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2016年2月27日 (土)

ジョルジョ・モランディ(東京ステーションギャラリー)

地味な静物ばかりの絵を描くストイックな画家で極めて哲学的で意識高い系に人気のモランディです……と思っていたんだが、それは展覧会で1枚2枚にしか出くわしてなかったからなのだ。行く前はモランディ展なんざぁ同じような静物の絵っきゃないのに面白いわきゃないけど有名だからまあ行くかぁ、ぐらいにしか思っていなかったが、それは間違いだった。大いに間違えていた。この企画は多分今年のベスト10には入るであろう。それくらい奇妙な、ワクワク、悶々とするような面白さが……ある!

もちろん静物画がほとんどである。それも特に柄もない瓶とか四角い置物とかしか無いヤツである。終わりの方に風景とか花とかが少しあるが、主には静物。タイトルも「静物」だけだったりする。これが面白いなんてよっぽど高尚な鑑賞しているのかと思うかもしれないが、んなことはない、あまり難しくないぞ諸君。

まず、どの絵でもいいので「モランディ空間」とでも言うべきまったりした(?)雰囲気があるのに気づくと思う。これは感じればいいのであって、多分誰でも何となく分かると思うんよ。で、この空間は余分なものを入れるとすぐに雰囲気がブッ壊れる、台無しになっちゃうってのも分かると思う。さてそこで、モランディはその空間を大事に大事にしながら、同じ絵を描いてたって飽きるんで、そこにいろいろ入れたり、あれこれ変えたりしようとするのである。空間が壊れないように極めて慎重に、注意深く、これは入れてイイかな? こっちから見てイイかな? これだけ集めてみてイイかな? 連続した絵で進行していく様を見ている方もまた結構ドキドキもので、え、それ入れちゃうの? おっ、この「逆さじょうご」ってヤツはお気に入りになったのね。おお、今回はこんなの入れちゃって攻めですな。おっと、これもアリなんだ。とまあ、モランディ空間をモランディがあれこれひねり回している様を見るのが、これが「静かな興奮」という感じで面白い。この面白さは、今回まとめて見て初めて分かった。

先の「逆さじょうご」もそうだが、他に「溝付きの瓶」なんてお気に入りもある。首の長い特徴的な形で、白い色をわざわざ塗ったらしいが、塗ったかどうかなんてどうでもよくて、舞台のおなじみ役者みたいに、そこに立っているだけで「おお、これモランディ」というような空間に味が出る。後半には「水差し」も出てくる。後ろに影のように立つ時もあるナイスなヤツだ。背の高い瓶も並んだりする。見ていて新しいものに出くわすと「おっ、これイケてますね」と感じることができるであろう。

表現も油彩だけではない。鉛筆のハッチング(斜線)で表現した作品もある。中でもエッチングのハッチングは神レベルのバカテクで(というかできる人はできるレベルかもしれんが)、ハッチングだけでもまた「モランディ空間」をやっているのが楽しいじゃないか。あと水彩もある。これは逆に「もわもわっ」としたモノで、それでもモランディ。そうかこれもアリなのか、そうかアリなんだな、という発見がある。

そういえばアトリエの写真が2枚ばかりあって、例の逆さじょうごの実物写真が見れる。絵とだいぶ違うんだな。絵がいかに演出されているか分かりますな。

終盤の風景画は……うーん、気持ちは分かるが、やっぱり屋外はモチーフが多すぎるのか、あんまし思い通りになってないのか、静物ほどの洗練が感じられない。そのあとに展示されている花について、風景よりはイイんだけど、花の(造花らしいが)、花っぽい魅力(?)……なんちゅーかな、生命感みたいなもの? とモランディ空間は、あまり親和性がない感じだ。もちろんモランディが「なんとかしたい」ということで極めて丁寧に、進めている様は分かる。花を描きたいのだ。しかし静物ほど簡単ではない。最後にビデオがあって終わるが、私はビデオ見てないの。

静物を見たまま描いていながら、何となく超現実を感じさせるのは、普通の人物を描いていながら現実を越えた雰囲気を持つバルテュスに似ているかもしれない。あるいは独自の空間を持って、そこに登場するおなじみアイテムで演出していく様子は、デ・キリコの形而上絵画に似てるとも言えよう。いずれにしても、モランディが空間をあれこれひねくってる様を一緒に体験できる機会は今回のような点数が出ている大きな個展でしかないであろう。行くべし。行って体験するのじゃ。
http://www.ejrcf.or.jp/gallery/exhibition/201602_morandi.html

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2016年2月22日 (月)

ピカソ展(日本橋高島屋)

デパート開催、短期間、金券屋で爆安と三拍子そろっているのであまり期待してなかったが、まあまあよかった。

絵画は最初の方と最後、中間に陶器とピカソの写真、ってな構成。概ね年代順で、最初の方にある絵画「グラスとカップ」というのは手堅いキュビズム。「手を組んだアルルカン」が線描が冴えている感じ。「毛皮の襟のオルガの肖像(原版)」というのがあり、これ版画の原版だね。なぜか今回こうした原版がチラホラ。版画がないと金属に線が入っているだけで全体が黒いもんで、結構見にくい。それにしてもピカソは結婚して子供ができても即愛人作って結婚相手と別れたりして、それも人生において一回二回じゃないもんで、ゲス極川谷もビックリの私生活。芸術家として実力がありゃあ、ゲス人生でもみんな喜んで作品鑑賞しに来るでげす。版画原版「闘牛」これは例の荒々しい感じで版画作品もあり。戦争中だかに描いた「ノートル=ダムの眺望 - シテ島」はほとんどベルナール・ビュッフェが描いたかのような線と色合い……うむ、ビュッフェほど線に緊張感はないかな。それからブロンズの「花の咲くジョウロ」これはなかなか怪物みたいでいいね。

ヴァロリスってところに行って、1960年代までに陶器を4000点ほど作りまくったそうです。そのいくつかが出ている。まあ絵の具でチャチャッと描いて焼くだけみたいな、お手軽作品に見えるんだが、そこはピカソだから、いい感じに鑑賞物になっている。「座る女の楕円皿」や「女の肖像の楕円皿」なんてのは品もいいし、売り物にしてもいいんじゃん。「闘牛の情景の楕円皿」は色合いが冴えた作品。

ここで写真コーナーの部屋がある。「被写体ピカソ」として、マン・レイとかがピカソを撮った写真が並んでいるが、どれもなかなかナイスガイですな。

またピカソの焼き物に戻って、「鶴」なんぞはちょっとロボみたい。「頬杖をついている女の水差し」はピカソ絵画をそのまま立体にしたような、いいセンスがある。それからまた皿が並んで、人生の後半の絵画へ。最後の方「銃士とアモール」や「接吻」など大きいサイズの絵でありながらこれ描いたの88歳とかスゲエ。絵の中の銃士が自分であって、モデルの女に熱烈接吻。老いてなお衰えず燃えているのは我が国の北斎と似ている。しかもピカソはリビドー満載。「帽子をかぶった男の胸像」は自画像じゃないんだけどやっぱり自画像の一種だろうなあ。なんとなくレンブラントの自画像を彷彿とさせる微妙な内面表現が目を引きます。これでなんと89歳。こうして見ると、ピカソも晩年、自分探しみたいなことをしてたんじゃないかなと思えてくる。

しかしデパート企画の宿命で、招待券をバラ撒いたのか(要はとりあえず客集めてあとはついでに買い物してくれという意図)、期間が短いからか結構混んでいる。
http://www.takashimaya.co.jp/tokyo/picasso/

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2016年2月18日 (木)

フェルメールとレンブラント展(森アーツセンターギャラリー)

有名なフェルメールが出ているからノコノコ行っているにもかかわらずフェルメールの何がイイのかよく分かっていないという一番ダメなパターンのワタクシです。なーんつって一応分かっているつもりだ。しかし概ねこの手の企画はフェルメールだけ気合入ってて、それ以外どーでもいいどーしようもないたいしたことのないクズみたいなヤツラが結集しているパターンが多いよなあ。とタカをくくってかかるのもよろしくないんだけど、えーなになに今回はレンブラントがある? いやポスターを見るとオホホホホなんか甲冑オバハンみたいな絵があってあれがまさかハハハハ、レンブラントかよ、てんで期待できねえや。

最初はオランダ黄金期の幕開け。どんな絵があったか忘れた(もう忘れたのかよ)。

次、風景画家たちだって。ライスダールだけ名前聞いたことある。でもサロモン・ファン・ライスダールとヤーコブ・ファン・ライスダールって二人出てるのね。ヤーコブが息子のようですな。絵は、うーんバルビゾンみたいな感じぃ? なんちゅーか薄暗いそこそこデキあがってる森みたいな風景? アールベルト・カイブってのが「牛と羊飼いの少年のいる風景」っていう牛が目立った絵を描いてる。うん、こういうのはフランス絵画にゃ無い感じかな。

次、イタリア的風景画家たち。これはつまり、クロード・ロランみたいな理想風景らしい、が、まあヤン・バプティスト・ウェーニクスの「地中海の海」がそれっぽいかな。神殿とか描いてあるし。

次は建築画家たち。主に教会の中。エマニュエル・デ・ウィッテってヤツの「ゴシック様式のプロテスタント教会」なんかが絵も大きくてね、空間を感じさせるね(大きけりゃいい)。

次は海洋画家たちなんだけど、海上の船とか描いてあるこの手の絵は結構描かれたようで、表現からしても森とかの風景画や、あとで出てくる静物画なんかより優れている感じがするね。シモン・デ・フリーヘル「海上のニシン船」の全体の色彩とか、ウィレム・デ・フェルデ(2世)の「ロイヤル・プリンス号の拿捕」の細かい船の描写。あと、総じて海の表情はよくできていますね。オランダ絵画で結構注目したいジャンルだと思いますぜ。

次が静物画家たち。ここは大したことないんだけど、まあ例によって死んだ鳥とか、ありますな。その次の肖像画家たちもどうでもいいんだけど、あれ、今リスト見たらフランス・ハルスか、名前聞いたことあるな。それよりフェルディナンド・ボルって人のがなかなかウマい感じ。「マリア・レイの肖像」で頭に乗ってる黒いヤツはなんでしょか。

んで、いよいよ風俗画家たち。フェルメールもここに属する。ピーテル・デ・ホーホって名前聞いたことあるヤツがあり、いよいよ目玉フェルメール御大の「水差しを持つ女」一見……なんかパッとしない。ありゃーって思ったが、私は今回単眼鏡持ってきたんだよね。それで細かいところを部分部分で見てると、これがなかなかイイ。水差しに光が「当たってる感じ」なんぞはホレボレしますな。あと窓枠に当たる光も絶妙に美しいですな。あーそうかー今まで単眼鏡使ってなかったからなあ。フェルメールってこうやって見るのかあ、と思った次第である(今までどうやって見てたんだよ)。やっぱり同時代の画家の静物なんかと比較するとフェルメールの光による演出はダントツにウマイと思えますね。かといって、じゃあフェルメールブルーに感動したかというとそうでもないし、全体の印象は、やっぱりそうインパクトのあるもんではないんだなあ。つまり長蛇の列に並んで一瞬だけ見て満足できる類の絵じゃないと思う次第です。コマゴマ見なければ。さて続きで、ヤン・ステーンが2枚。はいはいはい愉快な風俗画家ヤン・ステーン! いつもいつもフェルメール展でフェルメールの「ついで」もしくは「おまけ」で来てしまうおなじみの画家なんだけど、なんか気の毒だな。もっとフォーカスが当たってもいいよなあ。「女将と戯れる老人とバックギャモンの興じる二人の男のいる酒場の室内」なんてタイトルそのままなんだけど、風俗を活写。描画もオッケーのナイスな絵ですよ。

それからレンブラントとレンブラント派のコーナーで。レンブラントの「ベローナ」はい、これが甲冑オバハン……じゃなくて女神なんだってさ。うん、本物はポスターよりは一応いいな。盾の表面についてるメデューサですかね、それがなかなか迫力ですね。でもオバハンだよなあ。あとはどってことない絵ばっかですが、ヘラルド・ダウの小さい絵で「窓際でランプを持つ少女(好奇心の寓意)」はなかなかいい。ランプの光のね、絵ですよね。あとは最後のアルノルト・ハウブラーケンの「イピゲネイアの犠牲」でなんとなくイタリア風?な感じになってオランダ絵画黄金期もオシマイなのだ。

フェルメール以外には私としては海洋画に注目してほしいガニ。
http://www.tbs.co.jp/vermeer2016/

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2016年2月 7日 (日)

サイモンフジワラ ホワイトデー(オペラシティアートギャラリー)

ギャラリートークがあったので、珍しく聞いてきたのです。というのも、しばらく見てもなんかとっつきどころがよく分からなかったので。ギャラリートークはキュレーターの熱の入ったヤツがタップリ1時間半。作品はもちろん、企画過程の話まで聞けた。私は美術展というものはその場で見ての印象だけのもので、分からんものは分からんままでいいという方針なのだが、まあ、たまにはこういうのもいいものです。

入り口が普段は出口側の長い通路で、そこから白いカーペット敷になっている。これは展示空間を一つのバーチャル空間として統一感を持たせるという意図があるそうな。もう一つトークで言ってたのがあるがあえて書かない。最初の作品は「ホワイト・ギフト」という紙袋に毛皮の入ったのが置いてあるだけ。元々リボンつきのギフトボックスだったらしいが、この袋はギャラリー所有の、英国のこじゃれたデパートので荷物預かりに使っているもので、サイモンがそれを見て即興的に変えてしまった。キュレーターは、この企画のテーマは「システム」なのだと言う。そもそも「ホワイトデー」ってタイトル、欧米のバレンタインデーの風習を、日本の菓子メーカーが商売のために持ってきて流行らせ、さらに元々の意味とは縁もゆかりもなく商業的おまけを付けた「ホワイトデー」。資本主義的なシステムにどっぶり浸かっていて気づかない我々なのだ。
二番目の作品「無題(梅の木)」。これは桜がなかったから梅にして、ついでに賽銭を置いてしまうというこれも即興的決定。以降、お金に関するシステムを提示する作品が続く。メキシコのプランテーション内だけで使える通過や、日本占領下のフィリピンで発行した軍用手票……んーまあ紙幣だね、それが戦後紙クズになったんで、土産品の扇子にしたというもの。という感じで、ほとんどレディメイドだな。それを並べて、その背後にあるものを意識させようというもの。あとバーナード・リーチの陶器を壊したのとか(なぜ壊したかはハンドアウトつまり受付でもらう資料に書いてある)、北朝鮮のプロパガンダ美術工房に、北朝鮮には存在しない新鮮な牛乳の絵をオーダーしたものとか(これがまた酪農王国のイスラエルで展示されたと)、スターリンのアンティークマスク(土産用のお面?)とかある。レディメイドながら一癖ある意味内容で、じわっとくる感じだな。
「フェニックス三部作」というのがあり、一つはドイツの軍事学校にあった飾り板で、そこにあったはずの鷲の文様が削られている。鷲はナチスのファシズムの象徴だったもんで、戦後削られた。でもこの飾り板自体はナチスが出る前にできていたんで、ファシズムとは関係ないの。うーん、これって一部の人たちが騒ぐ日の丸と同じだよなあ。もう一つベルリンの地下鉄駅に飾ってあった鷲の彫刻。これも同理由で撤去。そしてオペラシティ所蔵の須田国太郎「松鷲」を即興的に加えた。かくして、どう感じるかは個人個人違うし変えるべきではないという作者の方針ながら、なんとなくシステムというものが何か普通と違うことや、普通じゃ考えられないことをやらかすという様が浮き上がってくるではないか。
次に「驚くべき獣たち」というのがある。毛皮のコートから毛を刈ってしまうと、下地が見えるが、その下地は結構複雑なのだ。この下地をピンと張って展示。一枚に見える毛皮でも、実は何匹もの動物の皮を継ぎ合わせて作られている。動物愛護的視点で憤りつつ見てもよし、コート作りの高度な手業を見てもよし、毛皮のコートは高いのにもったいねえなと思ってもよし、あるいは私なぞは下地が結構抽象絵画だな、という目で見てたりする。ちなみにこの作品は現在進行形で、作業場がそのままあって作業している。
キュレーターの女性の五歳の時の絵と、それを母親がそのままぬいぐるみにしてプレゼントしたものが出ている。絵は幼稚園というシステムで描かされた。それがもっとも近い関係である親子の間に入ってきている。即興的追加。
「ミラーステージ」というビデオ作品。初めて出会った美術作品でアーティストとゲイに目覚めたことを対話で見せる。本人が登場しているが長いもんでほとんど見ていない。
デカい名刺がある。遊び心的展示かと思いきや、これも「システム」という視点で見ると、むっ、と思ったりするであろう。
「レベッカ」という作品。ロンドン暴動に参加して逮捕され更正プログラムで中国に行き、そこで工場と兵馬俑を見て兵馬俑っぽい石膏像を大量に造られたという、どこまで本当か分からない物語。この石膏像が兵馬俑よろしくずらっと並んでいる。普通に見てなかなか壮観。
最後の方になり、新国立競技場のプロポーザル模型がある。どってことないんだが、いぜんこのギャラリーでザハ展があって、決まっていたはずのザハ案が金儲けをしたい連中のシステムでブッ潰されたことを考えると、システムがテーマのサイモンが出したい、ここにあってしかるべき作品だ。
最後はビデオ作品だけど、ゴミ拾いで生計を立てる女性と、3Dアニメのアーティストのインタビューを並列で見せる。女性は手でゴミを拾い、アーティストは手が不自由であり、CGの手で女性のインタビューをもてあそぶ。手がテーマか、幸せがテーマか、感じるところはいろいろ。

ギャラリートークを聞いちゃったんで、かえって好き勝手な印象を書けなくなっちゃったな。全体にコンセプチュアルなもので、情報がないとちょっと苦しい。ハンドアウトの紙を読んで挑もう。
https://www.operacity.jp/ag/exh184/

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