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2015年5月17日 (日)

「ユトリロとヴァラドン 母と子の物語」(損保ジャパン日本興亜)

先週、母の日にはぜひこの美術展に、なんていうツィートを見つけ、ヲイヲイいいのかよ、ヴァラドンなんてまったくもっていい母親じゃなかったんだぜ。私は思うに、ユトリロとヴァラドンを普通の「なかよし母と子」みたいな目で……うーんなんていうかつまり、まったく痛みを感じないで脳天気に鑑賞できるヤツらの気が知れねえ。ヴァラドンはユトリロを(そもそも父親が分からねえ)、放ったらかして色恋にふけり、ユトリロは母の愛を求めて精神病とアル中になり、それで絵を描いたら売れてヴァラドンより有名になったんだが、そうなるとヴァラドンは再婚したユトリロより若いダンナと一緒にユトリロに「売れる絵」を描かせるだけ描かせ、ユトリロには金もやらず自分はまだ遊び歩いていたんだってよサイテーの母親だなおい。が、しかし、困ったことに諸君、このヴァラドン、結構絵の才能があるんで困る。それがこの企画で確認できるぞっと。

展示は年代順だそうで、最初の方にヴァラドンの「編み物をする若い女」ってのがあって、うん、なかなかコントラストもあってうまいんだよな。ユトリロももちろんあるんだけど、何かこう、ユトリロ展ってある度に行っちゃうから見慣れてるっていうか、でも「白の時代」になりますと、さすがに絵にキレがあって、いいね。「『小さな聖体拝受者』トルシー=アン=ヴァロワの教会(エヌ県)」や「クリニャンクールのノートル=ダム教会、モンマルトル」とか、白い壁の何とも、うーん深い味わいが。……しかし自分で書いてて何だが「絵にキレがある」って表現は何だ? つまり、何か冴えたものがあって迫ってくるって感じかな。しかしいずれの絵も遠近法がうまいのね。すげーなユトリロのデッサン力は……って実は違うらしい。いや、今回の解説に書いてあったんだけど、実際にモンマルトルをデッサンしたことはあまりなくて、絵葉書の写真見て描いたのもあるんだって。でもまあそれが「ユトリロの絵」になるんだから、それはそれでいいぢゃないか。で、ヴァラドンはというと風景よりも人物や肖像が多くて、それでイケる。「黒いヴィーナス」ってのがね、ゴーギャンのタヒチ風でいい感じですな。ええと、時代的にゴーギャンよりあとだよな。ヴァラドンの風景はイマイチで、「コルト通り12番地、モンマルトル」なんてのは一見して、なんじゃこりゃ的な色彩だ……いや、そうでもないんだけどさ、ユトリロと比べるとだいぶ落ちる。

ユトリロは「白の時代」を脱し、「色彩の時代」になる。ええと、何がきっかけだったかな。パリを離れるんだっけ。でも記憶でパリを描かされている。何がどうってんじゃないが、やっぱりキレがなくなってる感じだよなあ。一方ヴァラドンは同じペースで「ユッテル家の肖像」の3人とか、うまい。「モーリス・ユトリロの肖像」も描いてる。ユトリロが有名になったんで金のために描いたんじゃあるまいな。「サン=ベルナールの城のテラス(アン県)」は近景と遠景を合わせてヴァラドンにしちゃあガンバッテルじゃん。

あとは晩年になって、まあユトリロはひたすらキレの失われたいわゆるユトリロの絵を売るためと他にやることがないため描き、ヴァラドンの方がむしろ、肖像も円熟しましたなあ、という感じがしてくる。あと、花瓶と花を描いたのが二人分並んでいて、ユトリロは印象派風、ヴァラドンはエッジを明確にして、ガラスの屈折なんかも描いてる。この並んだ対比が面白い。母親に結構冷たくされてたユトリロだが、亡くなったらやはり相当なショックだったようで、礼拝堂なんか造って祈る時間の方が多くなったらしい。

ヴァラドンは「スュザンヌ・ヴァラドン」って書いてあって、これ本名じゃないんだって。この「スュザンヌ」はなんと「水浴のスザンヌ」のスザンヌだそうで、老人じゃないけど、多くの画家達に囲まれてモデルとして見られてたからそんなあだ名が付いたそうな。
ヴァラドン再発見で行け。
http://www.sjnk-museum.org/program/current/2978.html

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