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2014年8月10日 (日)

「あしたのジョー、の時代」展(練馬区立美術館)

自分にとって「あしたのジョー」はマンガより遅く、アニメだった。また、当時、アニメを映画にして、さらにそれをカラーマンガにしたのを1巻だけ持っている。名高きジョー対力石戦、いやこのアニメマンガは何度も読んた。途中、アニメ内での力石対パンチョ・レオの試合の選手紹介文がアニメーターの落書きで埋められていたのを発見した時は愉快だった。「なぜアニメーターは徹夜しなければならないんだろう」とか「あいつも虫プロで働いてるんだろうなあ」とか。まあいい。でもこれが今回行った理由ではない。

力石徹の劇中死により、寺山修司を中心に葬儀が行われた。その弔辞を何度か聞いている。福島泰樹氏の「短歌絶叫コンサート」にて氏が読むのである。元劇団天井桟敷の人が同じものを朗読するイベントがあって、行きたかったが生憎予定が入っていた。寺山修司とボクシングといえば、ファイティング原田に捧げた「戦士の休息」を福島氏の絶叫朗読で聞いていてこれも名文。「男のうしろにあるのは、いつでも荒野ばかりだ」それは嘆きでもあり、戦う男の美学でもある。あまり関係ないが、サッカーワールドカップでボロ負けをしても、日本に帰ってくれば空港でキャーキャー出迎えてくれるっていう、あのイヤラシイ甘さ。いや、別に選手はそんなもん望んでいないかもしれないが、ああいう生暖かいような感じを嫌悪しちゃうのはオレだけではないはずだ。「敗者には何もくれてやるな。これがこの世界の掟だ」。

まあそんなわけで行ったんよ。マンガの原画いっぱい。泪橋の丹下拳闘クラブジオラマ。アニメのセル画、当時のグッズなど。あと同時代の紹介ということで、当時のCMが流れ、レコードジャケットが並ぶ。これらはオレにとっては同時代じゃないので、ふーんって感じで眺めているに過ぎない。アート作品もあるが、当時流行りの安保闘争もので時代を感じさせる。また当時万博があったが、反万博運動なんてのもあったんだって。「流しのカメラマン」渡辺克巳の写真も時代の雰囲気が伝わっていいぞ。

そして力石徹葬儀の祭壇が再現されている。それより驚いたのは、同じ場所にあるウノカマキリ描く当時のパロディマンガ「きのうのジョー 力石は生きていた」……そ、そんなのがあったのか。平凡パンチに掲載されたそうだ。今なら、熱狂的なファンが作者や出版社のブログやツイッターを炎上させかねないし、それを恐れて載せないと思う。つくづく大らかで愉快な時代だったんだなあと思う次第だ。今やBPOによりテレビからも毒が抜かれ、怪しく不健全で魅惑的なものを求める者はネットの海に沈み込むか、ロフトプラスワンのイベントにでも行くしかない。
とはいえ私はポストモダンとウォーターフロントとジュリアナ東京(行ったこと無いが)のバブル世代なもんで、あの時代とはどうも肌が合わない。横尾忠則の色使いもデザインもなんか苦手だ。暗黒舞踏の土方巽の映像もバーンと出ているが(ジョーは肉体を酷使したもんで肉体つながりで)、あれ……誉めなきゃいかんの? 誉めなきゃセンス無いって言われんの? この舞台用の模造男根もわぁ素敵とか言わにゃあかんの? ……って感じ。まあ舞踏も演劇もアウェーなもんで(アウェー多すぎだろ)。

最後に、あしたのジョーに宛てたアーティストなどの作品群。ほとんど同時代の人が当時を思い出して作ったという感じなんだけど、一人及川正通(あの「ぴあ」の表紙の人ね)が、今をときめく(?)小保方ちゃんを出している。ここだけ「今」がやってきた感じだ。さすが。あと、しりあがり寿のインスタレーションも珍しい。

https://www.city.nerima.tokyo.jp/manabu/bunka/museum/tenrankai/joe2014.html

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