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2015年9月28日 (月)

「回向ーつながる縁起」展(P3 art and environment)

P3が帰ってきたぞっ! ……いや、別に帰ってきたわけじゃなくて、活動がしばらく地方を転々としていたか、単に私がノーマークだっただけか。ともあれ、もう20年以上前に何かと足を運んでいた東長寺に再び行けるなんて嬉しいぢゃないか。あの東長寺地下のアートスペースで、私は現代アートの何たるかを学んだようなものである。あのアートスペースはまだあるのか分からない(今回見たらシャッター閉まってたし)。今回の会場は東長寺前の建物の1階。うむ、ここが「Project Space」という今のアートスペースなのね。今回は東長寺に「結の会」というのが発足し、「文由閣」という建物ができたことで企画されたそうな。

この企画は6巻から成っている。「第一巻 継ぐ」「第二巻 結う」「第三巻 紡ぐ」「第四巻 響く」「第五巻 繋ぐ」「第六巻 続く」。それぞれ展示であったり、イベントであったり。「回向」は仏教用語で「自ら修めた功徳を他者へと回し向けること」だって。

「第一巻 継ぐ」
インゴ・ギュンター「Seeing Beyond the Buddha」。光ファイバーで周囲環境の光を集め、それを仏の形にして暗い室内に淡く輝かせる。部屋の外の会場内には光ファイバーの束が走り、あるいは拡散し、その暗い部屋に一つ仏の形が鎮座している。インゴ・ギュンターはかつてのP3にもよく出ていた。うーん、一番凄かった光る地球儀を並べた企画を、実は私見落としてるんだが……いや、もう一回ぐらいあってそれは見たんだよな。ともあれ、今回の展示はいかにもP3らしい。かつての東長寺地下で、広い空間に展示作品一つだけとかあったっけ。そうそう、あの体育館ぐらいのスペースに、ちっちゃいスピーカーのインスタレーションが3つだけ、なんて時もあったなあ。今回、仏の形なんだな。やっぱりそこはお寺の活動だし、仏教だもんね。

「第二巻 結う」
「回向の加速装置」と名付けた活動紹介。1989年、バックミンスタ・フラーのシナジェティックサーカスから始まった(行ったよ)。あと、東長寺と文由閣の木の模型。使用している仏具を作る工芸のビデオ(これ、ちゃんと見てない)。文由閣の紹介パネル。なるべくエネルギーを消費しない「パッシブハウス」として作られたんだって。

「第三巻 紡ぐ」
何回かあるトークイベント。ほとんど終わってる。横浜美術館の個展で有名な蔡國強もいるよ(名前があまり知られてない頃、P3で個展やったんだ。行ったもんね)。

「第四巻 響く」
各種音楽イベント。今回私はこれの一つに参加。evalaのコンサート。後述。

「第五巻 繋ぐ」
ワークショップ。10月3日にあと1回あるね。

「第六巻 続く」
オノ・ヨーコ「念願の木」。木に願い事の短冊を書いて吊す。短冊はいずれアイスランドの「イマジンピースタワー」に送られ、宇宙に向けて照射される光の束の一部となる……そうです。この木は出入口にあって誰でも願い事を書ける。うーん、コンセプトはいいんだけど、これカエデを使ってて、笹だったら普通の七夕飾りなんだよなあ。すまないが何も書かなかった。

さて、evalaのインスタレーションとコンサート。これはProject Spaceではなく東長寺そのもので行われた。本道の中に案内される。中庭(というか池なんだが)方向の扉が開いていて、全員そっち向いている。ほう、中庭にアーティストが出て演奏するのかな。室内は6つのスピーカーに囲まれていて、これが既にインスタレーション。電子音とも自然音ともつかない音が流れている。やがて時間が来て、中庭に向かった扉が閉められてしまった。うむっ、じゃどこで演奏するのだ? そうこうしているうちにコンサート前にお経を読むとのこと。なるほど寺だ。聞いてると般若心経なのだな……うむ、先日般若心経の本を読んだんだけど、短くても究極の仏教ワールドの要約みたいなもんが般若心経らしい。「これやっときゃとりあえずオッケー」って感じなんじゃね。で、本編が始まったのが、電子音楽っちゅうか環境音楽っちゅうか、サンプリング音楽っちゅうか、そんなのが延々続く。6つのスピーカーを使って音がそこらを走り回る。いや、嫌いじゃないよ。どちらかというと好きなんだが。それにしてもアーティストの姿が見えない。何か録音聴いてるだけなんじゃないかって気もしてくる。それにしても……5時過ぎからスタートしたが、5時55分から6時半まで出入り禁止になるんだって。これはどういうことだ? 聴きつつ時計を見つつ……今回これ無料なんだけど、どっから金出てるんだろうってな煩悩テイストなことを考え始める。アーティスト呼ぶのもそれなりにするはずだが……お寺だからお布施か? ここの活動に本格的に関わるにゃやっぱお金かかるのかな ……5時55分になった。特に変化がない。あいかわらず音が続いている。しばらくしてやっと気がつき始める……ありゃ、何か照度落ちてるぞ。だんだん暗くなっている。おお、そうかそういうことか。そして照明が消えてほぼ真っ暗に。音だけに包まれる。う~ん実にニルヴァ~ナ(←意味分かってねえ)。そして全てが終わって照明が元に戻る。拍手……って誰に? と、なんとアーティストは入口の上にあるスペースにいた。拍手拍手。

ということで終了。P3にはこの先も期待。
http://p3.org/JAPAN/

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2015年9月23日 (水)

ニキ・ド・サンファル展(国立新美術館)

なんか評判もよさげだ。行こう……ってこれ誰なんだ? なんとなく作品は見たことがあるようなないような感じで。フランス生まれアメリカ育ち、らしい。

会場のはじめでニキがこっちに向けて銃をぶっ放そうとする映像があって、それからして攻撃的というか、なんかイケイケ(死語か?)って感じがするんだけど、最初の絵が「自画像」で、これ決して明るくない。ガラスタイルやドリッピング(だよな)とか使ってるけど、印象は草間彌生っぽい内向的でヤバい自画像。ニキがずっとこの路線だったら……まあ草間に勝てないよなあ。で、しばらくは「無題」などの絵画っぽいオブジェで、早くも拳銃とか出てくる。それから壁に「射撃絵画」のパフォーマンス映像がバーン! 射撃絵画ってのは、絵の具を詰めたオブジェを貼りつけたヤツを、銃で撃って絵の具を飛び散らせて絵画ともオブジェともつかんものにする。パフォーマンスアートにもなる。うむ、女性と拳銃ときたらもう、フロイト的解釈をするまでもなく、銃って男根だよなあ。なんか銃を使う女性って、かつて銃に傷つけられたんじゃないかって気がするし、攻撃的態度に出るってことは、人一倍傷つきやすいんじゃないかって気がするな。そんなわけで、射撃絵画って作品そのものよりも、射撃絵画って行為そものが作品なんだよな……って、そんなこと諸君は分かってるか。ニキは射撃絵画をやらなくなるんだけど、その理由は快感過ぎてハマるとヤバいと思ったらしい。それから次の部屋は、なんかドラゴンとか恐竜とか、そんなヤツらの絵や立体。「ポジティヴ・ネガティヴ・ドラゴン」の工業製品っぽい立体から、「白いグレムリン」なんて粘土細工っぽいのまで。怪獣はどう見てもゴジラだな。

次に「女たちという問題」というコーナーで、ここも石膏とかで作った立体ものの女性像……なんだけど、男が見るとちょっとグロい。体がデカい。手足傷ついていたりする。カワイくない。女性アーティスト、特に「おんな」であることを押してくるヤツは、キレイキレイでカワイイものや男が萌えちゃうものは絶対作らなくて、ザラザラした感触で生々しいエグいキモいシブいものを作ることが多い……というのがオレの独断の印象で、ニキも概ねそうだよなあ、と思ったりする。特に「赤い魔女」もう、なんか、うええええみたいな感じだけど、心に傷を負った女の心の中はこんなんだよ、と言われているかのような「おんな」押しである。

しかしニキはここでパッカーンと作風を変える。「リリあるいはトニー」という立体作品。誰それさんが妊娠したんで、それで作った女体の作品。後の「ナナ」シリーズの原型。これ何か? 大柄で胸も尻もデカくて、全身ハデハデ。それが踊ったりしてるんだから、身軽なデブ女みたいな感じ。こりゃ女性ウケしまんなあ(まあ男が見ても面白いが)。で、ニキ自身バキバキのフェミニストだったそうで、そのインタビュー映像が出ている。この世は男性が支配している。女性と黒人が手を組めば素晴らしい世の中になる、とか何とか。ただ印象に残ったのは「子供を持つことを労働と考えてほしい」と冷徹だ。育てるのは大変な労働だから国が負担しろって。ほう、そうなのか。なんかフェミニストって「育児は喜びです」みたいなこと言ってんのかと思ったけどそうじゃないんだな(それは男が女に育児労働を押しつけるときのセリフか)。その「ナナシリーズ」の立体がいくつもある。「ビッグヘッド」とかいうデカい顔もある。「身繕い」という母親の虚飾っぷりを揶揄したかとかいう作品があり、それから「ホーン」という大インスタレーションの記録がある。これは巨大なナナの立体内にプラネタリウムだとかいろいろ部屋があるもんだけど。入口が股間という実に「おんな」なヤツ……実物見たいよな。

それから「あるカップル」というコーナー。ナナと誰か、みたいな感じの立体。それから「ニキとヨーコ」というコーナー。アートで「ヨーコ」といえばヨーコ・オノかと思ったら、増田静江って人なんだって。書簡とかあり。この辺で、作品のテイストが似たようなもんばかりなんでだんだん飽きてきた。でも「ニキ美術館のための模型」なんて見応えがある。那須に美術館があったんだって。今は無いの。あとブローチとかは見もの。細かいけどちゃんとニキなんだぞ。

「精神世界」コーナー。ここでブッダ(デカい。撮影可)を始め、ガネーシャとかドクロとかが、ニキ風の立体になっている。ガネーシャとか電飾なんだけど、いいのか神様がこんなんで、という印象もなくはない。「髑髏」がなかなかの大きさがあり、ふと鴻池朋子の立体作品を思い出す。あれも髑髏で……いや髑髏じゃなくて赤ちゃんだった。でも鏡タイルいっぱい貼ってキランキランだったよなあ。

最後が「タロット・ガーデン」のコーナー。これが何か、タロットの大アルカナ22枚を立体作品にして、それをトスカーナ地方のある公園にしたんだが……これまたスケールがデカい。人が入れる作品もある。ガウディのグエル公園も意識した超大作。公園は旅行ガイドにも載ってなくて限られた時間しか公開されてないそうな。で、展示にはその現場の映像と、原画とかタロットデザインとか、関連の立体作品(ミニチュア)がたくさん。うーむ、しかしやっぱ現場映像がいいよなあ。行きたくなりますなあ。

まあハズレはない。子供連れでもイケる。
http://www.niki2015.jp/

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2015年9月13日 (日)

風景画の誕生(Bunkamura ザ・ミュージアム)

風景画の「誕生」ですからね。バルビゾンとかね、コンスタブルとかね、そういうのよりもっと前なのね。ウィーン美術史美術館からマニアックに持ってきたのさ……って、なんか知らん奴ばかりなんだけど、通好みな切り囗にみんなエキサイトだぜっ。

てなわけで、そもそも聖書とか、神話とか、そんな主題を描いていたところの背景でしかなかった風景が、それだけで独立した主題になるまでだ。だからしょっぱなから宗教画だぞ。イェルク・ブロイ(父)ってやつの「五色鶸(ヒワ)と聖母子」その背景はともかく、母子の顔が怖いな。フランドルの画家の「キリストの誘惑が描かれた風景」は風景画っぽく左下に小さく人物、ヤン・ブリューゲル(父)も「キリストの誘惑が描かれた山岳風景」これは色がキレイだな。アドリアーン・イーゼンブラントとヤン・ブリューゲル(子)がいずれも「エジプトへの逃避行上の休息」を描く。聖母子が森みたい中で休んでいるところ。アドリアーンのほうにはヨセフらしき人がいるが、ブリューゲルのほうにゃいないね。ブリューゲルのほう、色がキレイだな……ってなにさっきの父のと同じような空の色で、ブリューゲルブルーか(そんなのあるのかよ)。有名なピーテル・ブリューゲルはヤン(父)の父で、ヤン(父)の母がヤンママだからよく覚えておけよ。しばらく適当に見ていくと、おおっ、小さいけどボッスがあるぢゃないか。あの有名な「楽園」の妙なアイテムが描かれているボッスだぞ。なになに作者が「ヒエロニムス・ボスの模倣者」……ニセモンかい。パチモンかい。パクリかい。でも時代は同時代だから古い。次の「聖アントニウスの誘惑」もボッスパックンで、でもよく描けている。この主題「なんでもあり」なんだよな。画家の奇想能力が試される。次のルーランド・サーフェリー「冥界のオルフェウス」もダークで幻想的な風景だ。それからそれなりにデカい絵があり、パオロ・ファミンゴ「風景の中の古代の神々」やサルヴァトール・ローザ「アストライアーの再来」うーん、雲がモクモク。

「月暦画」という月ごとの絵画があって、そこの背景に注目ってコーナー。大きめの絵がバンバン出ているんだけど、作者が同じだったり主題が同じだったりで、全体にそう変化がない。レアンドロ・バッサーノって人の「1月」から「8月」「11月」がずらっと並ぶ……が、まあ背景付き1年の風俗画ってところかな。画面は暗い(陰気ではないが)。空にはその月の星座の実体化が浮いててUFOみたいで面白い。にしても、女も子供も栄養がよくて貫禄がありますなあ。マルテン・ファン・ファルケンボルフになるとさらに風景に力が入っている。「夏の風景」の景色を見下ろす感じは……まてよ、ふと絵本「ちいさいおうち」を思い出したぞ。

おお「ちいさいおうち」な。あれまさに風景で語る絵本だよ。一応昼夜や四季の自然を愛し、自然を破壊する文明批判になってはいるのだが……諸君、諸君は子供の頃、あの本をストレートにそう受け取ったであろうか。オレは、なんかあのダイナミックな風景の変化にワクワクしたものだぞ。きっとそういう人もいたに違いないし、また、単にビルはひどいですねおうちがかわいそうですね、というだけじゃないなんかアンビバレントな感情が、みんなにもなくはなかったと思うんよ。

話を戻して、なんか「時禱書」というのが出てるが、よく分からん。それから「牧歌を主題とした作品中に現れる風景」ということで、なかなか風景のうまいのが並ぶが、傑出した個性みたいなのはないよね。ニコラース・ベルヒェム「水道橋の廃墟のある風景」で、JR水道橋駅が廃墟になっている絵……のわけなくて、読んで字のごとしなんだけど、一応理想風景っぽい雰囲気がある。

次は「風景画の展開」ってことで、ここでイイのがヘイスブレヒト・リテンス「宿営する放浪の民のいる冬の風景」で、白く細かい枝の枝ぶり最高よ。マルコ・リッチの「修道士のいる嵐の風景」うむ嵐かい。なかなかであるが、まだ甘いな。こうなるとクールベさんのハードな自然描写が見たくなる。まあ時代はずいぶん違うんだが。ルーカス・ファン・ファルケンボルフ「盗賊の奇襲が描かれた高炉のある山岳風景」は文字通り。盗賊からあわてて逃げていく男が左端に描かれてるが、それ以外は風景画でもある妙な絵だ。ヤーコブ・ファン・ロイスダール「渓流のある風景」でやっと有名どころが出てきた。うーんでも普通。以降はいかにも風景画が並ぶ。あと都市風景もあり、イアサント・ド・ラ・ペーニュの「パリのメジスリー河岸からのポン=ヌフの眺め」は超うめえ。パースの遠近感がイイよな。

クールベさんはともかく、クロード・ロランぐらいおらんのか? ウィーンは持ってないのかな?
http://www.bunkamura.co.jp/museum/exhibition/15_wien.html

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2015年9月 6日 (日)

もうひとつの輝き 最後の印象派(損保ジャパン日本興亜)

美術史の一般的な流れとしては概ね、印象派→後期印象派→フォーヴ、ダダ、シュールってな流れになってるんだけど、印象派ってのをそのままやってた連中がおるのね。で、それらは前衛的じゃなくて、サロンに出てくる。なんちゅーかもう、アカデミック? だよな。それ以前にゃ印象派が前衛的だった時代もあるんだけどね。
ところで、最後の浮世絵師って誰だか知ってるかな? 小林清親? ノーノー。彼は新時代の木版画家第1号、と見てる。明治になっても江戸浮世絵の「あの感じ」をやってた絵師がいて、それが楊洲周延って人。まあつまり要するに今回の展示は、浮世絵でいえば周延みたいなのを集めたってわけだ。
えーところで私はカリエールが好きでね、出てるってんでそれにも期待してたんだぜ。でも行って分かったのは、最後の印象派って、割とカリエールに近い雰囲気のが多いよな。色は違うけど。

部屋に入って最初はエドモン・アマン=ジャン。知らないじゃん。絵を見るとまったり系だな(なんじゃそりゃ)。しかしなんだな、あまり聞いたことない画家ってのは、それが「知られざる驚異の画家」であることはまずないよなあ……いやいやいや、少ないがそういう場合もなくはないぞ。ダドとか有名じゃないじゃん。あと鴨居玲も中村正義も磯江毅も行くまでじぇんじぇん知らなかったぞ(覚えてないだけだったりしてな)。でもまあ、エドモンは普通。次、アンリ・マルタンの「収穫」を見る。ええ、その、素直に印象派。麦畑での収穫。画面広い。でもこれ描かれたの1918年。ゴッホなんてとっくに終わっている。ゴッホの強烈な原色での麦畑を思うと、なんか絵が古いよなあ。当時のレトロスタイルって感じぃ? まあ印象派の時代を過ぎても印象派を描いちゃいけないわけじゃなし、まして鑑賞する我らはそのずっと後の時代にいるので、制作年はともかく純粋に「こんな絵」として見りゃあいいじゃないか。つまり要するに、オレってあんまり普通の印象派って興味ないんだよね(ミもフタもねえな)。マルタン「野原を行く少女」うん、いいね。ノスタルジックに萌えられる。

ここでアンリ・ル・シダネルって人が並んでいる。「日曜日」ふむふむ、女達が集まって、ちょっと神秘的な雰囲気ね。「コンコルド広場」…………ありゃ、これ確か見たことあるぞ。ここで思い出す。ああああああオレ「シダネル展」っての行ってたぢゃないか。埼玉県立近代美術館。大した印象無かったよなあ(と思いつつ、あとでブログ読み返してみたら結構高い評価してた)。ともあれ、この「コンコルド広場」は傑作でしょう。いいよこの夜の灯火が滲んだ感じ。アンリ・デュエム「羊飼いと羊の群れ、夕暮れの海岸」どうでもいいけどマッカッカだな、オレの勤め先の売り上げみたいだ(おいおい)。

シャルル・コッテ「悲しみ」クールベさんに影響受けたらしい。この絵もリアルで美しくねえ。リュシアン・シモン「王女ナウシカ」…………マジすか? えーうそー青き衣まといて金色の野に降りてないじゃん。メーヴェ飛んでないじゃん。王蟲もいな……ナウシカってギリシャ神話の「オデッセイア」に出てきたんだって。これはもちろんその絵よ。ハヤオったらそんなところから名前持ってきちゃって。ところで女の人がゴチャゴチャいるんだけど、どれがナウシカなんだ? ルネ=グザヴィエ・プリネ「カブールの浜辺」突然の雨をかぶーる人達。走る母子が動きがあっていいですね。エミール=ルネ・メナール「オデー川・河口の眺め」横長だ。ガストン・ラ・トゥーシュ「聖アントニウスの誘惑」おお、例の定番テーマか。あんまし「らしくない」が、象徴派風ね。やっぱしー印象派だけじゃやってけねえ時代だよなあ。

ベルギーの画家コーナー。うむ、ベルギーならやってくれる。アルベール・バールトソン「ロンドン カノン・ストリート・ブリッジ」これ、ちょっと面白い絵。水の中からでている二本の杭(?)が、なんか暗い影の人物にも見え、普通の風景が一気に象徴派風なヤバめの絵に。狙ったのかな。エミール・クラウス「リス川の夕陽」樹木の葉を透かして、その向こうに太陽の光。実景の写実ながら、ちょい神秘。マグリットはこれを月でやってド神秘(?)にしたけどね。

それから肖像が並ぶが、ううむ、イマイチ。で、最後にまずアルベール・ベアール「サビーヌを流れる小川」なんだこれ、フランシス・ベーコンか? と思わせる右下の人物の肉体よ。いや、歪んではいないけどなんとなく。これベーコンのああいう人体だったら面白いんだがのう。そしてカリエール……嗚呼期待したほどではなかった。もっとイイのはあるはずだ。でも「アルフォンス・ドーテ」はうまい肖像画だよ。

シダネルの「コンコルド広場」やクラウスの「リス側の夕陽」これだけでもまあ行ってオッケーよ。
http://www.sjnk-museum.org/program/3214.html

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