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2018年1月27日 (土)

DOMANI・明日展(国立新美術館)

毎年やっている文化庁新進芸術家海外研修制度の成果。まあ今時のアートって誰がいるのかな、という感じなもんで概ね毎回行っている。もうこの時期かあ。こないだ行った気がしたんだが、年々1年が早くなるんだよなあ。今回11人出ている。

田中麻紀子。ほのぼの(?)イラストとかアニメとか細密鉛筆画とか油彩とか立体とか、なんかいろいろ器用な人だ。油彩「Zodiak」がドロドロしてて面白い。それにしても小さいイラストなんかで寄って見ようとすると、灰色のラインの内側に入ってしまい、注意される。が、ほとんどの人はこのラインに気づかないで注意を受けているんじゃ。展示作品の小ささと額入りという形態からしてそんなラインがあるとは思えんのだよ。別に無くてもいいのに。

三宅砂織。体操をやっていた誰それさんの残した写真だかをもとにドローイングしてそれを露光プリントして展示。写真とも絵画ともつかない独特の雰囲気を持ったモノクロ平面が出現。

mamoru。スペース全体を使った映像インスタレーション。うーん、身体とか文字とか、そういうのかなあ。ポエトリーリーディングを使っていて、アートと親和性あるんだなあ。どうも映像もんは時間をとられるもんで、よっぽどと感じないと長い時間見ていないぞ。

盛圭太。大きな布に糸を縫いつけてグラフィックな作品に。二人あやとりの映像があって、これが面白い。おお、この手があったか。

雨宮庸介。インスタレーション。本人がいて何やらレクチャーしてるんだけど、英語なので何が何だか分からない。展示もよく分からぬ。

西尾美也。異国であれどこであれ、通りがかりの人と服をとっかえってこしてもらって写真に撮るプロジェクト。服とっかえてみていいですかなんて一歩間違うと危ない人間に見られちまうな。

やんツー。自動ドローイングに魅せられ、それを中心としたインスタレーション。装置が3つぐらいあって、何か起きそうでワクワクしちゃうがそう大したことは起きない・セグウェイらしきものが動く。オレの苦手ないきなりデカい音をたてる機械があって減点。札幌の地下街だかで描いた自動ドローイングの映像が面白い。実物もあるが遠くて見えん。

増田佳江。絵画。ゴッホっぽい?

中村裕太。ガラスケースに入っている「日本陶片地図」。陶器の破片と、その土地の何かかな。

猪背直也。イメージの明確なアクリル画。都会的幻想画ってかんじ、
現代の風景を廃墟化させるのはこないだ東京駅の展示で見たんだが流行か? バベルの塔が崩れた後の風景がなかなか面白い。

中谷ミチコ。一見絵画で、最初のが鳥に包まれる女の子の足だけ見えてるんで、鴻池朋子かと思ったら違いますな。で、この絵画の印象が何だか妙なのだ。どうも普通でないが何だろう……と、次のや次のを見て納得。これは透明樹脂を巧みに使って、絵に奥行きが出ている……というか絵じゃない。彫刻の一種かな。これポスターになってるが立体ものなんで、実物見た方がいいよ。最後の「蝋燭」という女の子の絵はちょっと怖いぞ。

なんとなく今年はちょっとおとなしめか。また来年も行くんだろうなあ。
http://domani-ten.com/

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2018年1月20日 (土)

鉄道絵画発→ピカソ行き(東京ステーションギャラリー)

コレクション展なんだって……っていうか、コレクション持ってたのか。コーナーごとに「○駅目」となっているので、電車旅気分だぜっ。電車関係の作品ばかりかと思ったらそうでもなくて、最後はピカソに着く。

始発駅は鉄道絵画。東京駅の絵から始まるところが粋だよな。本城直季の鳥瞰写真のパースを飛ばしてミニチュアみたいに見える作品やら、元田久治の廃墟風東京駅とか。意外と現代アート作品が多い。東京駅自体がレンガのレトロな作りなんで古き良きアートでも並んでいるのかと思ったらそうでもないんだな。長谷川利行「赤い汽罐車庫」は1926年のフォーヴ風で、なんかこういう方が見慣れてたりしてな。村井督侍の白塗りパフォーマンス写真。おや、写真に写っているのは中西夏之の卵ことコンパクトオブジェじゃないか。それから立石大河亞の「アンデスの汽車」は油彩だけど3コママンガですな。なんと遠藤彰子が2枚。「駅」と「投影」。確かに多層都市風景によく電車が出てくる。見ただけで分かる遠藤作品。中村宏の「鉄道ダイヤグラム」とか「車窓篇」というシリーズ作品。抽象風でクールでアヴァンギャルドだ。中村宏はサブカルみたいのもやれば、こういうのもやるんだな。

次の駅は都市と郊外。途中で階段下りたりするが、また元田久治の廃墟風……と、これはあの北京オリンピックの鳥の巣ですな。お、去年見たヴェルフリがあると思ったら違って岡本信治郎「大時計・上野地下鉄ストア」ポスター風だけど面白い。抽象っぽい現代アートも結構あって、都市と郊外なのかっていうとよく分からなかったりする。

次の駅は人。人物画というか、人物がテーマね。イケムラレイコの「lying in redorange」ぼんやりうつ伏せ女の絵。この姿勢へのこだわりが妙だがそういうものだ。確か近代美術館でいっぱい見たヤツだよな。大岩オスカールの「男」は超現実絵画っぽい。夏目麻麦「Room 1108」うーん、はっきり見えないし人物かどうか分からないところがちょっと怖い。篠原有司男「バミューダ島の乗り合いバスの天井にトカゲが」パワフルだけど、うーん、ちょっと好みじゃないな。あれ、カラヴァッジョのメデューサじゃないか、と思ったら森村泰昌のなりきり作品「自画像としての『私』(メデューサ)」。フリーダ・カーロになり切ったりする作者がカラヴァッジョに挑戦。元絵より怖い気がするが。しかしインパクトがあったのはラインハルト・サビエ。「無実の囚人Ⅰ」顔が画面いっぱい。皺だというが傷に見えるお。「傷ついた恵みの天使」うおおお人形だっ。こえええ! ホラー小説の表紙になりそうだ。

4駅目は抽象。鄭相和(なんて読むんだ?)の「無題81-6」こないだオペラシティで韓国の抽象を見たんでおなじみな感じ。これは色のないテトリス風。いや、韓国アートなんてなじみがないんだけど、あの抽象世界の極めっぷりはなかなかすごかったお。辰野登恵子「Dec-9-2002」これは辰野にしちゃ分かりやすい……よね。池田光弘「Untitled」金色のラインの使用が冴えている。

終点。ピカソ~ピカソ~ 4つもあるじゃん。 若い日のデッサン「座る若い男」既に極めている感がパネエな。「ギターのある静物」「帽子の男」はキュビズムで、「黄色い背景の女」はいわゆるおなじみピカソの作品。平面的に顔が2つに分かれているヤツね。

各コーナーを駅と称しただけで電車旅気分になるかいと思うが、それぞれに関連を持っているので、意外と移動感というか気分が出たりする。
http://www.ejrcf.or.jp/gallery/exhibition/201712_picasso.html

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2018年1月13日 (土)

ルドルフ2世の驚異の世界展(Bunkamura ザ・ミュージアム)

ルドルフ2世は24歳で神聖ローマ帝国の皇帝になったが、政治やら宗教問題やら外交問題が嫌で、首都がウィーンだったところプラハに移転させて、そこで道楽三昧だった……というイントロビデオがあるから予備知識もゲットできる。これを見りゃ楽しめる。意地の悪い言い方をすると、これがないと展示品そのものは概ね2軍じゃねーかって感じなんだお。

最初は「ルドルフ2世とプラハ」コーナー。いきなり外人を描いた「秦西王侯騎馬図」屏風があって驚くんだけど複製。「秦西」って「神聖」のことかな。あとはなんたら何世の肖像とか説明。いや、今回説明は豊富ですよ。

「拡大される世界」コーナー……えーと何があったかな。ファルケンボルフって人の「アレクサンドロス大王との……(長いので略)」は何となくいい感じの空間が、ええと、あれだ、幻想風景、でもないか、まあよかったよ。バベルの塔の絵が2つあった。1つは作者不詳で雰囲気はそこそこなんだけどなんとなくパースがおかしい。いかにブリューゲルがうまいか分かっちゃうな。もう1枚は小さかったがこっちの方がいい……いや、これブリューゲルの丸パクリじゃないかっ? それから作者分からないんだけど「サビニの女の略奪」って絵があって、昔から女をムリヤリ奪う男の世界の絵は多いでございますな。もちろん服も奪ってるお。サーフェリーって人の「村の略奪」って絵もブリューゲル風。それから天文学コーナーがあってケプラーの本とか、ガリレオの望遠鏡とか……まあ複製が多いけどな。ルドルフ2世は天文学者もウェルカムだったんだぜ。

「収集される世界」のコーナーで。フーフナーヘルの細密な昆虫の絵。毛虫もおる。なかなかうまい。追随者の作品も出ているが、やっぱりちょっとレベルダウンするな。油彩の花などあってサーフェリーの動物画がずらっと並ぶ。動物それぞれを描いた版画やら。油彩では1つの絵に動物イパーイだ。鳥ばかりの絵もある。しかし諸君、お楽しみはだね「動物に音楽を奏でるオルフェウス」と「動物を魅了するオルフェウス」だお。竪琴を奏でて動物を魅了したオルフェウスだが、ここの絵は動物がメイン。動物ばっかし。オルフェウスがおらん……のではなく実はいる。いるんだよ。君も探してみよう。サーフェリーの「オルフェウスを探せ」だ。

「変容する世界」のコーナー。ここでいよいよアルチンボっちゃうぞ。最初にアルチン追随者はパクリ風。おっとキルヒャーの「ノアの箱舟」という箱船の全構造を描いた妙な絵がある。キルヒャーはルドルフ2世と接点はなかったそうだが、趣味は似ているそうな。作者不詳のアルチンボルド風の絵があり(なんとなくイマイチ)、その後、目玉のアルチンボルド「ウェルトゥムヌスとしてのルドルフ2世像」これポスターでは、なんじゃこりゃみたいないつものアルチンボルドの絵なんだけど、実物はなかなかいいぞ。果物や野菜などを組み合わせて顔にしておるんだが単眼鏡で拡大して見ているとさすがオリジナル。構成物一つ一つが生き生きしているんだな。ヤン・ブリューゲル(子)「大地の水の寓意」うん、魚と美女な。ポンテという人の「9月」これ風俗画でそらに星座の天秤が浮いている……って、これどこかで見たぞ。他の星座のも。何の企画だったっけ。

それで、次の部屋に行くとまた絵画がいろいろ。ハンス・フォン・アーヘン「ルクレティアの自殺」これはなんだ、胸を出している必要があるんだかないんだかエロ目的か。ステーフェンス2世の「聖アントニウスの誘惑」裸女やモンスターで聖人を誘惑のおなじみテーマなんだけど、ボッスのとか知っちゃうとこいつはちょっとパワーが不足だ。スプランガーの「オリュンポスと芸術を導く名声」象徴画風だがコピーか。ラーフェステイン「ルドルフ2世の治世の寓意」あー、これはいいですね。平和的でね、裸女でね、キャッキャウフフでね……ルドルフ2世って生涯独身だったそうで、なんだかなあ。こういう、今でいう萌えちゃう男子? となりのアーヘンのパリスの審判もその手合いで。おいルドルフ。最後はパルミジャニーノ……のコピーの天使君の「神話画」。

あーここで終わりじゃなくて。最後に「驚異の部屋」。というコレクションルームの紹介で。ビデオで予習後、ミニミニ驚異の部屋展示。オウム貝の器とか、からくり時計とか、錠が重そうでメカニックだ。あと自然物とか、望遠鏡、天球儀など。
まだあった、現代美術家のフィリップ・ハースの立体アルチンボルドで少しキモいクロージング。

展示物一つ一つよりも、解説を読みつつ総合的な世界を楽しむ感じでいけるであろう。がんばってるぞ。
http://www.bunkamura.co.jp/museum/exhibition/18_rudolf/

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2018年1月 9日 (火)

石内 都 肌理と写真(横浜美術館)

写真の鑑賞はえらく不得手なんですけど、石内都は私の好きなフリーダ・カーロの遺品を撮り、またそのドキュメンタリー映画も見た関係で、やっぱりこれも行かずにおれるかということで行った。結果、意外と意図も分かりやすいもので(と私が思っただけかもしれんが)、なかなか楽しめましたよ。

年代順で、最初は「横浜」というコーナー。モノクロでボロアパートの写真なんかが並んでいる。実はこの時点ではどう見たらいいんだか分からず……というのもなんつーか写真は絵画と違って、リアルなものが写っているわけで、その情報量がすごく多いもんで、何を感じたらいいか、いやどこかから何かを読み取るのか、よく分からなくなってしまうのです。このアパートはいかにも建物がある時代を感じさせるなあ、というのは分かるんだが、それだけじゃないよなあ。明らかに使われなくなって荒れた部屋とか、剥げ落ちが著しい壁とかの写真を見るにつけ、あーなるほど、年季とか、時間の経過とかを写したいんだな、というのが何となく分かってくる。

それからいきなり建物でも風景でもない「1906 to the skin」という作品群が並ぶが、これがなんと肌。それもお年寄りの年季の入った肌なのだ。血管の浮き出ている奴なんてちょっとグロいぞ。うーむ、さっきは明らかに廃墟だったが、これは生きている人ではないか。ということは石内は使い終わった、役目を終えたもの、もっと言えばゴミを撮っているわけではなく、使い終わっているとかいないとかを排して、ただ時の経過を感じさせるものを撮っていたわけだ。これは全編に渡ることなんだけど、とにかくドライで情を排している。「廃墟にされてかわいそうな建物」でもないし「長く生きてきて素晴らしいお年寄り」でもない、ノーコメント。しかしとにかく、そこに時の経過を明確に焼き付けて提示する。鑑賞者はそれをダイレクトに受け取るというわけだ。

「絹」という一つの部屋のコーナー。ここは普通に絹の着物とかのきれいな写真。なんだけど、蚕からのダイナミックな変化に対する驚きのようなものがあるようで、ただきれいというわけではないようだ。

後半の「無垢」というコーナー。このあたりからなんか写真に凄みが出てくる。深い傷を負った肌が、時の経過で治った……といっても完全じゃなくて、とりあえず傷がふさがった状態、それでもかなり年月が経っていて、それを撮ってる。まぎれもなくこれまでの延長にあるテーマなんだけど、なんで傷を負ったかとか、それが悲しいとか辛いとか、そういう情をここでも排して、とにかくそれだけを撮って提示している。結果、見ている側がむしろ想像を働かせてしまう。この傷は何が起こったことによるのか、あるいはこの傷の様子はそのまま心の様子ではないかとか。多分、写真家が情で撮るよりもよほど強く鑑賞者に情が沸き上がると思われるです。

で、「残されたもの」でさらにその姿勢も徹底してくる。フリーダ・カーロの遺品、これはドキュメンタリー映画でも見たのだが、青い家ことフリーダ・カーロ博物館から出てきた遺品を撮った。その生き様ゆえ崇拝者も多く、遺品などはまさに聖なるもののはずなのだが、石内は崇拝することなく、フリーダがいかに生きてきたか冷静かつ見事に写し取る。同じ姿勢で、「母」と「ひろしま」も遺品を撮った。特に「ひろしま」なんて、情に流されたら被爆エピソードのパネルなんぞを並べて、ここでこういうことがあってこういうことになりましたかわいそうですねー、というお涙ちょうだいを全面に出してしまうのが通例のところ、石内はあくまでドライに、ただただ遺品の写真。これも、そこであったことをただ示すもの。鑑賞者は想像するしかないが、いやしかしこれは想像するというか事実を突きつけられて呆然とする感じだ。物語なんぞなくても、写真がすべてを物語る。なぜだ? なぜ服がこんなことになっているのだ? ……恐るべし、世界的に有名なのも納得ではなかろうか。

コレクション展の方には、最初期の、横須賀を撮った写真もあるぞ。
http://yokohama.art.museum/special/2017/ishiuchimiyako/

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2018年1月 3日 (水)

熊谷守一 生きるよろこび(東京国立近代美術館)

まずここで言いたいのは、旧宅であったところの豊島区立熊谷守一美術館は、実に雰囲気がよい。入るとコーヒーのいい香りもする。美術館として大きくはないので、うまい酒を雰囲気のいい飲み屋でちびちび飲む感じ。一方この企画は、大量イッキ飲みである。いや、それはそれでいいんですけどね。

概ね年代順のようなテーマ順のような感じ。初期はとにかく画面が暗い油彩が多い。「蝋燭(ローソク)」なんて、人物が蝋燭で照らされているんだが、ラトゥールみたいにいかにも「光」ではなく、かといって野十郎みたいに炎に凝るわけでもなく、なんとなく照らしている感じ。傑作らしい「轢死」、夜の薄明かりの中に浮かぶ轢死の人物というショッキングなテーマ……のはずだがほとんどなんも見えねえ。何か見えた? それから熊谷守一美術館にあった「某婦人像」とここで再会。これ、いい絵ですよ。しかし、展示の性質上、絵のガラス面にオレの顔が映っちゃうんだな。あっちではそういうことはなかったと思うが。

画風はフォーヴのように荒々しくなる。がしかし原色ではなく中間色が多くフォーヴとはちょっと違うかな。「松林」とか荒々しいとメモってあるが、どんなんだっけ。とにかくたくさんあるんで、全部タイトルとメモだけで思い出せるわけでもない。しかし中でも「陽の死んだ日」。「陽」って太陽じゃなくて次男の名前ね。これ亡くなった子供の絵なのだ。荒々しいが生々しくはない。4歳で陽が亡くなった時に、彼のために何か残そうとしてその絵を描き始めたものの、これって絵を描いてるだけじゃんと思って嫌になり30分でやめちゃったとか。なまじテクニックがあるもので、悲しみの感情表現というより美術作品になっちゃっているんで、それでむしろ嫌になっちゃったんでしょうなあ。でも、この絵はいいよ。感情あるよ。あとはフォーヴの裸婦がイパーイ。裸婦だがラフだか分かんねえ、なんつって。シルエットみたいなのや、デザインっぽいものもある。中には「線裸」なんていう太い線描のなんじゃこりゃみたいな裸婦もある。「夜」というのが印象的で、これは先の「轢死」と同じテーマなんだそうだ。描いてあるものが分かるので、おお、こういう世界か、と分かる。

えー、次第に風景に移行。荒々しいものの中から、輪郭に赤い縁取り線を使うようになり、その線で塗り分けされるようにきれいにまとめられてゆく。荒々しくなくなってくるわけです。この変化がなかなか面白い。「チュウリップ」なんてのは風景じゃないがまだ荒々しやですな。「谷ヶ岳」や「船津」なんぞで赤い縁取り線が出始める。画面はシンプルになっていって「海」なんぞも実にシンプルでございます……ってどんな絵だっけねえ。同じようなものが延々と続くので、どんな絵だったか……もちろん実物見りゃ思い出すんだけどねえ。「御嶽」という絵ね、山の群青色が特徴ね。「漁村」で色分けが見事にキマり……ナビ派っぽい? 「草人」で久々にフォーヴをキメ、「金峯山」でとうとう赤い縁取りもなくなった。純粋にシンプルな絵になる。この頃、長女の萬を21歳で亡くしてしまう。その「萬の像」があり、「ヤキバノカエリ」という絵もあるが、これはシンプルだがドランの絵を元にしたとのこと。

かようにオリジナルかと思っていたが、元ネタがあるような絵も多いそうで、その紹介コーナーがある。「稚魚」なんてのはマティスの「ダンス」に似てるそうで、確かに近い。「笛吹く児」もマティスだそうだ(どんな絵だったかな)。それからシンプルも際立ってきて、中間色の背景に、対象物を特に中心を持たせず描き、動きのような効果を与えるという手法になる。「雨滴」というのがなかなか傑作。雨滴が餅っぽいが、何ともおもしろい。「鬼百合に揚羽蝶」もそれぞれに躍動している感がある。「蝶」の黄土色の中間色背景に白い蝶は得意技。えええとそれから裸婦がいくつかあったよな。もうシンプルで顔のないヤツラが。書が並んでいて(あんまし見てない)、次に猫がズラッと。ここは壮観だ。にゃーにゃー。広告ポスターになっている「猫」は塗りの色がきれいだ。やっぱ本物はイイネ。「白牛猫」なんていう白いヤツもいる。

それからシンプルも極致になり、「黄菊」のもう黄色の塊だけの究極感、「向日葵」も超シンプル。「雨水」は水が平面になっている。「群鶏」なんて、なんだこれはイモか? みたいなシンプルさ。「少女」はいきなり人物のデカい顔で唐突だが、鼻だけピカソみたいな感じ。だんだん抽象っぽくなってきて、「鯉魚群遊図」はマティスの抽象っぽさに近い。「泉」はカンディンスキーか、「薔薇」は葉が思い切り三角形、「宵月」はマティスの切り絵っぽい。「夕暮れ」や「夕映え」の丸模様で長い旅もおしまいなのだ。

画風の変遷が楽しい。点数は多いが小品が多いので次々見ていける。気に入った人は豊島区立熊谷守一美術館もおすすめ。
http://kumagai2017.exhn.jp/

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