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2014年10月25日 (土)

ザハ・ハディド展(オペラシティアートギャラリー)

これは誰か? 2020年の東京オリンピックで使われる新国立競技場の設計者。建築家なのだ。つまり建築展だ。美術館での建築展は当たり外れが大きい。外れだと図面パネル写真解説ばかりで、おもろないのだ。今回のはそう言う意味では面白いぞ。模型あり、CGあり、大画面スライドあり、インスタレーションあり。解説が少ない。ただ、それはそれで、それでいいのか? という気がしてくる。

建築は芸術かそうでないのか? 一応建築学科だった私はこれには「ノー」と答える。バックミンスター・フラーが好きなもんで、「美しいだけで音の出ないピアノ」みたいな建築は「建築」とは認めがたいんよ。バブル期の「ポストモダン」が台頭していた時代だったが、合理性を追求した「モダニズム」を舐めるなよ、と言いたいわけよ。しかし、シドニーのオペラハウスに代表されるように、機能としてロクデナシでも、あれはもうシドニーのシンボルになっちゃったりするので、建築ってヤツぁ一筋縄でないかないものだ。

で、今回の展示は、一見極めて「芸術」「アート」作品な感じがするもんで、私はちょっと引いてしまう。これでいいのか? うまい話にゃ裏がある。芸術芸術してるってことは、何が利便性を犠牲にしてロクデナシ建築になってんじゃねーのか? 私は諸君が建築を見る場合、かような問題意識を持っていただくことを切に願う次第である。「建築ってやっぱしアートだよね」なんて言いつつ、そのアート的な部分だけを鼻息ブヒブヒさせながら享受してるヤツラを軽蔑しちゃうぜ。建築は実用品でもあるのだぞ。

最初にアート的な椅子というかソファがあるが、座れんらしい。CGのパネルがあり、模型がある。なんか優美な曲線、曲面の極致みたいな造形に唸る。ううむ、それにしても空間に余裕があるな。土地が広いんだな。美しいが無駄が多いんじゃね?

純粋にCGだけの映像作品があって2Dと3Dの形を行き来するものでなかなか面白い。その中に、立体の応力(かかっている力)解析画面みたいなのが出ていた。どうやらザハ・ハディドは早くから3DCADを使って、構造解析を行いつつ建築を進めていたようだ。これは強いね。どんなに斬新でも「建てられる」ものが設計できるからだ。建てられるものを設計なんて、あったり前じゃねーか、と思うかもしれないが、先のシドニーのオペラハウスで、建築家ウッツォンが出してきたのはお芸術なシェル状のメモ描き程度のもんで、それを実際に建てられるものにするには、膨大な構造計算が必要だったのだ。
それからシェルが並んだインスタレーション、今度は座れるシートがあり、壁には一面に実際の建物を紹介するマルチスライド。ザハ・ハディドの建築世界をタップリ感じ取れる。あと3D立体映像もあるぞ。
最後に「新国立競技場」の紹介。8万人入るものになる。デカいな。面白いのは現在の競技場との比較があること。どの席からでも見えるようにと、視野についても考慮されている。で、これって今の競技場を改造するとかじゃなかったっけ? 見ると、明らかにデカいし、位置も合ってない。壊して一から造り直すのか? それじゃ金がもったいねーな。

面白いのは、出たところのショップにカタログなどと並んで。新国立競技場の設計を批判する書物も置いてあること。これはポイント高いね。企画者の提灯持ちじゃなくて、ちゃんと問題意識がある。
http://www.operacity.jp/ag/exh169/

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2014年10月20日 (月)

「フォルディナント・ホドラー」展(国立西洋美術館)

さあ歌おう。♪おおブレネリあなたのおうちはどこ? ♪わたしのおうちはスイッツランドよ~ ♪きれいな湖水のほとりなのよ~ ♪や~っほ~、ホードラララ……くだらんな……というわけでスイスのホドラーです。こないだチューリッヒ展で見てなかなかよかったから期待したけど、点数少なすぎってウワサもありありのところ行ってきたのさ。

年代順みたいで最初はバルビゾン画家みたいな風景画。ヘタじゃないがそう見るものはない。次の象徴派になってからがまあ本領。「怒れる人(自画像)」。これ「狂人」ってタイトルでもあったらしく、確かに狂った感じで怒っている。「ベルン州での祈り」中央の娘がなかなかいい感じなので、なんかこれ萌えて描いたんだよなケッケッケ。やっぱ「萌え」だよな。「萌え」が分からん奴に絵画を見てほしくねえよな、とか思ったのだが、あとでどうやら間違いだと気づく。ちなみにホドラーもクールベさんの容赦ないリアル路線を尊敬していたようで、そういえばこの絵もクールベさんっぽい。

それから「リズム」にこだわり始める。「オイリュトミー」というタイトルの爺さんが並んでる絵。ふむ、「オイリュトミー」なんて久しぶりに聞いた言葉だ。確かシュタイナー教育で使っている反復行為による……なんだっけ。まあ解説もあったよ。ポスターになっている「感情Ⅲ」も女性が並んだリズムの作品……だけどまあ、ツラも衣装も普通だしなあ。むしろ本領は次の「恍惚とした女」「遠方からの歌Ⅲ」「悦ばしき女」これが三幅対みたいで面白い。ほらあの、黒田君の「智・感・情」みたいな。ダンスのしぐさがなんとも音楽的な何かを感じさせるよな。まあでもこれは3作品で奇しくもそうなっているのかもしれないのだが。「昼Ⅲ」となると1枚に3人女性が描いてある…………ここで優等生の君が絶対書かないことを書くと、女性が裸体なんだけどさ、インモーも無ければナニも無いし、ついでに胸もあんましない。なんだかなあ……なんだよこりゃあ……デルヴォーでも見習えよとか思ったりしたが、待てよこれ、要するにそういう目で見るんじゃねえって意味じゃないか。なにリズムとかダンスとか言ってもおみゃえ裸の女なぞ描きゃあがってつまり要するに水浴のスザンヌみたいにヌードの口実なんだろアヒャヒャヒャとか言うオレみたいな奴をぶちのめすためにわざとこんなセクシャリティを感じさせない描き方してやがるのだ。次の「感嘆」もそうなんだ。ノーセックスだ。理想化が嫌でブチキレてたクールベさんのごとく、何でもエロ化にブチキレたホドラーの容赦ない、クールベさん的潔さ。そうなると、先の三幅対の女のツラが女らしくないのもしっくりくる。それじゃダメなんだ。あくまで仕草だ、ダンスだ、リズムだ。で、そうなると最初の怒りの自画像が何とも言えず迫って来るではないか。なかなかやるじゃんホドラー。

地下に行くと、アルプスの風景画がずらっ。これもリズムとか意識したもんで、ただの風景じゃない。リズミックな雲があったり、上下対称がちょい面白かったり、あとは……うーん、晩年のモネみたいに風景であって抽象ってほどではないが、まあゲシュタルトを崩壊させて見るのがよき見方ではなかろうか。

さて後半は何かな……と思ったがなんとほとんど習作。しかもラフスケッチ程度のどうでもいいヤツばかり。リズムを感じさせる「《全員一致》のための習作」ぐらいはまあ悪くはないが。明らかに前半で出し尽くしている。
終盤、チューリッヒ美術館にある女性像リズム大作の「無限へのまなざし」の紹介と習作。習作はまあ、こんなもんか、という程度だが、問題は実物大パネルがあってなんとモノクロ! おいおいそりゃあまりにケチだろう。印刷代がもったいないのかよ。1600円も取っておいてそりゃないぜ。それとも、色はパネルじゃダメだ現地で見て感じてくれって意味かい? 
あとは晩年のパワーダウンしたヤツら。

ううむ、この企画は習作をたんまり見せてから完成品を見せるというゴッホ展方式を見習った方がいいよな。点数の少なさよりも、竜頭蛇尾っぷりがなんか目立ってしまっているぞ。
http://hodler.jp/

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2014年10月12日 (日)

ウフィツィ美術館展(東京都美術館)

ボッティチェリがポスターなんだから、まあだいたいどんなもんか予想つくと思うがおおむね予想通りなのだ。そんな期待してなかったが、なかなか面白いものもある。

出だしから結構地味なもんで大丈夫かなと思ったが、ドメニコ・ギルランダイオの「聖ヤコブス、聖ステファヌス、聖ペテロ」がなかなかの風格、威厳、赤とか黄色の衣装で派手さもグッドだす……そうだよオレは全然教養や知力なんかで観てねーんだよ。各人がどんな人かは知らん。とにかくまあ、1492年、ルネサンスの前にこのクオリティ。しかし、まあさすがイタ公、無名画家でも結構うまい。バルトロメオ・ディ・ジョバンニ「砂漠で回春するエロニスル」じゃなかった「砂漠で改悛する聖ヒエロニムス」ね、これもうまいね。ドクロがあるからヴァニタスみたいなもんか。それからフィリッポ・リッピとかフィリッピーノ・リッピとかピッピピッピしたやつが並ぶがよくあるキリスト教画。まあきれいだけどね。しかしここで、ベルジーノと工房「悲しみの聖母」。これがなんか普通のリアルな感じの美女肖像画なんでちょっと驚く。ほう、こんな感じのも描かれていたのか。あと、これだけケースに入っているのね。ビァージョ・ダントニオ・トウッチ「正義の寓意」。おお、剣と天秤って、これってタロットカードの「正義」と同じ図像なんだ(ついさっきまで「図象」で「ずしょう」と読むと思ってた)。やっぱし定番だったのか。で、この辺からボッティチェリがチラホラ始まる。やっぱ巨匠じゃんみたいな印象。「聖母子と天使」の幼児キリストを支える天使がキャワイイ。これは美少女というより美少年系じゃないかウキキ。解説によると、これは捨て子養育院が所蔵する絵だそうで、言うなれば子供達を励ます実用品ではないか。こういう実用品を美術品としてこんな場所で鑑賞していていいのかにゃと思ったりしないでもない。ボッティチェリ「聖母子、洗礼者ヨハネ、大天使ミカエルとガブリエル」いかにも、まさに、みたいなボッティチェリテイスト。

上の階にエスカレーターで。まだボッティ。工房作「鞭打ち」「十字架の進行」うーん、なんか痛そうじゃないな。それが不満だ。それから目玉の「パラスとケンタウロス」おお、そういえばこれはキリスト教画じゃないよな。ローマ神話ものだもんな。下半身が馬のケンタウロスの髪をつかんで勝ち誇るパラス。解説によると「肉欲(獣性)を貞潔が勝利したという意味かも」だそうだが、どうもこのケンタウロス君の情けない表情が目に付く。「あんたそんな下半身であたしを抱こうって言うの?」「すんまへん、わい、こんなんですわ」なんていう「画像でボケて」がちらつくことこの上ない。あー、あとボッティのプリマベラなんかもそうだけど、薄衣の下にあれ肌が透けているのかね? だったらあのう、胸の乳首とかもそれなりにちゃんと描いてほしいのだが。この絵は、そこが花模様とかになっていて、要は肌が透けた色かそうでないかイマイチ明瞭でない……これは、アレだ、女子フィギュアスケートのコスチュームがだね、肌色の素材を使っていて、そこが露出しているのかそうでないのかはっきりしろよ、というもどかしさに似ている(似ているのかよ)。なにお前はそんな鑑賞しとるのかって? いや男子たるもの絶対そういう目で見てる。絶対だ。

えーそれからまたキリスト教画いろいろ。なんかこう、飽きてきたよなあ……と思っていたらここで、ポントルモの原画に基づく「聖母子」どえええっ! なんじゃこりゃあ! こ、これ、アカンやつや。いやぁこれはヤバい。このマリア様の顔が、いや顔はともかく、この幼児キリスト様のボディはアカンやろ。なんかヘンだと思わなかったのか? いやしかし、これが模写ってことは失敗作とは見なされなかったということだな。これはこれで普通に見れたのか? あるいは萌えないがゆえに注目された萌えキャラみたいなものか。それから、あとはまた聖母子像がゴッソリ。なんでこう聖母子ばっかりあるのかね。そんなに描かれていたのかとも思うが、思うにキリスト教国じゃないんで、ジャップが共感できそうなのが母子像ぐらいじゃねーかってんで、そればっかり持ってきたんじゃないの? だって歌麿だって母子像描いてるしな。ジャップにウケがよさそうだ。

さらに上の階へ行って、メディチ家に関する展示とか。ここにはタピスリーなんかもあるぞ。あと映像があって(行きたくなると困るので見なかった)、売店があっておしまい。

なんか、いい感じで充実感があるわな。イタリア気分になれるぞ。
http://www.uffizi2014.com/

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2014年10月 5日 (日)

歌川国貞(太田記念美術館)

歌川国貞という絵師はなんとなく小室哲哉とカブる。いわゆる「小室サウンド」は「洋楽のツギハギでできている」と言われ、ちょっと音楽通ぶった人からはてんで評価されない。でもカラオケ全盛時代に最も歌われたのだ。国貞も浮世絵全盛時代に最も売れた絵師なんだけど、ちょっと通ぶった人からは「粗製濫造」と言われて評価が低い。いわゆる「六大浮世絵師」にも入っていないのだ(まあ六人に絞れっつーのも無理なんだが)。私は小室哲哉も尊敬しているので(という理由でもないのだが)、かねてから国貞も再評価してほしいという気持は持っている。北斎展、広重展、近頃じゃ国芳展も多く開催されるが、国貞展は記憶にある限り静嘉堂文庫美術館で一度きりだ。行ったんだよ坂道上ってさ。
それがついにアクセスのいい太田で開催された。行った。うーん、なぜあんまり評価されないかがちょっと分かる。あまりに手広い。そしてあくまで国貞は浮世絵師。画業において「アーティスト」のような起伏があまりないのだ。北斎なら若い頃から晩年までのドラマチックな変遷があるし、晩年の肉筆なんぞは「到達点」を感じさせる。しかし国貞は若い頃からほとんど完成され、変遷が目立たない(まだあまり分かってないのかもしれないが)。国貞は「アルチザン(職人)」なのだ。本人は下絵のスケッチ程度で、あとは弟子が描いてたかもしれん(そんな下絵も展示してる)。工房作でないと数万点ともいえる点数は生み出せない。しかし君ぃ、それを聞いて行かないのは実に実にもったいないよ。ここには江戸浮世絵絶頂期の最高の技術がある。表現力がある。その精緻さは今では再現できない。知らぬ者は行くがよい。君はまだ本当の江戸浮世絵を知らないのだ(まあ、この言い回しは春画にもよく使われるけどな)。

展示室最初の肉筆画。画力も相当あったと感じさせる。「打掛を直す美人」の梅の木の模様が入った着物。うまかろう。あとは年代順で。「新板江戸名所八景一覧」大判五枚続きを23歳ぐらいでもうやってる。タイトルが長いんで略すが成田山不動座像の変則的な紙の使い方が面白い、「四天王蟷螂退治ノ図」という武者絵のダークな感じ。そう、武者絵もこなせるのだ。「娼家内証花見図」の浮絵表現も不自然さがない。

2階に行くと「水無月 富士帰夕立」での雨模様の表現が冴える。「江戸八景 本母寺暮雪」では雪景色。いずれも美人と一緒。国貞美人というのは、幕末のちょっとキツい系で、ちょっととっつき辛いのだが、まあ当時はそれが流行だったんだね。あーでも最初にあった肉筆の「柳下美人」あれはきれいでしだな。それからデザイン的に凝ったという話もあり、鏡に映る姿を描いたり、羽子板状のレイアウトに描いたり、あと、北斎がやった洋風表現をやってみたり(額縁を描いたり文字を横に並べて外国風)。まあ決して「洋風」って感じでもなかったが、でもシルエットだけで描くなんてことは普通にできているよ。あと光の表現にも新しいものにチャレンジ「二見浦曙の図」の光線を伴う朝日。2階建ての建物を描いて、そこに人物(役者)を配置「深川新地五明楼」。あと、「江戸美人尽」という下絵集がある。表現したいものを描く、というよりも、やはり職人仕事の描線という感じがする。弟子がきれいな描線にしたり、着物の柄を描いたりしてできあがるわけだ。

師が初代豊国であり、死後二代目を名乗ったが、正確には三代目なんだって。地下は広重とのコラボが多い。名所の広重、人物の国貞、その最強コラボであり、国貞の役者絵などに叙情的背景を広重が追加するのだ。当時の役者が分からない今となっては、広重の名所の方がグッとくるのだが。ただ、このあたりになってくると、なんとなく飽きてくるのは、アーティスト的な変遷を感じられないからだろう。常に「いい仕事」をする職人であった。広重の死絵(死後に描かれる肖像)を国貞が描き、国貞の死絵を歌川国周が描いていて、それが出ている。

四期に分けて展示替え。いろいろ細かいがWebサイトで出品リストをゲットできる。
http://www.ukiyoe-ota-muse.jp/H261011utagawakunisada.html

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