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2014年11月30日 (日)

リー・ミンウェイとその関係展(森美術館)

ギロッポン! この企画に行くのをなーんとなく渋っていたのは、なんか花をもらって、それを見知らぬ誰かにあげなきゃいかん、という作品がある、という情報を得ていたもんで、わたしゃそんなハッチャけたことはできまへん。ポエトリーパフォーマンス上、知らん人に話しかけたり指示したりすることはあるんですが、それはそれなりの場であるし、こっちもそれなりのテンションが上がっているのです。だから、客として行って、その場で踊る(パフォーマンスとして指示されたことを実践すること)ならまあともかく、全く別の場所で踊れっていうハードルは高いよなあ。つまりコミュニケーションなどがテーマで、誰とも関わらずコソコソ見て回りたい向きにはどうかなあ……と思ったりしていた。

でもまあ、行ってみた。当然、アーツセンターでやってるティム・バートンの方が混んでるが、それを横目にGO。最初にプロジェクト「女媧」という女神を描いた凧を揚げて、その糸を切るとか何とか。その凧。それからプロジェクト「繕う」。これは持ってきた布とかに、カラフルな糸をつけてくれる。壁に糸巻きいっぱい。それがテーブル上の布に繋がってて壮観ですな。次、拾った石と、それを模したレプリカ。それができた時が記されていて、片や紀元前何千年、片やこないだ、とかで妙な気分になりますな。それから、有名な水墨だかを何人ものアーティストに自分のスタイルで模してもらうって企画。一つの作品が不思議な繋がりをもたらすってわけだ。

それからクラインの何とかとか、白隠とかジョン・ケージとか、リー・ミンウェイが影響受けた人の作品展示。うーん禅的な視点。ケージって竜安寺の庭にあんなこだわってたのか。両案にhs見たことあるが、確かにあれは、何か言いたくなる。あとクラインってあんな音楽作ってたんか。あとは……誰だっけ、小沢剛? 例のベジタブル・ウェポン……うむ、例のと言いつつ他に知らん。面白かったのは田中功起の「どれもこれも」。板前の職人の巧みな仕込み風景が延々流れる。特に何も完成せず延々。

次に「ともに食す」として客の誰かと一緒に食べるパフォーマンスのステージ。「広がる花園」これが例の、花を持って誰かに渡すってんだけど、一応花が飾ってあって、やりたければ持って行ってね、という形態なので、まあよかった。「いっちょやったるわい」って花を取ってる強者もいなかったようだ。あと「ともに寝る」というのがあって、ベッドが2つある。アーティストと一緒になんとここでご一泊できるんだぜ。応募できるよん。面白そうだが、アーティストと一緒に、というより美術館内で寝たいって魅力の方が勝ってしまうが。コンセプトとしては場より人、なはずなんだよね。

次は何だ、子供の頃からの写真だったかな。ここはちゃんと見ていないや。それから「布の追想」紐付きの箱を開けると、中には思いでの布地とその解説というかドラマが書いてある。何よりも……いい箱使ってるな。しかし紐をほどいたら元に戻すのが難しい。スタッフがやってくれる。それから「手紙をつづる」誰かに宛てた手紙を書こう。見てもよければ封開けといてね、住所書けば出してくれるよ……できたら棚(というか展示スペース)に並べて置いておいてね……うーん、何か書こうかな、と思ったが結局書かなかった。家の子供等に書いてもいいが、ひとときでも住所氏名書いて晒して置いとかないといけないのね。ちょっとためらっちゃうの。他の人のを見ると月並みに「お母さんへ」とかそんなのが多い。中は見なかったな。次「砂のゲルニカ」。デカい砂絵のゲルニカを描く。それを歩いて乱す。見たのはもう乱したあと。次「リビングルーム」くつろげます……おお、その奥に「水の星座」ってのがあったのか。なんだこれ見てない。何しろ解説の紙の字が小さいもんで、見落しちゃうんよ。

http://www.mori.art.museum/jp/index.html

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2014年11月29日 (土)

ウィレム・デ・クーニング(ブリヂストン美術館)

現代美術館だったかな、相当前に「サム・フランシス展」というのがあって、割と期待して見に行ったんだけど、最初のほうは面白かったんだが、どの絵もなーんか同じようでね、1枚見る分にはいいんだけれど、まとめて見てもなんかつまんねーなー、という画家が存在するとその時知った。で、クーニングもそうなんかなーと思い、期待はボチボチ。現地へ行ったら展示室2つだけ……が、しかしなんとなく、いやなかなか面白かった。

どの作品がどうこう、というのはもうどうでもよくて、クーニングはほとんど「女」ばかり描いている。それも半抽象で、肌色はなんとなく分かるんだけど、あとは顔や体がなんとなく分かるぐらいで、何描いてんだかよく分からない……が、しかし不思議なことにどの絵も「女」を感じさせる。うむむなんでかな?

クーニングはなぜ女ばかり描いたんだろうか。思うに、芸術のためである。芸術家なんだからあったりまえじゃねーかと思うかもしれないが、いや、それがさ、多分絵なんて描くよりも今すぐその目の前の女に飛びつきーの押し倒しーのしたいのである。しかし絵を描かねばならんのである。くそぅ、オレはもうギンギンにタギっているのによう……いや待てよ、ここでふと気づいた。おお、この本能的な衝動を絵にできないものか。いい絵を描くには冷静でなければならない、が、実は冷静さを失った場所にこそ真の力があるのではないか。その力を表現したいではないか。おお、オレを誘惑し、魅了し、興奮させててやまない女という生き物よ! これを描かずして何を描く? 魅了され、誘惑され、絵なんぞ描くのもアホらしいという激しい思いをいざ描かん! ……なんてクーニングが考えたかどうかは知らんが、まあ概ね外れてないと思う。クーニングの絵を見ていると、男として時に共感の感情が生まれるではないか。女への暴力的アプローチと誘惑体としての女性賛美がごっちゃになって、その絵は実に「女」だ。男にとって女とは何か? これだ! 

とまあここまで書いて、お前は勝手な解釈しないで、もっと本読んだりして勉強して書けよとか思う御仁もいるかもしれないが。研究者じゃねーんだから、勝手な解釈してナンボさ。美術作品を見たなら大いに自分勝手な解釈をすべきである。好きにやっていいんだ。美術館に来たなら楽しまなくちゃ。それが美術鑑賞だ。そして重要なことは、優れた美術作品は、君のいかなる勝手な解釈にもちゃんと応えてくれるであろう。

クーニングが2室であとはおなじみ常設展。ここの常設は定期的に並べ替え切り口を変えして、その努力は素晴らしいんだが。やっぱりなんか……個々の作品に飽きとる。でも、新作もいくつか入ってたよ。私が賛美して止まないザオ・ウーキーの作品いくつかとも何度目かの再会。前も書いたかもしれないが「24.02.70」は実に光を感じさせる。ザオ・ウーキーは絶対的に素晴らしいと思っていたのだが、前にツイッターで「ピンとこなかった」というレスをもらって驚いた。そうか、やはり、美の感覚にゃ個人差があるのだ。

http://www.bridgestone-museum.gr.jp/

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2014年11月22日 (土)

デ・キリコ(パナソニック汐留ミュージアム)

デ・キリコは私が初めて魅了された画家の一人なのだ。実家にかつてのキリコ展の図録があり、何かと見ていた。高校で机に落書きしたのはイタリア広場であり、建築学科の設計課題でイタリア広場の塔を使い、卒業設計でアリアドネを用いた。いずれもキリコのモチーフであった。人生何度目かのキリコ展だが、何か原点に帰る気分がする。会場が狭い割に点数が多いぞ。

形而上絵画(メタフィジカ)の絶頂期は早かった。今回の展示では序章に当たってしまうのだが、1915年から1920年ぐらいかな、あとはオワコンだった……というのが定説。でも実際のところ、どの時代もなかなかに面白い。序章では4作品。「謎めいた憂愁」のヘルメス像の顔がよい。異様な空間にいい味がつく。

次の章は古典への回帰。一応マチエールなどにこだわってたようだが、やはり初期のキレのある空間が好きな人にゃあ退化した印象を受けるかもしれないし、多くのシュールレアリストもそう感じていたようだ。しかしなんとなーく分かる気もするのは、オレだって一応創作者だからな。なんか奇をてらった天才的アプローチばかりしていると、何かあえてセオリー通りの、正攻法でやりたくなるんよ。なもんで、ちょっと異様な古典風がむしろ面白い。逆に「谷間の家具」みたいな、今までの延長っぽいものはむしろつまらん。あとは習作が並ぶが、あんまし見てない。

ネオバロックの時代。古典風とちょっとシュールがいい感じで融合していて、私は嫌いじゃないがね。「海岸の二頭の馬」がいい。まるで光と影が並んでいるかのようだ。普通の光景を描いていても、どこか超現実を感じさせるのはキリコ以外ではバルテュスぐらいか。「秋」が意外と面白い。一見普通の裸婦画なんだけど、背景を見たまえ。木があんなに小さく、道がうねっていて、あえて遠近を狂わせた。なんとこの裸婦が「進撃の巨人」に見えてくるではないか(こねーよ)。メインモチーフが何やら巨大になっているのでは静物も同じで「赤いトマトのある風景」や「田園風景の中の静物」もちょいシュールになっている。風景画「ヴェネツィア、パラッツォ・ドゥカーレ」はさすがに普通すぎ。「ノートルダム」はまあまあだな。

その後、キリコは再び形而上を極め始める。やっぱ自分はこれだな、という感じで。「イタリア広場」はいかにも正当キリコワールドで、塔、二人、建物、汽車(丸い煙がキュートだぞ)と、嬉しいモチーフがいっぱいだ。あと輪回しの少女とか、アリアドネとか、煙突とか、出てきてほしいね。煙突は隣の絵にあったかな。「古代的な純愛の歌」や「不安を与えるミューズたち」は昔のリメイクで、それ以上でも以下でもないな。いや、悪くはないけどね。「ユピテルの手と9人のミューズたち」こういうの結構好きだね。何だったっけな、真ん中に「ごちゃごちゃ」っとあるやつ。逆にマネキンものはオレあんまり好きじゃないの。

最後に永劫回帰のコーナー。うん、ニーチェですな。ここでオレの好きなモチーフ。「太陽の寺院」このひもで結ばれた太陽と黒太陽。こんなにイメージが明確で妙ちきりんで、愉快なものはないよな。何だよこの触手の生えたような太陽と黒い太陽ってシロモノは。でも好きだ。うーんすげえ好きだこれ。隣の「鴨のいる神秘的な水浴場」の水面のギザギザも好きなんだよね。街が集まって馬の顔、も悪くない。

絶頂期の初期は少ないが、キリコワールドは堪能できる。
http://panasonic.co.jp/es/museum/exhibition/14/141025/

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2014年11月14日 (金)

ミレー展(三菱一号館美術館)

しかしボストン美術館のってこないだまで北斎展やってたんでしょ。行かなかったけど。なんちゅーか持ってるねえ。
日本でも人気のミレー展だ。ミレーといえば、あの「晩鐘」の「ぶわっとした感じ」しか思い当たらない。6つに章立てされてるけど書き写すのがめんどくせえ。

最初に自画像があって、なんだ意外とシャキッと描いてるじゃないか。それから亡くなった奥さんの絵とか。
次が「フォンテーヌブローの森」あー行ったんだよあの近所。12年ほど前に。記録を見たら、森ではなくてフォンテーヌブロー宮殿に行ってるんだけど、イタリアのパチモンであるベルサイユのさらにパチモンみたいなしけた宮殿だったな。まあいいや。森でモリモリ描いてた連中の絵が並ぶ。私の好きなクールベさんが一枚あるが、なんかイマイチだった。自然界の凄味をくれ。テオドール・ルソーは手堅くいい。コローが何枚かあるが、「ブリュノワの牧草地の思い出」がコローらしく森に囲まれた感じがいいね。あとは「森の空地で水浴する人々」神話っぽく灰色っぽく印象派っぽくて何とも言えぬ。いや非常にいい絵だよ。あと「花輪を編む若い娘」うむ、これは前に見たような気がする。珍しく人物画だ。ドービニーやモネもあるが1枚ずつ。

「バルビゾン村」コーナー。行ったよバルビゾン村。しけた村だった。まあいい。ここからミレーが見れーる。「刈り入れ人たちの休息」なんとまあ、人々をうまく描くことよ。イメージも明確だ。巨大積藁はさておき。それで、その隣「種をまく人」なんちゅーか有名すぎて新鮮味も無いと思いきや。解説にある通り「力強く種をまく」というのがよく感じられる。それにしても画面が暗いが、これは夜明けか? それにしてもこの絵、見るほどに何となく力が湧く感じがするな。「馬鈴薯植え」うーん、普通すぎる。あと「羊飼いの娘」おお、これは初めて見るな。うむ、悪くはないが……まあいいや、次、何とかって画家の犬の絵とかキツネの絵とかあり、部屋を移動。ミレーの農民を描く小さい絵が3枚。小ねえな。おっとコロー「草刈り」これ娘っこの絵なんだけど、なかなか生き生きしてていい。これがコロー好みなのか? ミレーに戻り「洗濯女」おお、これはっ。黄昏の風景が美しく、なんというか、農村で働く人に対するリスペクトがひしひし感じられる。そうか労働者萌えという感じだな。「牛に水を飲ませる農婦」が2バージョン。

それから次の部屋で家庭内の風景。それぞれ絵は小さいが、小さい一部屋全部ミレー。階を移動して、ミレーに関係ある日本の画家。バルビゾンに行き、ミレー風の絵を黒田清輝が描いている。浅井忠「花畠」には驚かされた。何に? 絵を守る「低反射ガラス」なのだ。正面から見ると、何も置いてないかのように見える。あとはルドンの「グラン・ブーケ」今回も出ているゾ。

部屋を移動。またミレーの農民の絵がいくつか。ミレーの影響を受けたイスラエルスの絵が2枚。「別離の前日」とか。これがレンブラントの影響も受けてて、光と陰の感じがいい。なんかミレーよりオレ好みだじょ。あとはレルミットの「謙虚な友(エマオの晩餐)」これもキリストを見て驚く人々の表情ナイス。最後の方にまたミレー「木陰に座る羊飼いの娘」うううむ、なんかさー、ミレーはよく女性描いてるけどあんまし色気が無くね? キリスト教的というか、いやキリスト教絵画だって、もっと悶々と裸体画なんぞ描いてたような気がするんだが、ミレーの絵って労働者萌えだから、働かぬ者に魅力なし、女も働けばええのや……なんて考えたかどうか知らんが。「ソバの収穫、夏」という大き目作品で終了。

売店を見たらオリジナル麦チョコが一袋540円ですって。いくら包みの袋が穀物袋みたいに凝ってるからって、スーパーで100円で一袋売ってる麦チョコですぜ。
http://mimt.jp/millet/

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2014年11月 9日 (日)

夢見るフランス絵画(Bunkamura ザ・ミュージアム)

実はあんまり期待してなかったんだが、なかなか、いや非常に、いやオレにとっては非常によかった。何しろヴラマンクが何枚もあったからな。

最初は印象派から、セザンヌ「大きな松と赤い大地(ベルヴュ)」なんだけど……うーん、なにこの「オレでも描けそう」感は。もちろん描けないと思うんだけど、精緻なわけでも色彩が見事なわけでもないのだが。セザンヌは静物の凄さは分かるが、どうも風景は猫に小判だにゃ。シスレーがあり、モネが何枚も……もう飽きたが……「エトルタ、夕日のアヴァル断崖」はイメージが明確でやや新鮮か。「睡蓮のある池」がちょっと渋めでいい。ルノワールは何枚かあるが、とりあえず「花をつむ裸婦」のデブ専っぷりは好感が持てる。「タンホイザーの舞台」2つも甘めでよろしいが、あとのは……うーん、「宝石をつけたガブリエル」も「ド・ガレア夫人の肖像」もイマイチだなあ。なんかルノにしちゃキレが無い(という形容も何だが)という感じだ。マルケ「ナポリ湾」の光る海っぷり、、いいだろ。

が、しかしお楽しみはここからだ。遠目でも分かるあのモーリス・ド・ヴラマンクがずらっ! うおおおっ。オレはヴラマンクが好きだ。というか、なんであんまり人気ないんだよ。納得がいかねえ。再評価せよ。思うに、おめーらヴラマンクを見る際に、通常の1mぐらいからしか見てねーんだろ。あとそれ以上寄るとか。それじゃ絵具のくねくねしか見えねーよ。ヴラマンクは最低2m離れて見るべし。荒々しい描画だが実は写実。見たまえ「カシスの港」の見事な構成を。「雪の道」のユトリロも蹴落とせる叙情を。「風景」にけおける光をはらんだ空の雲の見事さを。その光の捕まえ方を! 客を見てると何割かは一応分かってて離れて見たりするが、寄りっぱなしで通過して終わりのヤツも多い。この愚か者があっ! ヴラマンク、花瓶と花もあったが、やっぱ風景の方がいい。次、ドラン。「森の妖精」これも遠目でいい系。ルオー……とても優れた画家だと思うが……なんか飽きた。パナソニックでずいぶん見たもんなあ…… 次、デュフィ。オレはカレンダーを買ってたほど好きなんだデュフィ。名作「エッフェル塔」がある……んだけど、これは……認められん。なんか色がくすんでいて、デュフィの良さが感じられない。何しろ遠目で汚すぎる(前もこう書いたな)。ブラマンクと逆なのが面白いが。デュフィはもう一枚あるけど消化不良。

次、エコール・ド・パリで、ユトリロ……いつだってあのユトリロ。飽きた。あと金のために描かされた晩年を思ってしまう。が、「アミアンの大聖堂」が意外と丁寧で恐れ入る。キスリング、「魚のある静物」はちょいキモい。花の絵はどれも美しいが、ミモザはもっといいのがあるぞ。あと人物。好きだな。「裸婦」を見ているとデルヴォーの裸婦とかぶってくる。傾向が同じなのだろう。次、レオナール・フジタ、やっぱ「人魚」いいよな。ナマズがいいよな。モディリアーニ「バラをつけた若い婦人」おや、珍しく目が入っているよ。あとローランサンとシャガールはいつものやつ(何が?)。特にローランサンは同じ語り口なもんですぐに飽きてくる。

にしてもショックなのは、ヴラマンクがポスターはもちろん複製画も絵ハガキも無いのだ(まあ、あっても別に買わないんだけども)。いったいどうなってんだ? あまりに知名度が無さすぎる。
まあ、私が最高の抽象画家と称えているザオ・ウーキーも、何がいいのか分からないって人いるからなあ……
http://yumemiru2014.jp/

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2014年11月 2日 (日)

「キャラクラッシュ!」(カオス・ラウンジアトリエ)

カオス・ラウンジは今までノーマークだったが、これの一件でなんとなく足を運ぶことにした。ちなみに「えりこ展」にも足を運びたいと思っているし……いや、行く。

結果から言うと、あんまり面白くなくて、数年前に行ったTATのつまらないフロアを見たような気分だ。なんでだろう。三毛あんりが何枚もあるが、一枚だけ見るとなんとなく面白い。ただ、多分同じ切り口で何枚も描いてるんだろうなあと思ったらその通りだったりする。乙うたろうのマンガ目玉の陶器も、ああこれ村上隆のアレだよなあアレはでも村上で終わってるよなあとか思ったり。サエボーグの乳首豚も、一件刺激的だがなんか狙ってんだろこれ、みたいな印象以上でなく。一番よかったのはク過群「プール掃除」制服に病んでいる雰囲気が感じられてオレは結構好きだが、これも中村宏のセーラー服病にはとても及ばないだろう。しかしこうして形を取っているのはまだいい。

岡本太郎に「芸術は爆発だ!」という名言があるが、岡本には基礎とスタイルがあって冷静に爆発している。基礎がなってないのに「うぉりゃあー!」とか言いながらシッチャカメッチャカにまき散らしたって、それは単なる爆発でしかなくて芸術でも何でもない。最近私は「プリミティブ(芸術的衝動)」という概念にこだわっている(つもりだ)が、芸術的衝動は意外とまとまった形を取るのであって、破壊やらまき散らしは実は芸術的衝動でも何でもなく、それを芸術的衝動だと思いたい奴が長々とそれっぽい理屈をこねる。要するにそんな作品がチラホラ見受けられる。数年前のTATでは嫌というほど目にした。もう、うんざりだ。梅田裕「にがびゃくどう」はツイッターで会田誠も絶賛してるようだが、オレには何がいいんだかサッパリ分からない……いや、置かれているものに全て意味があり、深い作品なのかもしれない。でもオレにはゴミにしか見えんのよ。見えんのならばその作品はそういうものなのだ。

しかし安心していただきたい。オレはゴーギャンが心血注いだ最高傑作を前にして「なんじゃこりゃ」としか思わなかった人間なのだ。

多分「えりこ展」の方がプリミティブで見応えあるだろう。

「キャラクラッシュ!」は明日……今日か。今日までだ。
http://chaosxlounge.com/archives/1390

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