« 「生きるアート 折元立身展」(川崎市市民ミュージアム) | トップページ | ポンピドゥー・センター傑作展(東京都美術館) »

2016年7月 2日 (土)

「生きるアート 折元立身展」2(川崎市市民ミュージアム)

先週、トークイベントに参加したのだが、そのため展示を見る時間があまり取れなかった。ま、いいかと思ったが……やっぱりこの規模は、当分無いだろうと思い、2度目に行ってきたのです。

前回ほとんど見れなかった「プレスリーのおむつ替え」を見る(とはいえ全編ではないが)。これがまあ、プレスリーのお面を付けて、首から下げたCDプレイヤーからプレスリーを流しながら、介護中の母親のおむつを替える。時に汚物まみれで、これ、毎日やるの超大変そう。折元氏は時に音楽にノって踊るようなそうでないような仕草をする。一見面白い。でも楽しそうかというとぜんぜんそんなことがない。かといって悲壮でもない。あとよくある、大変だからせめて音楽でも流して楽しくやりましょう、でもない。じゃあ何かというと……何だ? これはもう芸術家が、これはアートだと毅然として提示する姿に他ならない。その信念こそが作品なのだ。信念さえあれば、お面がチャチい紙製だなんてことはあまり問題ではない、というか、紙製だからこそ信念が引き立つ。隣にある「モーツァルト・ママ・ディナー」も、正装してモーツァルトの楽曲を指揮するようなしないような仕草をしつつ母親に食事を食べさせ続ける。ふざけているわけでもない、もちろん母親をバカにしているわけでもない。介護を楽しんでいるというわけでもない。これもアートだ。これらの作品は傍らにあるラフスケッチがまたいい味を出している。

で、こないだ少し見た「500人のおばあさんの食卓」。場所はポルトガルの世界遺産の建物だそうで。折元氏は招待された500人の現地のおばあさんを相手に、誘導し、歌い、食事を振る舞い、時にハグする。先の母親の介護作品を見てからこっちを見ると、生きることを楽しむという姿勢の提示というか、何か妙に感動するんだな。先の介護作品と、こちらの大規模な食事会作品が、アートという次元において同列に提示され、連結を持ち、普通でない凄みを持つ。あと、母親に当てたはがきでの報告が温かい。

介護の合間に立ち飲み屋で描き続けたガイコツの作品群をそれなりに時間かけて見たが……失敗作というか、描いたけど気に入らなかったのか意図的か線でグシャグシャ消しちゃったのとかもそのまま出ている。同じテーマを何度も描くとかもある。これらはとにかく数がものを言っている。

アニマル・アートで子ブタをとの奮闘を見る。これ、普通に嫌がってんじゃん。と思ったが、時々ブタ君も疲れるのかおとなしくなる。シャッターチャンス。

前回ほとんど見れなかった「車いすのストレス」。夏の暑い日、車いすに乗せた母親を移動させる際に抱えたストレスを、パンを乗せた車いすを鉄橋に叩きつけて発散……って、パンは母親ではないが、ある意味母親の代わりなわけで、見ているとそのダークサイドの感情に薄ら寒くなってくる。聖人君子じゃないので、愛と献身だけで介護ができるわけではなく、時に暗黒の感情がわき上がる。誰でもそうなのだ。が、普通そういう感情を人前に出さないようにするし、ましてや作品になどしない。そかし、それをあえてやってしまうところがとにかく凄い。同時に、私はキレイな心しか持ってません、みたいな誤った自覚を持っている、人を平気で罵る人間が、世の中を生きにくくしていて、そういうヤツラに対する強烈な主張と、ヤツラに傷つけられた人々への心からのエールでもあると感じられる。今回最もインパクトを受けた。辛いことも汚いことも醜いことも、全てはアートとして信念を持って毅然と提示される。

表現者達の界隈で、「人生は全て作品(あるいはネタ)」と豪語する人は少なくない。だらしない生活を送っているという自覚のある人など特にそう。多くの場合、かなりの自虐が含まれていて、「こんな自分を笑ってやって下さい」みたいな卑屈な姿勢が感じられる。まあ、「地道にまじめに生きたって、いい作品なんかできるわけない」という集団(社会)に迎合しないアーティスト魂が感じられないこともないが。いずれにしても折元立身の、毅然として強力な姿勢には遠く及ばないだろう。信念の桁が違う。

さて第2展示会場。こっちは無数のドローイングが壮観……なんだけど、やっぱりパフォーマンスの方に関心が言ってしまう。おなじみ「パン人間」なぜパンかというと、キリスト曰く「このパンは私の肉である」じゃあ顔につけたっていいじゃん。世界中でやってきたインターナショナルなパフォーマンス……なんだけど、後のアートママ系からすると、凄みよりも面白味の方が大きいか。指人形パフォーマンスの指人形が出ていた。パフォーマンス映像もあるが、確かYouTubeでも見ることができる。異国に来た人形達が「ママはどこ~?」とかやっているのがなかなか切ない。そういえば折元氏は英語で母親のことを紹介する時、「mother」とは言わず、決まって「mama」と言う。必要性の高さから、多分幼児語をあえて使っているのだと思う。「処刑」については、首から下げた箱に入ったパンが全部落ちるまで悶え苦しむ……というのが、先のパンは肉である、ということを思うとなかなかにエグい。

前回ほとんど見てなかった「オリモト・グラフィックス」ポスターなんかの展示。結構な量があるが、中に普通のアート作品がある。「アートママオブジェ」というもの。例の母親の写真などをポストボックスに……まあ作品っぽくごちゃごちゃ入れ込んでいるもの、あと瓶に薬の……あの空になったヤツを、詰め込んだもの。いや、なかなかこれ、こじゃれたホワイトキューブでの展示に出しても遜色ないオブジェになっている。あと、自分が出ている雑誌や新聞記事をガッツリスクラップ。これも作品だと言う。同時に、母親が自分の姿が写っているのを見ることで元気になるという。世界で有名なアートママである。

……この規模で、この内容で、午前とはいえ土曜日で、明日が最終日だってのに……なんか客が少ないなあ……テレビなんかでわーわー騒がれないと来ないのか? 鑑賞者達はどこに行った? 口当たりのいいキレイキレイなものだけせっせと鑑賞し、限定ミュージアムグッズを喜々としてしこたま買い込み、はいそれで趣味は美術鑑賞ですってか。君はそれだけでいいのか? 驚くような「アート」を見たくないのか? 
http://www.kawasaki-museum.jp/exhibition/orimoto/

|

« 「生きるアート 折元立身展」(川崎市市民ミュージアム) | トップページ | ポンピドゥー・センター傑作展(東京都美術館) »