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2018年4月 7日 (土)

ヌード(横浜美術館)

だいぶ以前、東京藝大美術館で「ヴィクトリアンヌード展」をやったわけですよ。すると普段絵画なんぞ見そうもないエロオヤジどもが鼻の下を長くして(という表現を今使うか分からんが)来場し、会場内は阿鼻叫喚。いや、まさにそのノリで今回も赴きたいじゃないか。このヌード展においてベストなスタイルは、薄汚れたジャンパーとジーパン、左手に競馬新聞右手にストロングゼロ、ヌード画を前にデカい声で「なんだよこいつオッパイが小さいじゃねえかダメだダメだ!」とかやりたいものだが、残念ながら私は小心者なので、黒いデニム上下と春めいたコジャレた上着で、いかにもいつも美術館に行ってますみたいなツラしてるもんでこんなヤツはぶん殴ったほうがよい。がしかし、エロオヤジ諸君のイヤラシイ期待はことごとく裏切られるであろう。残念ながら(?)美術鑑賞的に大変まっとうな展示内容と切り口であり、天下の英国テートギャラリーの看板背負っているだけある。
入ったら客が思ったよりだいぶ少ない。そう、ポスターがヴィクトリアンヌードで、藝大ショックを覚えているアート好きマダム達が避けているのかもしれない。だとしたらちょっともったいない。男性ヌードだって半分ぐらいあるのだし、女性が顔をしかめるようなヤツは多くはない(と思うが女性じゃないから正確なところはよく分からない)。
最初のコーナーは「物語とヌード」で神話など。主にヴィクトリアンヌードで、要するに理想的な裸体表現で、エロオヤジも一応納得できるコーナー(男ヌードもあるが)。最初のフレデリック・レイトン「プシュケの水浴」はポスターのヤツでキレイ系の女性ヌード。彫刻ではハモ・ソーニクロフトの「テラワロス」……じゃないな「テウクロス」だって。男性ヌードだお。小品ながらターナーが男性ヌードを描いている。男性ヌードってヤツも見てると結構面白い。筋肉の付き方が明確なので、なんとなく生体メカ(?)みたいな……んーまあなんかそういうもんとして見れるんよ。エロオヤジ御用達ならオフィーリアでおなじみジョン・エヴァレット・ミレイの「ナイト・エラント(遍歴の騎士)」で裸で木にくくりつけられている女性を救っているところのヘンタイ画である。裸で拘束されている裸女を描きたいって画題じゃアンドロメダと同じだよね。あと、この絵は下村観山が模写してて常設んとこに展示してあるぞ。ウィリアム・ストラング「誘惑」男性を誘惑する女性。どっちも裸だ。アンナ・リー・メット「締め出された愛」は女性後ろ姿。なかなかよい。
次のコーナー「親密な眼差し」。今度は物語じゃなくて近くの人だ。印象派とかそのあたりな。ボナールの「浴室の裸婦」これ浴槽の中の足だけ。「浴室」これは全身だがほとんど浴槽の中つまりお湯の中で。見えるような見えないような、なんでこんなところ描こうと思ったんだろうか、と思ってしまうような。モデルは妻らしいが。マティス「横たわる裸婦」ううむ、日本人画家の絵かと思った。なんか「イモっぽい」顔してるんだもん。同じくマティスの「布をまとう裸婦」こっちは、マティスらしい画風だ。エドガー・ドガ「就寝」おっ、ドガにしてはなかなか丁寧に描いてるじゃないか。普通に裸婦です。シッカート「オランダ人女性」ううむ、近眼のせいか顔がイヌとかゴリラに見えるのだが。グウェン・ジョン「裸の少女」こりゃ痩せすぎや。痩せすぎのヌードにはグッとこない。しかしまあ、このコーナー女性ヌードばっかりですな。
次のコーナー「モダン・ヌード」これは芸術運動の何とか主義の中で使われたヌードね。マティスの「青の裸婦習作」がフォーヴ(荒々しく描くヤツ)だ。ヘンリー・ムーアの彫刻「横たわる人物」この辺でなんか抽象的になってくる。「倒れる戦士」これも半分抽象ってところか。このあたりはヌードだか何だか分からないのもあって、デイヴィド・ボンバーグ「泥浴」なんて、アヴァンギャルドでもうヌードでもなんでもない。ガツガツ荒っぽく描いたなんかヒデエ女性ヌード画があり、しかし誰が描いたか分かる。ピカソだ。「首飾りをした裸婦」そう、こういう点においてピカソってすごい。それで、なんだよこういう小難しいお芸術ヌードなんかどうだっていいんだというエロオヤジどもが腐るであろうところに、いよいよ次のコーナーだ。
次のコーナー「エロチックヌード」。つ、ついに来たかっ! いきなり目に入るロダンの「接吻」。裸の男女が抱き合って接吻している超有名な彫刻作品。結構デカい。この作品だけ撮影可能なので、みんな喜々としてスマフォなど向けているが、いいかよく聞け愚か者ども。こいつは止まって見るもんじゃないんだ。周囲をぐるぐるしながら見ると面白いぞ。ロダンの肉体表現はバリバリ気合い入っているので、背中からでも十分鑑賞に耐える。周囲を回りながら見ると、男性背中、女性背中、接吻シーンと移り変わってそれぞれに印象が違って昼と夜が移ろいでいくようで楽しいぞ。面白い。やってみたまえ。他にもルイーズ・ブルジョアの女性側から支配せんとする男女シーン、ホックニーの男同士のまったり生活、老いてもなお盛んな春画スレスレのピカソ、意外なところでターナー。ターナーらしい時代を超越した抽象的表現だが題材がヌード。はい、エロチックといっても、エロオヤジが喜びそうなもんはロダン以外一つもない。ロダンも微妙だが。
次「レアリズムとシュールレアリズム」 エルンストの一応エロっぽいシュール画。おなじみマン・レイの写真。おなじみベルメールの「人形」。これはほとんどビョーキの女体分解再構成。おおっとここでいきなりバルテュス!「長椅子の上の裸婦」かなり作為的な絵で、これ首が折れているのか? と思うが、折れているというほどの角度じゃない。でもなんかヘンだ。その白い靴下は何なのか、エロ演出のアイテムにも見えるが。それにしてはその両腕を広げている仕草は……と、何も異常なものは描かれていないのに絵から発散する「普通でない感じ」まさに、これがバルテュスよ。傑作だよね。スタンリー・スペンサー「二人のヌードの肖像:画家と二人目の妻」男女ヌードだけど、リアルだなあ。フランシス。グリュベール「ヨブ」うん、男だ。デ・キリコ「詩人のためらい」トルソとバナナ。デルヴォー「眠るヴィーナス」古代都市の中に横たわる裸女、立っている骸骨。デルヴォー定番アイテムを駆使した安定の絵ですな。
次「肉体を捉える筆触」なんちゅーか物質と内面だとか。フランシス・ベーコンの「スフィンクス」は再会。「横たわる人物」はヌードというか肉塊ですな。ルシアン・フロイド「布切れの側に佇む」女性ヌードだがリアルだ。ルイーズ・ブルジョアの作品いくつか。抽象的ながらなんとなく生々しい。「誕生」はフリーダ・カーロの例の絵を思わせる。たぶん知ってるだろうね。このルイーズ・ブルジョアって六本木ヒルズのデカいクモを作ったアーティストで、子供の頃に結構キツい目にあっていて、それが作品にただならん緊張感をもたらしているというもののはず。
次「身体の政治性」フェミニスト的な視点を持った作品。ここはエロオヤジにはちょっとキツいコーナーだお。サラ・ルーカスの立体「NUD CYCLADIC 10」肌色……近頃はペールオレンジって言うのかな、そのタイツに詰め物をしてまとめて、肉体のようなそうでないような、ベルメールよりもヤバい感じのものを作った。メイプルソープのリサ・ライオンヌード写真。ガッチリ系だ。バークレー・L・ヘンドリックス「ファミリー・ジュールス:NNN(No Nakid Niggahs
[裸の黒人は存在しない])」という裸の黒人の絵。またサラ・ルーカス「鶏肉の下着」ううむ……下半身に鶏肉(丸ごとのヤツ)を当てて、肉の裂け目が要は女性の開いているところに見立てている。男のオレはちょっと引き気味。しかしそれよりだ、シルヴィア・スレイ「横たわるポール・ロサノ」これは(エロオヤジには)キツい。なんとなれば、これは女性が描いた男性のヌードで野郎のフェロモン満載。要するにこれ、男性画家が女性ヌードを描くってのは女性から見るとこういうことなんだぞ、というキツーイいカウンターパンチだ。こんなん見たくねえと思えばこそ、じゃあそこらじゅうで女の前でガンガン展示しているアレはなんだってんだ女は耐えてやっているんだぞという非難の指がつきつけられる。目を背けたら負けだ。でも男のメンタルは弱いのじゃ。
最後「儚き身体」コーナー。シンディ・シャーマンが自分を撮ったヤツ。着てるけど。ジョン・コブランズによる出産直後の女性の写真。1時間儀後、1日後、1週間後で撮ってるらしいが、3枚の写真が全員違う人なんで、ちょっと変化が分からない。1時間後ってのが下に傷を押さえるものらしいなんかをはいてて……んー出産って大変なんだよなあ。男にゃ永遠に分からない世界なんだが。
ヴィクトリアンから現代まで、バリエーションが豊富なヌードの芸術世界。行って損はない。
https://artexhibition.jp/nude2018/

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