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2015年5月23日 (土)

シンプルなかたち展(森美術館)

森美術館がリニューアル。明日まで年間パスポートが半額!(2回行けば元取れる)なので、パスポート買って行ってきた。
文字通りシンプルな形の作品を時代を様々飛んで鑑賞する。いくつかテーマがあって、それに沿って時代が入り乱れて展示されているのだよ。近頃に「あり」な企画だ。

最初は「形而上的風景」。「石」みたいなヤツがいろいろ……ガブリエル・オロスコの手に持ったすべすべ石をくるくる回すヤツ。血行をよくする運動じゃないぜ。かつての石器などの道具に通じる形而上的な運動の表現だぜ。まあ、あーなんかやってみて気持ちよさそうだな、ぐらいでいーんでねーの? 他に、おお、杉本博司の海景写真があるじゃないか。「スペリオール湖、カスケード河」そうか湖か。このシリーズ、水平線が画面中央を横切っている。写真入門の本とかでは、水平線を中央にするな、とか出てるんで、シロウトは真似できねえな。あと目に付いたのはリ・ウファン「関係項ーサイレンス」白いキャンバスと、大きい石が置かれているだけ。こういうZENみたいなヤツはよく分からねえが、それっぽいのでOK。

「孤高の庵」。うーん、いろいろ並んでるんだが、円空の木彫があるね。「天照大神宮」。なんちゅーかラフな木像でな。どうでもいいけど、これニセモノ作ってもそうそう分からないんじゃないの? どうやって鑑定してるんだろ。

「宇宙と月」。ここは結構面白くて、アン=ヴェロニカ・ヤンセンス「陽極処理された黒いディスク」これ、例のキネティックアートじゃん。視点を変えると作品内のほら、円の中心から出てる線が動くのだ。あと、おなじみオラファー・エリアソン「丸い虹」光の反射とプリズム屈折を利用したインスタレーションで、もちろん動く。美しい。こういうの見たかったんだよ、みたいな。ツァイ・チャウエイの「円Ⅱ」描いた円がにじんでぶわぁああみたいな。

「力学的なかたち」。専門的な話ながら、物体に力がどうかかっているか色分けされた応力分布図なんて、実は結構きれいな造形なんじゃないすかね。合理的な自然の力を可視化した感じですから、力学的なものの造形が汚いわけがない。人間、直感でそれが自然界の法則によるモノなのかってのを、結構見抜けるんじゃなかろうか。プロペラの造形を見て、こんな美しいものはないと、プランクーシが衝撃を受けた。そのプランクーシの「空間の鳥」有名ですね。このコーナーの見所は一室を使った大巻伸嗣「リミナル・エアー スペースータイム」薄い大きな布が下から当てられる風でフワフワ。ぼけーと見てられる。それからフォンタナがあって、田中信行の漆の立体があってなどなど。

「幾何学的なかたち」いやーこれもいかにも「くる」だろう。「23の幾何学的立体」とか「結晶モデル」とか、立体がずらっと並ぶと壮観ですなあ。でもやっぱインスタレーション、アンソニー・マッコール「円錐を描く線2.0」。暗い中でスモークを焚いて、光の線で描く円錐。シンプルながらプリミティブに美しく面白い。あと石膏の幾何学模型とか、杉本博司の写真もあるぞ。

「自然のかたち」。うーん、なんか抜きん出てすげーとかはないんだが、まあ西川勝人の「ほおずき」ぐらいかな。クリスタルガラスの大きいの。

「生成の形」。プランクーシの「プリンセスX、大理石」というまんまチンコのヤツ。「ダチョウの卵」これ、そのまんま。でもちゃんと展示されていると作品っぽく見える。アニッシュ・カプーアって人の「私が妊娠している時」壁がはらんでおる。真っ白なところの陰影なので光の加減か二次元にも見えるね。

「動物と人間」。ここもそんなすげーのは無くて、まあピカソの雄牛の単純化プロセスぐらいかな。

最後に「かたちの謎」。あの「2001年宇宙の旅」のモノリスが象徴するような謎めいたシンプルな形。デューラーの「メランコリアⅠ」に奇妙な立体が出てきて、それをもとにしたインスタレーション、カールステン・ニコライの「アンチ」黒くてデカい立体の面に手を近づけると低い音が鳴るぞ。モノリスっぽい。

シンプルったってミニマムアートって方向じゃないんだな。「行った先がシンプル」ではなく「どこから来たか」だもんね。有名な大作があるってわけではないが、「じわじわくる」感じの企画だ。
http://www.mori.art.museum/contents/simple_forms/index.html

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2015年5月17日 (日)

「ユトリロとヴァラドン 母と子の物語」(損保ジャパン日本興亜)

先週、母の日にはぜひこの美術展に、なんていうツィートを見つけ、ヲイヲイいいのかよ、ヴァラドンなんてまったくもっていい母親じゃなかったんだぜ。私は思うに、ユトリロとヴァラドンを普通の「なかよし母と子」みたいな目で……うーんなんていうかつまり、まったく痛みを感じないで脳天気に鑑賞できるヤツらの気が知れねえ。ヴァラドンはユトリロを(そもそも父親が分からねえ)、放ったらかして色恋にふけり、ユトリロは母の愛を求めて精神病とアル中になり、それで絵を描いたら売れてヴァラドンより有名になったんだが、そうなるとヴァラドンは再婚したユトリロより若いダンナと一緒にユトリロに「売れる絵」を描かせるだけ描かせ、ユトリロには金もやらず自分はまだ遊び歩いていたんだってよサイテーの母親だなおい。が、しかし、困ったことに諸君、このヴァラドン、結構絵の才能があるんで困る。それがこの企画で確認できるぞっと。

展示は年代順だそうで、最初の方にヴァラドンの「編み物をする若い女」ってのがあって、うん、なかなかコントラストもあってうまいんだよな。ユトリロももちろんあるんだけど、何かこう、ユトリロ展ってある度に行っちゃうから見慣れてるっていうか、でも「白の時代」になりますと、さすがに絵にキレがあって、いいね。「『小さな聖体拝受者』トルシー=アン=ヴァロワの教会(エヌ県)」や「クリニャンクールのノートル=ダム教会、モンマルトル」とか、白い壁の何とも、うーん深い味わいが。……しかし自分で書いてて何だが「絵にキレがある」って表現は何だ? つまり、何か冴えたものがあって迫ってくるって感じかな。しかしいずれの絵も遠近法がうまいのね。すげーなユトリロのデッサン力は……って実は違うらしい。いや、今回の解説に書いてあったんだけど、実際にモンマルトルをデッサンしたことはあまりなくて、絵葉書の写真見て描いたのもあるんだって。でもまあそれが「ユトリロの絵」になるんだから、それはそれでいいぢゃないか。で、ヴァラドンはというと風景よりも人物や肖像が多くて、それでイケる。「黒いヴィーナス」ってのがね、ゴーギャンのタヒチ風でいい感じですな。ええと、時代的にゴーギャンよりあとだよな。ヴァラドンの風景はイマイチで、「コルト通り12番地、モンマルトル」なんてのは一見して、なんじゃこりゃ的な色彩だ……いや、そうでもないんだけどさ、ユトリロと比べるとだいぶ落ちる。

ユトリロは「白の時代」を脱し、「色彩の時代」になる。ええと、何がきっかけだったかな。パリを離れるんだっけ。でも記憶でパリを描かされている。何がどうってんじゃないが、やっぱりキレがなくなってる感じだよなあ。一方ヴァラドンは同じペースで「ユッテル家の肖像」の3人とか、うまい。「モーリス・ユトリロの肖像」も描いてる。ユトリロが有名になったんで金のために描いたんじゃあるまいな。「サン=ベルナールの城のテラス(アン県)」は近景と遠景を合わせてヴァラドンにしちゃあガンバッテルじゃん。

あとは晩年になって、まあユトリロはひたすらキレの失われたいわゆるユトリロの絵を売るためと他にやることがないため描き、ヴァラドンの方がむしろ、肖像も円熟しましたなあ、という感じがしてくる。あと、花瓶と花を描いたのが二人分並んでいて、ユトリロは印象派風、ヴァラドンはエッジを明確にして、ガラスの屈折なんかも描いてる。この並んだ対比が面白い。母親に結構冷たくされてたユトリロだが、亡くなったらやはり相当なショックだったようで、礼拝堂なんか造って祈る時間の方が多くなったらしい。

ヴァラドンは「スュザンヌ・ヴァラドン」って書いてあって、これ本名じゃないんだって。この「スュザンヌ」はなんと「水浴のスザンヌ」のスザンヌだそうで、老人じゃないけど、多くの画家達に囲まれてモデルとして見られてたからそんなあだ名が付いたそうな。
ヴァラドン再発見で行け。
http://www.sjnk-museum.org/program/current/2978.html

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2015年5月13日 (水)

燕子花と紅白梅(根津美術館)

火曜日から夜7時までやっているという情報をつかみ、台風の迫る中、また初夏のアレルギー性結膜炎が苦しい中行って駆けつけたのさ。17日で終わっちまうんだ。

「光琳デザインの秘密」というサブタイトルの通り、光琳が多いのと、意匠的なのが多いという、まさにこれ琳派の真髄じゃ。いや、琳派展って数多くあったんだが、宗達、抱一、其一ってのは結構いいのがしばしば出るんだけど、光琳ってのが意外と少ない。それがまあ今回、光琳だらけじゃないですか。

もちろん目玉は「紅白梅図屏風」。おお、これを見たかったのだ。これを見に来たのだ。だから真っ先に見たのだ。やったー! ついに…………ううむ、これか…………第一印象は決して仰天するものではなかった。うん、まあ、よく写真とかで見ているしな。それより、やはり時の経過を感じさせる淡さが何とももどかしい。いや、元からこの程度なのかな。でも私はもっと鮮やかで華麗で意匠的なヤツを期待していたのだ。うん、まあ、でも悪くないのよ。この絵には琳派が琳派たるゆえんの極致がある……ような気がする。この、梅の木の枝ぶり、たらし込みバリバリ、そして何より中央の水面の意匠的なあまりに意匠的な描画の同居。これが光琳であり、琳派ぢゃないか。後の抱一や其一は意匠的でももっと巧みな、というか、自然っぽさにも比重が置かれている感じだが、光琳は意匠が全面に迫ってくる。デザイナーなのだ。

で、その後始めから見ていくと、これも結構優れものの屏風がバンバン出てくる。最初の「伊年」印の四季草花図屏風……ってこれこないだ高島屋で見たのとほとんど同じじゃん。ここにもあるのか。伝宗達「鳶の細道図屏風」宗達だから光琳よりずっと前だが、これもシンプルかつ意匠的で驚く。何しろデカい。ある意味紅梅図より見事だ。そうか、宗達の頃に既にここまでイッてたのか。光琳の「燕子花図屏風」これは再会。燕子花の深く青い色がことさら印象的だったねえ。そして紅梅図、これ2曲1双なんで、燕子花図の6曲1双よりも少ないんだな。次、光琳「孔雀立葵図屏風」孔雀の羽の意匠的演出。次も光琳「夏草図屏風」画面を斜めに横切るかのような夏草の群よ。まだまだ光琳「白楽天図屏風」ここには波の意匠がある。これだけ光琳が並んでりゃあ文句ないべ。

次の第2章の部屋から一気に鑑賞テンションが落ちる。いや、別にダメなものがあるわけじゃないです。図案とか小物がいろいろ。うーん宗達の「扇面散貼付屏風」これおなじみ、扇が散っているヤツね。あとは……光琳の下絵とかあったかな。

階を上がって、第三章。ここも光琳と、あと乾山がいろいろ。工芸品もあるじょ。光琳の小品で冴えた感じのもあったがメモってないや。テンションが落ちてるのと、あとアレルギー性結膜炎の絶叫マシーンになってたもんで(多分花粉症なんで、今日、もうたまりかねてゴーグルメガネ買っちまったい)。

他の下部屋も庭も茶の湯も仏像も見ておらん。庭は見頃らしいですぜ。
http://www.nezu-muse.or.jp/jp/exhibition/index.html

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2015年5月10日 (日)

細見美術館 琳派のきらめき(日本橋高島屋)

GWだけやってて、11日で終わってしまうのだ。細見美術館といやあ琳派で有名なんだし、こりゃ行かねばと思い行った。結構混んでた。しかも、入ってんのがほとんど招待客っていうか、高島屋の常連?みたいで、金払って入ってんのオレぐらいじゃん。

時代順で、最初に「伊年」印のデカい「四季草花図屏風」。ここで既に結構「やる」って感じ。俵屋宗達の「月梅下絵和歌書扇面」は扇の面をきれいに色分け。デザインセンスを感じさせますな。宗達ではあと「墨梅図」この枝のササッとした描きっぷりかいかにも「琳派」。もちろん当時琳派なんて言葉はまだ無かったが。

次はいよいよ尾形光琳の時代……なんだけど、光琳は小ぶりなのが3つぐらい。それより名前知らんヤツの方が面白い。渡辺始興「簾に秋月図」の月を隠す簾の使い方。中村芳中の「白梅小禽図屏風」はたらし込みバリバリで鳥がちょっとマンガ。同じく芳中の「朝顔図」がいいね。この青い花の粋な構図というか、なんだ、ほら、要するに自然物なんだけどデザインっぽくレイアウトされてるっつうか。これが琳派だよな……待てよ、同じことは英国式庭園って確かそういうもんだったよな。自然に見えるけど実はデザインされてるって。いやいやいや違う違う、あれは自然に見えるけど実は理想風景としてデザインされてるんだったよな。琳派の見え方はちょっと自然っぽくないんだな。

いよいよ酒井抱一あたりの江戸琳派。抱一の「松風村雨図」は珍しく美人画じゃねーか。「紅梅図」はやっぱこれ琳派の樹だよな。「青面金剛図」は鬼というか金剛なんだけど、結構シリアスな雰囲気出してんじゃん。宗達の劣化コピーの劣化コピーである「風神雷神図」とはずいぶん違うぞっと(抱一らしいユーモラスな描画とか言ってる人もおるけど、やっぱあれ劣化コピーだろ)。もう一人の巨匠、鈴木其一はどの琳派展に行っても意外と数がある。今回「藤花図」なんぞいいね。でもオレにとって其一はもっとアヴァンギャルドな演出ができた人なんで、普通っぽいのはどうでもいいや。池田孤邨って人の「四季草花流水図屏風」おお、この流水は、光琳の紅梅図の「あれ」じゃないか。琳派らしーっ。作者不詳「四季草花草虫図屏風」は二つの屏風が金と銀。それぞれに季節の草虫を描いてて、なかなかいいんだけど、昔の銀ものって劣化しちゃうんだよね。だから当時の感じじゃなくなっちゃう。これは酒井抱一……じゃない道一(明治の人?)の「月に薄図」なんか顕著で多分これ銀のはずなんだけど黒いんだな。同じ道一では「鯉に燕子花図」の枠からはみ出た燕子花にセンスを感じる(って他でも見たような。まあ誰が最初にやったか知らんが)。

最後に京琳派ルネサンスってことで、神坂雪佳って人。明治から大正らしい。何がどうっつーか。最初の「金魚玉図」の真正面から見た金魚が面白い。こういうのは初めて見るな。

行っておいてよかった。
https://www.takashimaya.co.jp/store/special/event/rimpa.html

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2015年5月 5日 (火)

石田尚志 渦まく光(横浜美術館)

はてこの人は誰だろうと思って、紹介写真なんか見ただけで、ああ、あれか、あの人かってなる。彼の作品は一度出くわしたらまず忘れないインパクトがあるのだ。簡単に言うと抽象画がアニメーションになっている。今回初の大個展だぞ。

まず1階のエントランスに作品があって「海の壁ー生成する庭」豪華3面使っている。
2階の会場に入ると、若い頃の水彩作品「渦」があるが、この時点でもう「こりゃただもんじゃない」感がありあり。抽象というか、マーブリングを手描きでやってる感じか。とにかく有機的で複雑なパターンをいくらでも描けるんだなこの人は。普通の絵だけではなくそれはすぐにアニメーションという表現手段に変わる。有機パターンが生まれては消える。さらにはそれを長い紙に絵巻状に描いていって、移動カメラで描くのを追うという絵巻スタイルが誕生……いや、待てその前に、展示では次の部屋になるんだけど「フーガの技法」という19分のアニメ作品がある。数年もの製作期間と1万枚の原画を使って、とんでもなく凝った抽象アニメーション。バッハの音楽に合わせて、複雑なパターンで絵が動く。その上映と、原画が展示されている。多重露光も使っているような感じだけど、基本全部描いてるんじゃないか、という労力としても驚異的なものだ。原画を見ると、アニメーションのために部分的に変化した抽象画を何枚も描いてるのだ。こりゃすげえ。

次の部屋というか、部屋に入る前のところには道路に水で延々と描いていくパフォーマンス映像。元々ライブペインティングとかやっていたようで、次の部屋にも本人が出てくる作品がいくつか。身体を使った表現だ。うーん、でも膨大な労力を感じさせないあたり、抽象画アニメーションほどのインパクトがないなぁ。

次の部屋には……「部屋」にこだわった作品群。「フーガの技法」ではあくまで平面だけだったのが、今度は部屋という空間を使い、その3次元的なところを意識させることで、より非現実感がアップする。「REFLECTION」では窓から差し込んでくる太陽の光が、部屋にいろいろ描いていく、みたいに見える。「光の落ちる場所」は壁に立てかけられた大きなキャンバス上がいろいろ変化。そのキャンバスそのものも展示。それから、ライブ関係の前のところにも「燃える机」という作品があって、部屋と部屋の模型とか、シンクロしているようなしていないようなインスタレーション。最後はまたカラーの絵巻でシメる。

全部労力がかかった力作なんだけど、その中でも超力作の「フーガの技法」を見てしまうと、あとは全部これの応用というか延長というか、主題の変奏でしかないような感じがしないでもない。でも「部屋」という空間の発見は何か新しい突破口という感じがする。この先どうなっていくのかな。今度は立体を映した映像で、立体表面にアニメーションが展開、って感じになるかな。いやそんな予想できるようなことはやらないだろうなあ。

なんかぼーっと見ててもいい感じ。おすすめ。
http://yokohama.art.museum/special/2014/ishidatakashi/

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2015年5月 3日 (日)

戦争の表象(板橋区立美術館)

GW突入直前に仕事上冴えないことが起こり、冴えない気分のままGWに突入。嗚呼平社員リーマンなんて一兵士っすよ。前線で撃たれるっすよ。まあ命の危険はないんですがね。
さて、この美術館はなんたってアクセスが悪くって、成増から1時間に2本ぐらいのバスで行った。収蔵品展だしGW中でもガラガラにゃん。内容は読んで字のごとく、戦争がどのように美術作品に影響を与えたのか、ということなんだけど、時代が時代なのか、あるいは当美術館の傾向なのか、シュールレアリズム絵画が多い。しかし、ここがポイントで、無意識とも適当とも取れるシュールレアリズムでさえも、当時の重苦しい雰囲気は十分に感じ取れる。戦争で勝っていた報道があってもなお「なんかまずいことが起きてるんじゃないか」という気分は大いにあったようだ。

最初のほう、新海覚雄「貯蓄報国」これはシュールじゃなくて具象。内容としては郵便局で戦争に備えて貯蓄して国の金をキープしようってやつ。あーそうそう作家の解説に、その人が戦争とどう関わったかが書いてあるぞ(一度目を通しただけで覚えてないが)。古沢岩美「飛べない天使(おうむ)」これは戦後出てきた娼婦もモチーフにしてるらしいんだけど……たくましいねえ。「憑曲」は原爆がモチーフの傑作。全体が赤く、キノコ雲もあるけど、あとはボッスのような幻想もの。リアルな情景ではないが、それだけに感情面で迫ってくるものがある。同じ傾向に、渋谷駅にある岡本太郎の「明日の神話」がありますな。あれも原爆。うん、大きさは相当違うが、あれと並べてもいいぞ。あるいは、写真だけどChim↑Pomの「広島の空をピカッとさせる」(確か今オペラシティで出てますな)と並べると、その、あまりの風化ぶりに驚くだろう。あの写真作品もずいぶん批判されたが、いかに「あんなもん」になってしまったのかを見事に表現したってことで評価している。紅白歌合戦での吉永小百合の原爆の詩朗読の偽善っぽさよりずっといい。

国吉康雄「Head of a Clown」はピエロ風の人の頭部だけど拷問のあとかと思ってしまうな。時代が時代だけに。難波香久三(架空像)の「蒋介石よ何処へ行く」と「地方行政官A氏の像」は思いっきりダリ風。小川原脩は、生き残るために体制に寄り添って戦争記録画を描いたりしたけど、その結果どこぞの団体を除名されたんだって。

浜松小源太もシュール系、でも絵の中に日の丸とかあったりして、不安や恐れがひしひしした感じで伝わる。時代の空気を読んでいる。井上長三郎「ヴェトナム(母子)」……ああきっと母は死んでいて、子供が必死に寄り添っているな。高山良策「矛盾の橋」この絵の絵説がないのだが、「矛盾」という言葉と「戦争」という事象はなんとなくしっくりくる。平和のために人を殺す、なんてのが戦争だもん。勇ましく胸を張って、我が国が滅びぬために始められたはずの戦争だったが、現場は暴力と略奪と単なる人殺し……で、そんな場面にいた山下菊二「祀られる戦士」は傑作。これもシュールな感じだけど、称えられ、祀られる兵隊の、体は矛盾で引きちぎられ、パーツごとにイヤらしい音を立てているではないか。

3番目のコーナーでは杉本鷹の裸婦像がいっぱい。描きまくった。描いて描いて描き尽くさないと、他のものを描く気がしない、というのは私も創作者側に一応立っているので大いに共感する。

それにしても、今現在、現政府が戦争を起こしたがっているんだ、この国は戦争の危機に巻き込まれたんだ、という発言をしばしば見かける。でも、この企画の展示を見てると、まだまだ日本は平和なんだなーと思うんよ。いったいその発言してるヤツらは本気かよ、と言いたい。実は君は戦争が近づいているなんて、本心じゃ少しも思ってなくて、単に自分が胸張って見下せる「愚民」とやらを一生懸命探し回っているだけじゃないのかい。もし君が本当に危機感を持った芸術家なら、この企画にある作品のように、暗く、強く、大いに表現して訴えてほしいものだ。そしてそいつを見せてくれ。

無料でお得。
http://www.itabashiartmuseum.jp/main/exhibition/ex150411.html

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