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2017年12月26日 (火)

レアンドロ・エルリッヒ展(森美術館)

ギロッポン♪ 「見ることのリアル」というサブタイトルだす。アルゼンチン出身の現代アーティスト。内容はほとんどインスタレーションだけど、簡単に言えば「意識高い系トリックアート」。トリックアート好きにも納得。作品は大規模だし一つずつが凝っている。撮影もできる。普通の美術展では撮影可能にゃイヤな顔するクチだけど、今回ばかりは撮影してナンボだぜっ。出不精な娘二人を連れ出して……デジカメを忘れたっ! つ、痛恨だっ。しかたねえタブレットのカメラ使おう……安い泥タブなもんで、解像度がてんで足りねえよコンチクショー。

何があるかは、どのくらいネタバレしようかな。いや、ネタバレしません、はい。最初に揺れているボートがあります。水面に見える……と言いたいが、あまり見えない。いや、これは仕掛けがすぐに分かる。上の娘はチラシの段階で分かったとかヌカす。こいつの印象がチャチいんで、ここでイヤな予感を抱えてしまうが、大丈夫この後あとはちゃんとしてる。

ガラスケースの中に雲が浮いているごときものがある。雲は動かないが、明らかに雲だ。なんでだ? なんで形を保っていられるのだ? 横から見ると仕掛けが分かる。なるほど。
それからドアだけあってドアスコープを除いたら、その向こうになんと……というものがある。それからガラス越しに教室があって、手前の部屋に机と椅子のごとき黒いものがある。そこに座ると、向こうの教室に半透明に座っているように見える。幽霊のごとし。はい写真スポット。エレベーターがあって、その扉から中を覗くと上下に空間が……とか。建物に囲まれた中庭を除いたら、おっと他の建物の窓にも自分達が! ……これは仕掛けは簡単。でも面白い。鏡の無限反射やガラスの使い方がうまい。逆に、無限反射っぽい絵があったりもする。

映像もので、飛行機の窓があって向こうの空が動いているとか。ブラインド越しに除いたら、向こうの建物の窓がいくつも見えて、それぞれなんかいろいろやっているとか。それから試着室の迷宮は見もの体験もの。試着室がいくつも並んでいる。一つに入るる。三面鏡があるが……おっとこれ以上書けねえ。ちゃんと迷宮になっている。ちょっと短いけどおもしろさは十分だ。あと何があったかな。床屋。はい、これもおもしろいよ。椅子と鏡が並んでいる。座る。鏡に自分の姿がうつっている。なーんだ普通じゃないか。じゃ、あっちの椅子にも座ってみよう。あれ? ……こんんなはずでは? なんでだ? 一応試着室と同じ仕掛け。あと、他の人の作品で資生堂ギャラリーで同じようなものを見たことがある。誰だったっけ?

最後は床に石造りの壁(のパチモン)があって、斜め45度にデカい鏡がある。床に寝ると、壁に自分達がくっついているように見える。建物の壁につかまっていろんなポーズをしてみよう。面白いぞ。はいここ、写真スポット。最後は溶けかかっている家の模型とか、今回の企画の模型とか。

トリックアート好きはもちろん、近頃よくある子供だましのトリックアートに飽きてる人も楽しめる。軽く行くならカメラは必須。また、見ることにおいて実像とは、虚像とはなんぞやみたいな高尚な楽しみ方もできるので、一つ一つ体験してじっくり考えてみてもよい。
https://www.mori.art.museum/jp/exhibitions/LeandroErlich2017/index.html

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2017年12月17日 (日)

第7回九条美術展(練馬区立美術館)

「九条美術の会」というのがあるそうで、もちろん憲法九条である。その定期企画らしい。場所貸しだからなのか、ネトウヨの抗議対応が面倒なのか、あるいは国家権力への忖度なのか知らんが、ホームページに案内は出ていない。
私自身はてんで九条信者ではなく、どっちかというとネトウヨに近くて、あんなお花畑思想じゃ平和は守れねえよケッケッケなどと考え、Twitterでのサンデーモーニングへのツッコミを喜んで見ていたりする(番組は見ていない)。
じゃあなんでこんな企画に行くのかというと、こんな企画だからこそ行くのだよ。「表現の不自由展」と同じ。思想の違いを越えて迫ってくるものがあれば、それこそ本物。本物のアート作品なら見たいじゃないか。期間が短くて今日までなんで慌てて行ってきた。

2階の企画展示室全部使っているので、点数も多く豊富にいろいろあるのだが……実はお花畑感満載のイタいアートが並んでいるのかと思ったら意外とそうでもなく、抽象画から人物画など、まっとうな美術作品がほとんど。うん、発起人の一人が高名なる野見山暁治だからか、そうダメなのはいないようだ。いや、あまりにアート的にまっとうなんでかえってツマンネーなとか思ったぐらいである。私としては脳天気な平和ポスターみたいな見ていてハラワタが煮えくり返るようなおバカな作品を見たかったのだが、そういうのはあんまりなかった。

多数の作品から目に付いたヤツ。日比野正*「宇宙船シリーズNo-17-01」なんて兵器で子供が泣いてる、みたいなのはストレートで分かりやすい。中里繪魯洲の電動立体「世界は狂狂と回る」も核の恐怖ものであった。普通に面白いし意図も分かる。花田伸「知ることの意味2」は日本をディスる新聞記事が鞄からズラッと出てくる……あーちょっとムカつくなこれ。でもそれもよし。それから思想を訴えたいのは分かるが表現としてイマイチというのが、柳賢男「立憲主義」いやーガンバレ。もっといってくれ。九条の文字にもっとパワーがほしい。伊藤正昭「悪夢」ええと……もっとサイズを大きくしてほしい。ちぎり絵の松田光子「こどもたちに核はいらない」子供達が平和の中で遊んでいるわけで、こういうのはまあ微笑ましい。最後の方にあった「美しい日本Ⅰ高江」これも稚拙な感じがするが味があるぞ。みんながんばってくれ。あと、抽象画も少なくなかったが、抽象性とメッセージを両立させるのはなかなか難しいようだ。

憲法九条が世界平和に貢献するためには条件があり、それは、戦争を仕掛ける国は日本だけということです。仕掛けられたらどうするか? 応じるなら結局戦争になるし、応じるためには兵器を持ってなきゃいかん。つまり武器買って戦争の準備しないといけないんで、それじゃ仕掛ける国家と同じじゃん。そりゃいけません。じゃあ仕掛けられても応じないか。いやいやいや日本無くなっちゃう。戦争に巻き込まれるなら侵略された方がいいんです、なんて考えもあるが、賛同する人は少ないであろう。ということはもう、周辺国が戦争を仕掛けてくることはあり得ません。仕掛けるとしたら日本だけです、日本さえ九条を掲げておとなしくしていればいいんです、という考えを持たざるを得ず、その確証となるニュースや情報だけをせっせと集めて拡散することになる。日本をディスってるように見えるが、結局そうしないと憲法九条は平和憲法にならない。宿命です。周辺国にも九条と同じものを採用させればいいが、まあそういう動きもできんでしょう(そもそも周辺国は戦争を仕掛けてこないという前提だし)。

と、そういう目で見て、今回の展示のナンバーワン。滝清子「きみがよは ちよにやちよに」九条信者が吸収したであろう今の嘆かわしい右傾化日本、おお今こそかの戦前を彷彿とさせる恐怖の時代よ。その日本に対する怒りをぶつけて表現。このパワー、この悪意、日の丸をモチーフとしたデザイン、戦争の犠牲者達、放射性物質のマーク(反核&反原発か)、悪の巣窟国会議事堂、そして国歌がタイトル。ネトウヨが見たら脳天爆発しそうなほど迫ってくる。私も見ていてなんかムカついてきたが、だからこそ本物。よくぞこれを描いた。調べたらギャラリーで個展なども行っているようで、機会あれば行ってみたいものだ。他の人もこのぐらいの表現をやってほしい。

内容的に開催しづらいのか期間が短いのが残念。もう終わった。
http://www.9-bi.com/information/news11/

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遠藤彰子展 Cosmic Soul(武蔵野美術大学)

500号を越える巨大油彩で魅せる遠藤彰子展です。武蔵野美術大学の教授として勤めていましたが、退任するそうで、その記念展です。私はかなり昔から知っていて「刻ふりつむ」という絵が誰のか分からず印象だけが強く残っていて、ずいぶんあとになってネットが発達してから遠藤彰子という名を知った次第です。府中の個展ではサインをいただきました。

それだけ印象的だったもので小6娘を連れて行きたかったが、ヤツは電車に長いこと乗る上に駅から歩いて18分というアクセスにメゲてしまい断念。私一人である。なんつって私もコンディション最悪。午前中眼科に行って検査のため両眼瞳孔パックリになり目のピントが合わないでヤバいくらい見えない。ついでに先日から目の下の肌が大荒れで痛い痒い不快。でも今日(12/16)しか行く機会が無い。現地になんとか到着。

500号以上の大作というのがずらっと並んで壮観。例のミュシャ展を彷彿とさせるスケール(あれはさらにデカかったが)。初めて見る絵も少なくない。最初に目に付く「炎樹」は、文字通り火が花のように咲いている樹。隣の「その時ゆくりなき雲」はやや上から雲などを見下ろしている視点で描く……と簡単に書いているが絵の方は視点も複雑だし描いてある要素も多いので、一言でこの絵はどんな印象とか何が描いてあるとかとても言えない感じだ。

春夏秋冬をテーマにした連作があり……上野の森で見たかな、これは割と中心イメージがはっきりしている。春は桜の花びら、夏の大きな蜘蛛、秋の大ダコ、冬は……なんだっけ。それから他にも「見しこと」のサンショウウオ? 「眸ひらく明日」の建物のパースペクティブとサーカス、以前も見たのでは「黄昏の笛は鳴る」この女の子のイメージはいいな。しかし今回一番印象に残ったものは「葡萄の熟れる頃」珍しくというか何というか荒々しく破壊的だ。暗い雲から竜巻が降りてきて、地上の建物を破壊する。雲は稲妻をまとっている。何か人類に対する警告みたいなイメージ。隣の「我、大いなる舟に乗りてゆく」は上野の森でも見たが、ガイコツのイメージが強烈だ。何か2011の震災以降、より黙示録的になったのか。「その時ゆくりなき雲」にも原発が描かれている。

あと、今回思ったのは、風景、特に自然物が非常に「性的」な感じがするのだ。エロティックというぐらい風景がエネルギーを放っているのに対し、それに負けないくらい多数描かれいる人々は、何かどれも人物モデルみたいで、決して生き生きしていなくて、群像という要素を全うするためだけに存在しているように見える。もちろん一人一人何かやってはいるのだが、ボッスやブリューゲルとずいぶん印象が違う。あと、複雑さや多視点という意味では、池田学という新世代の超人がいて、寡作で超細密な池田と比較するとちょっと大味に見えてしまうかもしれない。いや、作り方も全然違うので比較するものじゃないけどね。

さてそれ以降は、過去の「楽園シリーズ」やら「街シリーズ」といった既に見たものがほとんど。街時リーズの引き込まれるようなパースペクティブは魅力的だ。500号とまではいかなくともやはり絵としては結構大きいので引き込まれる。最後に新聞小説の挿し絵などが並んで終わり。あと、所々猫の彫刻などがある。

期日が限られている上、大学なもんで日曜やっていないのも痛い。また都内でやらないかなあ。
http://mauml.musabi.ac.jp/museum/archives/11161

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2017年12月11日 (月)

「世界を変える美しい本」(板橋区立美術館)

「インド・タラブックスの挑戦」ということで、手作りで美しい本を作るので定評があるという出版社、タラブックスの作品紹介で、原画なども出ている。ここの美術館は絵本原画展で定評があるんだが、行ったことが無いし、うーん、美術作品ったって絵本用のヤツだろー、と実はあんまし期待していなかったんだが、実際はかなりよかった。というか個人的にエキサイティングな発見があった。

個人的な話はあとにして、入ると最初に目につくのは、デカい映画ポスター風の「インド映画の広告に見る九つの感情」の原画であるところのキャンバス画の「愛(現代の)」と「勇気という名の感情」。愛もいかにもインドだが、勇気の方がこれまた髭のナイスガイの濃ゆい雰囲気でイイ。おおインド映画だ、って感じ。で、その前に絵本(子供向けばかりではないぞ)を読めるコーナーなどがある。

展示室に入ると、まずは「ゴンド芸術と『夜の木』」。ゴンド族の優れた芸術を子供向けやらアートやらの絵本化したもの各種。原画が並ぶ。子供向けの「123インドかずの絵本」からして、線描で非常に細かくてインドテイストでアートだ。人物なんぞも細かいハッチングがかかった独特の線描で描かれている。女性が世界をまとめる方が素晴らしいとするフェミニスティックな「スルターナの夢」。あとで述べるラーム・シン・ウルベティの「わたしは燃えさかる尾を持つ孔雀を見た」のペン画なのだが極めて芸術性が高い原画。中でも「わたしは人の涙でいっぱいの井戸を見た」は、優れたシュールレアリズム絵画のようでもある。目玉は「夜の木」という木の絵各種。三人ほどの作家による様々な木の絵が絵本になっているが、その原画。絵本は単色カラーだが、原画は黒いペン画だね。木だけじゃなくて動物がいたりする。これも細かい線描のゴンド芸術だ。

もう一つの展示室にゃ「民族画家との本づくり」ということで各地の民族による絵を本にしていったわけだ。さっきのゴンド芸術の方がインパクトがあったので、こっちは普通のインド民族画の絵本な印象。「筆にみちびかれて」という絵としてはなんとなく稚拙な印象があるが、線描が細かく色彩が美しい原画……内容は人物で日常生活だっけ(なんかどうでもいいとか思っている)。あと「語りから本へ 本から語りへ」で絵巻物を見せつつ、語る、というか歌う、というスタイル用の絵巻物の原画。これがまあドップリインド様式の雰囲気がある絵で、展示ケースにどばーっと置いてある。「わたしは約束の地を見た」や「シータのラーマーヤナ」なんぞ様式が迫ってくるもんで、「鑑賞している」というより「浴びてる」感じがする。ラーマーヤナは実際やっている映像があるぞ。他にも「本のかたち」ということで、絵本原画いろいろ。全体通して絵画様式に非常に味がありインド気分が満喫できる。下の階には期間限定カフェもあるしな。おすすめだー! 
http://www.itabashiartmuseum.jp/exhibition/2017-exhibition/ex171125.html

でここから、個人的にここでいったいナニがあったかという話。時に一年以上前、死んだらどうなるだとか考えていて、死後の世界だとか、量子論だとか、宇宙の始まりだとか、シェルドレイクの仮説(トンデモ科学?)だとかいう本をいろいろ漁って読んでいて、ふと、草間彌生は絶対何かつかんでいるという直感を得た。なぜに草間彌生? それは作品に「永遠」とか「無限」とかいういう言葉をよく使うもんで。宇宙とか考え出すと、どうしても永遠や無限とは切っても切れないんで、草間作品は実にリアルな(科学的にアプローチできそうな)「宇宙的な何か」であると思ったのです。で、私はこれらの考えを集積して長編の三部構成のSF小説を書き始めた。当初タイトルは草間作品から取った「永遠の愛」とした(今は変えてある)。作品内で草間彌生は重要なモチーフであるが、もう一つ重要なモチーフが木なのだ。それも枝が二つずつに分岐していく木なのである。
さて、今回の会場で「夜の木」がいくつも並んでいた。私としては枝が二つずつに分かれている木を探して、これが近いかな、というのを見つけた。分岐点に必ず目のような模様があるため二つにしか分岐できないのだ。そのタイトルを見ると……「永遠の美しい愛」。おお! なんというタイトル!(もっともこれは絵のタイトルというより何かの物語から取っていたようだが) 絵を描いた人、ラーム・シン・ウルヴェティ。何者なのだ? で、この人の作品が見れば見るほど草間彌生に似ている。絵本「私は燃えさかる尾を持つ孔雀を見た」もそうだし、最後の方にあった「太陽と月」の太陽の絵などは、草間作品として出していても多分違和感がない。それぐらい似ている。こうなると、自分の作品と草間彌生とウルヴェティが何か科学的にリンクしていると思えて個人的には非常にエキサイティングな体験をしたわけだ。しかしまあ、見たところウルヴェティ以外でもゴンド芸術(「ゴンド画というらしい)は、総じて草間彌生風だし、ランバロス・ジャーの「水の生きもの」(ゴンド画じゃなくてミティラー画というものらしい)にも草間風の何かを感じた……ということは逆に、草間彌生がインドの世界観や宇宙観と本質的に近い何かを持っているのではないか、と思える。有名な話で「0」という概念は古代インドが発見したとかで、0があるなら無限もある。無限を抱え込むと、あんなアートができる。なぜ? それは輪廻転生だと思っていたことが実は……おっともう書けねえ。
で、小説は一応応募するのだが、何しろ過去にいくつか応募しても一次予選もおぼつかないもんで。どうも小説の文才は足りないのだ。このたびも出版など期待はできぬ。諸君の目に触れるとしたらまあ「小説家になろう」サイトかなあ。落ちたらあそこに出そうと思っているし。でも500枚のボリュームがあるんで、それを読むヒマ人がいるとも思えんのだが。

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