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2015年1月31日 (土)

パスキン展(パナソニック汐留ミュージアム)

しかしここは前回のデ・キリコといい、小さい割に濃いのが嬉しい。パスキンといえば、エコール・ド・パリだ。少女や女性像をいっぱい描いた。そんでほれ、全体がああいう夢幻的雰囲気じゃないか。なんかこう現実離れしたような萌え萌えな美少女画でもあるんじゃねーかと思ったらこれが無い。なぜか?
 
年代順なんだけど、最初がミュンヘンからパリってんで、普通の鉛筆デッサンみたいなのがある。もちろん普通にうまい。別にまだ個性があるってもんじゃないが才能は感じるであろう。で、パリに来ていろいろ描いたんだけど、既に素描じゃ定評があって、風刺画とか描いてたんだって。サロメの素描があって、なんかね、ビアズリーとかあっち系だよな。ギュスターヴ・モローとずいぶん違うな。油彩も手がけるようになって、「女学生」とかあるけど色もまだ普通。「モデル」でちょっとらしさが出てくる。

戦争を避けてアメリカへ。たいしたものはないが、「キューバでの集い」のラテンのおっさんがいいよな。で、またパリへ戻る。ここから本領の「真珠母色」というおなじみの雰囲気が出てくる。色彩はそういう淡く繊細で夢のようなものなんだが、実は描かれているモデルは極めてリアルなのね。そう我々は(オレだけか)雰囲気に騙されていたのだ。裸婦を描いたってナイスバディじゃないし、顔も普通だし、要は理想化されていない。「二人のモデル」や「幼い女優」「マンドリンを持つ女」なんてのがちょっと綺麗どころだけど、あとはまあなんか不完全燃焼っつーか(いや、あくまで萌えの観点でな)、だいたい「ヴィーナスの後ろ姿」なんて単なるデブである。ヴィーナスじゃなくてモデルがおるんだろう。思えばパスキンは素描の名手なんだから、リアルを捨てるわきゃあないんだよなあ。嘘は描けねえんだよ。しかし色彩が実景に忠実ではないところに、なんというかのっぴきならないところがある。夢の色彩(内面世界)とリアルなモデル(外界)が同居しているのだ。同じく女ばっかり描いている私の好きなポール・デルヴォーも、モデルは使ったけど完全に自分の世界に入れちゃうんだよね。バルテュスやら歌麿もそんな感じだし。パスキンの巧みかつ奇妙な同居は他にはないであろう。

素描や版画のコーナー。「遊女に罵倒されるソクラテスと弟子たち」。やだー、お兄さん遊んでいかないのー? 勉強ばっかりやっててバッカじゃーん。それからまたサロメの絵「ヘロデ王の前で舞うサロメ」人がいろいろ描いてある絵だが、サロメはというと……いたよ右側に。後ろ向きで体型の崩れたバカ女みたいなのが。パスキンのサロメ感ってこれかよ。あと童話のパロディというか二次制作みたいなのがあって「赤ずきん」なんてほとんどクソコラみてーじゃねーか。「シンデレラ」は挿し絵かな。

そしてまた油彩とか。「ダンス」という布とか使ってるの。女達が何人も踊っておる~ 美女不在。いや、リアルだとか、美女をデフォルメしたんだとか、日本人と感覚が違うとか言いたいだろうけど、やっぱ、なんか、あかん。「真珠母色」の裸婦とかずらっ。これが結構壮観。みんなリアルだけど、一つだけ例外「テーブルのリュシーの肖像」。モデルは愛人よん。すごくいい雰囲気だな。描きたかったんだな。実は他の絵は色彩はともかく明らかに「モデルに目の前にいてもらって描いてます」感がありありなのね。でも、このリュシーだけ、さりげなく、日常の一風景を切り取ってるんだな。愛だよな愛。でもリュシーとは結局うまくいかず、パスキンは自殺しちゃったって。

内容が充実してておすすめだぞ。
http://panasonic.co.jp/es/museum/exhibition/15/150117/

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2015年1月24日 (土)

琳派名品展(日本橋三越)

最近デパート系行ってなかったんだけどね、まだいろいろやってるものですなあ。岡田美術館所蔵品だそうで、どこかと思ったら、あの歌麿のね、幻の肉筆画見つけたところなんだ。さて、三越はなあ、なんか招待券を山ほどバラ撒くもんで、金券屋にあふれているもんだから「当日金払って入るのがもったいない上恥ずかしい」などと思ってしまうのです。その結果、東京駅あたりの金券屋を探したんだけど今回は無くってさ、遠回りしてえれえ無駄な時間を費やしてしまったよ……バカだねえ、実にバカだね。で、現地に行って……嗚呼なんか混んでるな。通路も広くないし。でもモノは決して悪くないんだから、そこはさすが三越ですな。

ところで、琳派って何だ? とあらためて思うに、説明じゃ装飾的なとか師弟関係なく時代を超えて云々とか書いてあるけど、なーんかイマイチ分からんと思いませんか? でもなーんか、これ琳派だなあって分かるのが面白い。「普通っぽく描いてあるけど、装飾的な印象があるもの」ってところかな。しかし、私思うに、まず今回の最後にでている加山又造「初月屏風」を見ると思う次第です。これが、なんか「琳派」って感じがする。

まあいいや、最初に長谷川派の「浮舟図屏風」。これが舟がどーん、みたいで面白い。次の作者不詳「柳橋水車図屏風」も橋がどーん。そうだよな、琳派はどーん、だよなとか思ったり思わなかったり。着物がかかっているだけの絵「誰ヶ袖図屏風」もおなじみ。で、これまだ宗達の前ね。「扇面散図屏風」は宗達工房作みたいなんだけど、扇がアレンジされているこれもまあ琳派らしいよな。宗達画があり「白鷺図」と「烏図」退色しているのか、色が薄いけど、まあまあ。それから尾形光琳や乾山の時代に。まず乾山の「夕顔・楓図」。赤白でいい感じ。光琳は「雪松群禽図屏風」がポスターにもなっている目玉。うん、普通っぽい鳥なんだけど、後ろのね、池のデザインっぽいのがミソだな。でも私はその次の「菊図屏風」の方がいいかな。菊の描いてないところの、空間の取り方の感じがね。いいね。あと蒔絵の器みたいなのがあって、器はアウェーなんだけど螺鈿なんかは、見て「おっ」と思ったりする。それからおなじみ酒井抱一。いろいろ手堅い。小さい風神図があるが、屏風のヤツほどひどくないからいいね。「月に秋草図屏風」は黒い月だ。これはわざとじゃなくて、銀色だったのが退色したんだよ。確かそうだよな。また乾山の器とかで、その後其一の時代……と思ったら鈴木守一! なんだ其一の弟子か? これの「富士図屏風」がぶっ飛んでいる。こういうのがあるから琳派展は油断できない。この富士のグラフィックな感じはほとんど時代を超越している。こりゃ横山大観もビックリだぞ。今回の一押し。あと其一がある「名月に秋草図」これも月がなかなか。あと神坂雪佳って人の「燕子花図屏風」うむ、これは光琳の模写か? で、最後が加山又造「初月屏風」。

なので、いかに琳派を見るか、の順で行くと、時代はバラバラなんだが、加山又造→尾形光琳→鈴木其一→俵屋宗達→酒井抱一、という感じじゃなかろうか。又造は装飾性が分かりやすいので導入にはいいし、光琳もその毛はある。其一は時に前衛。宗達は光琳に至るスタンダード。抱一は琳派なんだけど、結構独自性が高い感じがする。ちなみに、いかに時代を超える感動話でも有名な風神雷神図の比較はあまりやらんほうがいい。劣化コピーという言葉がしっくりきちゃうのだ。
http://www.rimpa400.jp/?p=522

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2015年1月18日 (日)

表現の不自由展 ~消されたものたち(ギャラリー古籐)

慰安婦に憲法九条に天皇制、案の定いわゆる左翼的表現で埋められるギャラリースペース。会場内は他に「はだしのゲン」やら「美味しんぼ」の福島のヤツとか置いてある。「表現の不自由」がテーマなんだからさ、左翼だけじゃなくさ、右翼的な……んーなんかあるかな、例えば画壇が認めない戦争画みたいなものもお仲間に入れてくれよ、と思うな。「表現の自由を!」と叫んでいる連中が実際のところどれだけ視野が広くて寛容なのかを私は見たかったのさ。まあ、でも今回のも別に想定内だし、見に行った理由は他にある。

私は憲法九条が平和を守るとも思ってないし、例の慰安婦も嘘が混じってんじゃねーかを思っているし、原発絶対反対でもないし、要は左翼じゃない。でもね、表現に「やられたい」とは思っているんだ。同じイデオロギーだとちょっとデキのいい表現ならすぐ褒めたりしたいもんだろ。しかし逆のイデオロギーを持っていてなお迫ってくる作品ってヤツを見てみたいじゃないか。美術鑑賞者ならなおさら。だから君があるイデオロギーに立っているなら、「お仲間」の美術展なんか行くべきじゃないんだよ。むしろ逆の方に足を運ぶべきだ。吐き気がするとか見たくねえとか許せねえとかみっともねえ言ってんじゃねー。美術をまともに鑑賞したけりゃそうしろ。

しかしイデオロギー含みの作品を鑑賞するってなかなか厄介だねえ。安世鴻の日本軍「慰安婦」被害者の写真。皺だらけの顔になっても眼光鋭い老婆達の写真を見るに、「日本軍への恨み死ぬまではらさでおくものか」というメッセージを受け取るのはたやすい。でも、日本の従軍慰安婦だったからこういう顔をするのではなく、老人誰しも時々こんな顔すんじゃねーかとも思ったりもする。展示拒否されたキム・ソギョン&キム・ウンソンの「平和の少女像」こと慰安婦像がある。これはこれそのもので「うむっ」という存在感がある。認めない者にとっちゃあ置かれたらたまらんデキだな。山下菊二や大浦信行は天皇ものコラージュだけど、なーんとなくコラージュって「ネタ」のお手軽レイアウトな感じがしないでもない。朝鮮人強制連行犠牲者の追悼碑「記憶 反省 そして友好」これは群馬県にあって、撤去するのしないの揉めたらしいんだけど、碑の模型がある。これ自体の形状はどってことないけど、それより付属の資料の方が詳細なローカル情報で凄みがある(もう美術じゃないけどさ)。それから掲載を拒否された俳句「梅雨空に『九条守れ』の女性デモ」の作者自身による色紙。この句は金子兜太という俳人が褒めてたと書いてあるが……どうも釈然としない。この句の何が良かったんだ? 「寒空に『天皇万歳』声響き」なんてのと変わらないではないか。「あえて政治的語句を入れたのが新しい」ならともかく「九条だから素晴らしい句だ」ってな認識ならその俳人はアホに違いない(ネットで検索したらいとうせいこうとの対談が出てきた。戦争体験者であり、当時新興俳句運動が弾圧されたそうで、その歴史と重なるそうだ。うむ、分からんでもないが、掲載機関が特定のイデオロギーを出したくないので拒否、イコール戦争をやる気満々だから弾圧ってのは違うんじゃないか)。それから、今時のメディアアートとか無いのかいと思ったら、福島のサウンドスケープがあって、パソコンで写真付きで見ることができる。意外と臨場感というか、その場の感じ、があるものだな。

ところでチラシにゃ賛同団体がずらずらっと書かれているんだが、やっぱり見事にカラーが決まっているんだな。しかしこれはやっぱり大人の事情だろう。本当に「表現の自由」と称し、別のイデオロギーを背負った作品も導入し、その関係の団体が賛同したら「あんなヤツラと一緒にされるのは嫌だ」という団体が出て賛同を降りることは十分予想できる。その結果PR力や集客力が減るだろう。つまりさ、「表現の不自由」を糾弾する側とて、ある種の避けられない「表現の不自由」に陥っていると思われるんよ。真の自由はいずこさ。
でもまあ、イベントも多数だし、刮目して一度は行って場の空気も感じてみよう。
http://furuto.art.coocan.jp/

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2015年1月11日 (日)

小山田二郎(府中市美術館)

期間が分かれていて、1部と2部がある。1部には行けなかった。気づいた時には終わってたのだ。だから2部のはじまりに行った。府中はちょっと遠いのだが、何しろ気になる。ポスターにもなっているのは「愛」だ。ま、それはあとに書く。

最初が「はりつけ」で、痛いというより暗い。なんとなくベルナール・ビュッフェを彷彿とさせる。あー、まあ描き方はずいぶん違うけどね。ビュッフェほどトゲトゲしてないかな。でも印象は近いものがあるよ。それから「小さき者」という女の子の肖像があるが、目が落ちくぼんでてなんかヤバい。「狂女」もね、なんか怖いね。描き方だけしてみれば、デ・クーニングを暗くしたみたいな感じなんだけど、うーん、対象に対する恐怖感がありあり……って感じかな。「月に吠える」はまんまピカソな感じ。で、山場がもう来るよん「ピエタ」と「愛」が並んでいる。「ピエタ」は確か前に……見たよな練馬かどっかで。なんとなくリアルさのあるキリストの死体は聖人って感じじゃないし、なんたってマリア様の顔がなんかこう……怖い嘆きのサルみたいな感じか。ラファエロやアングルみたいに描いてほしい向きにはうぎゃああなんじゃこりゃみたいですな。なんでこうなのか? 解説読んでも分かるような分かんねーよーなー感じ、なんだけど、隣の「愛」で同じマリア様が出てくる。背後にそびえる巨人のごときマリア様。中で怯えたような苦しんでるような飢えているような人々。左にマリア様の足がドカン。これも強烈な絵なんで……なんかイロイロ考えてしまう。と、優等生ならここで何を考えたかというのは書かないでおくんだが、オレはあえて書いておくよ。

年末年始に渋谷の公園が閉鎖されたんだってさ。火を勝手に使うヤツラがいるからって。で、正月のホームレスの炊き出しを計画していた団体は役所に猛抗議。命にかかわるとか、役所は人間じゃねえとか、果ては自民党が悪いとか。それはツイッターで拡散されオレも怒りの声の数々を目にしてた。で、公園は利用申請があれば火が使えるイベントもできるらしい。じゃ、その団体は利用申請をいつ出したのか? それが12月26日だと。もう休みギリギリ。許可なんぞ出せない。なぜもっと早く出さなかったのか? 一説に、わざと不許可をもらって、悪政をPRする手段にするためだと。つまりホームレスの命を利用して体制を攻撃する材料にしてたんよ。まあこの説、明確なことはなんも調べてもないもんで、本当はギリギリじゃなかったかもしれないし、余裕をもって出したって無駄だったのかもしれない。ただ、オレは「愛」という絵でこの手合いを思う。弱い者達に「愛」を。私達は愛で包み込む存在です。みんなが飢えることなく幸せに生きてほしいです。そのために戦います。敵は絶対に許しません。戦いに勝つために、あらゆる手段を尽くします。渋谷の件の団体がどうだかは分からないが、自分じゃ「愛」を持っているつもりが実は戦争をしている連中は存在するだろう。中の弱い人が疑問を感じでも、ドカンと立ちふさがる足から外には出られないのさ。マリア様の顔は、あの「戦う連中」そのものだ。あんたらはあんなにも醜いのさ。小山田二郎はそれを知っていたし、身にしみて味わっていたんだろう。

山場は越してしまったが、あとは「手」という作品がなかなかいい。折り曲げられた指。手のひらの中央に、目のような穴。自分をこうした連中を見ている目だ。あと「コンポジション」という死体みたいなのもイケる。あと有名な「鳥女」はうまいんだけど、普通に見えてしまう。

水彩画も並んでいて、結構テクニックがある。「太陽をくれ! イプセンの幽霊より」なんかイイね。多磨霊園あたりを描き始めた頃から少し明るくなる。もうビュッフェじゃなくて、シュールレアリスムの、エルンストみたいなのを描いてる。そういえばエルンストも鳥人間みたいなの描いてなかったかな。終盤、妻子をほっぽりだして逃げて、別の女と安らぎの隠遁生活(なんかヒデエ話だが)、ここで絵は完成し、「とりで―ポオ『黄金蠹』に於けるアナロジイ」や「火のモニュメント」はエルンスト的な完成度がある。うまい。うまいんだけど、なんか角が取れちゃって、オレは前半の方が好きだ。あと本の装丁なんかも紹介されてる。

前も見たなあと思ってたら、このブログの一番最初が何と2005年6月の東京ステーションギャラリーで見た小山田二郎展なのね。しかも「ピエタ」も見ていて、マリア様が「嘆きの動物漫画みたい」などと書いてある。10年変わってねえな。でも「ピエタ」さらに前にも見ているようだ。
http://www.city.fuchu.tokyo.jp/art/kikakuten/kikakuitiran/oyamadajiro.html

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