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2015年10月12日 (月)

月映(東京ステーションギャラリー)

「つくはえ」と読む。美術学生であった田中恭吉、藤森静雄、恩知孝四郎が1914年から1915年に出した詩と版画の雑誌。知らなかったし、あまりにピンポイントな企画なもんで、期待もそこそこだったが、これはなかなかいい。ピンポイントでやる理由も分かる。

簡単に言ってしまうと、田中が結核持ちで死にそうだったのと、藤森の妹も亡くなってしまうのとで、その作品群はモノクロ木版画でありながらひたすら暗く深く死の影をともなって迫ってくる。田中は追いつめられ、その影響で藤森はひたすら内省的で、恩知は抽象でも表現する。ただの版画集ではないのだ。

最初は「月映」以前の回覧雑誌「ホクト」や「密室」の紹介。「曇り日の負傷」で田中のムンクがかった孤独な人物+パース表現が早くも炸裂。田中「ある日の恐れ」「赤き死の仮面」これらもムンク好きならゲッツだ。

で「月映」が誕生。名前を決めた田中の書簡あり。最初は私家版で、あとから機械刷りの公刊「月映」が登場するんだけど、最初は私家版のほう。とはいえ、いきなりトップギアでぶっ飛ばす感じで、田中「死の支配者の微笑」とか、「生ふるもの 去るもの」とか「焦心」とか迫る。藤森の明るく孤独な「かげ」とかも……いや、実はタイトルはメモってあるが、どんなんだったか覚えてないのが多い。いや、もちろん再会すれば、ああこれこれって思い出すんだけど。波がキレてる恩知「うみのさち」、ヤバめに空をあおぐ田中「あをそら」、スピリアールトの暗い絵みたいな藤森「よる」……ってこういうの見てたらスピリアールト見たくなったな。また展覧会やらないかな。目だけで訴える恩知「泪」。シンプルな心の表現、藤森「心のながれ」。藤森「黒き手」はちょいエッチだ。恩知の「裸形のくるしみ」が苦しい。

機械印刷の公刊が登場。私家版作品の機械印刷バージョンがいくつも。藤森「夜」はこっちのほうがよく見える。恩知「夏日小景」はなんか子宮っぽい。田中「ひそめるもの」男女と太陽。藤森「夜のピアノ」寂し~い。田中「冬虫夏草」人の背中から草生えてる。「月映Ⅰ」から「月映Ⅲ」と出て、Ⅳの時藤森の妹が亡くなってしまい、「死によりあげらるる生」などと書いてますますディープに。田中の「埋葬」がもう苦しい。恩知も抽象を進め……って、この辺でメモを取るのもどうでもよくなってきた。何しろ相当の点数があるもんで。要するにこの調子が続いて、「月映Ⅶ」まで行くが、この辺で田中が亡くなってしまう。若干23歳。詩人、荻原朔太郎が、「月映」を見て、詩集の挿し絵などを田中に依頼してたが、亡くなったんで頓挫……するもあらためて恩知に依頼し、田中の絵も含めて「月に吠える」を完成させたとのこと。

にしても見ていてつくづく「若き青春の悩み」だよなあ、と思う。暗く深く切実かつ、世界と対峙している魂の悩みなのだ。年食ってしまうと、こういう悩み方はできない。いや、しているヤツもいるし、してるふりをしているヤツもいるだろう。でも人間、すいもあまいも分かってくると、あまり苦しまなくなってくると同時に、何かを失ってくる。なんちゅーかな、魂が汚れてくるんだなあ。オレも詩や小説を書いたりはするんだが、若い頃のようなもんは書けない。実は書きたい。でも書けない。そういうふりをすることはできるかもしれないが、やっぱり切実さというか、何かが本質的に違う。つまり若者は大いに悩み表現するべきだし、年寄りは若作りすることなんて無駄なんだから諦めっちまいなさい。あーオレはオワコンだなあ、とつくづく思うよ。最近何も生み出してないしな。でもまあ、年輩には年輩にしかできん技もあるはずだ。だからオレもがんばろう……とグチで締める。

とにかく行って損はないぞ。
http://www.ejrcf.or.jp/gallery/exhibition/201509_tukuhae.html

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