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2018年11月26日 (月)

ブルーノ・ムナーリ(世田谷美術館)

サブタイトル「役に立たない機械を作った男」とのことで、明和電気のナンセンスマシーンみたいな電動のメカニックなものが出ていると思ったアナタ(オレも)、そういうものは出ていないのじゃ。まあ面白い展示ではあるのだが。
ブルーノ・ムナーリは1907年生まれのイタリアン美術家。絵も描くしデザイナーでもあり子供用の絵本なんかも作ったんだって。
プロローグ「未来派の頃」とのことで、始まりは未来派だって。ん? 1930年代なんて、未来派はとっくに終わってたんじゃないかと思ったら、ちゃんと続いてたんだな。1909年にマリメッコじゃなかったマリネッティが「未来派宣言」をしたが、1915年にもバッラが何か宣言しとるんよ。
最初の「軽やかな機械」はボールとパイプみたいなのを使った立体ものだが……動かねえ。絵画「風景」がいかにも未来派的な動的色彩。それから「役に立たない機械」という作品がいくつも出ている。何か? ……モビールじゃん。いやモビールとはちょっと違って、糸で吊ってある形が風などで動いて組み合わさって、様々な印象の形状を形作る……ってなもんで、抽象的で、それはそれで面白い……んだけど、これを「機械」と言われると、うううむ思ってたんと違う、となってしまうな。いや、面白いんですよ。一応。それからこの機械のための素描とか。雑誌とかあり。

「絵はあらゆる箇所が生きている」というコーナー。「陰と陽」というタイトルの絵がいくつもある。平面を曲線とかで2つに分割。これもいろいろな表情を見せる。途中から四角形の組み合わせが中心となっていき、印象としては……あのう、ほら、あいつ……うおおド忘れしたぞ。あのデ・ステイルのさ……と思い出せぬまま悶々と時間が過ぎる。くそう、脳の、この、ド忘れのメカニズムってなんなんなんだ? なぜそこだけ脳の回路がつながらん。あ、そうだモンドリアンだ。印象はそれに近い。「無題」という形が整ったミロみたいなのが並ぶ。

「子供はすべての感覚で世界を認識している」とのことで、絵本の紹介。息子に見せたい絵本が無かったんで、自分で作ったんだって。絵本のページ全部を見せてしているわけではないので(いわさきちひろ展なんかだとよくあるが)、こんな絵本がありましたっていう紹介だけって感じ。見たところ、普通ではないちょっとシュールな物語を、絵本を切ったりくり抜いたりで自由に表現している感じだ。日本語版も出ていて、なんと訳が谷川俊太郎ではないか。おお詩人、仕事してるなあ。そうだなあ「闇の夜に」なんて一部出ているが全部見てみたいものだな。それから立体もいくつか。中でも「短い訪問者のための椅子」がジョークっぽくて分かりやすい。

「どんな素材にもファンタジアへのヒントがつまっている」ここはまず偏光板アートがある。偏光板を通して見るのだが、偏光板を回すと色が変化して見える「動的」アートだ。うちの上の娘が小学校の自由工作でやったのだが、東急ハンズなんかで偏光板(色付きのも)を売っているので、みんなも作れるんだじぇ。それから「直接の映写」というのはフィルムに直接貼るなどして、投影するとデカく見えるというもの。どっちも実物と映像があるぞ。

「考古学のアイデアを美術の領域に取り入れる」コーナー。解説では「ムナーリの機械」について書いてあり、「ムナーリの機械」という絵本があって、それの1ページが見れるが……機械というか、「風が吹けば桶屋が儲かる」的なつながりというか、無理なピタゴラ装置というか、まあそんなものです。あと児童文学のジャンニ・ロダーリとのコラボ。ロダーリといえば知る人ぞ知る児童文学の名作「チポリーノの冒険」の作者。なぜかオレのうちに岩波文庫があって結構読んでたのだ。で、コラボというのが「『クリスマスツリーの惑星』のための挿し絵の習作」宇宙冒険ものっぽい。でも機械があの調子なんで、SFを期待できるものではなく、やっぱしどうもファンタジーよ。

「作品は無限の変化として出現する」木の描き方や、繰り返しによるパターン。中でも正方形を組み合わせたような「ペアーノ曲線」に興味津々な様子で。その作品がいくつもある。抽象的なデザインのあといきなり「みどりずぎんちゃん」という絵本のためのイラストが並んでいる……ううむ、これは、どういう意図なのだ? 木々の描き方のこだわりなのか? ずきんも緑だし、背景もほとんど緑なのだが。
「みんなの美術にたどりつきたかったら」ここの注目は「旅行のための彫刻」なんのこたーない、厚紙でできた折りたたみ可能な立体作品。中には金属で作ったヤツもあるぞ。金属のは面白いな。それから「オリジナルのゼログラフィーア」これは何か? コピー機を使うものだが、わざとコピー元を動かして動作させ、予測のつかない妙な平面を生み出した作品群なのだ。ナイスアイディアですな。この技術を応用したらしい絵本「きいろずきんちゃん」が出ていたりする。

「どれほど多くの人が月を見て人間の顔を連想するか」ここはまずフォークを手に見立てた作品。ヒッチハイクしたり、たばこほしがったり。これもナイスアイディア。あとは「祖先の重み」という顔っぽいドローイング。またロダーリとのコラボ「空にうかんだ大きなケーキ」のための挿し絵。これもいろいろな線などを使って顔のようなものを表現。そう、ここは顔コーナーなのだ。あとは「未知の国の読めない文字」文字通りなんだけど、漢字の「月」みたいなのがいっぱい。あとは「木々」という作品は。これも「木」という漢字を使ったもんなんで、我々にはおなじみすぎる。

最後に「アートと遊ぼう」ということで、遊べるコーナー。絵が描いてある透明プラスチックを組み合わせて、絵のレイアウトができたり、厚紙の板を立てて迷路にできたり。それより情報として驚いたのは、いまはなき「こどもの城」の1985年の開館企画が「ブルーノ・ムナーリ展」で、本人が子供相手のワークショップもやったらしい。なんと「こどもの城」はアート関係の部門も持っていたのだ。おい、誰だよ「役割を終えた」とか言ってぶっ潰したのは。役割を終えてはいないじゃないか。

そんなわけで極めて点数多し。なかなか面白い。子供連れで遊んでもよし。ただ「機械」じゃないんだよなあ。
https://www.setagayaartmuseum.or.jp/exhibition/special/detail.php?id=sp00191

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2018年11月20日 (火)

カタストロフト美術の力(森美術館)

災害や惨事でアートがいかに影響を受け、またいかなる作品を生み出すか。バリバリ現代的テーマ……しかしこういう攻めの企画を大規模美術館でやるってところはさすが森なのである。期間も長い。見応え十分。

セクションⅠ「美術は惨事をどのように描くのか -記録、再現、想像」
最初にトーマス・ヒルシュホーン。いきなり災害で破壊された建物のデカいインスタレーションで驚く。見ると瓦礫は明らかにハリボテだが。そこがテーマなのだ。なんだハリボテじゃんとスルーしていいのか悪いのか分からない。だって災害現場だぞ。クリストフ・ドレーガー。911のテロで破壊されたワールド・トレード・センターの写真がなんとジグソーパズルになっている。これも、いいのかこれ? という方向みたいだ。ヴォルフガング・ジュテーレ。911のその瞬間のライブ映像らしいが進行が遅くて見れず。畠山直哉こっちは311の東日本大震災の陸前高田の写真。個人的に撮っていたらしいが、鑑賞者は災害も結局消費できる「作品」としてしか受け取らないのだ。しかし、これはあらゆるものについて回るな。あまり関係ないかもしれんが、何年か前の紅白歌合戦で、吉永小百合が原爆の詩を朗読したんです。でもその前後は楽しい歌番組としてガッチリできているし、視聴者もそれに従う、つまり、その、いかなる惨事であれど、そのあまり見事な消費されっぷりに驚いたものだよ。そうでないかい? おめーらもどうせ美術館を出たら忘れちゃうんだろ? うむ、すごかったなーという「作品」としての印象は残るかもしれないが。次は堀尾貞治。震災がテーマのパステルドローイング。これも現場との乖離がキツい。グチャグチャの絵にしか見えん。これを見て、「すごい災害だったんですねえ」と感心する奴は偽善者であろう……いや、まあ、こうしか描けなかったということで間接的な印象は持つかもしれないが。宮尾隆司の神戸震災の写真があり、この辺で震災ものはいったん終わって、ジリアン・ウェアリング。道行く人に今の気分を表したパネルを持ってもらって、その写真を撮るが……「絶望的」とかネガティブなもの3つを展示。意外とそこらの人も不幸せなのか? ホァン・ハイソンの絵画。一見、子供の絵のように見えるが、わざとだ。家族全員顔を手で隠したクリスマス、新郎新婦とキーボードしかいない寂しい結婚式など、冴えない心情あるあるの絵画みたいな感じ。ヘルムット・スタラーツ。顔を覆って酸素を吸う、みたいな現代の息苦しさみたいな絵画。ミリアム・カーンは原爆を水彩の鮮やかなので描く。武田慎平は。311被災地に行って、そこの土を敷いて、印画紙に放射線で露光させたプリント。星空のようだが星空じゃないぞ。二本松城とはやま湖の放射線量はヤバいぜっ。平川恒太「ブラックカラータイマー」これは面白かった。何か? 108つの電波時計を黒く塗って、そこに原発の作業員(マスク付き)を黒で描く。108つ全部の時計が動いていて、カチコチ音を立てているのがポイント。耳を澄ませば何とも言えん気分になる。そうだ感じるんだ。ミロスワフ・バウカ「石鹸の通路」文字通り、通路の左右に石鹸の固まりが塗ってある。ナチスのガス室に行く時に石鹸を渡されたんだそうで、そのモチーフだそうで。アイザック・ジュリアンはインタビューもののインスタレーションだが……長いのでパスしちゃった。トーマス・デマンド「制御室」は福島の原発の制御室の実物大模型の写真。オリバー・ラリックは、ミサイル発射のおもしろ合成写真。政府が既に、写真で嘘コいてたんで対抗して。そして我が国の池田学「予兆」さすが、超細密画。北斎の「神奈川沖浪裏」がモチーフっぽいが、大画面かつ細かいもので、どの一部をとっても何かの表情がある一つの絵になっている。恐るべき画家よ。藤井光「第一の真実」アテネで80体の男達の死体が出た。それは遙か昔のものだが、なぜ死んだかは分からない。分かる範囲を現代の人で再現パフォーマンス、その映像。要は80人が、理由も分からず死んでいく。パフォーマンスは、かの折元立身の「処刑」を彷彿とさせる(オレ参加者だお)。モナ・ハトゥム「ミスバー(ランプ)」文字通りランプ。回転すると兵士が映る。どーせアラブといえば兵士なんでしょとお怒りの様子。

セクションⅡ 「破壊からの創造-美術の力」
アイウェイウェイ「オデッセイ」ギリシアの投機風の平面的人物で埋め尽くされた大規模絵画……なんだけど、デジタルプリントがミソですな。コピペとか使ってそうで。あと、ここにも「神奈川沖浪裏」のモチーフが。さすが北斎。ハレ・ホウラニ。「パレスチナのピカソ」というビデオ記録。パレスチナとイスラエルが入り乱れる。展示は困難を極めたそうだ。アメリカが嫌いだから、アメリカと仲のいいイスラエルは悪、パレスチナは善ってな認識の人がおるが、あれはそう単純じゃなかろうよ。エヴァ&フフランコ・マッテス「プランC」チェルノブイリの使えない遊具の回収再生など。シェバ・チャッチは反ダウリー制度の写真。インド(の一部かな)では新婦が新郎に大金を貢いだりする制度があったりして、貢げないと殺されたりするんだと。女性差別が厳し過ぎ。そして我が国のChim↑Pom。311の福島原発の敷地内に行って、白旗を揚げ、日の丸を描き、さらにそれを原子力マークにして振るハイリスクなパフォーマンス。やるじゃん。原発にイエローカードもストレートで面白かったがな。カテジナ・シェダー「どうでもいいこと」。これがさりげないが意外と面白い。夫と死別し、何もかもどうでもいいと思っている祖母。しかし金物店の全商品を記憶していたんで、それを一つ一つ描かせる。やがて、どうでもいいなんて言わなくなった。ドローイングは別にうまいものではないが、それにより生きる力を取り戻した事実がナイス。実はどうでもよくない、何か素晴らしいことが一人一人の中に眠っているのだよ、と気づかせる作品。うまい。CATPC&レンゾ・マルテンス。プランテーション労働者のアート集め。チョコレート製のちょっとキモい人形あり。「HYOGO AID '95 by ART」震災復興のチャリティーアートで有名どころが集結って話。あの衝撃の抽象画家、山田正亮がいるのが面白い。高橋雅子「アートで何ができるかではなく、アートで何をするかである」これは震災避難所でのアートワークショップ。こういうのを積極的にやった。じつはこういう活動が生きる力になったりするのだ。加藤翼。被災地のシンボルの灯台を模した構造物を、みんなで引き起こそう、という企画の映像。ジョルズ・ルース。部屋の中にドローイングしてある一点から見ると形が浮き上がる。宮城の被災したカフェでやった。再現のインスタレーションあり。片目で見よ。ヒワ・Kは武器の金属で鐘を作る。逆はよくあるのでリサイクルだ。田中功起。海外の人で反原発ソングを現代風にするワークショップ。どうでもいいけどカントリーというかフォークというか、そんな曲調がダセェーっ。もっとカッコイイ曲にしねえか。米田知子の写真。かつての被災地の今。なんか普通なんだけどかつてここはすごかったんだぞ、というもの。坂茂「紙の大聖堂 模型1/10」ニュージーランドで災害にあって消失した大聖堂に代わって紙で作られた。強化してあるので当分持つ。その大聖堂の模型……なんだけど、デカいし、下から潜って見て、中にいるような感覚になれる。面白い。宮島達男「時の海・東北」おなじみLEDのデジタルカウントダウンアートを東北のあちこちに。それがどんな感じかというものを展示。地面にカウントダウンを散らして置いてある。いやぁ宮島達男は「メガデス」を見てしまうと、それを越えたものにはまず出くわさないんだよなあ。スゥーンの心が痛い構造物。池田学の大作「誕生」……の映像。11/28から本物を展示ですって。そして最後、オノ・ヨーコ「色を加えるペインティング(難民船)」舟が置かれた部屋を青と白のパステルで参加者が自由に描き加えられる……ったって、部屋中もう相当塗り重ねられていて、何を描き加えてもまず目立つものは描けない。原子力マークを描いてみたが、完全に埋没してるのう。

まだ映像で見ていないのもあり、やっぱりこれも十分時間をとって挑んでくれい。
https://www.mori.art.museum/jp/exhibitions/catastrophe/index.html

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2018年11月18日 (日)

笠井誠一展(練馬区立美術館)

この施設は割と近いんで、ほぼ毎回行ってるんですが、年間パスポートでもないですかねえ……
さて、ポスターを見た限りでは、セザンヌのパチモンかと思ったんですが、まあそういう部分もないではないが、独自の面白さがある。いや、結構面白い。

最初下の階からで展示は年代順。初期は暗い印象派みたいな絵を描いている。デッサンとは物の形を作る仕事、だそうで。最初の「札幌北一条風景」とか暗い。「風景」も暗いフォーヴ(野獣派ってやつです)みたい。「裸婦」も別にナイスバディというわけでもなく、「田園」でやっとちょっと主張っぽいものを感じるかな。「牛と人」は平面的で白が主体で、ちょっとシャガールの幻想画風なところもあるかな。しかしこの辺は総じて地味なもんで、この調子が続いたら鑑賞のテンションも落ちたままであった。

パリへ勉強に行ってシゴかれたそうです。ここからなんかエンジンがかかってきて、太い輪郭線が登場。デュフィっぽいのやらセザンヌっぽいのやらで、要はパリ風味になった感じですかね。「室内」は太い輪郭をバッチキメていて、平面的でもある。太い線を使わない「セーヌ河畔」なんてのもあり、これは手堅い印象派な感じ。でも年代見ると1964年ですって。もう現代美術の時代ですなあ。

階を上がって、帰国して愛知に住む。ちょっと変わった色の自画像。画面は明るくなって、物の形の面白さにこだわり始める。「西瓜とランプ」などの西瓜ものではカットした西瓜の面白さにとりつかれている感じ。いや実際こいつは面白い立体って感じだぞ。「静物(ウクレレのある静物)」はモランディの静物っぽいが、色がカラフル(ってほどでもないが)でモランディで塗り絵やってるみたい。モランディのストイックな画面に比べると、結構好きな色でキメる方が主体。画面はだんだん黄色く明るい様式ができ始めてくる。うむ、面白い。「ストーブとバイオリンがある室内」。静物が登場人物のごとき、室内が舞台のごとき、演劇的な感じもする。笠井劇場みたいな感じか。

「画風の確立」ということで、ここで多視点が出てくる。物を一方向から見ただけでなく、複数の視点を組み合わせて一つの物を表現。例えば「卓上静物」の鍋なんてな、蓋はやや上からのものを描き、側面は割と横から。それを組み合わせる。ちょっとケッタイな絵ができるが、それがまさに描きたかったことだ……って、これってセザンヌの静物そのままじゃないか。解説にセザンヌの名はなかったようだが。ただ、セザンヌの重厚さみたいなものはなく、割と明るく軽めではある。ここで全然違う物が思い浮かぶ。デ・キリコの室内や静物。キリコは「形而上絵画」と呼ぶところの超現実な風景を描いたが、笠井はむしろそれに近いようだ。もしキリコの形而上画を、笠井が日用品で描いたら……なんてところで見ても面白いであろう。「赤いポットとストーブのある室内」なんて、ストーブはもうストーブではなく、デフォルメされて形而上絵画を演出するオブジェみたいな役割になっている。モランディのようなストイックさは感じない。「シュガーポットと洋梨」なんてのも平面的な感じにして、洋梨が立体的だったり。独特の画風が冴えているじゃないか。

学校の先生もやっていた、画業に専念。「ギターと洋梨のある卓上静物」なんていう絵から大きなサイズの絵になっている。「リンゴとコーヒー茶碗のある静物」などはもう果物というより、立体。テーブルを描くと右の縁は画面に垂直、左の縁は斜め、というなんとなくこだわりが見える。
それから様式がキマった作品が続くも、一番最後の「室内」だけは急に写実的な立体となりちょっと驚きだ。最後に、実際に使った静物の実物が並んでいて、ビデオがあって(すまん見てない)終わり。

出だしは地味だが、やはり企画展やるだけあって、進化が面白く、アートの風味は十分だ。
https://www.neribun.or.jp/event/detail_m.cgi?id=201806301530346711

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2018年11月 4日 (日)

「アジアにめざめたら アートが変わる、世界が変わる1960-1990年代」(東京国立近代美術館)

近頃フェルメール展などもあって、アート読み解き厨の「絵を眺めているだけじゃ鑑賞したことになりません。ちゃんと描いてあることの意味を知りましょう」マウンティングがことさらウゼエ。全く知らんではさすがに見ても意味不明かもしれんが、その場の解説レベルで状況をちょこっと知ってりゃいーんだよ……がしかし、このアジアの近現代美術ってのがけっこう厄介でしてな。その国の社会情勢や現状に対するレスポンスとして作品が作られている場合が少なくない。で、そういうのは解説を読まないとそもそも何を意図してるんだかもサッパリ分からないのです。で、今回の企画もそういうものが集まっているだろうなあと思ったらやっぱり集まっていて、大量の解説が載ってる紙をくれる(しかも作品全部じゃないんだぜ)。字が小さいのでローガンには厳しい。鑑賞時間もまともに全部見てると、会社帰りにちょいと、では済まない。

最初にイントロダクション。社会の出来事に対する象徴的な作品を集めたとかで、もうハナっからストレートパンチを食らいますな。最初にある香港のエレン・パウ、天安門事件での首相の発言を茶化したやつ。「何もなしとげられない」のリフレイン。韓国のシン・ハクチョルの絵画は民主化運動がテーマらしいが、これはまあ赤い画面と人々が特徴的で見れば分かる感じ。首ないし。次にクラッカーでできたピンクの銃が積んである。インドネシのアFXハルソン「もしこのクラッカーが本物の銃だったらどうする?」という問いかけ。なんと答えを書けるノートが用意されている。みんなの答えも見れる。あまり見てないが、中には「通報する」なんてマジメな方もいらっしゃいます。オレの答え「ハロウィンの渋谷で配る」やっぱこれだネ! 渋谷ハロウィンの酷い大騒ぎのニュースがまだ記憶に新しい。鬼に金棒、キ○ガイに刃物、泥酔者に拳銃だべ。

イントロが終わって「構造を疑う」というコーナー。今までの美術という構造を疑うというような。「美術の境界」という小テーマから。ここには絵画もあるがパフォーマンス作品もあったりして、タイのアナヒン・ポーサヤーナン「(バンコクのにわとりに美術を説明する)展」ビデオ作品で文字通りのことをしている。動物とのおたわむれでは折元立身のパフォーマンスを思い出すが、片やナンセンス、片や一方的な愛の表現、という違いがあるかな。中国の大同大張。パフォーマンスやインスタレーションの計画を作家や批評家に送りまくる「メールアート」。おお、折元立身もメールアートやってたな。あと河原温にも起きた時間や「自分はまだ生きてる」、をはがきで送りまくるのがあった。
「再物質化」という小テーマ。自然物をなるべくそのまま、みたいな。韓国のイ・テンスクの石ころをひもでくくった作品。それから黒い線の入ったカーテンが下がっている。お、例の火薬の人かと思ったら違った。シンガポールのタン・ダウ。インクと大地と雨水の作品で、火薬の爆発じゃなくて、土の粒子なんだって。韓国のハ・ジョンヒョンはスプリングを使った抽象画。韓国の得意領域の表現。抽象画群は一度オペラシティでまとめて見たことがあるが、なかなかのものであるのよ。あと、おなじみの中西のゴミ卵もここに出ている。
「メディアとしての身体」という小コーナー。体を使ったパフォーマンスなど。在日韓国人の郭徳俊。「自画像」自分の顔をガラスに押しつけるパフォーマンス。ガラスに押しつけられて歪む顔が自分に対する抑圧的な構造を表現してるとかなんとかなんだけど、唇押しつけちゃったりして単にキメエパフォーマンスにしか見えん(ヘイトスピーチじゃないよ。これは誰がやってもキメエよ)。シンガポールのアマンダ・ヘンは顔に字を描くパフォーマンス。バイリンガルで育ってきたが、今ここではこっちにしろ、という強制で自分自身と乖離しちゃうことを表現、だそうで。台湾の張照堂の不気味写真。オノ・ヨーコのおなじみ「カット・ピース」の映像。韓国のイ・ゴニョン「乾パンを食べる」添え木や包帯を使って拘束していくが、それでも乾パンをどうにか食べる。一応政権からの抑圧の表現的な意味はあるらしいが、単にユーチューバーの「拘束されて乾パンを食べてみた」なんていうやってみたシリーズにも見えますな。

「アーティストと都市」のコーナー。ここも「資本主義批判」からハードに始まる。韓国のオ・ユン「マーケッティングⅠ:地獄図」はちょっとマンガ風地獄絵だけど、そこにもコーラとかマキシムとか、海外製品の波が来たってやつ。韓国のパク・プルトン「コーラ火炎瓶」なんて分かりやすいですな。先のタン・ダウのインスタレーション「彼らは犀を密猟し、角を切ってこのドリンクを作った」。漢方薬ドリンクを作るのに密漁。張り子の犀の周りにドリンクの瓶が並ぶ壮観なヤツ。これはパフォーマンスもやっていて、福岡でやった映像が流れる。パフォーマー(本人だよな)が日本語で「♪月が~でたで~た~」とか「ほって、ほって、またほって」とかやりながらのお気楽密漁シーン。密漁だろうがやるヤツはそんな調子さ。中国の王晋「氷」氷ブロックの中にアイテムを入れて壊して持っていかせる。消費社会の欲望が万里の長城風の壁をぶっ壊す様子。
「都市生活を攪乱する」ってことで、パフォーマーも都市の中へ。日本のゼロ次元のパフォーマンス映像……なんか疲れてきてちゃんと見てない。ムカデ競争みたいなのやってた。街の中でのお騒がせパフォーマンス。渋谷ハロウィンの巣窟の中にも、ああいうアートパフォーマーでもいれば面白いだろうが。いたのかな? いた感じはしないよなあ。あとは馬ニンジンみたいなパフォーマンス映像と、韓国のソン・ヌンギョンの新聞記事を切り抜いて建物平面図みたいにしたの……平面図じゃない? 検閲? それから中国の林一林がブロック塀を作って少しずつ移動させて車道を渡るパフォーマンス。全部見てたら面白いだろうなあ。時間がない。あとドキュメンタリー風の映像作品コーナーがあるが、一つが三十分以上あったり、このあたりはもう腰を据えて臨まないとあかん状態。

「新たな連帯」というコーナー。「アート・アクティヴィズムと社会運動」中村宏の絵画「基地」あり。解説は長いが絵だけでもなんかヤバさが分かる。タイ統一美術家戦線の一連の先品はソヴィエトの労働ポスター風。韓国のイム・オクサンの絵画「原野の炎」これも解説は長い(考えさせる)が、何も考えずにも見れる。水墨と火のラインがなかなか美しい。台湾の楊茂林の絵画が、うーん、これもポスターっぽいというか、でもなかなかの迫力でありまして。
「集団行動とアートの実験」主にアートグループの活動記録っぽいもの。
「ジェンダーと社会」主に女性問題がテーマのもの。ジュリー・ルーク「考えるヌード」遠目で目につくヌードの立体。うえへへへなんつって近づくと、結構傷ついている。ううむ、つまり……考えてくれということだ。女性問題といえば日本も酷いと言われるが、やっぱり儒教と家父長制の本場、韓国の方も相当厳しいようだ。韓国の女性アーティストがエグい。キム・インスンの大学の帽子をかぶった女が男の足を洗っている絵。ユン・ソンナムの「手は10本あるが」家事育児ワンオペで10本でも足りねえ。これは分かりやすいっつーか今の日本でもウケるかもしれん。
「歴史と新たな連帯を再考する」うーむ、なんかもう疲れて漫然と見てた。ウォン・ホイ・チョンの絵画「私には夢がある」が、なんとなく「伝わる」ものですかね。最後に香港のエレン・パウ「青」という天安門事件がテーマっぽいが、一見するときれいな映像でしめくくり。

いやー、全部まともに鑑賞していると半日はかかるでしょうなあ。あと最初に書いた通り、社会的な意味を汲み取るべきものも多々あり、心してのぞんでくれい。
http://www.momat.go.jp/am/exhibition/asia/

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