« 2015年11月 | トップページ | 2016年1月 »

2015年12月30日 (水)

「英国の夢 ラファエル前派展」(Bunkamura ザ・ミュージアム)

前も書いたかもしれないが、ラファエロ以前に戻れという運動が、なぜ「ラファエル」前派なんだろうか? ラファエルは天使の名前だよなあ、と思って調べたら、英語では「ラファエル」なもんで、英国のこの会派名を「ラファエル前派」と訳し、そもそもの画家の名前はイタリア人の「ラファエロ」だって。
まあそれはそれとして、解説にゃ小難しいことがイロイロ書いてあるのだが、ラファエル前派ってのはよーするに、今の英国の絵は萌えないべ、だからラファエロみたいな萌え萌えなヤツ描きましょうよ(ラファエロは萌え聖母を描き、アングルなんかが真似をした)というもんです。多分当たっている。なんたってそういう絵ばかりだからな。

最初はオフィーリアで有名なジョン・エヴァレット・ミレイ、「いにしえの夢-浅瀬を渡るイサンプラス郷」。幼女趣味のジジイが子供を誘拐するところ……ではないんだけど、まあどこかの物語風なところ。全体を通して美女ものが多いもんで、こういうのは逆に目立つな。ミレイの「良い決心」は美女画……うんうんそうだよなあ。デブの絵じゃ良い決心ったって「間食を控える」とかだもんなあ。ミレイ「ブラック・ブランズウィッカーズの騎士」戦いの前の恋人との悲しい別れのシーン。これも騎士のお相手はもちろん美女。しかも銀色にドレスアップ。許せ恋人よ、私は戦いに行かねばならんのだ、と美女との悲しい別れに萌えちゃう。ダニエル・マクリース「祈りの後のマデライン」。祈りの後に寝るために服脱ぎかけで、クローゼットに恋人が潜んでいるとか何とかだけど、光差す中で浮かび上がる美女はイイですね。アーサー・ヒューズ「聖杯を探すガラハット郷」これもガラハットのところに飛んでくる天使が美女三人なんだから分かりやすっ。巨匠ダンテ・ゲイブリエル・ロセッティ「シビラ・パルミフェラ」得意の美女画……なんだけど、どこかでロセッティの描く女性の顔は両性具有だとかいうのを読んで、そういえばそうだなと思って以来、男にも見えてきちゃうんで素直に萌えられません……っていうか、この時代の他の画家も結構似たようないかつい女性の顔描いてるんだが。あー、あとフレデリック・サンズの「トロイアのヘレネ」もいかついっていうか、顔がこええよ。

次は古代世界とか何とかのコーナーだが、傾向はあんまり変わらん。というかエスカレートしておる。ジョージ・オーウェン・ウイン・アパリーって人の「プロクリスの死」は女が裸でキレイに死んでいる。リアルな死体じゃダメだよなHAHAHA。アーサー・ハッカー「ペラジアとフィラモン」も女の裸を鑑賞する以外の何の目的でもないような絵だなあ。いや、うまいんですけどね。フレデリック・レイトン「ペルセウスとアンドロメダ」おお、出たよ定番テーマが。「水浴のスザンナ」「聖アントニウスの誘惑」と並ぶ裸女を思う存分描けるテーマじゃい。しかーも、このアンドロメダ嬢は常に裸で岩場にくくりつけられてるのが相場なんで、実にヘンタイ的描画ができる。助けに来るペルセウスはとりあえず描いときゃいい。もちろんそういう絵である。しかし諸君、極めつけは次の絵だっ! ハーバード・ジェイムズ・ドレイバー「イカロス哀悼」もちろん蝋の翼で飛んで落ちちゃったあのかわいそうなイカロスである。落ちて死んでるんだが、なんで周りに裸女をはべらせねきゃならんのよっ! イカロスだけ描きゃあいいじゃねーか。なんか笑いがこみ上げてくる。これはヒドイよなあ(もちろん褒めている)。どこぞの町おこしの女性キャラが胸が出てたケシカランとか言うのあったけど、あんなのカワイイもんじゃぁねーか。これらはイイのかよ。っていうかこの四連発をまじめに「芸術における女性美をテーマにした格調高い絵画」と思って見ているオメデタイヤツいるのか? アルバート・ジョセフ・ムーア「夏の夜」さすがムーア先生、裸女四人だけど格調高いです。絵が大きくてイイです。あとは裸じゃないんだけど、チャールズ・エドワード・ペルジーニ「ドルチェ・ファール・ニエンテ(甘美なる無為)」これはカタツムリを鑑賞している美女二名。曰く、「絵画は美しくあるべきで、特別な出来事とか何かではない……」云々なんだけど、よーするに「萌えられればそれだけでよい」ということじゃ。ペルジーニ「シャクヤクの花」萌え系、エドワード・ジョン・ポインター「テラスにて」「愛の神殿のプシュケ」これも萌え系。

ここで少し風景など。どうというものはないが、ジェイムス・ハミルトン・ヘイ「流れ星」はちょっと抽象風味があって面白い。あと宇宙ロケットみたいなヤツがあったが忘れた。

さて、さすがに萌え萌えばかり描いているとアホだと思われるのがイヤなのか、もっと深い意味を持たせてインテリジェンスに描きましょうよ、という連中が現れた模様。それが次のコーナーで象徴主義者達だそうで。確かにフレデリック・ワッツ「これをこそ、女と呼ぼう」とか裸だけどよく分からん。「十字架下のマグダラのマリア」は萌え系で描きたいがもちっと何とかしようぜ、みたいなところが分かるような分からないようなところが好感が持てるね。ジョン・ロダム・スペンサー・スタナップ「楽園追放」うむ、追放している側もきれいどころですな。有名どころエドワード・コーリー・バーン・ジョーンズ「フラジオレットを吹く天使」フラジオレットって木管楽器だって。これも女性像だけど、服も着てるしあまり性的でない感じがうまいですな。「スポンサ・デ・リバノ(レバノンの花嫁)」これは大作です。はい大きいです。ジョン・メリッシュ・ストラドウィック「おお燕よ、燕」「聖セシリア」いずれも緻密な描画がイイですな。ジョン・ウィリアムス・ウォーターハウス「デカメロン」話を聞いてるのが皆女性、「エコーとナルキッソス」定番。いずれもキレイな大型絵画ね。最後、エレノア・フォーテスク=ブリックデール「小さな召使い(少女エレン)」はい、男装しかけの娘に萌えたかったのね、はいはい分かります。

かようにヴィクトリアン英国紳士の萌え美女絵画がいっぱいなので、深く考えずに鑑賞して良いと思う。解説には「絵画美」「女性美」「唯美主義」「切望な夢想」とかいろいろ用語が踊って小難しく考えさせようとしているが、全部「萌えたい」でよい。もちろん「英国美術における美とはなんぞや」などと考えながら格調高く鑑賞してもいいですけどね、オレはやんないけど。
http://www.bunkamura.co.jp/museum/exhibition/15_raffaello/

|

2015年12月24日 (木)

「君が叫んだその場所こそがほんとの世界の真ん中なのだ。パリ・リトグラフ工房idemからー現代アーティスト20人の叫びと囁き」(東京ステーションギャラリー)

どーでもいーけど、このラノベ風のタイトルはなんなんですかぁ? 「パリ・リトグラフ工房idem展」じゃ客が来なさそうなんで、こういうケッタイなタイトルにしたんだろうかと思ったりするし、実は私もこのタイトルで「なんじゃこりゃ」と思って来たクチなんで、まんまとハメられたことになる。とはいえ、パリにある由緒ある工房で作られた作品群は結構イイぞ。
(あとで調べたら、このタイトルはこの企画とリンクした原田マハの小説「ロマンシエ」の一節らしい)

最初は岡部昌生。「スタジオの壁、モンパルナス」だそうでモンパルナスのスタジオの壁を、紙を当てて擦って写す「フロッタージュ」したものをリトグラフに。あーリトグラフって石版なのね。仕組みはよく知らん。次、フィリップ・コニェ。写真素材から絵を作ってそれをさらにリトグラフに。ラフなモノクロに宿る妙な「写真っぽさ」が魅力ね。うむ、これは面白い。「自画像」「屠殺体」が特によいね。パルテレミー・トグォはウォーホル風の色彩にヒューマンな(?)題材で魅せる。リーウーファン(漢字がよく分からん)は……シンプルだ。プリュンヌ・ヌーリー「テラコッタの娘たち」は中国人の娘たちの兵馬俑風の像をリトグラフに。ちょい社会的テーマで。南川史門……うーん、猫とか。グザヴィエ・ヴェイヤン……ポリゴン風。辰野登恵子。この人すごい有名なんだけどねえ、なーんかピンとこないんだよねえ。抽象だよ。キャロル・ベンザケン。なかなか凝っていて「(ロスト)パラダイスブルーⅠ~Ⅲ」は南国ポスター剥がれ落ち風、「マグノリア」は透ける和紙を使って奥行きを演出。いいね。

2階に降りて、ジャン=ミシェル・アルベロラ。文字や言葉を使ったポスター風。意味がありそでなさそな感じが面白い。日本語のもあるぞ。そしてJR(※鉄道会社ではない)! 社会的視点で活動するJRはなんとこのidemでリトグラフも作っていた。見た目ほとんど写真だよね。「ニューヨーク・シティ・バレエの目」が奇妙なヴィジュアルで面白い。それからデビット・リンチ。そう、あのっ、映画監督なんだけど、しっかり現代アートやってるじゃん。双頭に見える「ハローグッバイ」がなかなか好きだ(前も見たな)。リンチ監督の「idem paris」というリトグラフ工房の映像も出ているぞ。あとJRとの合作もあり。次は森山大道「下高井戸のタイツⅠ~Ⅲ」うむ、エロいな……なんつって、これ肌と網タイツじゃなくて、全然違うものに網タイツ装着してたりしてな。いやいや分からんけど。ダミアン。ドゥルペ。うーんと……神話っぽいの? ピエール・ラ・ポリス。意味不明なマンガ風……いや、結構好きだけどね。次はウィリアム・ケントリッジ。ええっと……忘れた。お次はやなぎみわ。あのマネキンっぽい女の群の写真で有名な。でもリトグラフはなんちゅーかな、なんかフランシス・ベーコンを彷彿とさせる。いや、だいぶ違うんだけどね。次はフランソワーズ・ペトロヴィッチ。少女が題材だけど何とも萌えられない。「片足」「したたる髪の少女」がいずれも不気味だ。次にマティスの「ジャズ」をはじめ画集いくつか。それからポール・マッカーシー……ううむ、なんかクシャクシャで池田満寿夫のエッチングみたいだ。レイモンドペティボン。ええと、ちょいラフな感じ?

JRとリンチの部屋が山場かな。そういえば私的に、ここでやった鴨居玲展が、今年みた全展覧会中のベスト1である。今後も期待しているぜっ。
http://www.ejrcf.or.jp/gallery/exhibition/201512_idem.html

|

2015年12月17日 (木)

「始皇帝と大兵馬俑」(東京国立博物館)

昨日なんだが、コンタクトレンズの検査を受けようと会社休んで某病院に行ったが、いつの間にか完全予約制になっていて、しかも水曜やってねーんだと。しかたねーから兵馬俑よ。うん、あんまし期待してなかった。だいたい文明ものってガラクタにしか見えないことが少なくないんであんまし興味ないし。でもまあ、これはなかなかよかったね。秦とは、始皇帝とは、というのが分かる。あの、大中国大陸を統一したスケールがビンビンと伝わってくる……ってもんでもないが、話はよく分かった。

最初はいかにして秦ができていったかを、説明とともにガラクタいや失礼、当時のブツなどと併せて展示。最初に鐘があって、我が秦の国は特別じゃいみたいなことが書いてあるらしい。それから「石鼓」という太鼓みたいな格好の石があって、そこにも同じようなことが書いてある。あと、首飾りとかあって、えーと「玉」に触れるコーナーとか。んーブツの中では、やっぱオレは「鼎(てい)」が好きだな。三本足のUFOみたいなヤツでさ、矢追純一の番組にそのまま飛んでても良さそうなナイスな格好している。あと器なんぞがいっぱい。秦は周囲の国を滅ぼしては、その文化を吸収していったが、やがて独自のスタイルもできてきたとか何とかだって。えー、あとは、帯留めがあって、宮廷じゃなくて草原文化も入ってるぞ、みたいな話もあって、その辺で歴史の展示終わり。

次はいよいよ秦という国と始皇帝がどんなヤツだったかの展示。まず度量衡の統一が大事ね、って話で、デカい分銅とか出てる。始皇帝って書いてあるんだって。あと米とか計るシャベルの化け物みたいなヤツとか。穴の開いた銭とか。それから、大事な記録は紙じゃなくて竹とかにやってて、削って変えられると困るんで、紐で縛って「封泥」ってヤツで封印してたんだって。その封泥が出ている。極めて大事な歴史的資料だぞって強調されるけど、なんちゅーかドロンコ丸めて印押してるだけなもんで、シロートのこっちはハァそうですかという言うしかない。それから帝都は咸陽ってとこなんだって。そこのモンが出ていて、一番よかったのは、んー水道管かな。あと瓦当っていう屋根の先っちょに付けるヤツのね、「太陽文瓦当」の太陽模様は普通にキレイだね。最後に、始皇帝の墓である「始皇帝陵」の映像説明。ピラミッドだなまるで。

んで、いよいよ兵馬俑様と対面でござるよ。まずは馬車がドーンと2つ! ……複製だけどな。これが複製だってんでテンション下がるヤツ多数。でもまあ、オレはどーでもいーけどね。それより、複製やるんだったら、当時の色彩を再現したのをやってほしいと思うんだけどねえ。なぜか発掘してどうにか復元した状態の、イロイロ劣化してる状態のを複製してるんだね。いや、だから「複製」なんだけどね。「そうかこういう状態で発掘されたんだあ」という納得より「そうかこういう姿だったんだあ」という方がイイと思うんだけどなあ。文明ものが好きなヤツはそれじゃありがたみがないのか? さてさて、次が本物の兵馬俑の部屋。なんか坂道があり、その向こうの大空間を予感させる演出がうまい。で、目の前にドーン! ドドーン! ……ってほどではない。まあ広いけどね。壁一面に写真があることで、かえって「あーやっぱ現場より狭いんだなあ」と思ってしまう。本物の「俑」つまり青銅像は数体だけど、ちゃんと展示してあって、一体ずつ見ててもなかなか面白い。なんたって、顔がいいね。「将軍俑」なんてバッチシだね。しかし現場はこれが8000体だってよ。一体でも結構見れるのが8000体? マジかよ始皇帝。権力見せつけすぎ。壁際には中国製の複製が何十体か並べられていて、曰く「軍団」としても感じられるようにしたんだそうだが……見てると工場生産品っぽいクオリティで(まあしょうがないか)、そんな効果あるかなっと。あと、その一番右の軍団の前では記念写真撮れるぜ。

兵馬俑がどうこうより、秦とはどんなんだったか、が分かって面白い。ちなみに始皇帝が死んで3年で秦は滅びちゃったんだって。
http://www.tnm.jp/modules/r_free_page/index.php?id=1732

|

2015年12月 6日 (日)

ゴーギャンとポン=タヴァンの画家たち展(パナソニック汐留ミュージアム)

ゴーギャンのポンタ番の絵……じゃなくて、ポン=タヴァンってところで描いた絵と、その周辺の画家。えーとそのうち「ナビ派」になるヤツラだよね。よーするに印象派のその後がどーなってんのかって話の一つ。

展示は年代順で、最初に滞在した頃のゴーギャン「ポン=タヴァンの木陰の母と子」はまだ印象派。ピサロの影響があるんだと。シュフネッケルって人の「ブルターニュの岩石の海岸」は点描。それから「総合主義」ってのを作ったそうで、それは……なんだったかな、まあ当時のあれやこれやを総合するとどんな絵になるんだって考えて、出た答えなんだな。それが縁取りのある「クロワソニズム」と江戸浮世絵の影響の平面的構成なんだって。「ブルターニュの眺め」ってのも印象派で、「玉ねぎと日本の版画のある静物」ってのはなんとセザンヌの影響がある。「なんと」ってのは、セザンヌはピカソにも影響を与えていて、様々な方向の描画が一画面になる様はピカソの「キュビズム」を生んだのだ。それがなんと平面絵画世界の構成でゴーギャンからナビにも影響を与えているんだって、すげえよなセザンヌ。ゴーギャンの「二人の子供」はいかにもゴーギャン人物。「いちじくと女」はモノクロながら江戸浮世絵の「あの」感じが出ている。ナビ派は「日本かぶれのナビ」って言われてたが、単なる流行りだった「ジャポニズム」を越えて、浮世絵の平面的表現や、ドラマチックな画面構成をよく理解してくれてたんだねえ。ポール・セリュジエって人の「呪文或いは物語 聖なる森」も平面的、シャルル・フィリジエって人の(ちなみに「って人の」と書くのは私のよく知らん作者の時よ)、「ル・ブールデュの風景」は平面的しかもシュールでブルトンに評価されたんだって。同じくフィリジエの「天使と聖母の間のキリストの胸像」や「聖ヨハネ」はルオーっぽい。

ゴーギャンは当時ビンボーだったそうで、それでもル・プールデュに滞在して信者も増えてったらしい(説明をロクに読んでねえだ)。ジョルジュ・ラコンプ「ヴォロール、灰色の波或いはカマレの断崖」この不思議な風景は……おっと北斎の「諸国瀧廻り」のアレに似てるね。こういうちょっと不思議な画面構成にも浮世絵の影響があって嬉しい限りだぜ。マキシム・モーフラって人の「黄色い黄昏、海岸の泥炭地、ロクテュディ」ってのもちょいシュールな風景だな。ロドリック・オコナーって人の(知らんヤツばかりだなぁ)、「月明かりの公園」はいいムードですなぁってありきたりの感想だが。スレヴィンスキーってヤツの「水の入ったグラスとリンゴのある静物」はモロセザンヌ……模写か? 同じくスレヴィンスキー「ポーランドの秋の風景」はヘタウマか? セリュジエ「聖顔」は平面的デザイン的なキリスト。

最後のプルターニュだって。ゴーギャン「タヒチの風景」……うーん、でもちょっと「らしくない」感じ。ピュイゴドーってヤツの「藁ぶき家のある風景」のいい夕日。ドニが割といろいろあって、平面的表現がうまい感じになっている。「ブレストの港」の水面キラキラなんてなかなかいいね。セーヴァジョンって人の「ドゥアルヌネのリス海岸」は黒い木のシルエットがまさに浮世絵。ポール=エリー・ランソンって人の「鴨」はテキスタイル風かも。

ここ割と狭いんだけど、展示密度があって、ナメてかかっちゃいけないぜ。
http://panasonic.co.jp/es/museum/exhibition/15/151029/

|

« 2015年11月 | トップページ | 2016年1月 »