« 小山田二郎(府中市美術館) | トップページ | 琳派名品展(日本橋三越) »

2015年1月18日 (日)

表現の不自由展 ~消されたものたち(ギャラリー古籐)

慰安婦に憲法九条に天皇制、案の定いわゆる左翼的表現で埋められるギャラリースペース。会場内は他に「はだしのゲン」やら「美味しんぼ」の福島のヤツとか置いてある。「表現の不自由」がテーマなんだからさ、左翼だけじゃなくさ、右翼的な……んーなんかあるかな、例えば画壇が認めない戦争画みたいなものもお仲間に入れてくれよ、と思うな。「表現の自由を!」と叫んでいる連中が実際のところどれだけ視野が広くて寛容なのかを私は見たかったのさ。まあ、でも今回のも別に想定内だし、見に行った理由は他にある。

私は憲法九条が平和を守るとも思ってないし、例の慰安婦も嘘が混じってんじゃねーかを思っているし、原発絶対反対でもないし、要は左翼じゃない。でもね、表現に「やられたい」とは思っているんだ。同じイデオロギーだとちょっとデキのいい表現ならすぐ褒めたりしたいもんだろ。しかし逆のイデオロギーを持っていてなお迫ってくる作品ってヤツを見てみたいじゃないか。美術鑑賞者ならなおさら。だから君があるイデオロギーに立っているなら、「お仲間」の美術展なんか行くべきじゃないんだよ。むしろ逆の方に足を運ぶべきだ。吐き気がするとか見たくねえとか許せねえとかみっともねえ言ってんじゃねー。美術をまともに鑑賞したけりゃそうしろ。

しかしイデオロギー含みの作品を鑑賞するってなかなか厄介だねえ。安世鴻の日本軍「慰安婦」被害者の写真。皺だらけの顔になっても眼光鋭い老婆達の写真を見るに、「日本軍への恨み死ぬまではらさでおくものか」というメッセージを受け取るのはたやすい。でも、日本の従軍慰安婦だったからこういう顔をするのではなく、老人誰しも時々こんな顔すんじゃねーかとも思ったりもする。展示拒否されたキム・ソギョン&キム・ウンソンの「平和の少女像」こと慰安婦像がある。これはこれそのもので「うむっ」という存在感がある。認めない者にとっちゃあ置かれたらたまらんデキだな。山下菊二や大浦信行は天皇ものコラージュだけど、なーんとなくコラージュって「ネタ」のお手軽レイアウトな感じがしないでもない。朝鮮人強制連行犠牲者の追悼碑「記憶 反省 そして友好」これは群馬県にあって、撤去するのしないの揉めたらしいんだけど、碑の模型がある。これ自体の形状はどってことないけど、それより付属の資料の方が詳細なローカル情報で凄みがある(もう美術じゃないけどさ)。それから掲載を拒否された俳句「梅雨空に『九条守れ』の女性デモ」の作者自身による色紙。この句は金子兜太という俳人が褒めてたと書いてあるが……どうも釈然としない。この句の何が良かったんだ? 「寒空に『天皇万歳』声響き」なんてのと変わらないではないか。「あえて政治的語句を入れたのが新しい」ならともかく「九条だから素晴らしい句だ」ってな認識ならその俳人はアホに違いない(ネットで検索したらいとうせいこうとの対談が出てきた。戦争体験者であり、当時新興俳句運動が弾圧されたそうで、その歴史と重なるそうだ。うむ、分からんでもないが、掲載機関が特定のイデオロギーを出したくないので拒否、イコール戦争をやる気満々だから弾圧ってのは違うんじゃないか)。それから、今時のメディアアートとか無いのかいと思ったら、福島のサウンドスケープがあって、パソコンで写真付きで見ることができる。意外と臨場感というか、その場の感じ、があるものだな。

ところでチラシにゃ賛同団体がずらずらっと書かれているんだが、やっぱり見事にカラーが決まっているんだな。しかしこれはやっぱり大人の事情だろう。本当に「表現の自由」と称し、別のイデオロギーを背負った作品も導入し、その関係の団体が賛同したら「あんなヤツラと一緒にされるのは嫌だ」という団体が出て賛同を降りることは十分予想できる。その結果PR力や集客力が減るだろう。つまりさ、「表現の不自由」を糾弾する側とて、ある種の避けられない「表現の不自由」に陥っていると思われるんよ。真の自由はいずこさ。
でもまあ、イベントも多数だし、刮目して一度は行って場の空気も感じてみよう。
http://furuto.art.coocan.jp/

|

« 小山田二郎(府中市美術館) | トップページ | 琳派名品展(日本橋三越) »