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2016年12月31日 (土)

デトロイト美術館展(上野の森美術館)

今まで行かずに温存してた。というか、ポスター見た限りでは、期待できるかなー微妙だなーとか思ってたんで行くような行かないような状態だったけどこのたび行った。
印象派以降二十世紀そこそこの西洋画という手堅いセレクト。点数ちょい少な目。でも習作とか版画とかなくて、全部油彩だお。

最初は印象派でルノワールから。「白い服の道化師」が普通にいい感じの肖像だな。「座る浴女」はチラシで見ると晩年の大味な裸婦っぽいんで小さいのかと思ったらそこそこ大きな絵だった。うん、思ったほど悪くない。ドガがドガドガとあって、「楽屋の踊り子たち」は、チラシよりはいいかな。そこそこ大きさあるし。あとはマツコ・デラックスの肖像じゃなくて「女性の肖像」。ここでクールベさん「川辺でまどろむ浴女」。いやぁ、クールベさんの絵は毎度容赦ないリアルっぷり期待して、またその期待に応えてくれるお。今回も理想化されてないリアル裸女! きれーな裸じゃねーよなー。男が見て嬉しくないし、女が見て……どうなんだ? ピサロの点描ものがあり、モネが一枚。この手の企画だとモネは何枚も出ることが多いが今回は一枚「グラジオラス」なかなかきれいでいいね。

ポスト印象派。ゴーギャンが一枚「自画像」。ううん……らしくねえな。で、ここからセザンヌ。「水浴する人々」「サント=ヴィクトワール山」というド定番テーマの絵があるが……ちょっと小さい。「三つの髑髏」はおなじみ静物。テーブルの上にドクロが三つ。テーマは面白いがセザンヌの「普通じゃない」っぷりはそこじゃないんだよなあ。ルドンの「心に浮かぶ蝶」深い赤と蝶。ドニ「トゥールーズ速報」あーなんかこのポスターっぽいのがいいね。んで、ゴッホ「自画像」は、小さいけれど目がギョロリのなかなかイイやつ。「オワーズ川の岸辺、オーヴェールにて」は実にゴッホらしい……っていうか、あの、みんなの好きなマッドなゴッホね。

階段を上がって二十世紀ドイツ絵画。最初に有名どころのカンディンスキー「白いフォルムのある習作」。うーん、カンちゃんの有機的なこの手のはもっとデカいスゴいのを見たことがあるもんで。もちっと無機的な雰囲気のがいいな。隣のエミール・ノルデの「ヒマワリ」の方が不安な心象風景みたいでいいね。あと、このコーナーは……悪くないけど傑出したのも無い感じでな。あーココシュカのフォーヴみたいなのはいいな。

二十世紀フランス絵画。デュフィ「静物」。デュフィの絵は遠目ではなんか汚いけれど、近くに寄ると神みたいなのが多いので好きなのさ。今回も遠目ではアレだけど、近くでは……あーあんましキレイじゃねえなあ。次、ルオー「道化」これもルオーの神秘的美しい世界という感じでは……いや、得意の道化ものだけどな。ピカソが並ぶ。割と年代別の特徴的なものを持ってきて気合いは入っている。普通の肖像、新古典、いわゆるピカソ顔、晩年のちょっとラフなの、という感じでな。モディリアーニも三つある。うん……モディリアーニの絵って見ればモディって分かるんだが、どうもキレイとかスゴいとか、あんまり実感しないんだよな。だいぶ前に新美術館でモディ展やったんだけど見落としたのさ。マティスもオレにとってよさが実感しづらい画家なんだけど、今回の「窓」は分かるよ。なんか分かるよやりたいこととやってることの面白さが。マティスはたまにこういうのがあるね。

で、出てきた。しかーし! 見落としているものがあるぞ諸君(オレだけか)。入り口に壁画の複製がある。ディエゴ・リベラ「デトロイトの産業」。誰? メキシコの壁画運動マエストロ……よりも、フリーダ・カーロの夫として有名なんだな。こういう絵を描いているのさ。
http://www.detroit2016.com/

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2016年12月29日 (木)

マリメッコ展(Bunamuraザ・ミュージアム)

以前はファッション系の展覧会にもちょくちょく行ったもんだが、ここんとこサッパリで。で、なんで行ったかというと、今やってるヤツで行きたいのは概ね行っちゃったんだよね。しかも会社帰りに行けそうなヤツって少ないのだ。で、マリメッコって何かっていうとマリモッコリじゃねえよ。人の名前かと思ったらアパレル会社の名前だお。え? みんなもう知ってるの? まあ全く知らんオレみたいなヤツでも「ウニッコ」と呼ばれるケシの花のデザイン柄を見りゃあ、あーこれどっかで見たよなあって思うと思うと思う。

そのウニッコのファブリック(デカい布地)が最初にあって、いきなりもうマリメッコワールドだお。このデザインをやったのがマイヤ・イソラって人で、この人がほぼマリメッコテイストをキメてる感じ。いやもちろん違うテイストのもあるんだけどさ、やっぱこれだーね、というものです。他のテイストじゃ「プトキノトコ」っていう木のシルエットみたいなのがイイネ。

それから創業者アルミ・ラティアの紹介があり、各デザイナーが紹介されていくんだけど、とりあえずマイヤ・イソラかな。「ロッキ」というファブリックの黒白波模様なんぞもいいぞ。他のデザイナーも概ねこのスッキリ明るい感じなんだけど、リーサ・スヴァントって人だけは暗い色のシックな感じで……ええとシックって形容でいいよな。病気って意味じゃないよな。いやしかしシックでもマリメッコ的なものは感じられる……よね。あと、ジャックリーン。ケネディが着てたとかで、その着た柄のドレスもある。青系のちょっと落ち着いた感じの……っていうかさー、ファッション系の形容詞なぞ知らん。アウェーすぎるお。さておき、ライフスタイル全体のデザインをやったとかなんとかでバッグとか出ている。その後の新しいデザイナーとして、おっと日本人がいるじゃん。脇阪克二。この人なかなかいいデザインをする。ファブリック「カルセッリ(回転木馬)」……木馬? 花じゃん。それよりファブリック「プロ(小川)」これは見事ですな。これも花モチーフなんだけど、茎が川のような模様になっているんだお。うーん、実に洗練。それからまた日本人がおる。石本藤雄、ファブリック「コスキ」うむ日本的な。着物の柄でもイケそうな感じだお。このあたりまでで60年代から70年代。

ここで経営が何たらとか経営者がどうたらとかしたとかしないとか(←ちゃんと解説読んでないのかよ)。で、それで90年代に原点への回帰ってことで……過去のスタイルの復活、というか、古きよきというか、それだけ原点のテイストが完成されていたってことでねえかい。ドレス「トゥーリ(風)」は木のシルエットの……木一本だな。ドレス「トゥリオリ」は黄色、黒、紫の縦波がいいね……ってこんなん文章で説明したって分からんちん。んで、現在は食器などにもマリメッコデザインが使われてるって。その食器とかが出ていて、あとファブリック「シィールトラプータルハ(市民菜園)」はちょとゴテゴテしてるが、あーマリメッコだなというナイスな柄だお。そんなこんなで、ドレスやらファブリックの柄を見ていると、なんかウキウキしてきますな。よくできてるな。いや、テキスタイルなんて思いっきりアウェー分野なんだけど、この企画はポップアートを見るようなノリでイケる……いや、つまり、これが布だとかドレスだとかでなく、単に目で柄を見て楽しむ、という鑑賞ができるんだお。

デザイン原画のコーナーがあり、マイヤ・イソラがあるが、それより脇阪克二がいいですな。家をモチーフにしたっぽい「カリッカ(ブロック)」もいいが、オレンジ色の「プロ(小川)」はもう色といい洗練が際だち神ってるぜ。石本藤雄は自信作「タイガ」が出ている。針葉樹林がモチーフだお。これも、なんか見たことがあるようなないような。

あとは商品になっているぞコーナーで、脇阪の「ブ ブー」っての。自動車だお。トラックはともかく、乗用車は前後がねえ。それからウニッコの製品いろいろで、あーいいねやっぱウニッコだよな。

というわけでドレスもファブリックも知らん人が行っても楽しめるであろう。なに野郎一人で行くのは敷居が高い? 大丈夫。売れないデザイナーのふりして行けばダサいジャージ姿でもオッケーだ(多分)。
http://marimekko-exhibition.jp/

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2016年12月17日 (土)

endless 山田正亮の絵画(東京国立近代美術館)

何かスゴい、おいなんだこりゃマジカヨというようなインパクトのデカい美術展はないのか? というアナタに、ぜひこの山田正亮展をおすすめした~い! 「描き続けたまえ、絵画との契約である」の言葉のもと「契約」として描き続けられた妥協のない絵画群だお。1929年生まれで、50年以上ガンガン描き続け、絵画はにゃんと約5000点だってお。そのうち2百何十点か出てるんだけど、それだけでもボリューム十分でよ。とにかく全編抽象画というか絵画表現を地道に、計画的に、ひたすらに変遷させていくという遙か長い一つの物語。研究も途上の知られざる画家である。

まず「Color」という最晩年のシリーズから開始。単色を塗っただけのもので、これだけ最初に見るとまだ「?」な感じ。また、全ての作品においてタイトルは「Color no.20」なんて機械的に振られていっただけのもの。

次に初期から年代順に。まず静物から始まった。色調が暗いがやってることはモランディと似たようなものかと思う。今日の気分でしっくり来るやつを描いているのだ(と思ったが後のほうを見るとどうも違うかもしれん)。あるいはシリーズタイトルが「Stll Life」からして河原温のはがきシリーズ「I am still alive」を思い出す。日々生きている証を刻印するという表現かな(多分これも違う)。スケッチではなく、実際のものの記憶をもとに描いていったものらしい。いくつも絵が並び、だんだん形が崩れていって、静物の輪郭線で画面が平面的に色分けされ抽象的になった「Still Life P.71」でこのコーナーが終わる。この時点でモランディと完全に違う方向になったぞ。

次のコーナーでなぜか変遷のダイジェスト。予習に、とのことだけど、別にここになくてもいいのでは? むしろここは大河的な流れを感じるためにも適当に飛ばしてさっさと先に進むべきであろう。

次は静物の輪郭から生まれた抽象の続きから。深緑の画面に線がガチャガチャ描かれる。それらの絵が続いて唐突に「Work B.154」で四角だけの単純な画面が登場。まるで騒々しい中の一瞬の静寂のような強い印象がある。そんな四角を含んだガチャガチャのあと、今度は急に四角の入れ子状態だけのスマートな絵画に移る。入れ子は鍵盤風になり、やがて細くなり、線ばかりになっていく。これらの地道な変化がみな一枚一枚の油彩、それも、それなりの大きさがある作品により表現されるもんで、そのひたすらで膨大な作業量にも驚く。

ここで絵は縦のストライプからすぐに横のストライプになる。これは山田の代表的なスタイルでもあるそうだが、変遷の中の、たまたま数が多いだけのものという感じもするね。しかしとにかくこの横ストライプ群は圧巻で、諸君、美術館の絵画展示で見える限り並んでいる絵画が細かい横ストライプなんて見たことあるか? 河原温の活字体日付ばっかり、というのも似てはいるがストライプの方が現実とのつながりがないだけに、何か異世界の展示施設に紛れ込んだような気がしてくるお。概ね細かくやや地味な感じの色の厚塗り風であるが、たまに間隔があいたものや、水彩風に滲んだ感じのものもある。また、画面を十字に切った絵も登場。白系も登場。あるいは紙の折り目を使ったものもある。割と広めの部屋で、片側ストライプ群、片側白系の絵画群になっているところはマジヤバい。これは、なんか、夢の中で美術館に行ったようなものではないか。夢は記憶をもとに映像をその場で瞬時に作っているとしても、広い部屋の中に絵画を巧みに並べるなんてことはできないから、全部雑音みたいなストライプでだだだだと並べてしまう。これだ。そう、夢の世界だ。この部屋の最後の「Work D.87」他2つはきれいなストライプの大画面だ。

で、これらと前後して「制作ノート」が公開されていて、これがまた結構な数なのだ。驚くのは作品一つ一つ計画的に作っているんだな。いや、書いてある文章はよく分からんのだけど、少なくとも絵はその場で衝動的あるいは気まぐれに描いてるわけではなくて、いかに描くべきか、みたいなことを常々考えて、それを反映させていることは確かなようだ。これを5000枚もだって……? マジすか?

さてストライプの次の展開は、縦三つぐらいに色分け。それから縦横正方形が並ぶタイル模様になる。前後、紙を使って鉛筆でドローイングなど。紙の質感と紙の上に描いた鉛筆線の特徴を生かしている。タイルでは概ね今までと同じ原色のない色合いだが、「Work D.253」のような黄色系のちょっとハデ目なのもあったりする。で、タイル目地の中に黒い線が入ってちょっとしたアクセントをつけるという展開に。それが続くと、今度はタイルの中がきれいな単色ではなく、いきなり筆跡を生かしたラフな感じになる。印象は違うが確かに前の手法と連続しているのだ。

アトリエのコーナー、といっても作品と絵の具なんかあるだけだが、撮影可よ。

そしてこのラフな感じのまま画面が大きくなり、線が入り乱れ、混沌とした感じの中に、タイルの名残である十字部分が浮かび上がり、それは光を伴いどこか宗教的な印象も見せつつ、この企画展示が終わる。時代的にはここから冒頭の単色だけ、というものになるのだが、まあ終わり方はこの方がいいかな……っていうかこれでまた最初に戻ると結局はタイトルと同じく「終わりのない(endless)」世界になるとも言える。

生涯続いたメタモルフォーゼの物量に驚くもよい。あるいは、無数にある一つ一つは独立しているが、それらはみな一つの世界の一部である、というような仏教的感覚で見てもよい。ストライブ一面美術館のような異世界めいた空間を堪能してもよい。行きたまえ、絵画との契約である。
http://www.momat.go.jp/am/exhibition/yamadamasaaki/

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2016年12月10日 (土)

小田野直武と秋田蘭画(サントリー美術館)

お花の蘭の絵ではない。江戸時代の秋田の絵師、小田野直武などのオランダ風(ちょい洋風)日本画だお。なかなか見る機会がないものだ。そうそう私は仕事で東北の方に日帰り出張に行って、角館の少し前まで行ったのだが結局角館にはよれずじまいで。行きたかったねえ&行きたいねえ角館。

冒頭に直武のイイやつが一枚「蓮図」。S字カーブの茎の妙な立体陰影で、Youもその世界に入っちゃいなYo! それから直武の初期、というか子供の頃の絵、というか「神農図」12歳の時の作品ってマジ? すげーじゃん。ピカソの14歳の
もすげーかったが(語彙貧困)。「鷹取鳥之図」の鷹がカッコイイよな。北斎もこんなの描いてたな。

直武はなんと、あの「解体新書」の挿し絵描いたんだぞ。秋田から江戸に呼ばれていきなり解体新書の絵を描かされたんだって。原本の「ターヘル・アナトミア」も展示中。それを翻訳し、絵は直武が銅板画を銅板画風に模写し、木版でやった。それが「解体新書」だ。やはりこれも展示中。まあ1ページだけだけどな。それから蘭学と言えば平賀源内で、源内の洋書コレクションコーナー……ええと源内だったよな。直武じゃないよな。まあいいや、「ヨンストン動物図譜」とか。そうそう装甲動物みたいなサイの絵が出てるが面白いねえ。実際はこういうのは病気のサイだったかな。石川大浪などが洋画を模した大作「ファン・ロイエン筆花鳥図模写」がデカい洋風画で見応えある。花ごってり。うーん前にどこかで見たよなこれ。

それから南蘋派の紹介。直武&秋田蘭画が影響を受けたのは洋画だけじゃなくて、中国生まれの沈南蘋って人が始めた南蘋画もあるんだって。日本では宋紫石が大家だったかな。とにかく花鳥が特徴で、花をリアルで存在感ありありで描く……って、うーん説明が難しいな。なんか独特の味があるんだよね。それが並んでます。松林山人って人もバリバリ南蘋派で、「牡丹図巻」とか、モノクロでも結構イケる存在感。佐々木原善「名花十友図」は花いっぱいだお。

いよいよ秋田蘭画本格スタート。南蘋派の花の雰囲気を導入しつつ、蘭学でゲットした立体感、遠近感などを加えていった当時の先端画風。直武がいくつもあるぞ。「水仙に南天、小禽図」の葉や茎の妙な立体感。「芍薬花籠図」では花籠の向こうに空間を感じさせる背景描画(といっても何か描いてあるわけではないのだが)。「品川沖夜図」では、曇り空の雲がイカす。「江の島図」は眼鏡絵らしく左右逆で広い空間リアル陰影と道の遠近が特徴だお。部屋を出て階段を下りたとこ。キモい虫の絵なんかもあるが、ここに直武と秋田蘭画の代表作「不忍池図」(重文12/12まで)本などで見たことあるが、以外とデカい。まさに南蘋風の花……いや、南蘋より、もっと丁寧でリアルだよな。花瓶の立体感、背景を空気遠近法(遠いものを薄く)で描くテク。そういえば画面中央左の方に巨人みたいなのがいるんだけどありゃ何だい? 高い木? 凝視したけどよく分からん。視力出ないし単眼鏡忘れたし。で、隣にはもう一人の秋田蘭画野郎、佐竹曙山「松に唐鳥図」これも代表作だよな。中央にデカく、太く、松の幹が斜めにドン! タイル張りみたいな異様な幹の立体感。普通じゃねえ。直武に戻って「日本風景図」一見どうということない絵だが、驚いたのは左側の木の枝のフラクタルぶり……ったって知ってる人しか知らんだろうけど、自己相似形が無限に続く自然界を造形する法則。雪の結晶なんかそうなんだお。それを使うとより「自然っぽい」存在感が出せる。数学(幾何)世界のものでもあって、例えば北斎の大波の絵でそれっぽい要素があるという指摘が、まさにフラクタルの本に出ていたりするんだお。直武描く枝になんかそういう要素を感じてしまう。それをつかんでいたのか直武!? この絵は期間中ずっと出ているから、Youも見てみようぜ。それから曙山「松に椿に文鳥図」好きだね太松。

展示室に入って秋田蘭画の続き。佐竹義躬(「よしみ」って読むらしい)ええと曙山の息子だっけか? 忘れたから調べたら……え? あの辺みんな佐竹なの? 他人? まあいいやとにかく「松にこぶし図」「岩に牡丹図」ってありゃりゃ……こりゃ劣化コピーか? 「円窓牡丹図」これはだいぶマシ。あといろいろあって田代忠国「紅毛童子図」ハハハヤベエぜこのガキ。

それから秋田蘭画その後。直武なんと32歳で死んじゃう。それを継いだのが、というか実際直接関係あったか分からないみたいなんだけど、我が司馬江漢(筆名のもと)。実は直武より年上。南蘋派もこなしたが、脱南蘋でよろしく。「江ノ島稚児淵眺望・金沢能見堂眺望衝立」であいかわらずよく分からないが妙な立体感で攻めてくる。自己顕示欲のカタマリみたいなヤツで、新しい腐食銅板画もやってテングになり、地動説を紹介し、蘭学者からバカにされつつ描画も極端だがやっぱしイカす。それから伝田代忠国「貼交風屏風」当時の画法いろいろで面白い。

展示替えが激しい。今日見たのは12/12までで、12/14からかなり入れ替わるって。後半行くかなあ。行きたいのは山々だが分からないなあ。リピーター半額とかにしてくんないかな。
http://www.suntory.co.jp/sma/exhibition/2016_5/

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2016年12月 6日 (火)

水野年方~芳年の後継者(太田記念美術館)

歌川国芳の系譜は江戸から明治以降までずっと続いているのだ~ ということで大抵の説明では国芳→芳年→年方→清方→深水どやっ……てなことになっているんだが、伝言ゲームじゃねーけどなんで国芳から深水になるんだ? 作風とか傾向というか、なんちゅーかまるっきり違うじゃん……誰が悪いんだ? ってことで国芳→芳年はまあいい。深水から遡って清方は妥当だ……年方? これ、こいつがガンなんじゃね? ということで前々からこいつ何やらかしたんだ、という興味ともつかない興味があるようなないようなで、今回太田でやってるのでやっと行ってきたお。

水野年方。芳年の弟子です。最初は芳年と同じようなシャープな錦絵を描いてた。展示されている「和漢十六武者至 水滸伝九紋竜史進」なんて芳年そっくりのちょっと残虐趣味入っちゃったヤツで……っていうか師の作風そのままになかなかウマい。描けんじゃん年方。他にも三枚続きのいい迫力のヤツが並んでいる。あと月の夜の風景が多いが。まあ、たまたまかな?
しかし時は明治新時代で、新時代の色彩とか追求を始める、と同時に、芳年みたいな緊張感の高い線描写じゃなくて(やり尽くして飽きたか)、水彩画のような繊細な色彩を使ったものに興味が行き、結果的にそっちの方がメインの作風になっていった。なもんで、年方の錦絵ってのは、前景の人物は、まあ服装など新時代っぽい演出はされているが基本的には(多分)どうでもよくて、無難にこなしたところで、草木などの自然描写の背景にえらく気合いが入ったものとなっている。
「三十六佳撰……」というシリーズが出ているが、もはやこれ描線の魅力ではなく、色彩と繊細な描画の魅力に移っているわけだ。国芳の戯画路線+芳年の残虐路線=サブカル好きにウケる路線はここで消滅し、品のいい日本画好きにウケる路線に変わったわけよ。

上の階に行くと、芳年の「月百姿」から一つ出ているが、まあこの一作を見る限りなんだけど、年方と比べると背景が大味に感じてしまう。そんな年方の魅力が出まくったのが「美人観吉野園花菖蒲」草木の描写が多く、版画とは思えない。ほとんど水彩画の感じなんだな。ただまあ、そういうのばっかり描いていたわけでもなく、「村上義光……」とかいうのは顔もおもろいアクションシーンだし、日清戦争ものも熱いやつを描いている。いや日清戦争ものでも、雪のシーンはちょっといい感じだけどな。
あと美人画を描いていて、芳年風の美人と繊細な背景のバランスがとれた明治二十年代末頃の作品はなかなかいい。「茶の湯日々草 座入の図」とかね。でもその後、小説挿し絵も手がけてからの明治三十年代になると、顔が洗練され……といやあ聞こえもいいが、なんかみんな同じ単純な顔してて表情もあるようなないようなまったりした感じのものになってしまう。あとは「三井好……」という、なんか呉服屋から三越デパートになるところのアイテムの広告も兼ねたシリーズの洋装のハイカラのガキンチョがちょっとキモいとか。まあとにかく背景の水彩風の描写をこれだけやっておいて、人物の、特に顔はなんなんだこのレベルの単純さ&適当さである。

今回の年方展で、いったい何をやらかしたのか、分かった気がしたぞい。そうだ、国芳~芳年風の画風を受け継ぐよりも、水彩風の繊細な描画の方が魅力的だったのだ。そしてそれが主流となって、弟子はそっち系で固められ、かくして、系譜はそっちの方向に行きにけるのだった……にしても43歳で亡くなっているんだと。若い。
http://www.ukiyoe-ota-muse.jp/exhibition/mizuno-toshikata161112

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