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2014年12月29日 (月)

俵有作展(練馬区立美術館)

知らんかった人なんだけど、あえてホイッスラーの次の日に行ったのは、なんとなく水墨画というものが見たくなったもんで、かといって中国のって気分でもないし。また「レオナルドを慕い、山水に遊び、ミショーを想う」のサブタイトルが気になるぢゃないか。ホイッスラーは日本に影響されていたんだから。

最初に墨で書いた「一」(文字通り「一」を書く)が並んでいるが、先に薄墨で影のようなものを描いて、その上に「一」と描いてあるもんで、ちょっと立体的に見える感じがおもしろい。それから曼荼羅シリーズみたいなのがあって、水墨の塊みたいなの(?)が縦横にレイアウトしてある。うーん、これがこの人の曼荼羅なのか。他に書だか画だか分からんののが並ぶ。「宙」という作品のがあって、これも水墨の雲が行く感じ。それから風景の水墨画があって(待て、「山水画」って言うよな)、「瀧」とか「すぺいす」なんてのがあるのね。「すぺいす」は日の出か日没かってなもんで、いずれも隅の濃淡で表現しているもんで、昨日のホイッスラーの「ノクターン」を彷彿とさせ……うーん、やっぱホイッスラーのがすげえな。いや、こっちも悪くないんだが。あと「無題(大平原)」というのがあって、中では大きい。ふふーん、なんか、ザオ・ウーキーが見たくなるような、東洋的抽象だな……え? なにこれインクジェット印刷だと? その原画が隣にあるんだけど、えらく小さいの。ほう、こういうド拡大する表現方法もあるわけだ。さっきの「瀧」も2つのうち一つがインクジェットだった。終わりの方には「扉シリーズC」なんていう、現代アートっぽいのもあり。

「無題(Leonardo da Vinchを想うてシリーズ)」ってのがあって、これがダ・ヴィンチの素描に触発された描いたものらしい……期待しちゃったが、まあ、どこがダ・ヴィンチなのかな、という感じもしないでもない。

ワンフロアだけなので、大量というわけではないが、無料でこれだけイケるのだ。
http://www.city.nerima.tokyo.jp/manabu/bunka/museum/tenrankai/tawara.html

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2014年12月27日 (土)

ホイッスラー展(横浜美術館)

いつの間にか、みなとみらいには建物がボコボコ建っていて、これみんな人が入るのかね。大丈夫なのかとか思ったりする。はい、横浜美術館。ホイッスラーといえば、なんか中学か高校かの英語の教科書に出てたんだよなあ。日本の絵の描き方を持ち込んだとかなんとかで。だから、何となく知ってるつもり。

最初は人物画コーナーで、まず自画像から。ほう、レンブラント風か、と思ったが、それ風の帽子かぶってるだけだったりしてな。油彩が2枚ぐらいあってしばらくエッチングが続く(※エッチなことをしてる絵ではない)。それから、おぉ、あのMrビーンの映画で出たヤツがあるじゃんと思ったら、「灰色の黒のアレンジメントNo.2:トーマス・カーライルの肖像」だって。モデルが例の絵を気に入り、同じような角度と色合いにしたらしい。例の絵ってのは有名な「母の肖像」な。なんかこないだ見たよな。で、その隣は「灰色の黒のアレンジメントNo.3:スペイン王フェリペ……」ああもうタイトル長いな。まあラフな描線でうまく描くこと。その隣「黄色と金色のハーモニー:ゴールド・ガールーコニー・ギルクリスト」。ほほぅ、なかなかキャワイイ娘を描くではないか。脚もきれいだじょ。が、しかし……なんか変だな。違和感がある。縄跳びやってるみたいなんだけど、縄跳びやってる感じがしないぞ。ここで直感! ホイッスラーって実は人の動きを描くのが苦手なんじゃね?(鑑賞においてはこうした直感を最重要視すること) いゃあ、まさか。あれだけデッサンもリアリズムもやってるじゃん。それはねーだろ。しかし他の絵を見てみると、うむっ、やっぱ座ってるか立ってるか寝てるかの絵しかないではないか。唯一動いているのがこの娘だけなんだな。うむむ、やっぱり、やっぱり…… まあいいや次行こう。「アナベル・リー」がムンク風なのは気のせいか。「小さな赤い帽子」ほほー、裸体が見える透け衣装だな。あとで分かるが、この手のがいくつかある。あー、もしやホイちゃんは透け衣装好きなんじゃねーの? やっぱ全裸より透け衣装だよなあイッヒッヒ。それからしばらく肖像とか。

風景画のコーナー……なんかあんまおもろない。なぜだ? 解説には俺の好きなクールベさんの名もあったではないか。リアリズムのはずではないか。そうか都市風景なのか。クールベさんは自然界か人物かをリアルに描いてたんだ。だからリアルな深みを感じるのだ。都市風景はなあ……何だかなあ。そんな感じでだらだら進み、いいと思ったのは「肌色と緑色の黄昏:バルパライソ」だ。この霞のような空気感はいいね。

それからコーナーを出ると「ピーコックルーム」の映像部屋がある。どこぞの金持ちのための部屋の内装を依頼されたが、いない間に好き勝手に改装しちゃった。その人とは仲違いをしたが、部屋は壊されずスミソニアンに寄贈となった。部屋の壁は3面の映像で見れるが、見ところである天井の孔雀模様が見れねえだ。天井に映像は映ってねえしな。

さていよいよジャポニズムのコーナー。ここからやっと、我らが知ってるところの浮世絵風エッセンスを入れたホイッスラーになってくる。「リンジー・ハウスから見たバターシー・リーチ」は、なかなか江戸浮世絵の「あの」雰囲気がでているじゃないか。ゴッホよりエッセンス取りがうまいぜ。女性像もあって「白のシンフォニーNo.3」は白い衣装で透け衣装じゃない。そりゃまあ「白の」だもんな。「三人の女性:ピンクと灰色」は透け衣装全開だぜっ!(そこしか見てねーのかよ)。それから浮世絵風エッセンスの風景画で、比較用の実物の浮世絵が並んで出ているあたりから、いよいよホイッスラーの本領発揮だ。「幅広い橋」や「背の高い橋」もいいけど、やっぱし「ノクターン」シリーズ4枚。夜の風景だ。広重の浮世絵や、水墨画のエッセンスを消化吸収してから生み出した、夜の風景画の傑作。特に「ノクターン:ソレント」「青と銀色のノクターン」。青と黒の間の世界、小さく黄色い灯火。全体のこの絶妙な色あいはどうだ。おお見事じゃ。この4枚だけで元は取れる。有名なのは「オールド・バターシー・ブリッジ」だな。橋のふもと。船と人物の影にも注目されたい。

あとはゆかりの品とかで、それはまあどうでもよかった。
http://www.jm-whistler.jp/

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2014年12月20日 (土)

内藤礼 信の感情(東京都庭園美術館)

長らくリニューアル工事をしていたが、ついに先月、完成に至り、お披露目の最初の企画。今までの本館だけでなく、新館ってのができたの。いや前からあったよな。でも新しくなってんだぞ。で、内藤礼の作品は、本館においては建物が主役ってんで、そのリニューアルお披露目のじゃまをしないように、こっそりひっそり置いてある。

まー、庭園美術館は今まで幾度と無く行っているし、建物だけの時も行ったことがあるもんで、今更この建物がどうということはないだろうなあ、と思っていたが、やはり展示物が無いと、内装のアールデコ調の、あれやこれやがよく分かる。あと、家具もいくつか置いてある。それから、部屋が2つほど、新たに入れるようになっていた。内藤礼作品は、主に鏡の前にちょこんと立ってる小さい木の人形だ。

建物に関する解説がいろいろあって、ビデオもあって、いちいち読んでないし見てもいないんだけど、ま、今回、当時の工法を忠実に職人が再現したというところでしょう。部屋の見どころを書いた資料もくれるよん。あと、企画展の時はカーテンで覆ってあって、そこに作品が置いてある窓なんぞも今回は開放中だ。おお、この窓からはあっちが見えるのか、という新鮮な気分だぜっ。でも3階は今回は行けないのら。

新館へ移動。ここにギャラリーがある。で、内藤礼の企画をババーンとやっているわけだ。なんだ、これなら確かに本館にちょこっとしか無くてもオッケーだな。で、中に入った…………ううっ、こ、これはっ……ただならぬ試され方をされる。何があったか? 書いちゃおうかな。書かない方が面白いかな。書いちゃうけど読みたくない人はここでやめて、今すぐ庭園美術館にGOだ。あーそうそう、ここで本館内のどこに人形が置いてあるかの地図もらえるよ。見落としてたら探してみよう。子供連れて探し物で遊んでもよい。あと、子供連れには今回、ウェルカムルームってのができてて、遊べるもんが置いてあったじょ。

さてさて、ギャラリーにあったの内藤礼作品は、なんとキャンバスを真っ白く塗っただけの作品群だっ。あと鏡を見ているちっこい木の人形一つ。それだけ。木の椅子があって適当に動かして座って見れる。ううむ、しかしこれはどうしたものか? 正攻法で行くなら、内藤礼の作品を年代順に学習し、恐らく基礎的な何かから始まるであろうから、いかにここに到達するか、いかなる制作意図を込めているかをしっかり学んで理解することである。モンドリアンはこれで行け方式な。でも今、君の手元に資料もなければネットもない(スマフォがあるかもしれないが)。第一メンドクセー。そんな優等生みたいな鑑賞してられるかっ。従って君は(というかオレは)勝手な消化方法を始める。前も書いたが、実はこれこそが美術鑑賞の醍醐味なのだよ。人の解説より、作品と対峙した時の内なる声を聞きなさい。えー聞きなさいったってよー こう、真っ白じゃなんも出ないっすよー 河原温の日付絵画よりムゴいじゃんかよー ええいこの愚か者がぁっ! もう一度ギャラリー入口から入り直せ。入って部屋を一望し、髪をかきあげて呟け「インターナショナルナイトーホワイト」。ナニかきあげる髪が既にホワイトだと? そんなことはどうでもいいのじゃ。あるいは、据わった目をして歩き回り、床の内藤礼人形を蹴倒して通報され、ダブルピースで「しぇしぇしぇのしぇー!」と叫びながら連行されるのも一興だ(一興じゃねーよ)。または同行者に、「これはバカには見えない絵なんだぜ」と真顔で言ってもよい。あるいは内藤礼人形が鏡と対峙してることに注目して、この白い作品は、君の心の鏡と見立て、様々に想像してみよ、というメッセージを受け取ってもいい。あるいは、ジョン・ケージの「4分33秒」のごとく、これは鑑賞者の行き来が作品の一部であることを強調したものである、ととらえてももよかろう。あるいはもう一つの正攻法として、「何も描いてないじゃんか、金かえせっ!」と学芸員に詰め寄ってもよい(よくねーよ)。いずれにしても、ため息混じりに「現代アートは分からない」と言って引き下がるのはやめろ。それでは負けだ。君はまだ負けるような人間ではない。

新館にショップとキャフェがあるよ。
http://www.teien-art-museum.ne.jp/

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DOMANI・明日展(国立新美術館)

文化庁芸術家在外研修の成果……なんていうのはどうでもよくて、何となく今時の人々の作品をそこそこ見れるってんで、このDOMANIとかVOCAとか、割と毎年、行ってる。DOMANIは絵画だけじゃなく、立体とか、アニメとかもあるのだ。
美術鑑賞者たるもの、先入観をもって作品と対峙するのは恥とせねばならぬ。が、相手が超有名どころだとなかなかそうもいかない。有名だから感動するに決まってる、とかさ、そういう精神で見るのは嫌だよな。なもんで、こういう、そんなに有名じゃないんだけど、割としっかりした作品と対峙できるのは幸せと言わねばならぬよ。
しっかし美術鑑賞好きだから美術の本いっぱい読みますって人も多いけどさ、先入観に汚染されるって気はせんのかね。作品をめぐる物語を一緒に味わうってのも、そりゃありなんだけどさ、それだけでいいのか?

まあいいや、最初、奥谷太一。うん、人物いろいろ。次、北野謙、写真だよ。写真はアウェーだからなあ……でも長時間露光もんで面白い。太陽が光の線になって地上に落ちてるのと、月を自動追跡して(かな?)、地上の建物をちょっとブレさせるの。異様な建物風景。あと人物のもあるよ。次、紙川千亜紀。元はテンポラリージュエリー(だっけ?)なんだけど、紙に絵を描いた展示。立体にもしてる。いわゆるサブカルマンガっぽい雰囲気なんだけど、この手合いでよくあるストレートな性的表現が無いのはいいよな。文化庁だからか? いや、そういう表現がいかんってんじゃなくて、それだとかえってありがちになるのさ。次、小林俊哉。花とか花びらとか小鳥とか蝶とか、それだけを丁寧に描く。特に花びらのは、河原温の日付絵画の丁寧さを思い出しちゃったな。次、関根直子。抽象画……ううむ、黒地に白のヤツはもう少しなんとか細かくというか、華麗にならんのか……いや、あえてこういう作品なんだろうけど。次、岩崎貴宏。ぬおお! 今回の一押し。雑巾の繊維で、工場のプラントやクレーン作っちゃったぜ。まずはプラントの面白さによくぞ気づいた。パイプやタンクや鉄塔が入り乱れるあの姿はワクワクするよな。それがなんと雑巾の上に乗ってる。繊細極まりないバカテク。木彫の上下対処建物もあって、こっちも細かいけど……やっぱプラントだな。

間の通路で、作品以外の活動の紹介。見てあげなきゃ! ……でも見なかった。ごめん。

後半、まず青木克世。白い陶磁に魅せられて、作りましたよ。ほらあのヨーロッパとかの額縁とかのさ、あのなんかウニャウニャしたヤツ。あれいいよな。じゃあ、あれだけで作ろう……と、白い陶磁をてんこ盛りにして作った異様な立体作品「LoomⅡ」「LOOMⅢ」。まじなんじゃこりゃ。あと、よく見るとドクロの作品だったり。キレイなだけじゃないぞ。次、古武家賢太郎、うん、色鉛筆か、やるな。次、和田淳。アニメ作品。呪文のような声を効果的に使ったアートアニメだ。次、濱田富貴。モノクロの木だが、ううむ、これで確固たる個性を出すのは難しいのでは、なんか草間彌生っぽいのもあるけど、彌生にはかなわないからなあ。次、梶浦聖子。鋳造作品群。ううむ、普通だ。いや、普通にいいんだけど、オレとしては極端なものじゃないと神経に入ってこないの。最後、入江明日香。ほほう、銅版画コラージュとな。キレイキレイでいいね。女性にしてはスッキリした美しい画面だ(女性作家は割とざらっとした印象のものを作ることが多い……と私は感じているのだ)。「遊蝶花」みたいな女性単体像がいいな。大画面になると……うーん、でもまあこの作風なら広告用アートでもイケそうな感じだ。

以上だ。そういえば、新宿の金券屋で爆安だったのだが……文化庁から流れてきたのか?
http://domani-ten.com/

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2014年12月13日 (土)

東郷青児<超現実派の散歩>と収蔵品展(損保ジャパン日本興亜)

東郷青児といえば例の人形だか人間だかよく分からない女性像を思いつくが、私はそんなに好きではない。どうして「ああ」なったのか? それが何となく分かる企画。収蔵品展だから安いぜ。

展示は東郷と収蔵品を年代順に平行しつつ。まず岸田劉生のゴツい「自画像」なんかがあったりして、東郷はまだキュビズム風の「コントラバスを引く」や「スペインの女優」とか「バンティミーユの女」とか、女性が題材でもごく普通の、モンパルナスが似合いそうな雰囲気で描く。ただ、この時点ではフランスにはまだ行ってないようですな。この辺はまだ普通の画家だ。

それから展示は唐突にルオーの「悪の華」に、どうということはないが、骸骨が面白い。 フランスに行ったら東郷「ベッド」とか「裸婦」とか、後の細身の人体からは想像つかないピカソ風のデブ女を描いてる。それから「花を生ける女」みたいに普通っぽいのもあるが、これがなかなかいい。それから東郷コーナーは進み、「窓」これがかなりナイスな作品。自宅はコルビュジェ風にしてたらしいが、この絵が色から何からかなりのコルビュジェ。そうかコルビュジェか。確かに「窓」なんてパクりじゃないかってぐらいコルビュジェじゃん。要するに東郷の例の女性像はコルビュジェから生まれ発展してきたんだ。ここでタイトルの「超現実派の散歩」があるが……なんかどうでもいいあ。さらに女性像がいくつか並ぶ。「微風」を最後に、雰囲気が変わり、例の細身人体に。何が違うか。うーん、目だね。黒目を描いてない。「目力」がないのだ、あえて消してる。これはつまり女性というより女体というオブジェにしている、と私は考える。目は口ほどにものを言うのだが、言わせないのだ。

収蔵品が並んでいて、フジタの「猫と少女」はなかなかよしピカソの「午睡」なんか肉塊みたいで面白いぞ。東郷のはもはや例の調子で「バレリーナ」とか「日蝕」とか見ていると、もはや人間じゃない感じがする。これは「女体」だ。ベルメールみたいに破壊はしていないが、なんか近いものを感じるな。それから東山魁夷の「潮音」が魁夷ブルーか、グランマ・モーゼスがずらっと。あとはいつものセザンヌ、ゴッホ、ゴーギャンで。

くてお得
http://www.sjnk-museum.org/program/current/2163.html

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2014年12月 6日 (土)

高松次郎ミステリーズ(東京国立近代美術館)

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ハイレッドセンターの「ハイ」であるとのころの高松次郎。キャンバスに影だけを描いた「影」シリーズがおなじみね。面白画作家かと思ったら違うんだよ。実は相当頭で考え、理論的に生み出している作品群だ。本人の言葉では、作品は人の内面を表すものであってはいかん、というものがある。ギャンバスがキャンバスを生まなければ。それは私の好きなプリミティブなものとは正反対のものだが、それもまた面白い。

最初は「影」が一つあり、その後こじゃれた間接照明がある、と思ったらこれが作品「光と影」。その理屈は……いや、何か書いてあったけど忘れた。そのあとは、「影ラボ」という、スポットライトで自分に光を当てて「影」と同じ写真が撮れるってもん。ここだけカメラOKだ。いつもは写真撮れるったって「けっ」としか思わぬ私も撮っちまったい(上の写真ね)。この「影ラボ」は4つある。

その後作品を年代順に……いろいろ理屈が解説してあるが難しい。ううむ、どう立ち向かったらいのか? 思うに、0次元(点)、1次元(線)、2次元(面)、3次元(立体)これらを行き来させるうちに、何かの要素が加わったり抜け落ちたりしたところに面白さがある~……と考えればそんなに難しくない。最初の「点」という作品群は元は0次元の点だ。この点を拡張しようと1次元の線を加えていってなおかつ立体的(3次元)にしちまったいってな作品。「脚立の紐」も3次元的な脚立……いや、これも1次元を3次元にしたもんだな……に、さらに1次元の紐が絡まる。「遠近法の椅子とテーブル」。これは一見、福田繁雄ばりの面白立体かと思いきや、パースがかかった2次元の椅子と机の絵が、3次元に出てきたが、パースの要素がそのまま残ってしまった。「ネットの弛み」これで思うのプールサイドに座っていると、下の線が揺らいでいるものだ。2次元が3次元の影響を受けて揺らいでいて、元の2次元部分だけを3次元に救い出したはずが、おっと救いだし切れないまま揺らぎがくっついてきたぞ。「レンガの単体」3次元から0次元要素を抜き出し……とまあそんな次元の行き来を楽しむところだ。

他にもコンセプチュアルな作品が並ぶ。「複合体(椅子とレンガ)」これは椅子の下にレンガが置いてあるだけなんだけで「それが何?」というような印象のものだが、要はそれだけでどっちも通常の存在から離脱させられるのだ、椅子は空間内で椅子として機能できないし、レンガは本来の機能である壁の一部にはなれない。そう、これだけでだよ君。これは実に驚くべきことぢゃないか。「The Story」。これは、ab,ac,ad...とかaab,aac,aad...とかを機械的にタイプしていって、どこかに何か意味のある言葉が埋まっているぞ、というものだ。そのタイプっぷりは河原温の力業を思わせる。さて、油彩の大きめのものがあって「形/No.1202」とか。見ると……なんじゃこの雑っぽいのは、と思うが、後ろの方にある構想ドローイングを見ると意図が分かる。ふむふむピカソの形態を分析して使っているのか。しかしこの雑さは……うむ、もちろん意図的なものだ。思うに、高松には「絵画は人の内面であってはならない」という思想がある。ここでキレイキレイに仕上げて「あーこれよくある内面を描いた抽象画ね」と思われて軽くスルーされるのが嫌なので、わざとコンセプトで止めたのだ。

それから全体を見渡せるステージみたいな所がある。そこにアトリエの大きさも示されている。
ま、「影ラボ」だけでも遊べるんで行ってみよ。
http://www.momat.go.jp/Honkan/takamatsujiro/index.html

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