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2016年11月27日 (日)

粟津則雄コレクション展“思考する眼”の向こうに(練馬区立美術館)

300円で安いなと思っていたら、会場は下の一室だけ。そこにギュッと凝縮だお。評論家(のようだが知らない)粟津則雄のコレクションが練馬区立美術館に寄贈されたとかで、そこから厳選。エッチングとかリトグラフとか、量産品が多いのだが。

最初にルドンの「キリスト」。ルドンの黒の時代。キリスト、頭とかになんか刺さってて痛そう。にしても目がデカいな。西脇順三郎「裸婦」……抽象というかシュールすぎるお。井上長三郎「牛」小さいけどこれは油彩だ質感がよい。ルオー「ミセレーレ」いや「ミゼレーレ」か。そこから4枚。モノクロの暗い宗教版画です。野見山暁治「遊びにこない」抽象で……お、これも油彩だったか。田渕安一「Augeres」原色もののリトグラフ。ムンク「ノルウェー風景」ムンクらしい不安ちょっぴりの風景画だが小さい上にエッチング。隣はシャガール「出エジプト記 燭台の前のアロン」リトグラフで、不気味おじさん系。おっと先日Bunkamuraで見たピエール・アレシンスキーがあるぞ。リトグラフで赤いぐるぐる……じゃないな円形の模様を使った意味ありげなもの。うむ悪くない。麻田浩「蝶の地(夜)」これも油彩でマチエール上等。闇に浮かぶ化石が神秘的だな。木原康行「Turbulent」は微細にうねうねしているナイスなヤツ。有名どころ池田満寿夫。珍しく金を使ったブロンズ2つ。形状はよく分からん。メゾチントの絵もあって「黄金の真珠」……って女性のお尻だなこれ。加藤清美いろいろ。モノクロのエッチング。「向こう側からNo.3(鳥)」がよかったね。鳥が羽ばたく、でも背景がミソね。久保卓治「Notre-Dame,The spire」これいいね。エングレーヴィング? 調べたらビュランっていうダイヤモンドペンみたいな道具使って彫った銅版画だってお。リアルに写実風味。ノートルダムの塔をやや上から見ていて、高さが感じられてよい。

今回は小規模ながら、独自のちょっとイカすセレクションで魅せてくる。
http://www.neribun.or.jp/web/01_event/d_museum.cgi?id=10328

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2016年11月23日 (水)

ゴッホとゴーギャン展(東京都美術館)

みんな大好きゴッホだお! あとゴーギャン好きな人も……いるかな? ゴッホとゴーギャンはアルルで一緒に住むようになったが、ゴッホがあまりにマッドなのでゴーギャンは2ヶ月ぐらいで出ていった……が、その後もなんとなく手紙が続いていたりしたとかなんとか。今回の企画、結構ゴッホの絵が見れるぞ。ゴーギャンもあるけど、ゴッホよりは量少な目な感じだ。
しかしなにより……あれ、今までのゴッホとなんか違うぞ、と思う人もおるんじゃなかろうか。実はね、光で絵の具が退色すると分かったとかで、明かりの照度を少し落としてるんだって(150→75ルクス)、そうっ、あのっ、鮮やかな原色じゃなくて、ちょっと「あれ?」って感じがするんよ。え~、今後のゴッホはみなこの明るさですかい?

さて展示は概ね年代順だお。最初にゴッホの初期形であるリアル油彩。「古い教会の塔」なんてシブい建物の写実じゃん。今回、同時代の画家もいろいろ出ている。ゴッホはミレーをリスペクトしてたんで、そのミレーの絵もあって「鵞鳥番の少女」おお、これは、ウマいな。ミレーは「晩鐘」とかブワッとした大地というか農地の絵ばっかしかと思ったら、この水面の描写なんて結構写実じゃん。いいじゃん。なもんで、ゴッホがあのままシブい路線続きだったら、とてもミレーに勝てんので、後世に名は残らんかったでしょうねえ。あとはセザンヌとかコローとかバルビゾン親父(テオドール・ルソー)とかの絵がある。それぞれの特色はちゃんと分かるが、まあ絶品ってほどではないな。中の上ぐらいかな。それからゴーギャンは「自画像」。画家で行くことを決意した三十代の不安ないまぜのツラが目を惹く。それからピサロがあり、モネがある。いずれも中の上ぐらいで。

で、そろそろ二人が出会う頃なんだけど、ゴッホは描線も太くなり色彩もだんだん狂ってきていい味だしてくるお。もちろんゴッホとしては新印象主義の色彩の研究とかして冷静に導き出した画風かもしれないんだけど、やっぱり死に向かって狂えば狂うほど面白いぜっ。美術鑑賞は残酷なんだぞぉ。それはさておきゴッホの「靴」はまだリアル路線で結構マジな写実が冴える。ここまで描けたんだゴッホ。隣の「石膏トルソ(女)」あたりで「らしさ」が出てくる。「ボートの浮かぶセーヌ川」でも水面に鮮やかな線がちらほら。ゴッホの自画像3つ、マジなのとややマッドなのとイッちゃってるの……ってほどでもないか。まあ年代ごとの比較できるお。他の人の絵、ロートレックが1枚。ゴッホと交流があったらしい。へぇ意外だな。前にBunkamuraで見たシャヴァンヌの装飾風絵画あり。ポール・セリュジエ「リンゴの収穫」でいきなりゴーギャン風の平面的な絵が出てくる。後にゴーギャンを師と仰ぐ「ナビ派」結成したんだお。だからこの絵はちょっと時代は後になる。ゴーギャンはあんまり大した絵がない。

上の階へ移動。共同生活をしてた頃。1888年の絵だお。まあ、この階がメイン。ゴッホの「グラスに生けた花咲くアーモンドの小枝」は小さいながら愛する浮世絵風の画面構成がうまくいっている。うん、ゴッホはうまくいってないのも多いもんでな。「レモンと龍の瓶」はなかなかゴッホらしいですな。「耕された畑(畝)」これいいですな。太い描線。そうだよこれだよこれこれこりゃこりゃ! ……うーん、ちょっと暗い。ライティングのせいか? いや、もともとこういう絵なのか。ゴーギャンもやっとらしい絵が出てくる。フロア最初の「ブドウの収穫、人間の悲惨」は象徴主義的(なんか絵に意味ありそうな感じ)で、かつ中央の女性は実際には別んところの絵を持ってきたと。つまりゴーギャンは画面を自分好みに作れりゃあ、その絵が実景であろうがなかろうが、そんなの関係ねえっ。「アルルの洗濯女」これが今回のゴーギャンの傑作だお。何が? 諸君、この絵を洗濯女と川の絵だなんて思わずに抽象画だと思って鑑賞してみたまえ。これは色と形の絵なんだ。どうじゃ、なかなかええでしょ。ゴーギャンは絵画には絵画そのものの世界があるってことに気づいていたわけですな。セザンヌも同じなんだけどね。ええと話はそれるが、オレは「絵の読み解き」ってぇヤツが好きじゃない。読み解くことが絵を深く鑑賞することだと思っているヤツラには、それはちょっと違うと言いたいのさ。だってこういう絵だと、洗濯女が誰かとか、そこには何があるからどこの川だとか、あんまし意味ないじゃん。色と形が訴える世界だもん。まあ画家の研究や画家の足跡を追うなんてところでは役に立つし意味もあるし、まあ他の人と情報交換、共有して盛り上がれるってのもあるけどさ(読み解き好き連中の最大の理由はこれじゃないかと思うがね)、そういう絵に付随する知識だけを追いかけて、絵そのものから感じるところを受け取らなきゃ本末転倒だべ。読み解きに時間とアタマを費やしてるんなら、その時間で他のアーティストの絵を見ろと言いたい。話を戻して、ゴッホが描いた「ゴーギャンの椅子」でこのフロア終了。ゴッホは耳切って入院し、それにドン引きしたゴーギャンは離れていった。

同居後の絵。ゴッホがずらずら。狂へば狂ふほど鮮やかに切実に絵画世界が炸裂しにける。イイネ。「渓谷(レ・ペイルレ)」なんて灰色だけど、ゴッホらしい描線で迫ってくる。ゴーギャンもいくつか「家畜番の少女」はこれも抽象画的鑑賞をした方がナイスな感じがするお。それから最後にタヒチのゴーギャンいくつか。これも象徴的に何かを描いたのより、むしろ何物でもなく色をつけたようなものの方がよい。「川辺の女」の女がどんなだったかは覚えてないが、妙な存在感の木は覚えている。「タヒチの牧歌」これは……なんかメモってあるが、どんな絵だったか……あ、そうだこれ照明ムラで画面がヘンな明暗なってねえか? 今回、全体的に絵のスポット光を抑えてあるが、抑えるのはいいけど、ムラはいかんでしょ。最後はゴーギャンのひまわりの絵でおしまい。

ゴッホだけ目当てでも十分イケるぞ。ほとんどがバッチリ油彩画で、習作とかデッサンで出点数稼いでないのもポイント高いぜ。あとは……し、照明がなあ……
http://www.g-g2016.com/

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2016年11月20日 (日)

「拝啓 ルノワール先生」(三菱一号館美術館)

よう、ウメリュー。
梅原龍三郎といえば、ジャパニーズフォーヴだよな、とか思っていたもんで、ルノワールと交流があったなんて思いもよらんの。その交流にスポットを当てた企画。強気の1600円……これでか? なんか会場結構スカスカに見えるんだが。もっともここは建物がダダッ広くて、通路移動も多いし(まあ、そこが面白いんだが)、自動ドアも多い。光熱費だけでバカんならないと思う。

若きウメリューはフランスでルノの絵を見て、これぞ自分が描きたかった絵だとかなんとか思って、大家のルノワールにアポなしでいきなり会ったそうである。それから交流が始まった。というわけで、ルノの作品とルノ風のウメリュー作品が展示されてるわけだ。ウメリューの「はふ女」なんぞはつくづくルノ風だねえ。這う女だけどね。ウメなどの言葉がところどころにパネル展示されてる。会う時は「私が彼にふさわしいと彼は知らねばならぬ」とかなんとかストーカーみたいなこと考えてたりする。ウメはルノ風だけじゃなくて、グレコ風に引き延ばし人体っぽい「自画像」とかもあって、要はあっちでの試行錯誤の時代ですな。誰でもある。一方ルノの作品は晩年のが多く、この時代の人物はちょっとアクが強くて、オレ好みじゃないんだが。でも「バラ」とかの花ものは小さくても見事じゃ。ルノからウメへの手紙なんぞもあって、そんなリアル交流してたのかと驚く。

大きな部屋には、ウメからの寄贈品でルノ以外の画家も展示。ピカソとかルオーで。この部屋はスペースに余裕があり、よくいえばゆったり見れるが、わるくいやあ、そこ言葉パネルじゃなくて絵を置いてほしいんだが、とか思わんでもないの。ピカソは晩年近くの荒っぽい奴ら。ルオーは手堅いいかにもルオー風。そういやドガもあったな。あと壷や女性像みたいな立体も。

それから移動して、ウメが影響受けた「大津絵」ってのがある。日本の江戸時代からある、宿場町大津で売ってたヘタウマ観光絵だって。なんかプリミティブな魅力だとかでその筋で有名らしい。へぇ初めて知った。確かにユルいというか、ヘタッピだけど味があるというか、なんとなく妙な魅力が分かりますね。それからマティスの「若い女の横顔」なかなか品がいい。ピカソとウメも交流があり、ピカソからウメに送った「横たわる裸婦と画家」がある。晩年ピカソおなじみの裸婦にムラムラする画家……って、これ、ピカソ絶対春画見てるだろ……っていうかそれをウメに送るところがピカソだよな。それからルオーとかシスレーとかモネとかある。全部寄託もんで三菱で持ってるヤツか。

ルノワールの死についてのコーナーというか、ギリシア神話の「パリスの審判」が2つほど。いかにもルノ好みのポッチャリ系で、これが女神なのかどうかよく分からん。がしかし、それを模写したというウメの作品が衝撃的。おい、なぜ、こうなる? 今までさんざんっぱらルノをリスペクトしといて、思いっきり路線が違うじゃねーか。と、制作年を見ると1978年。つまり、もうルノを遙か脱してフォーヴ系の自分の画風を確立した後で恩師に捧げる作品よ。ちなみにルノが死んだ後に、マティスやルオーと知り合ったそうな。それでそっちの影響の方がデカい。他にそこらにあるウメの裸婦も、時代はもっと前だけど、既にルノ風を脱出しつつある。やっぱデキる画家はこうだよな。

それから三菱のコレクションから……19世紀末のリトグラフ集の秀作「レスタンプ・オリジナル」からいくつか。ルノの「水浴の少女たち」いいよな。ロリコンでな。アクも強くないしな。あとルドンのブラックものな。ルドンでは三菱ゴジマンの「グラン・ブーケ」これってもう常設じゃね? 企画がイマイチてもこのデカい傑作がありゃあ、まあ客も文句ないだろ、みたいな。

最後の部屋いくつか。ルノの踊り子ブロンズがあり、それがある部屋を描いたウメ「薔薇とルノワルのブロンズ」ここら辺から俄然ウメのエンジンがかかってくる。ウメだけ集まった部屋があり、そこはさすがにいい。終盤にキメてきましたな。「青楓煙景」の木も空もヤバい。「南仏風景」の鮮やかな青色の使い方はタダモノではないところを十分感じとれるであろう。ここでルノも晩年より(多分)人気ある1800年代末のがいくつか。「長い髪をした若い娘」や「麦藁帽子の若い娘」などキレのいいのがあるぞ。

まあ絵をガッツリ鑑賞するというより、梅原とルノワールの交流に思いをめぐらせつつ見るのがよいのではないか。
http://mimt.jp/renoirumehara/

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2016年11月15日 (火)

数理にひそむ美(東京理科大学近代科学資料館)

去年アインシュタンをやった理科大だお。年に一度こういう展示企画をやるみたいですな。理科大らしく、「数理にひそむ美」というタイトルである以上、数理んとこの説明も十分あるわけで、歯ごたえ十分。数理学者の肖像画が並んでいるわけじゃないんだぜ。

最初にビデオがあって、自然界の中に正三角形、正五角形、正六角形が潜んでいるという話。三角形は四角形より剛性が高い。正五角形は頂点を結んで星形ができるが、その中にまた正五角形がある。それでまた星形が……ということで無限に続いていく。正六角形は蜂の巣がそうであるように。面積に対して最も効率がいい……ってな話。

展示は美術っぽい作品もあるが、基本はエッシャーの同じパターンを組み合わせていくというものに似てるの。概ね見たことがある感じのものなんだけど、荒木義明「カモの行列」というものが、パッと見思い切りフラクタル! ……ったって知ってる人しか知らんと思うが、自己相似形が無限に続くものなのだ。んーつまり木の幹が枝状に分かれていて、その枝の一本がまた同じ形の枝に分かれ、その一本が……と無限に続く。枝とは限らず同じ形の物ならなんでもいいんだぜっ。それで、数式から作り出す「何とか集合」というのがあって、一番有名なのは「マンデルブロ集合」というもの。その図形、どこをどれだけ拡大しても、同じような感じの複雑な模様が出現する神秘の存在。で、このカモの絵はそれに印象が近い。あと、一番驚いたのは、前川淳「樹状分岐円錐」。正方形から折りまくって分岐する枝の造形をするバカテク。この前川氏の折り紙の本があって……おお、この本買いたいな。

それから結晶の模型とかある。結晶の模型を隙間無く積み上げていくことにより結晶の構造を説明するブロックみたいなものとか。これ手でいじれるぞ。あとは何があったかな。トーラス(ドーナツ型)を切った造形。あと数理的な解説がいろいろあったが、さすがにムズい。数学的模型……あのう、杉本博司が写真に撮ってたヤツな。そんな感じの立体もいろいろあります。

隣の部屋で暗い中何かやってる。これがビデオフィードバック(だっけか)。ビデオカメラでテレビ画面を撮るが、そのテレビにはビデオカメラで今撮っているところのテレビ画面の映像が出ている。つまり、無限にぐるぐる光が巡っているのだが、これをやると映像は予想もつかないカオスの状態となり、安定したかと思ったら意外な形状が出現したりするそうな。生命のような感じか。解説員がいて……先生? いろいろ説明してくれるが、驚異的な展開というのはなかなか出すのが難しく、四苦八苦している模様。ただまあ、何も起きない状態でも結構色が付いたり妖しく動いたりして、なかなか生命の気配的な面白さがある。自宅でもできるかな。今の状態をもとにある条件で次の瞬間が決まる、というのが続いていくのはカオスでおなじみライフゲームと同じだと思うが、そう問いかけたところ、こっちは条件が決められているわけではないんで、と軽く流された。厳格なコンピュータ界でなく、あくまでアナログ界の存在としたいのであろうか。

隣の部屋に「120胞子星形化模型」というデカい複雑な……フレームで作ったコンペイトウのオバケみたいなのがある。説明がなかなか難しい……というか隣のビデオに注目しすぎて疲れた。あと、この部屋に何とか大学の大学生の研究展示もあり、そうそうフラクタルの何次元とか、そんなものも出ているぞ。

廊下にもいろいろあったが、カオスモスマシンという冨岡雅寛のアナログカオス模様発生装置(?)の紹介があった。そこに動画もあったが、が、ネットで「冨岡雅寛」で検索した方が興味深いものが出てくる。

展示スペースは大きくはないが、解説も豊富で、じっくり対峙して挑む価値はある。無料だし。
私としては、カオスやフラクタルがまだ死んでないことがちょっと嬉しいぞ。
https://www.tus.ac.jp/info/setubi/museum/event_data/2016suuribi/2016suuribi.html

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2016年11月 6日 (日)

ピエール・アレシンスキー展(Bunkamura ザ・ミュージアム)

ベルギーで現役のアーティストだお。ほとんど抽象というか、アート魂で描いてる。いやー先日の禅展でイロイロ頭抱えちゃったんで、頭使わないもんがいいかなと。

若い頃は前衛芸術グループの「コブラ」(コペンハーゲン、ブリュッセル、アムステルダムの頭文字だって)に所属。人物を象徴的というか抽象マンガというか、そんな感じで描いた「職業」シリーズを作ったりしたそうで、それが出てます。この職業はこんな感じ、というのを、あれだよほら、アルチンボルドみたいにやってる。面白い。それからリトグラフいろいろ。「太陽」なんてミロ風だよな。でもミロとも違うんだな。あと「夜」という作品。暗い中に浮かび上がるは無数の……漢字? 漢字だよなこれ。はい、アレシンスキー、日本の前衛書道に興味持ったりする。「墨美」って雑誌があったんだって。それで来日までして墨美の人と交流持ったりしちゃう。そんで墨を使った作品多数。書に影響されてだな、床に紙を敷いて体全体で描くんだお。「誕生する緑」とか、うねる、流れる、こりゃ流体だっ……そんなの。あとオレンジの皮になぜかこだわり。確かにむいた皮はシュールレアリスティックだお。そういえば、ミロも書に興味持ってなかったっけか。なにげに前衛書道の世界ってスゴいのか?

早く乾いて塗り重ねもできるアクリル絵の具を使うようになった。より衝動そのままに描きたいんだって。とはいえ抽象でも「覆い尽くす動き」というのが、きれいにパースがかかっているので、メッタメタ描きばかりやってるわけぢゃないんだな。それから今度はマンガ風にコマ割りをしたものが出てくる。中央の大きな絵に対し、下にコマを並べて、説明的というか説明になっていないんだけど、そういう雰囲気を出して意味ありげにしてる感じ? 「広げた新聞」なんてのは遠目でなんか新聞のマンガページっぽいけど、近くで見ると何とも抽象だったりする。「無制限の責任」は碧い空間がなかなかだ。「至る所から」は今回のポスターにもなっている。中央に意味ありげな絵、周囲コマ割り。あと、この部屋にアレシンスキー作の書の紹介ビデオがあるお。「魔法にかけられた火山」は遠目でよし、寄ってなるほど。木に見えるが火山かこれ。秩序対無秩序のエッジを行く。

「ヴォワラン印刷機」シリーズはなんかスッキリしているね。大作「ボキャブラリーⅠ-Ⅷ」はウルトラマリンブルーのタイル風。陶器の模様みたいですな。抽象というわけではなく、ちょっとした絵の集積。「イースト川」とかになると、円形のモチーフが出てくる。なんかこれが面白い。不定形の抽象の中にある円は目立つ。象徴的。そういえばさ、岡本太郎もなぜか抽象イメージの中に唐突に「目」を描いたりしたわけですよ。あれと似てんじゃね? 円のモチーフを入れるのでは「のぞき穴」というシリーズも面白い。Ⅱ、Ⅲ、Ⅳでそれぞれ青赤緑のイメージになっている。円を入れるだけじゃなく、キャンバスそのものを円形にしたものある。

予想通りというか期待通りというか、考えるな、感じるんだという世界が炸裂してるぞ。無心に行け。
http://www.bunkamura.co.jp/museum/exhibition/16_alechinsky/

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2016年11月 4日 (金)

禅 -心をかたちに-(東京国立博物館)

先日ユル禅画の仙厓を見たばかりだし、また私事でも厳しい事態に遭遇し魂とはなんぞやみたいなことを考えたりして、あと禅にもつながる仏教の華厳宗の本を読んでいるが難解なんで進んでなかったりして、それでも禅の世界観みたいなものには興味を惹かれておる。そんなわけで今回の企画は規模もデカいから、期待して行ったんだが……入って数分で東洋文庫と同じ失敗をハデにやらかしたことに気づく。しょっぱなから延々と禅の歴史なのだ。禅の思想を説明するでも美術作品で見せるわけでもなく、禅が成立した歴史の解説と寺の紹介と禅坊主の肖像や書が延々と続く(解説は膨大なのでほとんど読んでない)。
例えば君がギリシャ神話に興味を持ってかじったとしてだな、「ギリシャ神話展」ってものがあったから行ったとしよう。そしたらギリシャ神話の内容は少しもなくて、ギリシャ神話がどうやってできたとか、誰が伝えたかとか、どんな出版物があったとか、そんなもん延々と見せられても面白くないだろうよ。なに面白い? いやいやいや、とにかくそれと同じことをこの手の企画はよくやる。東洋文庫ではイスラム教と儒教とで2回も期待外れを食らっている。思想的な内容を知りたくても、それはかなえられない。なんで企画者側はそういう内容そのものの方向に頭が回らないのだ? 歴史好きがそんなに多いのか? ありがたいお宝だけ見せりゃいいと思っているのか? あるいは鑑賞者が既に知っているものと思っているのか? そもそも内容そのものなんぞに興味ないヤツが多いからのか?
とはいえ、別に手を抜いた企画ではなくて、むしろ逆で、各お寺と地道な交渉をして、貴重品を借用して、機会を揃えて一同に集めて展示しているのである。オレにとってつまらんからと言って金返せなどと言うことは失礼千万であろう。これだけ集めて展示するのは大変だぞ。

とはいえそんなわけで2/3ぐらいはちゃんと見てない。最初に白隠の「達磨像」があって、ここはウェルカムな感じ(?)ですな。狩野元信の「禅宗祖師図」がデカくていいよな。それからは延々と寺と坊主の紹介と坊主の肖像で……いや、中にもしかして重要な物を見落としている可能性があるかもしれんが、んー南禅寺のね、「九条袈裟」……なんかメモってあるけどなんじゃこりゃ自分の字が読めねえぞ。あ、世界観か。そうそうこれ肖像じゃなくて仏とか描いてあるんだが。あとは……一休宗純ってコーナーがあり……これいわゆる「一休さん」ですか? そんで前半終わり。これだけ? はあ、オレはこれだけ。

後半も戦国武将と近世の高僧とかいうコーナー。あ狩野永徳の織田信長だ……弱そう。………………あーなんか面白いもんないのかよ。ここで、やっと白隠があり、エンジンがかかってきたお。「乞食大燈像」おっとギョロ目がイカす。やっぱ仙厓よりも緊張感があるのが特徴ね。「百寿字」は文字通り百の「寿」が書いてあるのだが、デザイン的になかなかモダンですね。仙厓は「南泉斬猫図」。猫斬っちゃうヤツじゃん。これ、こないだ出光で同じテーマのを見たが、こっちのがはるかにユルい。ユルユルだっ。

禅の仏たち、というコーナーになる。やっと美術作品~ってなってきて嬉しいぜっ。「宝冠釈迦如来および両脇侍坐像」うーむ、いいデキの仏像を持ってきてるじゃん。「十大弟子立像」は十人の個性バッチの立像だお。「伽藍神像」は目力がすごいねえ。このあたりみんな鎌倉時代とかそんなもんだな。いにしえですな。あと羅漢像とかもあり、これも年代が古い。

禅文化の広がり、ってことでもう最後のコーナーなんだけど、美術作品が多くて見応え十分。うむ、前半はどうかと思ったが、後半から終盤にかけて俄然いい感じになってきたぞ。茶道具いろいろ、茶なんぞおよそ分からんが、茶碗であるところの「油滴天目」と「玳玻天目」(たいひてんもく)は、シロート目にも、ん? なんかこれってすごくね、って感じがするよな。伝牧谿(もっけー)の「龍虎図」はなかなかだ。雪舟の「秋冬山水図」はおなじみだお。それからデカい障壁画かバカスカ登場。相阿弥「大仙院方丈障壁画のうち瀟湘(しょうしょう)八景図」おお大画面。空間パネエ。長谷川等伯「天授庵院方丈障壁画のうち祖師図」これは、例の猫斬りだよな。海北友松って人の「建仁寺本坊大方丈障壁画のうち竹林七賢図」これもデカい。そしておお伊藤若冲まで「旧海宝寺障壁画のうち群鶏図」墨のモノクロながら得意の鶏だお! ……って喜んでいるけど、これらは要は禅寺にあった美術作品を持ってきたってだけであって、禅が何ぞやとかあんまり考えてないし考えなくてもいいんだが、じゃあオレは何しに来たんだと自問自答したりしてな。最後は池大雅「萬福寺東方丈障壁画のうち五百羅漢図」いいじゃん。池大雅ってこんなの描いてたっけ。文字通り羅漢っていうか人いっぱい。一番最後に坐禅の組み方説明と、坐禅やって写真撮れるコーナーがある。

お宝がゴッソリ来ていてありがてえ貴重な機会には違いないんだから、見逃すべきじゃないと思ったら行きなさい。しかし「禅」展と称するこれが本当にこれでいいのか? お宝を前に考えるのも一興ではないか。喝!
http://zen.exhn.jp/

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