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2016年12月 6日 (火)

水野年方~芳年の後継者(太田記念美術館)

歌川国芳の系譜は江戸から明治以降までずっと続いているのだ~ ということで大抵の説明では国芳→芳年→年方→清方→深水どやっ……てなことになっているんだが、伝言ゲームじゃねーけどなんで国芳から深水になるんだ? 作風とか傾向というか、なんちゅーかまるっきり違うじゃん……誰が悪いんだ? ってことで国芳→芳年はまあいい。深水から遡って清方は妥当だ……年方? これ、こいつがガンなんじゃね? ということで前々からこいつ何やらかしたんだ、という興味ともつかない興味があるようなないようなで、今回太田でやってるのでやっと行ってきたお。

水野年方。芳年の弟子です。最初は芳年と同じようなシャープな錦絵を描いてた。展示されている「和漢十六武者至 水滸伝九紋竜史進」なんて芳年そっくりのちょっと残虐趣味入っちゃったヤツで……っていうか師の作風そのままになかなかウマい。描けんじゃん年方。他にも三枚続きのいい迫力のヤツが並んでいる。あと月の夜の風景が多いが。まあ、たまたまかな?
しかし時は明治新時代で、新時代の色彩とか追求を始める、と同時に、芳年みたいな緊張感の高い線描写じゃなくて(やり尽くして飽きたか)、水彩画のような繊細な色彩を使ったものに興味が行き、結果的にそっちの方がメインの作風になっていった。なもんで、年方の錦絵ってのは、前景の人物は、まあ服装など新時代っぽい演出はされているが基本的には(多分)どうでもよくて、無難にこなしたところで、草木などの自然描写の背景にえらく気合いが入ったものとなっている。
「三十六佳撰……」というシリーズが出ているが、もはやこれ描線の魅力ではなく、色彩と繊細な描画の魅力に移っているわけだ。国芳の戯画路線+芳年の残虐路線=サブカル好きにウケる路線はここで消滅し、品のいい日本画好きにウケる路線に変わったわけよ。

上の階に行くと、芳年の「月百姿」から一つ出ているが、まあこの一作を見る限りなんだけど、年方と比べると背景が大味に感じてしまう。そんな年方の魅力が出まくったのが「美人観吉野園花菖蒲」草木の描写が多く、版画とは思えない。ほとんど水彩画の感じなんだな。ただまあ、そういうのばっかり描いていたわけでもなく、「村上義光……」とかいうのは顔もおもろいアクションシーンだし、日清戦争ものも熱いやつを描いている。いや日清戦争ものでも、雪のシーンはちょっといい感じだけどな。
あと美人画を描いていて、芳年風の美人と繊細な背景のバランスがとれた明治二十年代末頃の作品はなかなかいい。「茶の湯日々草 座入の図」とかね。でもその後、小説挿し絵も手がけてからの明治三十年代になると、顔が洗練され……といやあ聞こえもいいが、なんかみんな同じ単純な顔してて表情もあるようなないようなまったりした感じのものになってしまう。あとは「三井好……」という、なんか呉服屋から三越デパートになるところのアイテムの広告も兼ねたシリーズの洋装のハイカラのガキンチョがちょっとキモいとか。まあとにかく背景の水彩風の描写をこれだけやっておいて、人物の、特に顔はなんなんだこのレベルの単純さ&適当さである。

今回の年方展で、いったい何をやらかしたのか、分かった気がしたぞい。そうだ、国芳~芳年風の画風を受け継ぐよりも、水彩風の繊細な描画の方が魅力的だったのだ。そしてそれが主流となって、弟子はそっち系で固められ、かくして、系譜はそっちの方向に行きにけるのだった……にしても43歳で亡くなっているんだと。若い。
http://www.ukiyoe-ota-muse.jp/exhibition/mizuno-toshikata161112

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