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2017年5月20日 (土)

N・S・ハルシャ展 -チャーミングな旅-(森美術館)

やっと行ってきた。インドの現代アーティスト。よく知らん人なので珍しく音声ガイドを借りる(無料なのだ)。ナレーションは細野晴臣じゃありませんか。YMOのというか、最近は「大科学実験」の人だな。でも結果的にあんまし聞かなかった。解説は作品に書いてあるし、音声聞きながらだと意外と見るのに集中できないんで。まあ、借りてみなくちゃー分からない。

最初はドローイングとか「1000の手と空」という手のひらを1000……1000枚? 円形に並べた絵がいいね。「母のサリーに描いた子宮」なんてのもいかにもインド。それから早々にハルシャの特徴である並べて配置してるけど一つ一つが違う、というものの作品が登場「私たちは来て、私たちは食べ、私たちは眠る」移動、食事、睡眠の様子を大きな3枚のキャンバスを使ってそれぞれに大勢の人がきれいに並べられる。一人一人を丁寧に見てもよし。多様でなんかいい感じと見てもよし。シンプルにしてナイスアイディア。

インドのマイスールという町に住み、そこにこだわりを持っている。大都市とディープな田舎のどちらにもアクセスできる位置だそうだ。文明と伝統の対峙という作品がいくつも。「チャーミングな国家」シリーズはインドの雰囲気全開ながら戦闘機やスペースシャトルなんて最新技術も描かれて、まあ、全体的に文明批判かな。ありがちと言っちゃあ何だが、そんなにインパクトはない。むしろ「浄化する者たちの対話」という土にまみれたヨガ修行者と、土地測定のビジネスマンの対比が面白い。

次の部屋からディープに本格化。「溶けてゆくウィット」これはよかったねえ。赤い大地に鼻血出してるピエロがうようよしてて、大地から落っこちている。意味もなく不気味でダークでよい。「ここに演説をしに来て」はポスターにもなっている大作。大きなキャンバス6枚組に縦横並んで2000人以上が描かれていると。一人一人違うし、現実の人もフィクションの人もいる。すぐにフリーダ・カーロがいることに気づいた。確か「折れた背骨」という絵にあった背骨が割れたフリーダ。そうかハルシャは知っておったのか、かの画家を。あと目に付いたのはバットマンとスーパーマンかな。「集団結婚式」はカップルが並んでいるが背景がパリ、ロンドン、ニューヨーク、どれも建物で、日本は富士山で表される。

それからインド、マイスールの紹介部屋があって、「空を見つめる人々」というインスタレーション。床一面に寝っ転がった人の絵。空を見ているのだ。そして観客も靴を脱いで中に入り、床に寝っ転がって一緒に空を見るのだ。何が見えるか? はい、上が鏡であって、人々の一緒に寝ている自分が見える、というもの。哲学的な意味があるようだが、普通に面白い。ナイスアイディア。

それから「ネイションズ(国家)」という大規模インスタレーション。足踏みミシン193台。それぞれに国旗が置いてある。足踏みミシンは国家を支える労働を象徴しているそうな。しかしその結果の国旗は何とも薄っぺらい、国家なんてそんなもんよ。これもまあ批判精神かな。メッセージはともかく、部屋を上まで埋め尽くすミシンは実に壮観。素直にスゲエ。動いてたらもっとスゲエが。それからまた平面作品が続く。「ここでは皆がむさぼり食う」は何とも強烈だ。肌の男女が何人も、例によって縦横に並んで座って食っては吐いている。うええ。でもいい感じの絵なんだよ。「レフトオーバーズ」は、葉に盛られたインドの食べ物の食べ残しの状態をわざわざ食品サンプルで作ったもの。うえええ。でも、これを見ると、前に見た会田誠のコンビニ弁当の空き容器に、絵の具をウンコ盛りした作品を思い出すな。あーあれも色はカラフルでも印象はバッチイもんでしたな。あとCHIM↑POMのね、食品サンプルで部屋じゅうを汚した「くるくるパーティ」。キタネー作品で全然イイとは思わなかったんだけど、覚えているんでアーティストの勝ちなんだよね。

「未来」という小学生向けワークショップがあったようで、シャツ(大人用)に絵の具で将来のことを描いてもらい、あとでそれを着て六本木を練り歩く、というもの。シャツそのものがどばっと展示してあるが、印象はまあ小学校の展覧会といったところか。あー、ウチの小学生を参加させりゃよかったかなとも思わんでもないが、自分で描いたシャツ着て「未来~!」と叫びながら外を歩くのは恥ずかしがるだろうなあ。まあでも、これもナイスアイディア。

ジョーン・グラウンズという人とのコラボ。柱がターメリックで塗りたくってあるのかいかにもインド。それから終わりの方「ふたたび生まれ、ふたたび死ぬ」は横24メートルの仰天作。なんたって、遠目では超太い筆で、一筆で一気に描いたかのようなんだが、実は太い線の中に宇宙が描いてあって、妙なスケール感で迫ってくる。わお、なんかこれスゲエな、というのと、そうかこの手があったかというまたナイスアイディアな印象。あと猿のインスタレーションがあったりして終わり。

アジアの現代アーティストを丸ごと特集ってのは森美術館の得意技だけど、異国ムードの世界観にタップリ浸れる点は毎度面白い。マイナーだからすいてるしな。
あと、今展望台んとこでマーベル展もやってるみたいなんだけど、混んでるっぽいし時間もないし行かなかった。まーアメコミヒーローにゃ興味ないし、帰りにショップ通ったけど全員同じに見えるんだよなあ。
http://www.mori.art.museum/contents/n_s_harsha/

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2017年5月16日 (火)

19世紀パリ時間旅行(練馬区立美術館)

タイトルだけ見て、あー例によって当時のパリの芸術家の作品が並んでいるのかなーと思いきや、はい、なんと主役はパリそのものというハードボイルドな企画。パリマニア(というのがいるかどうか分からんが)狂喜の、情報タプーリの、まともに見てりゃ長時間エンジョイできるナイスな企画だ。

最初はシャヴァンヌの壁画習作「聖ジュヌヴィエールの幼少期」で美術館らしい幕開けだが(聖ジュヌヴィエールはパリの守護聖女だって)、その後はもう当時の版画がドバッと並ぶ。当時の施設とか。当時の地図もあり、それぞれに詳しい解説文が付いて、えれえ密度だ。オレは早くも最初の部屋の半分くらいでオーバーフローしてしまい、なんか文章も読まずに漫然と見ているだけになってしまった。おなじみのノートルダム寺院とかね、ありますね、あとバスティーユとかね、シテ島とかね、ポン・ヌフ橋とかね、ふむふむね。「ドラグリーヴ神父の第9パリ地図」というのがなかなか面白い。立体的で。今だとグーグルアースで街を見るとこんな感じか。「花火」は花火の様子の版画だけど……これは広重の浮世絵の方がいいな。施設だけでなく郵便馬車もあったね。

当時の風刺画(版画)も並んでおる。有名どころのドーミエがいろいろ。他の人もあるが、しかし見ていると昔も今もあるいは国が違っても変わんねーなーというところも多い。大学に行ったのに勉強しないで遊んでばっかりの学生とか、金持ち男にぶらさがっている女とか……えー今でいわゆる港区女子ですかね。えーそれから当時のドレスが並んでいるな。昔の映画に出てきそうな腰を絞ったクリノリンってやつですな。

それから「オスマン男爵のパリ大改造」というコーナーなんだけど、また版画(エッチング)どっちゃり。今度は何とか通りという、通りを描いた版画いろいろ。あとドーミエ描く風刺画もありますな。鉄道旅行を安全にするには、一人一丁ピストル持っていること、「悲劇を演じる最中のオーケーストラ」これ面白いね。演奏家達が退屈してあくびまでしておる。マネの絵「オランピア」がセンセーションを起こした時の風刺画もある。そのマネの版画もいくつかあって、これになるとなんとなく、いつも美術館で見ている感じになるな。

それからパリ万博関係の版画、エッフェル塔の双六が面白い。あと夜のエッフェル塔のライトアップの写真がある。1900年。おお、当時でこんなのがあったんだー。あの高さだしな、こりゃパリが世界の最先端と思っちゃうよなあ。この辺からチラホラ絵画も出てきて、ギヨーマンのデカい絵。ルノワールの小品「森の散歩道」風景メインながらなかなかいい。アンリ・ルソー「エッフェル塔とトロカデロ宮殿の眺望」……うむ、素朴派だな。あとはポスターね、おなじみミュシャも有名な「ジスモンダ」があるが、他の人も忘れずに。パルって人の「ロイ・フラー・ショー」これ、なんか女がひらひらした布を振り回すダンスだっけか。ロートレックの有名な「ディヴァン・ジャポネ」ポスター。どれも大きさ十分よ。最後の方にはユトリロの油彩4枚と、佐伯祐三1枚でシメる。

ガッチリ鑑賞すれば、ホネのズイから19世紀パリ気分になれるであろう。点数ぎっちり見応えありあり歯ごたえ十分。諸君の完走を祈る……俺は脱落組。
https://www.neribun.or.jp/event/detail_m.cgi?id=201702111486797027

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2017年5月 6日 (土)

アドルフ・ヴェルフリ(東京ステーションギャラリー)

アウトサイダー・アート/アール・ブリュットのアーティストです……というと、もはや多くの人が知るところのヘンリー・ダーガーがトップを行くか、他の人はなかなか、個展開催までたどり着かんということが多い。だいぶ前にワタリウムでアロイーズという人のを見たんだけど、うーん、まあ微妙だったな。今回もどんなものかと思ったんだが、今回はさすがに個展開催するだけある。結構なインパクトのあるものが並んでいるぞ。

アウトサイダー・アートというのは、一応正規の美術教育を受けていない人のアート、というような意味があるんだけど、鑑賞者としては、それゆえの、正規のプロセスを経ていない創造のインパクトを享受しに行くんじゃなかろうかい。普通のアーティストだと、最初にまあ、初期のスケッチとか写実風とか、印象派風とか、基本となるものや既にあるスタイルの模倣から始まって、だんだん独自のものになっていく過程を見ることが多い。がしかし、アウトサイダー・アートってそういう過程がないもんで、いきなりトップギアで、極めて独創的なスタイルの作品が炸裂する場合が多いんだな。それが鑑賞の醍醐味っちゅーか面白いところですな。でも問題は、よほどの天才でない限り、普段アートを見ている人を唸らせるのは難しいと思うんよ。あとはその多くが精神障害者だったりして、障害者福祉精神で、作品の評価を甘めにしちゃう人もいるかもしれないが、関係者じゃなけりゃあ、そういう必要もないだろう。面白ければ面白い、つまらなければつまらんでいいのだ。

で、ヴェルフリなんだけど、幼女に手を出して(!)精神病院にぶち込まれたあとに35歳で描き始めたんだそうだが、それこそ出だし(初期作品コーナー)からトップギアでかなりスゴい。鉛筆だけで描いているんだけど細かく整った抽象のパターンで文字レタリングも入っている、書き文字も入っている。塗りの技術もかなりのもんだし、いきなり独自様式を完成させた作品が並ぶ。アウトサイダー・アートの多くは稚拙さがどうしても目に付いちゃうことが多いが、ヴェルフリにはそういうところがないのだ。まあところどころ顔が描いてあって、それがいかにも、精神が病んじゃっている人の描く、目が黒く沈んでいる人物を彷彿させる、という意味で、アウトサイダーっぽくはあるな。

「揺りかごから墓場まで」という叙事詩を書いたそうで、それが2970ページだって。ダーガーもそうなんだけど、他にやることがないのか、集中力が尋常じゃないのか、創作量がハンパないですな。これは草間彌生御大もそうだったりしますな。で、この叙事詩にも絵で表現された作品があり、それが並んでいます。初期よりも人物や建物など、何かを表しているものが多い。あと、頭に十字乗せてる顔がよく出てくる。ほとんどどの作品にも出ていて。ヴェルフリ絵画の構成要素の一つなんだけど、こういう決まった構成要素はいくつもあるようで、「ヴェルフリの形態語彙」という解説パネルがあって、それと同じ紙ももらえるよ。顔は自画像のようですな。あとこの辺の絵は色付き(色鉛筆)で、遠目で見てると、色合いがなんか仏教美術の曼荼羅に見えますな。ヴェルフリの頭の中は宇宙的スケールになっていたんで、曼荼羅と似たようなものになった……のかな。「アリバイ」という作品がデカい。70cm×468cmもある。全体がうねる極彩色のヴァルフリワールド。「南=ロンドン」という作品なんぞも図象だかなんだか、マジ曼荼羅みたいな印象がある。絵だけじゃなくて「利子計算」なんてのは数字びっしりで、「普通じゃねえ」感ありあり。あと冊子を紹介する映像あり。

階を移動し、まずますイッてしまうヴェルフリ。「地理と代数のノート」という作品というかなんというか、なんでも「聖アドルフ巨大創造物」を構築するんで、世界を購入して我が手にするとかいう大プロジェクト。作品は絵だけじゃなくて、文字も数字もびっちり。音符とも幾何学パターンともつかないものが入り乱れる。中には「聖アドルフの磔刑」なんていう、具体的に磔になっている人物が描かれたりもする(人物画として生々しさはないが)。あと、この辺から写真を貼り付けるコラージュがチラホラ出てくる。一応コラージュも様式に組み入れられているようで、ちゃんと作品として鑑賞できる。

次の「歌と舞曲の書」これも音楽として7000ページも書かれたと。これはコラージュが多い。そこからいくつか。次に「葬送行進曲」という言葉ばっかりの(呪文、マントラみたいなもんだそうだ)作品で、絵とコラージュが入っているヤツを展示。これ、最後の部屋に朗読があって、聞いてるとマントラといえばそうなんだけど、音楽っぽいといえばいえなくもないんだけど、意味不明なタワゴトと言えなくもない。いや、でもなんか言葉のパターン的な様式はあるけどね。こりゃ延々終わんねーなって印象があるね。あとは「日々の糧のための作品」いくつか……そう、ここが同じアウトサイダー・アートの巨匠でもダーガーと大きく違う。ダーガーは死ぬ寸前まで作品が発見されなかったし、発見された以降は何も生み出していない。そもそも人に見せる作品として作っていない。ヴェルフリは生前から絵が評価され、本人も絵を売ったりしてもちろん世界征服の要人という自覚なんだからテングになるに決まってるしテングになっていた。それでもこのガッチリとキマった様式の持続はスゴい……まあ初期の総手描きの方が面白いかな。

しかし全体を通して印象はほとんど現代アート。でも全部20世紀始めの頃のものなんだな。面白いところで「無題(キャンベル・トマト・スープ)」っていうのがある。1929年だって。これはキャンベル缶広告を使ったコラージュだけど、ウォーホルがキャンベル缶使うようになるずっと前なんだな(ウォーホルのキャンベル作品は1962年から)。
あと、パターンの展開というかひたすらな生産となると、昨年末に見た山田正亮を思い出す。でもあっちはやっぱりインサイド(?)なアート活動って印象があるけどなんでかな。その展開がアートの要素に従っているから、とかそんなところか。ヴェルフリはアートはとりあえず要素ではあるんだけど、本当の活動は世界征服だったのだ。自称いろいろだったしな。
http://www.ejrcf.or.jp/gallery/exhibition/201704_adolfwolfli.html

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