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2015年6月13日 (土)

ヘレン・シャルフベック(東京藝術大学大学美術館)

うむ、初めて聞く名前だ。フィンランドじゃ有名画家だって。知らないんなら行こうじゃん……ってことで行ってきたのさ。

幼い頃の事故で歩行困難になって、その苦しいのがずっと続くのだが、キツい絵はそんな多くなくて、うん、最晩年ぐらいかな。でも最初に出ている「静物」が頭蓋骨があるヴァニタスなんだじぇ……ってかこれ描いたの15歳? 次の「雪の中の負傷兵」も18歳? うめえなこんちくしょう。「リゴレット」もなかなかいい爺さんの……どーでもいーけどよー1500円も払ってんだから無反射ガラスぐらい奮発して展示してくれよー こっち側が丸見えじゃねーかよー まあ絵によるみたいだけどさ。しばらくいろいろあって「母と子」ふふふ子供をだっこしてる母子萌えだな。それから「快復期」という絵があって、病み上がりの子供。一応本人の心情も反映しているようだが、絶妙な表情をしているね。なんちゅーか、病気がよくなってよかったんだけど、まだちょっと不安でもあるなーって感じか。あとは「断片」というフレスコ画っぽいのがなかなか。「鎧を着た少年」これも表情がいいですね。少年っぽくないというか。なんかお悩み中っていうか。

風景画もあってね「フィエーゾレの風景」。これは、あー風景かーってスルーするのはもったいないゾ。抽象モードで見ると結構イイっ! 抽象モードっていうのは、何の事物が描いてあるかを除外して、その絵の色彩やら形やら質感やらをあるがままに感じ取ることである。考えるな感じるんだ。君のゲシュタルトをブッ壊せ。抽象画ならハナっから事物が無いから、この見方をするのは比較的容易だが、世の中、事物が描いてあっても抽象画的に感じることができる絵が少なくないぞ。モネとか普通にそうだしな。あと問題として、そのことは作者が意図していたとは限らないのだ。作者は自分の作品について全部を理解しているかというと実はそんなことはないんで。オレもそうなんだけど、展覧会場に作者(や関係者)のお言葉なんか書いてあると、ははー、そういうもんかと思ったりしちゃうが、実はその作品の魅力は全然違うところにあったりしてな。特にバルテュスなんかそうだったりしてな、本人と夫人の言うことは、てんでミスリードだったりしてな。だからー、オレとしてはー、勉強や予習やイヤホンガイドも結構だけど、ホドホドにしとかないと作品の本当の魅力を見落とすかもしれねーぞって言いたいわけよ。オレは予習もしないしガイドも使わないぜっ……まーほんとは頭使うのが面倒なだけなんだけどさ(ミもフタもねーな)。

さて「お針子(働く女性)」はホイッスラーの「母の肖像」リスペクト作品。「ロマの女」これがなんとまあ、19歳年下の男が理解者で交流していて好きだったんだけど、その人が婚約しちゃって、凹んだ時の作品。うん、ダークだよ。もっともこの時点でシャルフベック何歳だ、57歳? マジすか? いい歳じゃないか。それから肖像とか自画像いろいろ。「黒い背景の自画像」は、フィンランドの何とかから依頼されて描いたとかなんとかで、男の婚約前だからまだ顔色がいいな。それからラフな感じの肖像「ナンナ」とか「アップルガール」とか。あとマリー・ローランサン風の肖像もあり。それから凹んでいた時にキャンバスに切りつけちゃった自画像とか、やっぱり芸術家だなあ、みたいな。

晩年にはエル・グレコに魅力を見いだし「天使断片」とか写す。「慈悲の聖母」がいい感じに聖母している。最晩年は自画像と静物。おっとこのパターンは我が心のフリーダ・カーロと同じだ。でも全く描き方が違うんだな。フリーダは死が近いからこそ生き生きした生命をキャンバスに描こうとした(Viva la Vida!ですな)。対してシャルフベックは衰えゆく自分をそのままに描き、静物なんかも生命感が抜け落ちていく感じの色彩だ(「かぼちゃ」ってのはまだ色彩があるが)。自画像も衰えるままに衰えて崩れていく。これはメキシコとフィンランドの違いか、あるいはフリーダ五十代、シャルフベック八十代の違いか。

まあ激混みすることはないだろうから、君もじっくり対峙してみよう。
http://helene-fin.exhn.jp/

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