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2015年2月28日 (土)

ヘンリー・ダーガーの部屋(エプソンイメージングギャラリー エプサイト)

北島敬三という人が撮ったダーガーの部屋の写真。2000年に取り壊されるというので急いで撮りに行ったらしい。 ダーガーは今でこそ結構有名なんだけどさ、オレははるか昔、世田谷美術館での「パラレル・ヴィジョン展」で既にダーガーを知ってたんだぞ(多分日本で初めて紹介された)、とドヤ顔したい今日このごろ。あれから銀座のなんとかギャラリー、ワタリウム、原美術館、ラフォーレ原宿、あと映画もあったよな、ダーガーの企画にはほとんど通っている。なぜ? なにがそうさせるのか? うん、やっぱし魅力的なんだよ。特に創作する人間にとって、誰に見せるためでもなく、ただ自分が「リアルに」生きる世界として創作を行うってこと。それがまたとんでもないスケールと強大な個性を持っていたこと。ワクワクするぜ。一生を病院の掃除夫で終え、友達もいなくて、話をすれば天気のことばかりで、恐ろしく孤独だった彼だが、死後発見された創作世界のあまりの大きさよ。ダーガーの存在自体既に伝説。既に巨匠。アウトサイダーアートの凄さを世界に知らしめた、その彼の部屋の写真だぜっ。

展示スペースは決して大きくはない。枚数も多くはない、しかし、しかしだ、見てるとジワジワくる。年季の入った分厚い資料、書き込み、タイプライター、画材の集積、壁に貼った少女像、うーん、この重厚さは何だ? キリスト教画家の巨匠のアトリエと言っても通用するぐらいの風格じゃないか。ダーガー作品自体は女の子マンガのコラージュだったりしてチャラい印象だったり、性差が分かってなかったり、あるいは少女を裸にしてバラして血まみれにしてたりして、なんとなくヤバいサブカルチャー的印象なのだが、この重厚さは、あくまでダーガーが大まじめだったことを物語る。ダーガーは宗教画家の巨匠と同じだけ創造にエネルギーを費やしていたし、またそれを十分発揮できた。この部屋から醸し出される生き様の印象は苛烈ですらある。苛烈? あの目立たない、誰にも相手にされなかった孤独な老人がかくも苛烈に生きていたとは! ここで我々は思うであろう、いかに生きるかは、誰かが決めることではない、自分が決めるのだ。誰にも相手にされなくても、かくも「生きる」ことができるのだ。

写真だけでなく、ゴーグルみたいなのを付けて、ARを使った短い解説映像も見れる。

ダーガーファンは大いに行きだ。ダーガーを全く知らないと……まあスゲエ部屋だなと感じる、とは思うよ。 http://www.epson.jp/katsuyou/photo/taiken/epsite/

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