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2017年5月 6日 (土)

アドルフ・ヴェルフリ(東京ステーションギャラリー)

アウトサイダー・アート/アール・ブリュットのアーティストです……というと、もはや多くの人が知るところのヘンリー・ダーガーがトップを行くか、他の人はなかなか、個展開催までたどり着かんということが多い。だいぶ前にワタリウムでアロイーズという人のを見たんだけど、うーん、まあ微妙だったな。今回もどんなものかと思ったんだが、今回はさすがに個展開催するだけある。結構なインパクトのあるものが並んでいるぞ。

アウトサイダー・アートというのは、一応正規の美術教育を受けていない人のアート、というような意味があるんだけど、鑑賞者としては、それゆえの、正規のプロセスを経ていない創造のインパクトを享受しに行くんじゃなかろうかい。普通のアーティストだと、最初にまあ、初期のスケッチとか写実風とか、印象派風とか、基本となるものや既にあるスタイルの模倣から始まって、だんだん独自のものになっていく過程を見ることが多い。がしかし、アウトサイダー・アートってそういう過程がないもんで、いきなりトップギアで、極めて独創的なスタイルの作品が炸裂する場合が多いんだな。それが鑑賞の醍醐味っちゅーか面白いところですな。でも問題は、よほどの天才でない限り、普段アートを見ている人を唸らせるのは難しいと思うんよ。あとはその多くが精神障害者だったりして、障害者福祉精神で、作品の評価を甘めにしちゃう人もいるかもしれないが、関係者じゃなけりゃあ、そういう必要もないだろう。面白ければ面白い、つまらなければつまらんでいいのだ。

で、ヴェルフリなんだけど、幼女に手を出して(!)精神病院にぶち込まれたあとに35歳で描き始めたんだそうだが、それこそ出だし(初期作品コーナー)からトップギアでかなりスゴい。鉛筆だけで描いているんだけど細かく整った抽象のパターンで文字レタリングも入っている、書き文字も入っている。塗りの技術もかなりのもんだし、いきなり独自様式を完成させた作品が並ぶ。アウトサイダー・アートの多くは稚拙さがどうしても目に付いちゃうことが多いが、ヴェルフリにはそういうところがないのだ。まあところどころ顔が描いてあって、それがいかにも、精神が病んじゃっている人の描く、目が黒く沈んでいる人物を彷彿させる、という意味で、アウトサイダーっぽくはあるな。

「揺りかごから墓場まで」という叙事詩を書いたそうで、それが2970ページだって。ダーガーもそうなんだけど、他にやることがないのか、集中力が尋常じゃないのか、創作量がハンパないですな。これは草間彌生御大もそうだったりしますな。で、この叙事詩にも絵で表現された作品があり、それが並んでいます。初期よりも人物や建物など、何かを表しているものが多い。あと、頭に十字乗せてる顔がよく出てくる。ほとんどどの作品にも出ていて。ヴェルフリ絵画の構成要素の一つなんだけど、こういう決まった構成要素はいくつもあるようで、「ヴェルフリの形態語彙」という解説パネルがあって、それと同じ紙ももらえるよ。顔は自画像のようですな。あとこの辺の絵は色付き(色鉛筆)で、遠目で見てると、色合いがなんか仏教美術の曼荼羅に見えますな。ヴェルフリの頭の中は宇宙的スケールになっていたんで、曼荼羅と似たようなものになった……のかな。「アリバイ」という作品がデカい。70cm×468cmもある。全体がうねる極彩色のヴァルフリワールド。「南=ロンドン」という作品なんぞも図象だかなんだか、マジ曼荼羅みたいな印象がある。絵だけじゃなくて「利子計算」なんてのは数字びっしりで、「普通じゃねえ」感ありあり。あと冊子を紹介する映像あり。

階を移動し、まずますイッてしまうヴェルフリ。「地理と代数のノート」という作品というかなんというか、なんでも「聖アドルフ巨大創造物」を構築するんで、世界を購入して我が手にするとかいう大プロジェクト。作品は絵だけじゃなくて、文字も数字もびっちり。音符とも幾何学パターンともつかないものが入り乱れる。中には「聖アドルフの磔刑」なんていう、具体的に磔になっている人物が描かれたりもする(人物画として生々しさはないが)。あと、この辺から写真を貼り付けるコラージュがチラホラ出てくる。一応コラージュも様式に組み入れられているようで、ちゃんと作品として鑑賞できる。

次の「歌と舞曲の書」これも音楽として7000ページも書かれたと。これはコラージュが多い。そこからいくつか。次に「葬送行進曲」という言葉ばっかりの(呪文、マントラみたいなもんだそうだ)作品で、絵とコラージュが入っているヤツを展示。これ、最後の部屋に朗読があって、聞いてるとマントラといえばそうなんだけど、音楽っぽいといえばいえなくもないんだけど、意味不明なタワゴトと言えなくもない。いや、でもなんか言葉のパターン的な様式はあるけどね。こりゃ延々終わんねーなって印象があるね。あとは「日々の糧のための作品」いくつか……そう、ここが同じアウトサイダー・アートの巨匠でもダーガーと大きく違う。ダーガーは死ぬ寸前まで作品が発見されなかったし、発見された以降は何も生み出していない。そもそも人に見せる作品として作っていない。ヴェルフリは生前から絵が評価され、本人も絵を売ったりしてもちろん世界征服の要人という自覚なんだからテングになるに決まってるしテングになっていた。それでもこのガッチリとキマった様式の持続はスゴい……まあ初期の総手描きの方が面白いかな。

しかし全体を通して印象はほとんど現代アート。でも全部20世紀始めの頃のものなんだな。面白いところで「無題(キャンベル・トマト・スープ)」っていうのがある。1929年だって。これはキャンベル缶広告を使ったコラージュだけど、ウォーホルがキャンベル缶使うようになるずっと前なんだな(ウォーホルのキャンベル作品は1962年から)。
あと、パターンの展開というかひたすらな生産となると、昨年末に見た山田正亮を思い出す。でもあっちはやっぱりインサイド(?)なアート活動って印象があるけどなんでかな。その展開がアートの要素に従っているから、とかそんなところか。ヴェルフリはアートはとりあえず要素ではあるんだけど、本当の活動は世界征服だったのだ。自称いろいろだったしな。
http://www.ejrcf.or.jp/gallery/exhibition/201704_adolfwolfli.html

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