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2016年8月27日 (土)

宇宙と芸術展(森美術館)

開催期間が半年近くもあるだけに、それなりのボリュームがあって、まともに見ていると相当時間がかかっちゃう……なもんで、金曜夜にセカセカ行った私としても何か見落としてるんじゃないかと思う次第……と同時に、いかにも宇宙的で派手なのが目に付くんだけど、実は目立たないヤツでも結構貴重品が出ていたりしてたちが悪い。

最初のエリア「人は宇宙をどう見てきたか?」ということで、曼荼羅とかあります。「両界曼荼羅」なんか、今まで見てきた中でも結構イイヤツが出ているではないか。あと面白いのがインドの「グヒヤサマージャ立体マンダラ」。これ曼荼羅が建物みたいになったもんだけど、派手でケッタイで、最初何かのオモチャかと思いましてん。……あれ、出品リストを見ると、こんなんあったっけ、みたいなのが結構あるんだが。あ、結構展示替えしてるのか。まあ長期間だからしててもおかしくないよなあ。ええと……「須弥山儀」立体、とメモってあるが何だっけ……山だったよなあ。あ、そうだ太陽と地球の動きとか何とか、そんな丸っこいもんもくっついてたヤツ。おもしろい造形だよ。それから何か仏教のなんたらみたいなのがいろいろあって、あーそうそう北脇昇の絵画「竜安寺石庭ベクトル構造」これね、北脇昇ったらシュールレアリストじゃん。こんなところに地味に展示してあるんだ。ええと、月面図とか天球図とかあって、「竹取物語絵巻(第三巻)(武田本)」があった。江戸時代の巻物のようですな。テーマが宇宙だからやっぱし月からの姫は外せないぜっ……って、字は読めねえし絵は平安の宮廷みたいなのばっかしであんまおもろない。「流星刀」刀なんだけど、これすごい。隕石から取れた隕鉄というので作られてんだってお。見てるだけでなんか宇宙的凄みを感じちゃうぞ。ここで、レオナルド・ダ・ヴィンチの「アトランティコ手稿554v」あ、ありがてえ。月、太陽、地球の位置関係を示した図。なんかダ・ヴィンチの手稿って、いかにも「芸術作品」だなあと感じられるところがすごいですね。うん、あとプトレマイオスとかガリレオとかケプラーの本とかもありましたな。結構貴重そうな古い文献とかさりげなく置いてあるんだよね。あと望遠鏡があり、リング日時計みたいな機械ものがあり、いろいろ。

「宇宙という時空間」のエリア。今時の宇宙と芸術の結びつきというかなんというか。アンドレアス・グルスキーの写真「カミオカンデ」。カミオカンデの測定器(だっけ)びっしりの大空間の写真。右下に小舟に乗ったヤツがいる。グルスキーは平然と合成をやって超現実みたいな写真を作り出すナイスなヤツだお。森万里子「エキピロティック ストリングⅡ」超弦理論のなんとかとかんとかを立体化と書いてあるけど、なんとなく曲面形状が面白かったから使っただけのような気がします。そういえば科学や数学から生み出される驚異の形状「フラクタル」をはじめとする「複雑系」は今や下火なのか? あるいはもうCG分野で定着したのか、今回の企画でもどこかで出てきそうで出てこなかったなあ……複雑系好きな私は寂しいなぁ。ビョーン・ダーレムって人の「ブラックホール《M-領域》」一部屋使っている力作だけど、蛍光灯で軌道みたいな立体を作っているだけといえばだけ。それよりコンラッド・ショウクロスの「タイムピース」の方がデカいのが動いていて面白い。アームに光源が付いてて、アーム自体は回転するだけの単純な動きだけど組み合わさっているから複雑になる。光源が動くからそれに連れ影も動く。これも確か科学分野のなんとかの動きだろうけど、ボケーと見ててもよい。あとは動画、セミコンダクターの「ブリリアントノイズ」太陽の表面を拡大した映像を音響とともに動画にした。太陽とは思えない不気味さとなんちゅーか胸がざわざわみたいな感じ? そしてさりげなく置いてあるのがジョゼフ・コーネル「カシオペア #1」。うっかりするとスルーしちゃうけど、貴重かつ繊細な「コーネルの箱」の一つだぞ、よく拝んでおけい。

「新しい生命観-宇宙人はいるのか?」だってお。ピエール・ユイグの動画「非絶滅」は琥珀の中の虫を拡大して映していくものみたいなんだけど、急にデカい音がするっぽいので(苦手)あんまし見てない。あと隕石とか、ダーウィンの「種の起源」の本とか、ローラン・グロッソの虚舟(うつろ舟:1803に日本に来たらしいUFO)の立体とか、差し絵描きが頭をひねって考えた宇宙人の挿し絵色々(所蔵が荒俣宏なんだな)。そんでパトリシア・ピッチーニ「ルーキー」、芋虫と人間の融合体みたいな生物のリアル立体。結構インパクトがあってTシャツにもなってる。普通にキモい……というか「キモカワイイ」ってヤツですな。キモいけど。あー、あと、先のうつろ舟の江戸浮世絵があるよ。江戸の神秘だぞカモン矢追さん。

「宇宙旅行と人間の未来」エリア。最初に空山基の人物立体「セクシーロボット」。イラストではたまに見るがピカピカ立体で文字通りセクシーなんだけどロボットなんで萌え切れないところがもどかしい。あとは宇宙飛行士の写真とか、野村仁のおなじみムーンスコアもある(おなじみなんで説明がめんどい)。野村仁では火星の立体写真もあるんだが、これは何か芸術的意図があるんだろうか。広告にもなっているスペースシャトル発射台みたいなのはトム・サックスの「ザ・クローラー」ね。あと宇宙開発の映像などがあり(もう疲れてるんで適当)、クライマックスは今をときめくチームラボ「追われるカラス、追うカラスも追われるカラス、そして衝突して咲いていく-Light in Space 2016」。一部屋をフルに使った映像体験。宇宙的浮遊感スピード感バッチシで芸術的でもみんなにウケそうなかっこよさもある。さすが観光地にも子供ウケする楽しいアート施設を展開できる実力集団。これ四角い部屋だってのが惜しいよねえ。球体スクリーンとかで見たいよなあ……無理だけど。

そんなわけで、まだ他にもいろいろあったんだけど、何しろ科学映像から美術まで古代から現在まで幅が広い。行けば何かツボはあるだろう。
http://www.mori.art.museum/contents/universe_art/

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2016年8月21日 (日)

「現在戦争画展」(TAV GALLELY)

「いかなる戦争も聖戦で始まり惨殺で終わる」ってな言葉を考えた。先の太平洋戦争も恐らくはアジアの平和だか解放だかを目指した聖戦で始まったと思われる。しかし崇高な理念は出だしだけで、戦争が長引くに連れて戦場では長い禁欲的な生活を強いられた兵士達が相手がメスと見れば襲いかかり、じゃまするオスどもを惨殺するという野獣そのものの状態となり、そうした者達の被害者にとっては当然それが戦争の実体であり全てである。要するにその聖戦から惨殺までが戦争の始まりから終わりまでグラデーションのようになっている、というのが私の戦争観です。「そんなことないよ、惨殺で始まり惨殺で終わるのさ」と、自分は絶対に人に流されず過ちを犯さないと確信している平和主義者諸氏には、多分それは間違っていると言いたい。そういうものだったなら戦争は繰り返されないであろう。逆に兵士達は志高く、敗戦とはなったが始めから終わりまで聖戦であったという国粋主義者諸氏にも、んなこたーないと言いたいのです。
で、そういう事前の心構えで行ってみたが、やはり企画者側も慎重なのか、あるいは手堅いのか、想像したようなイデオロギーバキバキの作品群ではなかった……っていうかまあ、会田誠が出ている時点で、そうなっていると予想してもよかったんだが、まあ、なんというか「今の私にとっての戦争」ってなテーマも多い。

その会田誠なんだけど、先日見た弁当箱の一つが出ている。ちょっと血便(!)みたいなヤツで……うむ、これが戦争かと言えばまあ戦争っぽいかな。高名な特殊漫画家の根本敬、出てます。例の暴力的な調子です。光り物入れてちょっと絵が豪華。「佐吉侵藤吉暴行(日本侵華暴行)」ってテーマは戦争っぽいけど、例の「ミクロの精子圏」のアレだ。懐かしいですな。今年作なんだ。あとは、何が目についたかな……桜井貴の「プリキュア大戦絵図(経過観察ver)」。おなじみ女児(小学生未満)向けの戦闘少女変身バトルアニメは、子供向けなんで顔とかぶん殴ったりしないし、血も流さない、というお約束があり、そのお約束を破ったら……という絵を描きたいんで描いちゃった。顔がリアル。線画なもんで色ついてるとよかったかな。ま、変に色ついてると誰か分かっちゃって著作権法に引っかかるのかな。それから、佐古奈津美「また死んでる」の遺影でFuck Youは分かりやすいが、現在の世の中と戦っている自分である模様。テーマは違うもんになるが、太平洋戦争の兵士にしても使えそうだね。谷原菜摘子「I'm not female」服着てるけど乳房を切って服が血まみれ、というもの。これ私は戦場の慰安婦かと思いまして(服装は現代だが)、体を弄ぶ殺人者(兵士)達におっぱいなどやるものか、という反戦の意味かと。顔がえらく怖いもんで、もっと優しい系の顔だともっとメッセージが際立ったかなと……で、実はこれ全く違うんで、テーマはトランスジェンダーの戦い。心は男で体が女という者の、なんというか血まみれの戦いなんだそうです。たまに聞くところによると、えらい苦しいらしいです。そうかあ……やっぱり力込めて描けるのは自分にとっての戦争だよなあ…… 白鳥さえ子「宿命」写実で結構いい。李晶玉「0」も、普通にうまいゼロ戦。笹山直規「戦争の絵~絢音 with サイボーグ三島」これは「子供たちの平和の絵コンクール」での大賞であるところの上絢音さんの絵をもとに大人の視点というか毒というか子供たちがこれから向き合うであろうリアルを込めて描いた作品。まあつまり、人斬ったりしてるの。子供の、その大賞作品も一応写真で見れる。解説では戦争を知らない子供たちにきれいごとを描かせて大人が賞賛するバカバカしさに触れているが、私は別に「あり」だと思う。子供たちなりにちゃんと「平和」のイメージを描き残しておくのも悪くないじゃん(それがたとえ大人ウケを狙ったにせよ)。ウチの娘も環境問題のヤツでそういう絵描いてるしな。ただ、それを大人が平和イベントなんか利用しちゃダメなんだぞ……利用しちゃうけど。この作者、ちょっと右寄りみたいだけど、左が当たり前みたいなアート界で、こういう人もっと出てほしい。

ぐちゃぐちゃっとしたのがいくつかあったんだけど、その印象はあんましよくない。なぜって、「戦争ってさ、結局敵も味方も兵器も人体もグチャグチャになっちゃうんだだよね~」ってなことをよく聞くもので。だから、逆に、シンプルに攻めてほしいのさ。
http://tavgallery.com/sensouga/

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2016年8月13日 (土)

「ヴェネツィア・ルネサンスの巨匠たち」(国立新美術館)

私ぁやっぱり近現代が好きなんで、もうこーいうの行くのやめよっかなあ、などと思っているが、やっぱりなんとなく行ってしまい、なんかつまんねーなーとか思って帰ってくることしばしばで、でもたまにボッスみたいなシュールに片足つっこんでるような愉快なヤツもいるんだよなあ……ってんで行ってる。
こういう時代の絵はほとんどキリスト教の宗教画で、中にギリシャ神話がちらほら。えー? キリスト教の勉強をすれば楽しめるって? まーそりゃー分かっているし、実はウチに本もあるんだけど(古本であんまし読んでないが)、勉強好きじゃねーし、知ってもああこういうことかと納得はするだろうけど、じゃそれが楽しいかっつーとそうでもないようだし、そもそもそれ「美」の鑑賞じゃなくなってねーかい……ってなことを時々書いています。

最初はルネサンスの黎明……っていうか、会場えれえ寒いじゃねーか。絵の保存の関係からか場内がキンキンに冷やしてある。寒い人には毛布貸してくれるっぽい。最初のベッリーニの「聖母子(赤い智天使の聖母)」は文字通りの赤い智天使(顔だけで羽があって飛んでるヤツ)が面白い。あとの絵は……なんか普通だな。いや、悪くないんだけど、表情堅いな、とか。

そうこうしているうちに、黄金時代の幕開けってことで、ティツィアーノとその周辺だって。前も書いたけどどうもあの辺の、ティツィアーノとティントレットとティエポロとがゴッチャになっていて、誰が先なのかよく分かりません。カロートって人の「縫い物をする聖母」……なんでこういう、赤ちゃん……キリストか、変な色なのかね。ヴェローゼの「嬰児虐殺」ってのは酷いけど画面はなかなか動きがあってイイ。同じくヴェローゼ「父なる神のサン・マルコ広場への顕現」雲に乗って神が来ている……あれ、キリスト教って神描いていいんだっけ? でもなんか時々見るよなこの手の白髭の爺さん。父なる神だってお。んっ? 雲の中に四角いUFOが飛んでる! こりゃあオーパーツ(?)だっ……と思ったらサンマルコ広場の塔の上の部分じゃねーか。がっかりさせやがって。ティツィアーノ工房の「ヴィーナス」、あとボルドーネって人の「眠るヴィーナスとキューピッド」いずれも裸婦なわけだが、後のアングルのオダリスクとか知ってるとイマイチイケてない。そりゃ時代も違うけどさ。しかしなんかこう、ズガッとクる絵はないのかね。……と思ったら次の部屋、ティツィアーノ「受胎告知」おおっ! デケエっ! そうかこれ目玉なのね。縦4メートルぐらいある。教会にあるヤツみたいだけど、よく持ってきましたな、と思ったら写真解説があり、教会のもちろんメインじゃなくて、右側のなんとかのかんとかの……だってお。

三人の巨匠たちのコーナーで、ティントレット、ヴェローゼ、バッサーノ、だそうで。バッサーノ「悔悛する聖ヒエロニムスと天上に顕れる聖母子」ほほう、上空に出現した聖母子が超現実ですな。ヴェロネーゼ「悔悛する聖ヒエロニムス」またヒエロニムスですかい。忙しいですな。ん? どっちの絵にも赤い帽子が描いてあるんだけどなんだこりゃ? 妙に目立つから気になるぢゃないか。あとで調べたら枢機郷(めちゃ偉い)を表すそうで、高い徳の象徴として描かれたそうです。ちなみにヒエロニムスの時代にゃこの地位がなくて、十五世紀頃から出てきて描かれるようになったんだってお。ためになったな。で、ティントレット「聖母被昇天」うむっ、なかなかいい感じ? 風受けて天に昇っていく様子。あとティントレット「動物の創造」これもなかなか画面に右から左へダッシュしていく鳥と魚と……あと神様か?(ちゃんと解説読んでません)。とにかくここまで静かなというかカッタルイ絵が多かったんで、いきなりアクションがある感じで面白い、次の「アベルを殺害するカイン」も、殺害時のドタバタぶり(って言い方もナンだが)が表現されててよい。あれ、ティントレットってもしかしてキリストが宙に浮いてる有名な「キリストの変容」描いた人? と思ったらあっちはラファエロだってお。

次、ヴェネツィアの肖像画。あー……パス。ボク肖像画に興味ないの。

次はルネサンスの終演。ヴェチェンティーノって人の「天国」が人ごちゃごちゃな感じがちょっと新鮮で、ジョーヴァネとかいう人の「スザンナと長老たち」は定番テーマながらイマイチ振り切ってねえな。もっと真面目に(エロエロに)描けや。バッサーノ「ルクレティアの自殺」……も定番だったと思う。ドメニコ・ティントレットってあのティントレットの次男らしいが画家だって。「キリストの復活」父ゆずりでキリストピッカリですな。パドヴァニーノ「プロセルビナの略奪」ってここでギリシア神話かい。しかし神話というか、単なる略奪にしか見えないほど、神様らしからぬ肉体派の略奪風景ですな。

まあなんと言いますかティツィアーノのデカいのだけでも見る価値あるっぽい。
http://www.tbs.co.jp/venice2016/

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2016年8月 7日 (日)

ダダ100周年 ギャラリー・ヴォルテール~スペクトラム・ダダ・ナイト(スパイラル)

先日、六本木スーパーデラックスの「キャバレー・ヴォルテール」のイベントを一回見て、それはそれでまあ面白かったんだが、これのどこがダダなのかと疑問符がいくつも付いて気分的にはイマイチだった。さて今回は……ぜひ「ダダ100年」をエンジョイさせていただきたい。

スパイラルでやってるダダ企画、「ギャラリー・ヴォルテール」は、詩とパフォーマンスの集団「TOLTA」による展示。ポジティブな文章を書いた箱が山のように積んであって、自由に手に取って組み合わせることができる。これはあとのステージで使った。あとはダダの店みたいなのがあって、ダダに関する書籍とか、面白いのはウルトラ面の怪獣「ダダ」をモチーフにした作品(売り物か)があったりする。たまたま思いついた名前なのか、あるいはある程度「ダダイズム」を意識したのか分からんけど、結構オシャレ作品になっている……というかこれこそ「ダダであってダダでないゆえにダダである」みたいなもんか。

そんで、メインが夜8時過ぎからの「スペクトラム・ダダ・ナイト」。TOLTAによる言葉と音楽のパフォーマンスです。私も言葉のパフォーマンスをすることがあるもので、その方面の知人に出くわしたりした。内容は1部と2部に分かれていて、全部で7つの演目となっていた。で、これらがなかなかいい感じにダダだった。当時のダダのアーティスト紹介と、その手法などに関連するパフォーマンスの指示でそれぞれが始まる。

最初はいかにも普通のダダ(?)らしい、意味のなさそうな言葉の朗読。三人がかり。あと一人ピアノ。

次は三人が自分の詩作品を25枚に分裂して、その場で再構成して朗読……なんだけど、分割再構成のスリルがあるかというと、別に読み手まで入れ替えてるわけでもないし、同じ作者の詩というものは、どの行取っても割と同じなもんで、まあ、そんなにスリリングではない。そうそう、音楽の人も楽譜を分割してやってたね。これはピアノだけでなく、なんかいろいろな楽器を使ってて面白かったな。

反対の形容詞がプロジェクターに表示されるので、それを同時に含むものを言う。例えば「美しい」「醜い」だったら……えーとなんつってたっけな。まあ大喜利みたいな感じで。

4人の雑談で進んでいく。リオオリンピックなどの話をしているが、途中別の人がセリフを書いたメモを渡す。それで、そのセリフは必ず言わなければならないし、また雑談の中に出てきたものとして極力円滑に雑談を進めなければならない。組み入れるためのムリヤリ感がエキサイティング。詩作品ではないが、今回の全演目の中ではこれが一番面白かった。これは私のパフォーマンスにも使えそうだしそのうちやろうそうしよう。

1部の最後は各人30秒だけダダイストになる、というので持参の皿割ったりティッシュを散らかしたり。カニエ・ナハ氏が持参した中原中也賞のブロンズ像に紅茶かけたり、30秒ながらいろいろできるものだな、という感心。ただ、残念ながら散らかしぶっ壊しはオフザケであってダダではないぞ。じゃあ何がと言われても困るが。

休憩を挟んで2部。「ダダでない、ダダでなくない宣言」というもの。展示にもある文章の箱をランダムに手に取りつつ読む読む読む。歩き回るのでなかなかせわしない。内容がポジティブなもんで、何となく普通に聞ける、心地よい文章になっている感じもする。音楽で言えばさ……ほら癒しの音階ってあるじゃん。それだけ使っていればランダムに鳴らしていても、心地よく聞こえるってもの。それに近い印象がある。まああと、ランダムな組み合わせでちょっと面白文になっているところもある。過激な面白さではないが、品良く面白い。ゆえにダダでない、しかしダダでなくもないから宣言通りではある。

最後はダダについての詩の朗読と、ピアノ伴奏。詩は橘上氏で、そういえば先日キャバレー・ヴォルテールでも読んでた人だな。あの時は携帯を見ながらで印象もイマイチだったんだけど、今回の企画では存在感もあって光っている。伴奏者はサティを弾いているが、腕になんか電子マッサージ器みたいなものが付けられ、コントローラーを傍らの人が持っている。どうもそのコントロール次第で演奏に影響が出る……らしいんだけど、見た限りではあまり効果を発揮してないっぽい(というか知らないとそういう曲なのかと思うだけである)。

以上だったが、ん、まあ、いい感じでダダな夜だった。
http://www.spiral.co.jp/e_schedule/detail_1956.html

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2016年8月 2日 (火)

会田誠展(ミズマアートギャラリー)

土曜に行ったもの。サブタイトル「はかないことを夢もうではないか、そうして、事物の美しい愚かしさについて思いめぐらそうではないか。」で、ポスターというかイメージ写真が……これは安部総理か? 使っていいの? あと、このタイトルは岡倉天心の「茶の本」から採られたらしいが、「夢もう」ってのが何て読むか分からない。「ゆめもう」でいいのか? ちなみに青空文庫に茶の本があって見てみたのだが、「夢もう」とは書いてなかったが。
まあ、それはさておき、何があるのかな、と思って見に行くと……むぅ! こうきたか! と思わず感心。これは誰かやってるようで多分やってないよな。いや、なんでこれ今まで思いつかなかったんだ。という、少なからぬ驚きを行ってみて感じてほしいので、行く人のためにネタバレはしばらく改行しよう。








で、何があったかというと、はい、コンビニのプラスチックの弁当箱(柄もついているの)にですね、絵の具でペインティング……なら、まだ「おう、こういうのもありだな」というレベルで受け止められる。ではなくて、盛ってあるのです。ウ○コみたいに。色はいろいろなんだけど、とにかく弁当箱の上にひりだしたヤツが盛ってあり、壁に飾ってあり、それがたくさん並んでおる。ウ○コ色じゃなくても、なんか印象がバッチい。とにかく弁当箱の上ってのがポイントで、普通の板の上じゃあ、まあ印象も普通だったかな。多分、会田が思いついたか発見したか分からないけど、やったらあまりに効果的なのでノリノリでやりまくった感じ。色合いや質感については、そこは美術家だから、ちゃんと計算していて、マジ汚いのから、パールのような光沢を持っているものまでいろいろ、あ、あと茶室があって(「茶の本」から採ったからか)、そこの壁にも飾ってあるし、パールのヤツは床の間に鎮座している。これらをアートと呼ぶにはなんか抵抗のあるキッチュさで、かといってデタラメをやってるわけでも不真面目にやっているわけでもない。我々の感覚の嫌なところを突いてくるし、また、突いてこなければ、新しいアートではない。岡本太郎が喜びそうだ。

……まあ一回見ればいいかなって感じでもあるが。
http://mizuma-art.co.jp/exhibition/16_07_aida.php

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