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2016年7月17日 (日)

ダダ100周年(早稲田大学~スーパー・デラックス)

ダダ(ダダイズム)といえば、簡単に言えば、これまでの全てを破壊するという意志を持った芸術運動なんだけど、それはちょうど100年前、1916年7月のチューリッヒ、詩人トリスタン・ツァラによる「アンチピリン氏の宣言」から始まった。だから今年100年なのです。

まず早稲田大学會津八一博物館に、ダダの文献が展示されているので行ってみた。別にデカい博物館じゃないもんで、企画展示といってもほんの1コーナーって感じだけど、「DADA1」~「DADA3」特に、1918年のダダ宣言のページが見れる。あと、ツァラがピカソやマティスとコラボしたところの、両アーティストの絵ね(印刷)。それから荒川修作作品が三つ。博物館自体いい雰囲気だし、あと今回、コルビュジェの有名な「ロンシャンの教会」の企画もやっていて、なかなかいい模型を見ることができた。あとはぜんぜん関係ないが、とある場所で三十年ぐらい前に早大の学園祭に来てコンタクトレンズを吹っ飛ばして紛失したのを思い出した。そうか、この場所じゃねーか。人間の記憶ってすげえな。

まあこうして文献を拝んでダダ100周年気分を高めておいて、六本木のイベントに赴いたのです。「キャバレー・ヴォルテール@スーパー・デラックス」。「キャバレー・ヴォルテール」というのは、チューリッヒにおけるダダの中心となったキャバレー……っていうか文芸カフェらしいんだけど、このコンセプトを再現してのイベントを六本木のライブスペース「スーパー・デラックス」で開催する。出し物は日替わりでいろいろなんだけど、土曜「ダダダインダストリアル」に訪問。私的にはやはり当時ダダパフォーマンスの再現・再構成をした「劇場の三科」というのが目当て。あと私が多少関わっているポエトリー・リーディングがあり、他はダンスとかサウンド表現とか。

会場は六本木ヒルズのすぐ近くなんだけど、ちっこいライブハウスみたいなのかと思ったら、その何倍もデカい。既にケーブルも複雑なサウンド装置が設置してあり、プラスチックの低い丸椅子が並んでいて……どこまでこのスペース本来の雰囲気で、どこまで今回の企画のもんか分からんが。いつ始まるともなく始まり、最初は「劇場の三科」。ケッタイな衣装……といっても、割と当時の展示を見ていると出てきそうな感じなんだけど、それを装着した人がステージ(部屋の一部)で、BGM流してなんかあれこれやる。衣装はアートっぽいんだけど、何しろ衣装が動きづらいので、身体表現というわけでもなく、声を出すでもない。立体作品が動いて何かやってる感じなんだけど、なんかこう生身の人間が目の前でやってると、肉声への渇望ってのが出てくるね。で、これが割と短時間に終わって、次はなんか日本舞踊っぽいのが出てきて。それから休憩で、その後、サウンドステージ……あのうノイズっぽいというか、別にメロディとか、そういうのが無いもので、電子機器使ってて、なんていうんだっけ? あー、あれが「インダストリアル」か(ただの工場っぽい企画だと思ってた)。で、同時にプロジェクターを使って、写真と絵の具とマーブリングの様子が壁に映される。時間が結構長く感じる。決して嫌いなサウンドじゃないんだよね。でも、どうも私は、いつ終わるともないものをずっと聞いているというのが苦手で、まあそれだからジャズなんかも聞かないのかなあ。こういうのは、このすばらしい時間がいつまで続いてほしい~なんて至福の思いで聞いてる人もいるんだろうなあ。とにかく、あーここクライマックスかーいやまだ続くわー……ってのを何度も食らって、早く終わらんかなーなどと考えるに至って……俺は実に損な性分だな。

それからポエトリーの一人目、橘上。携帯の画面見ながら……って、ちょっと観客に向かってほしいな。まあ詩人だからな。休憩、その後、ポエトリー二人目、大島健夫。この世界ですごく有名です。超現実な詩世界であり、ネタっぽいお笑いでもある作品。うん、うまいな。それからピアノと女性のダンスで、ダンスは身体表現で……って当たり前か。その後また休憩でポエトリー三人目、三角みづ紀、遠藤ミチロウ作品を読む。暴力的な内容ながら、声がソフトなんでうまいことしてやられた感がある。あのう、なんかサンプリング装置(?)も使ってましたな。その後、またサウンドなんだけど、入ってもう四時間経ってて、サウンドもさっきと似たような要はインダストリアルだったので(聞く人が聞けばさっきとは全然違うと言うかもしれんが)、疲れたんで撤収した。中年にはキツい。

最初の「劇場の三科」以外は直接当時のダダとは関係なく、では今の時代の「ダダイズム」かというと、正直「?」なのだが(まあ想定内ではあったが)。というのもダダは今ある全ての撤廃と破壊と否定が魂だったので、それを感じられる……というもんでもなく、さらに言うと、はいサウンドものです、はいダンスです、はいポエトリーです。とジャンルに属したものとしてサクッと出されることより、ジャンルそのものまでも破壊された何かを見たかった。ん。まあ一応ジャンルを越えたコラボっぽいものもなくはなかったが。破壊まではいってない。でも破壊こそがダダじゃないかい? 客が戸惑うぐらいの。そう、これは何だ? 何やってんだ? こんなにぶち壊しにして(機材を壊すとか、そういう意味ではない)いいのか? ってなもの。そういうものカモン! いや、もちろん見たものがダメだったというんじゃなくて、むしろ美術館の企画でやっても全くおかしくない優れものが集まってたと思うんよ。でもそれはダダだったか? というと私の答えは否定的。おお、その名も高き「キャバレー・ヴォルテール」よ。ダダの魂はまだ本当にはよみがえってはいないぜ。ま、土曜日行っただけで他の日は知らんが。
http://www.waseda.jp/culture/aizu-museum/news/2016/06/10/1213/
https://www.super-deluxe.com/news/122

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