもまあ子供は自由が一番さ。よくやった。

子供に創造性を持たせるおとは重要なんだけど、そのためにはまず親が自分で何かを作ること。世の中にあるものは全て「買って」手に入れるものではなく、作って手に入れるものもある。また、買って手に入れる「完成品」にも必ずそれを作るための「プロセス」があるということ。私が自分の子供に伝えたい最も重要な点はそこだ。プロセスの存在である……まあ、こうキバっても子供が創造性を発揮してくれる保証はないがね。
http://www.mori.art.museum/contents/go_betweens/

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