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2015年6月20日 (土)

心のアート展(東京芸術劇場 ギャラリー1)

東京精神病協会主催で入院や通院している人のアート作品展。でも、いわゆるアウトサイダー・アートかというと、ちょっと違うところがあって、中にはちゃんと美術教育を受けた方もいる(「アウトサイダー・アート」っていうと、普通は美術教育を受けていない人が、自らの芸術的衝動で生み出した作品ってな感じなもんで)。あと、プロというか……あの吾妻ひでお先生がいてですね、私が会場に着いた時、出展者の自己紹介の時間で、ちょうど先生が自己紹介をされていた。わあ、本物を初めて目撃(以前、西武の原画展も行ったよ)。

いろんな人が参加しているので、選ばれていてもそこは玉石混交……というか、私好みのあるなしが分かれる。私としてはいかにも「精神を病んでる方が描きました」というような作品、ぐるぐるをいっぱい描いたり、人の表情がホラーだったり、画面全体がぐちゃぐちゃだったり、というのはあまり好きではない。かといって、「癒しの時間」みたいな毒も棘も痛みも感じないもんもスルー。あとどこかで見たような、草間彌生みたいなのは草間彌生だけでいいよ。……ってなことを考えると、おおっ、と感じるのは多くはない……のはまあ仕方ないです。

田村次郎という人のがまずイイ。水彩ながら細密という、それだけで不思議な感じがする。画題も具象系のシュールレアリズムのようで、好きだねこういうの。「汽車を押す自画像」いいですね。佐藤由幸って人の鉛筆画もいいね。バサラな感じ(?)スタイルで迫ってきますね。姫のコスチュームちょっと萌え系でいいね。大谷浩一「死と生の狭間」暗い画面と仮面のような顔、でもなぜか生きるための美意識を感じてしまう。「肉体の叛乱」は、これ、あの暗黒舞踏のあれかな? そして吾妻ひでお、マンガ「死にたいクラブ」。一ページの不条理ギャグ(美少女入り)。本当は生きてるのも辛いのかもしれないが、こうしてギャグに昇華する手腕というか、これが生きる道というか、軽さの中にもカルマを感じる(お、名言だな)。しかしなんですな、死と戯れている作者、作品ほど面白いんだよな。前も書いたけど、美術鑑賞ってなあ残酷なんだぞぉ。ゴッホもフリーダも、こないだの鴨居令も、迫る死(肉体的ばかりでなく)をヒシヒシ感じながら、それを作品に刻んでいったのです。それを我々は空調の利いた部屋でのんびり鑑賞しながら、終わったあと茶などシバいているのです。もっと姿勢を正して作品と向き合い、命とは、生きるとはなんぞやとか、自らに問うてみよと言うかもしれないが、それはもう哲学であって美術鑑賞ではないのですよ。美術鑑賞というのは、作品そのものが自分に与える印象を感じ取るただそれだけの行為であって、それ以上ではない……うーん、別に哲学もいいよな。いや待て、もっと簡単な例があるぞ。例えば虐待を受けた人が痛ましい作品を残したので、虐待を撲滅するために活動した場合、その活動は美術鑑賞には含まれないのだ。痛ましい~と十分感じながら、あとは何もしない。それが鑑賞者だ。戦争でも同じ。原爆の図を見たからって反戦活動なんぞするな。戦意高揚の戦争画を見て戦意を高揚させてもダメだっ……まあ、別に、そこまでキバっていろいろダメでもないんだけどさ、鑑賞者なら社会活動よりも、むしろ人の表現の多様性をより感じていった方がいいんよ。

今回、高村智恵子特集がある。おなじみ紙の貼り絵。私は安達にある智恵子記念館に行ったことがあるのだ。しかも2回も。うん、なんでかな。なんとなく行きたかったので。あの後ろの智恵子の森公園だったかな、あそこがいいよね。まあいいや。その記念館にも貼り絵が展示してあったんだけど、どうも写真っぽいんだな。本物は光に弱いようで。今回の展示も……うーんこれ写真じゃないかなあ、なんて思ったりしたんだけど、結局その場にいる人には特に訊かなかった。あと堀井正明という人、これはもう、病院通いしていたとしても、プロっぽい、よね。あと大下伸行って人のマッチ棒アートが細かい力技(ちからわざ)で魅せる。

そういえば作家本人が来ているところも多くて、そこらでおしゃべりしていたり。うん、私は誰とも何もしゃべらなかった。コミュニケーションは苦手なんだ。
明日まで。
http://www.toseikyo.or.jp/art/

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