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2016年11月23日 (水)

ゴッホとゴーギャン展(東京都美術館)

みんな大好きゴッホだお! あとゴーギャン好きな人も……いるかな? ゴッホとゴーギャンはアルルで一緒に住むようになったが、ゴッホがあまりにマッドなのでゴーギャンは2ヶ月ぐらいで出ていった……が、その後もなんとなく手紙が続いていたりしたとかなんとか。今回の企画、結構ゴッホの絵が見れるぞ。ゴーギャンもあるけど、ゴッホよりは量少な目な感じだ。
しかしなにより……あれ、今までのゴッホとなんか違うぞ、と思う人もおるんじゃなかろうか。実はね、光で絵の具が退色すると分かったとかで、明かりの照度を少し落としてるんだって(150→75ルクス)、そうっ、あのっ、鮮やかな原色じゃなくて、ちょっと「あれ?」って感じがするんよ。え~、今後のゴッホはみなこの明るさですかい?

さて展示は概ね年代順だお。最初にゴッホの初期形であるリアル油彩。「古い教会の塔」なんてシブい建物の写実じゃん。今回、同時代の画家もいろいろ出ている。ゴッホはミレーをリスペクトしてたんで、そのミレーの絵もあって「鵞鳥番の少女」おお、これは、ウマいな。ミレーは「晩鐘」とかブワッとした大地というか農地の絵ばっかしかと思ったら、この水面の描写なんて結構写実じゃん。いいじゃん。なもんで、ゴッホがあのままシブい路線続きだったら、とてもミレーに勝てんので、後世に名は残らんかったでしょうねえ。あとはセザンヌとかコローとかバルビゾン親父(テオドール・ルソー)とかの絵がある。それぞれの特色はちゃんと分かるが、まあ絶品ってほどではないな。中の上ぐらいかな。それからゴーギャンは「自画像」。画家で行くことを決意した三十代の不安ないまぜのツラが目を惹く。それからピサロがあり、モネがある。いずれも中の上ぐらいで。

で、そろそろ二人が出会う頃なんだけど、ゴッホは描線も太くなり色彩もだんだん狂ってきていい味だしてくるお。もちろんゴッホとしては新印象主義の色彩の研究とかして冷静に導き出した画風かもしれないんだけど、やっぱり死に向かって狂えば狂うほど面白いぜっ。美術鑑賞は残酷なんだぞぉ。それはさておきゴッホの「靴」はまだリアル路線で結構マジな写実が冴える。ここまで描けたんだゴッホ。隣の「石膏トルソ(女)」あたりで「らしさ」が出てくる。「ボートの浮かぶセーヌ川」でも水面に鮮やかな線がちらほら。ゴッホの自画像3つ、マジなのとややマッドなのとイッちゃってるの……ってほどでもないか。まあ年代ごとの比較できるお。他の人の絵、ロートレックが1枚。ゴッホと交流があったらしい。へぇ意外だな。前にBunkamuraで見たシャヴァンヌの装飾風絵画あり。ポール・セリュジエ「リンゴの収穫」でいきなりゴーギャン風の平面的な絵が出てくる。後にゴーギャンを師と仰ぐ「ナビ派」結成したんだお。だからこの絵はちょっと時代は後になる。ゴーギャンはあんまり大した絵がない。

上の階へ移動。共同生活をしてた頃。1888年の絵だお。まあ、この階がメイン。ゴッホの「グラスに生けた花咲くアーモンドの小枝」は小さいながら愛する浮世絵風の画面構成がうまくいっている。うん、ゴッホはうまくいってないのも多いもんでな。「レモンと龍の瓶」はなかなかゴッホらしいですな。「耕された畑(畝)」これいいですな。太い描線。そうだよこれだよこれこれこりゃこりゃ! ……うーん、ちょっと暗い。ライティングのせいか? いや、もともとこういう絵なのか。ゴーギャンもやっとらしい絵が出てくる。フロア最初の「ブドウの収穫、人間の悲惨」は象徴主義的(なんか絵に意味ありそうな感じ)で、かつ中央の女性は実際には別んところの絵を持ってきたと。つまりゴーギャンは画面を自分好みに作れりゃあ、その絵が実景であろうがなかろうが、そんなの関係ねえっ。「アルルの洗濯女」これが今回のゴーギャンの傑作だお。何が? 諸君、この絵を洗濯女と川の絵だなんて思わずに抽象画だと思って鑑賞してみたまえ。これは色と形の絵なんだ。どうじゃ、なかなかええでしょ。ゴーギャンは絵画には絵画そのものの世界があるってことに気づいていたわけですな。セザンヌも同じなんだけどね。ええと話はそれるが、オレは「絵の読み解き」ってぇヤツが好きじゃない。読み解くことが絵を深く鑑賞することだと思っているヤツラには、それはちょっと違うと言いたいのさ。だってこういう絵だと、洗濯女が誰かとか、そこには何があるからどこの川だとか、あんまし意味ないじゃん。色と形が訴える世界だもん。まあ画家の研究や画家の足跡を追うなんてところでは役に立つし意味もあるし、まあ他の人と情報交換、共有して盛り上がれるってのもあるけどさ(読み解き好き連中の最大の理由はこれじゃないかと思うがね)、そういう絵に付随する知識だけを追いかけて、絵そのものから感じるところを受け取らなきゃ本末転倒だべ。読み解きに時間とアタマを費やしてるんなら、その時間で他のアーティストの絵を見ろと言いたい。話を戻して、ゴッホが描いた「ゴーギャンの椅子」でこのフロア終了。ゴッホは耳切って入院し、それにドン引きしたゴーギャンは離れていった。

同居後の絵。ゴッホがずらずら。狂へば狂ふほど鮮やかに切実に絵画世界が炸裂しにける。イイネ。「渓谷(レ・ペイルレ)」なんて灰色だけど、ゴッホらしい描線で迫ってくる。ゴーギャンもいくつか「家畜番の少女」はこれも抽象画的鑑賞をした方がナイスな感じがするお。それから最後にタヒチのゴーギャンいくつか。これも象徴的に何かを描いたのより、むしろ何物でもなく色をつけたようなものの方がよい。「川辺の女」の女がどんなだったかは覚えてないが、妙な存在感の木は覚えている。「タヒチの牧歌」これは……なんかメモってあるが、どんな絵だったか……あ、そうだこれ照明ムラで画面がヘンな明暗なってねえか? 今回、全体的に絵のスポット光を抑えてあるが、抑えるのはいいけど、ムラはいかんでしょ。最後はゴーギャンのひまわりの絵でおしまい。

ゴッホだけ目当てでも十分イケるぞ。ほとんどがバッチリ油彩画で、習作とかデッサンで出点数稼いでないのもポイント高いぜ。あとは……し、照明がなあ……
http://www.g-g2016.com/

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