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2016年7月24日 (日)

「12 Rooms 12 Artists」(東京ステーションギャラリー)

USBというグローバル金融グループのコレクションだそうで。12人のアーティストによる近現代の作品をこじんまり……というかまあ、リトグラフなんかの版画や写真が多いもんで。

最初はスーザン・ローゼンバーグ。うん、ラフな感じの絵ですな。これは裸婦か? 次はエド・ルーシェイ。結構たくさん出てるな。それだけ持ってるってこと。ポップアートって感じの派手さじゃないが、商品やら文字やら使っているから……やっぱりこれポップアートだよな。2点透視のガソリンスタンドっぽいのが異空間を感じさせてくれて面白い。「ハリウッド」ああ、これか、知ってる。ちょくちょく見るよこれ。それから文字を使った作品。アクリルの「ブラザー、シスター」が2つの帆船の影で奇妙ながらいい雰囲気じゃないか。何かを意味する白い線がポイント。ルーシェイの途中から入れる荒木経惟の写真コーナー。「切実」という、あえて真ん中で破っている写真作品群…………私が常々写真がアウェーだと言ってるのは、アラーキーの何がいいのかよく分からんのです。人物ったってなあ、ダイアン・アーバスぐらい極端だと分かるような気がするが、あーあと、先日行った石内都はよかったが。それから陳界仁のビデオ作品「ファクトリー」古い衣料工場(廃墟?)と無表情な人を映すサイレント作品。雰囲気は悪くないが一部しか見てない。これも、アレだ、いつ終わるんだか分からない系なんで。いや、時間決まっているけどね。

階が変わって、アイザック・ジュリアン。写真が3つ。普通にきれいだ。ルシアン・フロイド。あの心理学者フロイトの孫らしい。アーティストだったのか。ほとんど人物画。ざらっとした感触なんで女かと思ったら男だ。萌えない女を描くところはパスキンに似てる……かな(適当)。「大きなスー」はストレート直球にデブ女のヌード画。ルノワールもボテロもびっくり。あと「裸の少女の頭部」という絵があるが……なんか若く見えるおっさんみたいな感じだが。次、アンソニー・カロ。彫刻「オダリスク」。カロの彫刻は台座をとっぱらっていて自由度が高い。うん、悪くない。ただこいつは首までとっぱらってほしくなかった。小沢剛……常々、なーんか苦手だなあと思っているアーティスト。おなじみベジタブル・ウェポンの写真。海外で、現地の野菜で銃を作って現地の人に持ってもらい写真を撮って、その野菜もそこで調理して食うまでが一連の作品だって。野菜の銃の方が本物の銃よりいいじゃんという、反戦メッセージでもある……なーんか苦手な理由が分かったぞ。狂気が感じられないからだ。センスがよくて、こじゃれてて、インテリジェンスで、インターナショナル。俺は作品に狂気が感じられなければイイとは思わないのさ。ミンモ・パラディーノ「三つの流れ星」という作品一つ。一見アウトサイダー風(?)だが、ちゃんとした美術家だって。リヴァーニ・ノイエンシュヴァンダー、写真いろいろ……アウェーだ。ディヴィッド・ホックニー、こっちも写真作品「英国大使館での昼食会」があるが、これは小さい写真をいくつも組み合わせて大きな部屋を表現するというようなヘンなもので、写真のズレのムリヤリ感が普通に面白い。サンドロ・キア、絵が2つ。後ろ向き人物。

超大作はないし、目玉もないし、そこそこのものがそこそこある。でもあまり目にしないアーティストが多いんで、これはこれで面白い。
http://www.ejrcf.or.jp/gallery/exhibition/201607_12rooms.html

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2016年7月17日 (日)

ダダ100周年(早稲田大学~スーパー・デラックス)

ダダ(ダダイズム)といえば、簡単に言えば、これまでの全てを破壊するという意志を持った芸術運動なんだけど、それはちょうど100年前、1916年7月のチューリッヒ、詩人トリスタン・ツァラによる「アンチピリン氏の宣言」から始まった。だから今年100年なのです。

まず早稲田大学會津八一博物館に、ダダの文献が展示されているので行ってみた。別にデカい博物館じゃないもんで、企画展示といってもほんの1コーナーって感じだけど、「DADA1」~「DADA3」特に、1918年のダダ宣言のページが見れる。あと、ツァラがピカソやマティスとコラボしたところの、両アーティストの絵ね(印刷)。それから荒川修作作品が三つ。博物館自体いい雰囲気だし、あと今回、コルビュジェの有名な「ロンシャンの教会」の企画もやっていて、なかなかいい模型を見ることができた。あとはぜんぜん関係ないが、とある場所で三十年ぐらい前に早大の学園祭に来てコンタクトレンズを吹っ飛ばして紛失したのを思い出した。そうか、この場所じゃねーか。人間の記憶ってすげえな。

まあこうして文献を拝んでダダ100周年気分を高めておいて、六本木のイベントに赴いたのです。「キャバレー・ヴォルテール@スーパー・デラックス」。「キャバレー・ヴォルテール」というのは、チューリッヒにおけるダダの中心となったキャバレー……っていうか文芸カフェらしいんだけど、このコンセプトを再現してのイベントを六本木のライブスペース「スーパー・デラックス」で開催する。出し物は日替わりでいろいろなんだけど、土曜「ダダダインダストリアル」に訪問。私的にはやはり当時ダダパフォーマンスの再現・再構成をした「劇場の三科」というのが目当て。あと私が多少関わっているポエトリー・リーディングがあり、他はダンスとかサウンド表現とか。

会場は六本木ヒルズのすぐ近くなんだけど、ちっこいライブハウスみたいなのかと思ったら、その何倍もデカい。既にケーブルも複雑なサウンド装置が設置してあり、プラスチックの低い丸椅子が並んでいて……どこまでこのスペース本来の雰囲気で、どこまで今回の企画のもんか分からんが。いつ始まるともなく始まり、最初は「劇場の三科」。ケッタイな衣装……といっても、割と当時の展示を見ていると出てきそうな感じなんだけど、それを装着した人がステージ(部屋の一部)で、BGM流してなんかあれこれやる。衣装はアートっぽいんだけど、何しろ衣装が動きづらいので、身体表現というわけでもなく、声を出すでもない。立体作品が動いて何かやってる感じなんだけど、なんかこう生身の人間が目の前でやってると、肉声への渇望ってのが出てくるね。で、これが割と短時間に終わって、次はなんか日本舞踊っぽいのが出てきて。それから休憩で、その後、サウンドステージ……あのうノイズっぽいというか、別にメロディとか、そういうのが無いもので、電子機器使ってて、なんていうんだっけ? あー、あれが「インダストリアル」か(ただの工場っぽい企画だと思ってた)。で、同時にプロジェクターを使って、写真と絵の具とマーブリングの様子が壁に映される。時間が結構長く感じる。決して嫌いなサウンドじゃないんだよね。でも、どうも私は、いつ終わるともないものをずっと聞いているというのが苦手で、まあそれだからジャズなんかも聞かないのかなあ。こういうのは、このすばらしい時間がいつまで続いてほしい~なんて至福の思いで聞いてる人もいるんだろうなあ。とにかく、あーここクライマックスかーいやまだ続くわー……ってのを何度も食らって、早く終わらんかなーなどと考えるに至って……俺は実に損な性分だな。

それからポエトリーの一人目、橘上。携帯の画面見ながら……って、ちょっと観客に向かってほしいな。まあ詩人だからな。休憩、その後、ポエトリー二人目、大島健夫。この世界ですごく有名です。超現実な詩世界であり、ネタっぽいお笑いでもある作品。うん、うまいな。それからピアノと女性のダンスで、ダンスは身体表現で……って当たり前か。その後また休憩でポエトリー三人目、三角みづ紀、遠藤ミチロウ作品を読む。暴力的な内容ながら、声がソフトなんでうまいことしてやられた感がある。あのう、なんかサンプリング装置(?)も使ってましたな。その後、またサウンドなんだけど、入ってもう四時間経ってて、サウンドもさっきと似たような要はインダストリアルだったので(聞く人が聞けばさっきとは全然違うと言うかもしれんが)、疲れたんで撤収した。中年にはキツい。

最初の「劇場の三科」以外は直接当時のダダとは関係なく、では今の時代の「ダダイズム」かというと、正直「?」なのだが(まあ想定内ではあったが)。というのもダダは今ある全ての撤廃と破壊と否定が魂だったので、それを感じられる……というもんでもなく、さらに言うと、はいサウンドものです、はいダンスです、はいポエトリーです。とジャンルに属したものとしてサクッと出されることより、ジャンルそのものまでも破壊された何かを見たかった。ん。まあ一応ジャンルを越えたコラボっぽいものもなくはなかったが。破壊まではいってない。でも破壊こそがダダじゃないかい? 客が戸惑うぐらいの。そう、これは何だ? 何やってんだ? こんなにぶち壊しにして(機材を壊すとか、そういう意味ではない)いいのか? ってなもの。そういうものカモン! いや、もちろん見たものがダメだったというんじゃなくて、むしろ美術館の企画でやっても全くおかしくない優れものが集まってたと思うんよ。でもそれはダダだったか? というと私の答えは否定的。おお、その名も高き「キャバレー・ヴォルテール」よ。ダダの魂はまだ本当にはよみがえってはいないぜ。ま、土曜日行っただけで他の日は知らんが。
http://www.waseda.jp/culture/aizu-museum/news/2016/06/10/1213/
https://www.super-deluxe.com/news/122

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2016年7月10日 (日)

「石内都展 Frida is」(資生堂ギャラリー)

えー、わたくし写真展ってのはほとんど行かないんですけど。どのくらい行かないかっていうと、篠山紀信でもライアン・マッギンレーでも行かないのです。この石内都展に行ったのはもちろん対象がフリーダ・カーロだからです。はい、フリーダ・カーロ博物館を見に、治安もよくない上に言葉もロクに通じないメキシコへ行った二十代最後の年……ってもう二十年ぐらい前なのかよっ。で、去年、この石内都がフリーダ・カーロの遺品を撮影したドキュメンタリーを見ました。今でもあちこちでちょくちょく上映されてるみたいです。だいたいフリーダのファンはフリーダを崇拝しているのですが(含む俺)、石内氏は一歩引いてあくまでフリーダの生きた様を写真におさめようと冷静にカメラを向けるわけです。すごいプロフェッショナルです。印象的な台詞、写真がちゃんと撮れているかの確認で「はい、写ってます。フリーダがいます」。そうか、いるのか……とまあ映画ではそんなに写真そのものは出てこなかったんですが、あれから約一年、かの写真が銀座で見ることができるっ……てんで、行ってきた。

正直……いやショージキ見るまでは、遺品の写真なんぞで、その人に迫れるもんかなー……とナメてかかってたんですがね、うん、ギャラリーの階段を下りて、踊り場の写真4つ、ま、これはなかなかセンスいいね、ぐらいだったんだけど、その下さらに降りて、一枚目の義足の写真で「うおっ!」となってしまった。いや、フリーダが義足使ってたのは知ってるし、この写真もチラシとかでチラ見はあるんだけど、目の前でのこう、バッチリ撮ったのが出ていると、うわ、ここまで撮っちゃってるの、という、なんかこう赤裸々にやられた感ハンパないです。手術で足切断したのだ。しかし、赤い靴がけっこうおしゃれなのだ。隣がなんだっけ、テワナドレスだったかな。こういう色のセンスがすごくいい。ワタシはこれ好きで着てましたって主張。隣の隣、映画にも出ていた、靴下を繕ったやつ。すごい、使っている、その隣の、コルセットもいかにも愛用品で年期入っている。あーなんか確かに汗かくとこれ痒そうだなあ。隣はこれアンダーウェアー……だよな。ちょっと黄ばんでる感じがするが。してみると、見えないところは着心地のいい愛用品を破れても繕ってちゃんと身につけてて、外見はあくまでおしゃれにーという生き様が見えてくる……ような。そうそう靴があって、これも年期入っている……っていうかこれ左右大きさ違うのね。左右で高さの違う靴の写真もあったしね。切断前でも左右の足が異なっていたのですよ。あと、皿とか薬の瓶とかの写真もあり、愛用していたのか、倉庫に保存しているうちに劣化したのかちょっと分からないが。うーん、してみると、物の写真って、こうも使用者を浮き上がらせるのかー と感心してしまう。いや、写真家もうまいんでしょうなあ(すいません比較対象がないので)。

出口に石内都の写真集「ヒロシマ」があったんですけど、これも同じ遺品を撮影している。もちろん原爆のね。ちょっと立ち見したが、うああああすげえええ……な感じ(?)に写っている。日用品が原爆でこんなになってしまうのかよっ。ううむ、これ見たら確かに、フリーダの遺品を石内に撮ってももらおう、って気持ちになるよなあ。

ところで雨の土曜にわざわざ銀座をウロウロしなくてもよかったんですが、やっぱり先週の折元立身からの流れで行きたかったのです。よく分からんパフォーマンスを主体としたフルクサスに対し、そこにリアルな生活から生まれる感情を持ち込んだ折元。一方フリーダはシュールレアリズム的な表現にもかかわらず、やはり自分の身体や心情といった凄くリアルなものを作品に持ち込んでいる。いずれもそうした部分が他にない力強さをもたらすんだな。
しかし銀座はあいかわらず中国人ツアー客だらけだな……
http://www.shiseidogroup.jp/gallery/exhibition/

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2016年7月 4日 (月)

ポンピドゥー・センター傑作展(東京都美術館)

パリのポンピドゥーセンターは上の方に美術館があってだな、行ったよー よかったよー で、そこの傑作選が来るんだね行く行く行くとも……が、しかし某掲示板であまり大したことないという評判も聞く。しかしともあれ行ってみた。今回小5になった娘も同行。やっとマトモに鑑賞できる年齢になったな。
1906年から始まって1年に1人のアーティストと作品を紹介する。会場内のレイアウトはどこぞの建築家が手がけたものらしいが、これが結構見にくい。特に1階(会場はLB階から始まるんで一つ上がったところ)。

とりあえずLB階から。出だしラウル・デュフィ「旗で飾られた通り」……ヴラマンクかと思った……うーん、デュフィならもっといいヤツが……もっとこう、あるだろう? 音楽を感じるような色彩と描線のもんが。ブラックも得意のキュビズムでなく……あー忘れた。ヴラマンク「川岸」は、まあ普通かな。遠目で見なさい。クプカの「垂直の面Ⅰ」これは水色がなかなか映えてていいよな……なんか今回、あまり知らない作家の方が新鮮でいい感じだ。デュシャンの「自転車の車輪」はおなじみ。レイモン・デュシャン・ヴィヨンって人、デュシャンの次兄だって。彫刻「馬」まあまあ。ピエール・アルベール=ビロ「戦争」。絵は普通だがマチエールがなかなかいい。こういうのは印刷で感じるのは無理だな。シャガール「ワイングラスを掲げる二人の肖像」。一応名品ではある。楽しそうというよりちょい不気味だが。ロベール・ドローネー「エッフェル塔」色がキレイで形が明確。とりあえずここまでの中では一番いいかな。娘も気に入ったようで、これの缶バッチが付いたクッキーを購入……缶入りで安くねえが。レオナール・フジタ「画家の肖像」……小さいな。もっと大きいの。裸婦とか猫とか見せろよ。セラフィーヌ・ルイ「楽園の樹」これはなかなかだ。独学らしいが、木の葉のブツブツがなんともキモくていいじゃん。となりのボンボワは相変わらずデブ専。

で、上の階に上がると、正面にマリー・ローランサンが目に入るんで、そこから見て左に移動すると、1940、1939……と逆行してしまう。なんと、上の階に上がってマリーからじゃなくて、入って左奥のピカソから見ていくのが正解……って分かりにくいよっ! しかもこの階、一つ一つがL字のコーナーになっているもんで、壁と平行に移動していって鑑賞じゃなく、ジグザグ移動を余儀なくされる。これが結構ストレス。建築家のデザインだからってねえ……なんか余計なことしちゃってねえ?
えー、さてピカソ「ミューズ」……まあ普通かな。カンディンスキー「30」これは30の小さいコーナー分けした作品で、あまり見ない感じなんで結構新鮮に見れる。マリーローランサン「イル=ド=フランス」はローランサンらしい作品。あとはヴィフレド・ラムのアフリカ風がちょっといい。アンリ・ヴァランシ「ピンクの交響曲」これが結構いいね。ムスカリズム(音楽主義)というものらしく、抽象っぽいが確かに音楽を感じるような絵だぞ。娘もこの絵の印象はよかったようだ。ベルナール・ビュッフェ……うーん、人物画だと特徴がより出ていいのだが。ま、これはこれでいいな。フェルナン・レジェ「自由」……こりゃレジェらしくねえ。

その上の階は円形のレイアウトで、これはまあ普通に見れる。時代はもう最近で、クリストの小包みみたいなヤツとか。ヴィクトル・ヴァザルリ「アーニー(影)」は、縦横ドットがなかなかきれいだ。アガム「ダブル・メタモルフォーゼ」これは表面が三角の立体になっていて、脇の方から見ると鮮やかに色が浮き上がってくるもの。移動と共に絵も変わる、いわゆるキネティックアート。でも脇の方から見るには、隣の絵のロープの内側に入らないと見えんのだが。でもまあ、これは娘が今回一番気に入った模様。だまし絵っぽい面白さがあるしね。最後にポンピドーセンターの模型。

はて……ダドは来てないのか? あれまた見たいんだが。イヴ・クラインは? バルテュスを持ってたはずだが…… なーんか傑作選っていうか、適当に持ってきていいヤツを持ってきただけって感じなんだが。
http://www.pompi.jp/

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2016年7月 2日 (土)

「生きるアート 折元立身展」2(川崎市市民ミュージアム)

先週、トークイベントに参加したのだが、そのため展示を見る時間があまり取れなかった。ま、いいかと思ったが……やっぱりこの規模は、当分無いだろうと思い、2度目に行ってきたのです。

前回ほとんど見れなかった「プレスリーのおむつ替え」を見る(とはいえ全編ではないが)。これがまあ、プレスリーのお面を付けて、首から下げたCDプレイヤーからプレスリーを流しながら、介護中の母親のおむつを替える。時に汚物まみれで、これ、毎日やるの超大変そう。折元氏は時に音楽にノって踊るようなそうでないような仕草をする。一見面白い。でも楽しそうかというとぜんぜんそんなことがない。かといって悲壮でもない。あとよくある、大変だからせめて音楽でも流して楽しくやりましょう、でもない。じゃあ何かというと……何だ? これはもう芸術家が、これはアートだと毅然として提示する姿に他ならない。その信念こそが作品なのだ。信念さえあれば、お面がチャチい紙製だなんてことはあまり問題ではない、というか、紙製だからこそ信念が引き立つ。隣にある「モーツァルト・ママ・ディナー」も、正装してモーツァルトの楽曲を指揮するようなしないような仕草をしつつ母親に食事を食べさせ続ける。ふざけているわけでもない、もちろん母親をバカにしているわけでもない。介護を楽しんでいるというわけでもない。これもアートだ。これらの作品は傍らにあるラフスケッチがまたいい味を出している。

で、こないだ少し見た「500人のおばあさんの食卓」。場所はポルトガルの世界遺産の建物だそうで。折元氏は招待された500人の現地のおばあさんを相手に、誘導し、歌い、食事を振る舞い、時にハグする。先の母親の介護作品を見てからこっちを見ると、生きることを楽しむという姿勢の提示というか、何か妙に感動するんだな。先の介護作品と、こちらの大規模な食事会作品が、アートという次元において同列に提示され、連結を持ち、普通でない凄みを持つ。あと、母親に当てたはがきでの報告が温かい。

介護の合間に立ち飲み屋で描き続けたガイコツの作品群をそれなりに時間かけて見たが……失敗作というか、描いたけど気に入らなかったのか意図的か線でグシャグシャ消しちゃったのとかもそのまま出ている。同じテーマを何度も描くとかもある。これらはとにかく数がものを言っている。

アニマル・アートで子ブタをとの奮闘を見る。これ、普通に嫌がってんじゃん。と思ったが、時々ブタ君も疲れるのかおとなしくなる。シャッターチャンス。

前回ほとんど見れなかった「車いすのストレス」。夏の暑い日、車いすに乗せた母親を移動させる際に抱えたストレスを、パンを乗せた車いすを鉄橋に叩きつけて発散……って、パンは母親ではないが、ある意味母親の代わりなわけで、見ているとそのダークサイドの感情に薄ら寒くなってくる。聖人君子じゃないので、愛と献身だけで介護ができるわけではなく、時に暗黒の感情がわき上がる。誰でもそうなのだ。が、普通そういう感情を人前に出さないようにするし、ましてや作品になどしない。そかし、それをあえてやってしまうところがとにかく凄い。同時に、私はキレイな心しか持ってません、みたいな誤った自覚を持っている、人を平気で罵る人間が、世の中を生きにくくしていて、そういうヤツラに対する強烈な主張と、ヤツラに傷つけられた人々への心からのエールでもあると感じられる。今回最もインパクトを受けた。辛いことも汚いことも醜いことも、全てはアートとして信念を持って毅然と提示される。

表現者達の界隈で、「人生は全て作品(あるいはネタ)」と豪語する人は少なくない。だらしない生活を送っているという自覚のある人など特にそう。多くの場合、かなりの自虐が含まれていて、「こんな自分を笑ってやって下さい」みたいな卑屈な姿勢が感じられる。まあ、「地道にまじめに生きたって、いい作品なんかできるわけない」という集団(社会)に迎合しないアーティスト魂が感じられないこともないが。いずれにしても折元立身の、毅然として強力な姿勢には遠く及ばないだろう。信念の桁が違う。

さて第2展示会場。こっちは無数のドローイングが壮観……なんだけど、やっぱりパフォーマンスの方に関心が言ってしまう。おなじみ「パン人間」なぜパンかというと、キリスト曰く「このパンは私の肉である」じゃあ顔につけたっていいじゃん。世界中でやってきたインターナショナルなパフォーマンス……なんだけど、後のアートママ系からすると、凄みよりも面白味の方が大きいか。指人形パフォーマンスの指人形が出ていた。パフォーマンス映像もあるが、確かYouTubeでも見ることができる。異国に来た人形達が「ママはどこ~?」とかやっているのがなかなか切ない。そういえば折元氏は英語で母親のことを紹介する時、「mother」とは言わず、決まって「mama」と言う。必要性の高さから、多分幼児語をあえて使っているのだと思う。「処刑」については、首から下げた箱に入ったパンが全部落ちるまで悶え苦しむ……というのが、先のパンは肉である、ということを思うとなかなかにエグい。

前回ほとんど見てなかった「オリモト・グラフィックス」ポスターなんかの展示。結構な量があるが、中に普通のアート作品がある。「アートママオブジェ」というもの。例の母親の写真などをポストボックスに……まあ作品っぽくごちゃごちゃ入れ込んでいるもの、あと瓶に薬の……あの空になったヤツを、詰め込んだもの。いや、なかなかこれ、こじゃれたホワイトキューブでの展示に出しても遜色ないオブジェになっている。あと、自分が出ている雑誌や新聞記事をガッツリスクラップ。これも作品だと言う。同時に、母親が自分の姿が写っているのを見ることで元気になるという。世界で有名なアートママである。

……この規模で、この内容で、午前とはいえ土曜日で、明日が最終日だってのに……なんか客が少ないなあ……テレビなんかでわーわー騒がれないと来ないのか? 鑑賞者達はどこに行った? 口当たりのいいキレイキレイなものだけせっせと鑑賞し、限定ミュージアムグッズを喜々としてしこたま買い込み、はいそれで趣味は美術鑑賞ですってか。君はそれだけでいいのか? 驚くような「アート」を見たくないのか? 
http://www.kawasaki-museum.jp/exhibition/orimoto/

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