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2018年12月29日 (土)

ロマンティックロシア(Bunkamura ザ・ミュージアム)

国立トレチャコフ美術館所蔵のアヴァンギャルドじゃないロシア美術。レアな企画だぜっ。知らん画家ばかりだっ。時代は19世紀後半から20世紀始めの絵画ですな。

最初は「ロマンティックな風景」ってことで風景画コーナーです。春夏秋冬の小コーナーに分かれている。春……えー実はロシア旅行のツアーに行ったことがあり、ツアー付属のフォークロアショーを見たんですけど、ロシアの春が来たダンスはバカ明るいですねえ。冬が長いもんだから。で、バカ明るい絵画が並んでいるのかと思ったら別に普通だった。イサーク・レヴィタン「樫の木」なんぞ木々が丁寧に描かれていますね。夏が結構いい絵があって、ミハイル・ヤーコヴレフ「花のある静物」オレンジのフォーヴ的な梅原龍三郎的な感じ。それからイワン・シーチキン……じゃないシーシキンって人の、「正午、モスクワ郊外」おおっ、なんか雲が美しいぞ。しかも写実的なんだ。あのう、あるあるっていうか。このシーシキン、マジうめえ。奥行きのある空間と、写実的な自然の描写で魅せる。「雨の樫林」これも奥行きがあっていいですな。空気遠近法だけど不自然さがありませんな。それからニコライ・ドゥボスコイ「静寂」嵐の前の暗い雲……こりゃゲリラ豪雨前ですな。イワン・アイヴァゾフスキーこの人の色使いがなんかこう、イラストっぽいというかファンタジックというか何というか、「海岸、別れ」の日没のオレンジ、「嵐の海」の暗い中にブルーの海とか、少し間違えると品がなくなる。秋の絵は、イワン・ゴリュシュキン=ソロコプドフ(もう名前がわけわからねえ)、「落葉」落ち葉の中の女の人。グリゴーリー・ミャソエードフ「秋の朝」の落葉の写実っぷり……なに、この頃ロシアじゃ写実流行りなのか? 冬の絵はミハイル・ゲルマーシェフ「雪が降った」これも人物が写実的で、アレクセイ・サヴラーソフ「霜の降りた森」雪景色と夕焼けが組み合わさった、ちょっと超現実風の絵。うむ面白い。

次、「ロシアの人々」コーナー。要は人物画。有名人が有名人っぽく描かれているのがしばらく並ぶ。次に女性像が並んでいて、イワン・クラムスコイ「忘れえぬ女」これが、今回ポスターになっている。なんか……マネの絵だと思わせて客寄せに使ってるんじゃあるまいな。まあ、悪くない絵ですよ(たいそう高名な絵だそうですが)。馬車の上か何かですかね、画家からは見上げた角度で、女には見下ろされておる。崇拝しちゃうぞ。それより同作者の「月明かりの夜」の方がね、月光に美女ですからね、象徴派っぽいキメのテーマが冴えている。しかしだ、次のこれだ。ニコライ・カサートキン「柵によりかかる少女」一見どってことない田舎娘が立ってるだけっぽい絵だが……胸がある。何を書いてやがると言うかもしれないが、これは重要だぞ諸君。だって子供じゃないってことじゃん。男目線でイケちゃう絵だべ。ついでによく見ると、長いスカートをはいていながら膝の位置も分かるようになっている……ということは脚や腰も想像できてだな……イヒヒヒ。ま、まあとにかく、この絵は結構印象に残ったものです。これカサートキンの最高傑作の一つと言われたとか何とか解説にあったが、概ね紳士達が言うておろう。

今度は「子供の世界」ということで、子供の絵。ここはアレクサンドル・モラヴォフ「おもちゃ」ごちゃごちゃ子供のおもちゃが置いてあるが、コテコテした赤い色がいかにもロシアですな。アントニーナ・ルジェフスカヤ「楽しいひととき」女性画家だ。踊る子供。後ろ向きでも存在感あり。女性画家はたいそう少なかったそうです。ワシーリー・コマロフ「ワーリャ・ホダセーヴィチの肖像」ん? これ人体のバランスがヘンじゃね? 座ってるんだけど、どうも肘あたりで足が折れてるようだが。服のせいでそう見えるのかな?

「日常と祝祭」コーナー。日常風景っぽいの。コンスタンチン・コローヴィン「小舟にて」ボートの上で自作ポエム(かどうかは分からないがとにかく本)を朗読しているのを、彼女が聞いている。隣、イラリオン・プリャニシニコフ「悲痛なロマンス」どうだい俺の歌は? 早く終わらないかしら。という絵。ウラジミール・マコフスキー「大通りにて」出稼ぎの夫の様子を見に来たら酒飲んでアコーディオンを弾いていたでござる、という絵。なんか切ねえな。ニコライ・タールコフ「朝食」おお印象派だ。

最後「都市と生活」コーナー。ロシアの都市風景など。アレクセイ・サヴラーゾフ「領主の館のあるモスクワ近郊の風景」コローのようだな。

聞いたことない画家ばかりだが。ヨーロッパ勢と劣らんレベルなのでなかなか見れる。
http://www.bunkamura.co.jp/museum/exhibition/18_russia/

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2018年12月24日 (月)

「終わりのむこうへ:廃墟の美術史」(渋谷区立松濤美術館)

これ要するに廃墟の絵画を集めたもの。昔から廃墟に魅力を感じる人は少なくなかったようで、今でも軍艦島ツアーとか廃墟写真集とかありますからねえ。

年代順展示で、2階から。出だしがド・ホーホ「廃墟の背景と人物」これ、よくデ・ホーホっつってなかったっけ。絵は普通。クロード・ロランかと思ったらリチャード・ウィルソン「キケロの別荘」イギリスの人ですかい。こういう理想風景っぽいのを見ると全部ロランあるいはコローに見える。意外なところでアンリ・ルソー「廃墟のある風景」素朴派とか言われて、描画が稚拙とか言われてるが、なかなかどうして、遠近法でちゃんと描いてるじゃねーか。画風もちゃんとあるし、天才的ではあると思うよ。そして廃墟の巨匠ピラネージ。もう今回はこの人の作品群がダントツで、あまり廃墟フェチっぷりに、他の人の作品が廃墟へのこだわりが足りねえなあとか思ってしまうよ。エッチング、エングレーヴィングだから版画でしかもモノクロなんだけど、そういう量産品かどうかもどうでもいいくらいの描き込みと迫力とこだわりがある。「ミネルヴァ・メディカ神殿」を見て、おや? と思ったのは「天空の城ラピュタ」で、乗り込んだところの廃墟に似てるような。もしや宮崎駿はこれを見たか? 「セッテ・バッシ荘、入口の遺構」これなんぞ奥まで遠く続いていて、スケールを感じさせる。大スケールはロマンだっ。「コロセウムの内部」これもピラネージが描くとおなじみコロッセオもひと味違いますな。ワクワクしますな。次へ行ってコンスタブル2枚。中でも「ストーンヘンジ」おお、なんか大地の中の遺跡って感じがいいぞ。がしかし、その後はどうも、ピラネージを見た後だと普通に見える。江戸の銅板画家亜欧堂田善や浮世絵の歌川豊春がいる。一応廃墟の絵なんだけど、洋画のコピーですな。ううむ、なんか盛り上がらんのう、と思ったところ、不染鉄「廃船」おおっ、東京ステーションギャラリーで個展見たぞ。この絵もあったかな。いい絵ですな。小さい家が廃船の巨大さを感じさせるね。あとはいろいろあるが、難波田龍起の「廃墟(最後の審判より)」これがなかなか。これもコロッセオだ。この人、抽象画でよく知られているが、こういう、何を描いてあるか分かる絵も描いてんだ。

地下1階へ。シュールレアリスムのコーナー。おなじみデルヴォーが並ぶ。廃墟というか古代神殿だべ。姫路市美術館から持ってきたもので、よく見かける。特に油彩の「海は近い」デルヴォーの傑作で私は好きなんだがもう何度も見ている。最初に見たのは確か寝不足ですこぶる調子の悪い時で、まるでもうそこが夢の中のようであった。マグリットも1枚「青春の泉」これは……廃墟なのか? 石碑っぽいが。デ・キリコも1枚。日本のシュール絵画の人、北脇昇「章表」うむ、もちっとシュールしてほしい。浜田浜雄「ユパス」ちょっとこれは……ダリの影響ありすぎだろ。時代はだんだん現代へ。今井憲一「バベルの幻想」なんかトリックアートっぽい。鏡の壁の建物……ってこれもう廃墟じゃないじゃん。まあ、建物であって建物でないもの、みたいな。大岩オスカール「動物園」ほう、なかなか。この人もっと大味かと思っていたが。繊細に描くじゃないか。それからもう現代になっていて元田久治の渋谷を廃墟にした絵。あと東京駅の廃墟化。これも東京ステーションギャラリーで見たよな。最後は野又穣。これも渋谷のようだ。空想的街を描いているが、この人空想の塔とか描いてた人だっけ。おお、街も描くんだ。雰囲気もなかなかだ。

というわけでなんちゅーかピラネージパネエってことで。
http://www.shoto-museum.jp/exhibitions/181haikyo/

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2018年12月22日 (土)

フィリップス・コレクション展(三菱一号館美術館)

フィリップス・コレクションといえば、森アーツセンターで見たルノワールの最高傑作(の一つ)であるところの「船遊びの昼食」を所有するところのもので、それが来ないんじゃなあ……とタカをくくっていたんですが、なかなかどうして、さすがのコレクターで、唸るような作品が並ぶ。
普通アーティストの年代順に展示するところを、あえてこの名コレクターの所有した順(だよな)に展示し、フィリップス氏の生き様と共に紹介するという異色にして攻めの展示がナイス。湯水のように金があったわけじゃなく、売っては買いしてコレクションを洗練させるドラマはエキサイティングだぜっ(……って、実はあんまし読んでないんだけど、諸君ならきっと大丈夫さ)。
出品リストのほうは年代順で、展示がこうだからメモるのが大変なのだ。でも展示してある順に話を進めます(全品じゃないが)。

最初はモネ「ヴェトゥイユへの道」うむ、手堅く開始ですな。ドラクロワの「パガニーニ」おお、あのヴァイオリニストのパガニーニですか。こんなヤツでしたか。ちょっと雑っぽいがよき小品という感じで。何しろ三菱一号館なんで、大物をババーンと展示する感じじゃないしな。そもそもドラクロワって大きなヤツがまず日本に来ないんだよなあ。クールベさん「地中海」うん、例の波が描いてあるね。雲もいいね。でもクールベさんならもう少しイケるはずなんだか(……って鑑賞者は勝手なものだな)。シスレー「ルーヴシエンヌの雪」シスレーが雪なんて珍しくない? だいたい川辺なんだが。いや、なかなかいい絵ですよ。シャルダン「プラムを盛った鉢と桃、水差し」出たなロココ時代にあって孤高の静物の巨匠。背景の色いいね。ボナール「犬を抱く女」色を見てボナールかなと思ったらボナールだった。モリゾ「二人の少女」色があの、パステルカラーってヤツ? クールベさん「ムーティエの岩山」筆でザザッと描いてある感じだけど、そこはクールベさんで渋くて暗くて深い。コンスタブル「スタウア河畔にて」ええっ? なにこれ? コンスタブルってこんなアヴァンギャルドなの描いてたの? 白が飛び散ってるぞ。セザンヌ「自画像」時々見るヤツだ。マネ「スペイン舞踊」おっと、何かこれ有名な絵っぽくない? マネのいい感じの人物の存在感。

移動して広い部屋へ。あのう……ところどころにフィリップスさんのコレクター活動記と絵や画家についてのコメントもあるんで、がんばって読んでくれ。ここでは絵についてしか書かんの。さて、ゴヤ「聖ペテロの悔恨」ううむ、いいな。目がいいな。で、その隣がなんとピカソ「闘牛」何描いてあるかよく分からない、でも何かスゴい。というのも実は「ゲルニカ」は同じテーマなのです。牡牛におそわれる牝馬。ピカソは牡牛なもんで、このテーマはなんか悔恨の絵っぽいところがあるのだ。それを意図して並べたんならグッドジョブだぜっ。ルソー「ノートル・ダム」小品ながらなかなかいいぞ。人が一人で寂しいが、それがまたよし。ボナール「棕櫚の木」デカいな。しかしボナール好きなようですなあ。パウル・クレー「養樹園」いい色といい線です(こう書いたって何だか分からんよなあ。いやクレーの「例の調子」なんだが)。ゴッホ「アルルの公園の入り口」全体はイマイチだが部分ではノリノリのゴッホ描線。ジョルジュ・ブラック「レモンとナプキン」このあたりブラック多い。

移動してまた小部屋の連続。ロジェ・ド・ラ・フレネという人、「エンブレム(地球全体)」キュビズムの人らしいが、シンプルな形を組み合わせてなかなか面白い絵を描くじゃないか。今回、知らん画家の絵が結構面白く、フィリップスに選ばれるということは、それだけで何かイイところある、と感じさせるに十分だ。セザンヌ「ザクロと洋梨のあるショウガ壷」おっと手堅い静物。キマっているセザンヌだ。マティス「サン=ミシェル河岸のアトリエ」何がいいのか分かんないけどマティスだな。ラフ裸婦ですな。コロー「ジェンツァーノの眺め」小さい。コローが小さくっちゃあなあ、とか思うけど、絵を見ると照らされてる壁なんかうめーもんだな。いい絵だなとか思っちゃうな。さすがフィリップスさん目利きですなあ。ドガ「稽古する踊り子」ドガにしちゃなかなか大きめの絵ですね。らしいし。シャイム・スーティンって人「嵐の後の下校」ルオー風か、いやフォーヴか、いやこういうものだ。いいよ。ドラクロワ「海からあがる馬」これも小品だが……やっぱお高いんですかねえ。デュフィ「画家のアトリエ」一瞬誰の絵かと思ったがなるほどデュフィか。水色がいい味出してる。カンディンスキー「連続」字みたいな生き物みたいなのが並ぶヤツ。

撮影可能部屋を通り、階段を下りて、ゴッホ「道路工夫」レモン色系でクセのない味わいのゴッホです。アングル「水浴の女(小)」有名な「トルコ風呂」の一部でもある背中向けた裸婦……え? これの大きめのヤツもあるの? まあいいや。小さいがエッセンスは感じる。モディリアーニ「エレナ・パヴォロスキー」おや、なんとなく目玉が描いてあるぞ。いつも白目なのに。ブラック「フィロデンドロン」おおっ。なんかイイぞ。キュビズムじゃない。平面的にして面白い。ブラックは結構あるが、実は我々、ブラックを知らなすぎではなかろうか。キュビズムでピカソとつるんでたオマケの人、ぐらいしか認識がないのは、ちょと過小評価じゃね? こないだ見たジュエリーもなかなかだったし。要再評価だ。ルオー「ヴェルレーヌ」彼らしい。なかなか大きい。人物だ。ブラック「ウォッシュスタンド」これも見事だ。

移動して最後の部屋の並びへ。ゴーガン「ハム」ちょっとハムっぽさが……それより次のスーティン。「雉」おおっ、死んでる。死は暴力だと、モランディ「静物」例のヤツ。ユトリロ「テアトル広場」例の……いや、ちょっと黄色っぽい。ここでグループ「青騎士」の3名。カンベンドンク「村の大通り」なにこれいいじゃん。シャガール風で単純化してて。マルク「森の中の鹿Ⅰ」うむ、カンディンスキー「白い縁のある絵のための下絵Ⅰ」幾何学形状を使ってなかった頃。ブラック「鳥」おや、これはアクセサリーにしてなかったか。ジャコメッティのデカい頭あり。モネ「ヴァル=サン=ニコラ、ディエップ近傍(朝)」淡いな。ピカソ3つ「横たわる人」女だ。何だか分からないが色がよい。お尻目立つ。「緑の帽子をかぶった女」立体顔。「グラスと果物のある静物」うむ。最後はドガ「リハーサル室での踊りの稽古」おお、小さいけどイイね。この部屋に差す自然光よ。

手堅い絵から小粒な名作まで、何しろ知らなかった画家まで面白い。絵だけ楽しんでもよし。フィリップス氏の目利きっぷりが十分感じられる。
https://mimt.jp/pc/

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2018年12月16日 (日)

Chim↑Pom グランドオープン(ANOMALY)

ANOMALY(アノマリー)というギャラリーが新たにオープンし、文字通りグランドオープンの企画がこのChim↑Pomの「グランドオープン」なのです。この寺田倉庫ってんですかね、初めて行ったんだけど、それこそ入り口が倉庫で一瞬分からず、貨物用エレベーターで上がって4Fという妙なアクセスだ。

Chim↑Pomといえば先日イベント主体の企画「にんげんレストラン」を新宿歌舞伎町でやっていて……見落とした。だから高円寺の「道が拓ける」以来となる。広島上空に飛行機で「ピカッ」と描いてヒンシュクを買って幾年月、いや、私はあの作品嫌いじゃないよ。あれほど原爆の風化を突きつけられた作品はないからなあ。あれに憤る人も本当に憤るだけのモノを自分の中に持っているか? いやぁ持っている人は少ないと思うね。ともあれ、あれ以降、岡本太郎の「明日の神話」に原爆事故の絵をゲリラ的に付け足しとか、福島の汚染地での活動もあったけど、なんとなくだんだんスケールが落っこちてきてる感じもしないでもない。ただ、道を探っているのも確かで、きっと今に何かやってくれるだろうという期待はあるのだ。

で、展示は倉庫のアートスペースみたいなところ。おっ、オープンの花輪があるな。会場に入ると右側にアスファルトの道。目の前にベニヤ板に描いた「ファーストキス」……なんかしりあがり寿みたいな感じだ。ビデオ作品があるが、コントラストが低くて音声しか分からず車に乗っているらしいが何やっているかよく分からぬ。次、「ビルバーガー」。これは「にんげんレストラン」のビルで使われていたゴミというか残留物。要はガラクタをバーガー状に積んだ……ってゴミを積んだだけじゃん。近代美術館でゴミを集積して固めた作品を見たが、ありゃ誰のだっけな。「グランドオープン展」完成予想図というのがあって、ウェブサイトに出ている絵ですな。当然ながら絵と似ても似つかない。「にんげんレストラン」のドキュメントがあるが先客が居座っていてなかなか見れず。ユルいゴミ箱あり。「Chim↑Pomポートレート(青)」という絵があるがこれもユルい。部屋の隅に「原爆の残り火」……小さい炎だが、ここだけ空間が控えめだ。「Piss Building」コンクリートの固まりのようだが……オシッコを使っただと? シッコを作品に使うの自体は前代未聞でもないが、これは腐食感が高い。「Chim↑Pomのための公衆トイレ」……小さい陶器の便器が置いてあるだけに見えるが……廃水口の奥があるな。「Nice Park」ナイキの遊具じゃん。解説を見るとアディダス主催のグループ展に出したって。ナイキが命名権を獲得した公園のホームレス撤去問題にからめているそうだ。解説読むとホホーとか思う。黒デメキンの水槽。「マジックキングダムウォーター」今回一番エキサイティングだったのがこれ。なんか足場の階段上っていくんだけど、結構怖い。上がってディズニーランドで汲んだ水が瓶に入れて展示してあるが、そこもなんか油断していると下に落ちそうな感じで。しかもイルミでチカチカしてて、めまい起きそう起きたら落ちそうで中年にはハナハダ怖いです。いや面白かったけどね。

会場を出てもう一つ「Super Rat -Hollowed Out-」ネズミの巣みたいな塊にピカチュー風に黄色く彩色されたネズミの剥製。渋谷のネズミをおもしろ剥製にした傑作の最新版のようだ。で、最初に見たオープンの花輪をよく見ると、あれ思い切りChim↑Pomの手作りだ。鶴が串刺しだ。キッチュだっ。それから絵画や写真のスペースもあって(売ってるのかな)。前から知ってたけどメンバーのエリイがキリスト像にキスしている写真。いわゆる劣情を催す感じなもので、いいのかこれというヤバさがある。ここでふと折元立身の「パン人間」を思い出す。パンはキリスト教圏では特別な意味があるので、そこの人から見るとパン人間というのはグロテスクな存在なんだそうだ。そしてこれは日本人だから臆面もなくできる表現だと。このエリイのキス写真もそんなところがあるような気がするね。

ヤジウマとしてはChim↑Pomにはまた何か派手なコトを起こしてほしいと思っているし期待している。賛否両論上等で。
http://anomalytokyo.com/exhibition/chimpom-grandopen/

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2018年12月10日 (月)

吉村芳生 超絶技巧を超えて(東京ステーションギャラリー)

これはマジでヤバい! 私は力業とか結構好きなんだが、その期待に応えて余りある狂気スレスレのパワードローイングにもう大騒ぎだぜ。しかもほとんど鉛筆とか色鉛筆、マジかよこれ。

最初にある「365日の自画像」見かけはほとんど写真だがなんと鉛筆画。毎日の自分の顔を描いている。おおっ! 実は毎日写真に撮ってそれをトレース、なもんで、写実画とはちょっと違うかもしれないが、毎日毎日の連続した365日分の顔が並ぶ様はインパクト十分。ちなみにこれを全部描くのに9年かかったって(ほかの仕事もしつつだそうだが)。「ドローイング 金網」は、17メートルに渡って鉛筆で細密に描かれたただの金網。金網だけでそれ以外の何物でもなく、それが17メートル。もうあまりのことに笑いがこみ上げてくる。まあ、これも版画の技法を使って一旦紙に載せてトレースで作っているらしいが、それにしたって凄すぎる。「友達シリーズ」これは友達の写真をそのまま鉛筆画に。これもほぼ写真じゃん。「ドローイング 新聞 ジャパンタイムズ」新聞をまんま描いたもの。これもアルミを介して転写してトレース。このあたりで、ただの転写には飽きてしまい、写真を細かいマス目に区切り、それぞれのマスで明るさを10段階ぐらいに決め、数字を記入し、それに応じたハッチ(斜線)で別の紙に描いていくという、気が遠くなるような作業で作られた作品が並ぶ。「河原」という河原の風景や「FLY」という蠅など。中でも「ジーンズ」これはGパンの腰の部分を拡大した作品だが、元となる写真、細かい数値を記入した「下絵(数字)」があり、最終作品も出ていて、その膨大な制作プロセスを確認できる。解説の紙ももらえるから家でも確認できるぞ。しかし、作業としては機械的で、今時ならフォトレタッチソフトでできてしまいそうだ。でもそんなソフトもない時代に、その効果の画面を作ったのだ。人間フォトレタッチソフトウエア。

「徳地・冬の幻影」が超異色作。一見繁る草を鉛筆で描いている感じだが、これがだまし絵というか隠し絵になっていて、そこらじゅうに犬の顔やら龍の顔やら、人の姿が確認できる。何かいるような気配……やっぱりいた、という効果。でもこういうのはこの1作。

階を降りて、今までモノクロだったのが、いきなり鮮やかな花の世界。これは実は長いスランプがあって、その後にこうなったらしい。もちろん今度は色鉛筆使用。「ケシ」は花が異様に鮮やか。「ヒマワリ」に至っては鮮やかだけでなく、ザワザワしてキモいレベル。普通に描くだけじゃ飽き足らなく、表面をわざとこすってダメージを与え、ちょっと普通でない感じを出す。「フジ」とか。それから「コスモス(絶筆)」は最後の作品なんだけど。なんと全体のイメージから描いてるのではなく。大画面の左から描いていって、途中で終わっている。まるでインクジェットプリンターが途中で止まった感じ。大画面のこの作り方にも驚きだ。「未知なる世界からの視点」これは10メートルの大作。水に映る草花なんだけど、上下反転させたものを完成としたため、何か超現実世界の絵画のようだ。「無数の輝く生命に捧ぐ」は写真からトレースしている藤の花。写真は金網越しだが金網は描かず、複数写真を組み合わせているから実景でもない。元写真も展示中。見事にアレンジして完成させている。

それから最後は「自画像の森」ということで自画像だらけ。カラー写真からトレースしたものいくつか。しかし何といっても、新聞と組み合わせたの「新聞と自画像」シリーズが秀逸だ。拡大した新聞紙面に顔が浮かぶが、なんと新聞ごと描いているのです。文面の文字や広告まで丁寧に描いているではないか。これは2.7倍に拡大した新聞をカーボン紙で写して、それをトレースしたんだって。しかしその手間は凄い。311の新聞ではそれなりの表情をしている。「新聞と自画像2009年」全364点。2009年、元旦を除いて毎日毎日新聞に自画像を描いたそうな(さすがに新聞ごとは描いていない)。新聞紙面に反応したような百面相が面白い。新型インプルが出てきた時はマスクしている。インフルが流行れば赤い顔になった。それにしても364枚とは壮観だ。しかし、さらに上があって、2011年にパリに1年間滞在したが、その時にほとんど外に出ずに、新聞紙面に自画像を描いていた。その数なんと1000点。これは一部しか展示されていない。展示は残りが積んである。

写真や版画技法も使っているので、正統的な写実画好きにはちょっと邪道っぽく感じるかもしれない。が、膨大な手間をかけて作られた作品群には驚くしかない。
http://www.ejrcf.or.jp/gallery/exhibition/201811_yoshimura.html

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2018年12月 5日 (水)

ムンク展(東京都美術館)

混んでると思って平日に仕事休んで行ったが、そこそこ混んでいる。だいだいババアが多いよな。
ムンクはノルウェーの画家だって、初めて知った(おいおい)。

最初は「ムンクとは誰か」というコーナーで、自画像がよく並ぶ。ムンクは自画像が多かったんだって。最初の「自画像」は首だけのヤツ。「地獄の自画像」これ、いいね。この目や口があるようなないような感じがムンクってるぜっ。「スペイン風邪の後の自画像」病み上がりじゃなくて、単にヤバい顔のっぽい人。それから何やら写真が並ぶが、やっぱり絵の方がええ。

「家族 - 死と喪失」のコーナー。姉を亡くしたもんで、死ぬとかいうテーマが重要になる。「死せる母とその子」はエッチングだがなんとなくマンガ風。「臨終の床」はいい感じに病んできて、壁の模様が顔だったりする。「死と春」は油彩だが死んでるというより寝てる風。しかし何といっても「病める子Ⅰ」の連作。2つほとんど同じ絵が並んでいるが色合いが全く違う。ここで「ん?」と思ったのは、アレに似ているんだよ。アンディ・ウォーホル。なにそれ全然違うじゃんと思うかもしれないが、色味の違う「病める子Ⅰ」が2つ並んでいるところをちょっと離れてみると、おおウォーホルだ。しかもウォーホルも、マリリンとか電気椅子とか、死を彷彿させるモチーフを並べたりしているんだじぇ。もしかしてウォーホル、これを見たんじゃないか? と、時代も何も全然違うが、何か近いものを感じちゃうんだ。いろんな人の肖像画に手を出しちゃうのもウォーホル風だし。

「夏の夜 - 孤独と憂鬱」のコーナー、「夏の夜、渚のインゲル」……うむ、普通にうまい。「夏の夜、人魚」人魚だけど顔がムンク顔だ。おなじみ棒状の月もある。水面に映る月の光がつながって棒になっているヤツ。この月、なかなか好きなんだ。「幻影」小さい作品だけど、これはマジでヤバい。白鳥とこの顔! 「夏の夜、声」もなかなか病んでいてアウトサイダーアートっぽい人物がいい。「星空の下で」これもいいね。女の人を抱いているのは死神じゃん。「浜辺にいる二人の女」……って、これは女と死神じゃんどう見ても。「神秘の浜辺」では棒状の月が出ている。

いよいよ「魂の叫び」コーナーで、目玉の「叫び」が登場。展示方法はフェルメールの青ターバンと同じで、最前列は並んで移動しながら、その後ろにロープを張ってその後ろは好きに見ていい。並びは多くなかったんで、まず最前列で移動しつつ見て、その後ロープの後ろからも見る……ううむ暗いな。絵の雰囲気が暗いというんじゃなくて、照明が暗い。保存のためか……にしても、なんとなーく、コレジャナイ感がある。なんでだろうか。「叫び」は何種類かあって(解説パネルあるよ)、どうもこれは一番有名なヤツじゃないようだ。じゃあ何が違うのかというと、見たところ、橋の欄干の陰影と、あとは目なんだな。有名なヤツは目に点々があって、叫び声に震え上がってはいるものの一応生気があるが、今回のは、目は白い、なんとなくカラッポ。あとちょっとラフかな。印象はそれなりに違う。「不安」という「叫び」と同じ場所の絵があるが、木版なんだ。これ油彩のヤツ見たことあるよ。いい絵だったよ。いつのムンク展だったかな。西美だったっけな。「絶望」も同じ場所だ。

「接吻、吸血鬼、マドンナ」コーナー。ムンクこだわりのテーマを連打で見せるぜっ。まずは「マドンナ」、ムンクにしちゃまっとうな美女の絵。何種類もあるが、有名なのは精子と胎児がいるヤツな。石版の石もあるじゃないか。「接吻」もこだわりのテーマ。接吻で顔が溶け合っているというもの。これの非常に面白いのは最初のエッチング・ドライポイントのヤツ。多分一番最初のだと思うのだが、これがなんかスケッチ風でナマナマしい。男女裸だし。顔は一応溶け合っているが、この状態だと体も溶け合っていないとどうもおかしいが、それでは描きたいテーマと違うと見たか、あとの絵ではちゃんと服を着せている。絵は抽象に近くなり……かといって抽象は描かないムンクであった。「吸血鬼」も女が男にかぶりつくテーマだが、ナマナマしさがない。

「男と女」のコーナー。ムンクは絵を描くのには孤独が必要だとか言って結婚しなかったそうな。「目の中の目」は顔が病んでいる。男は死にそうじゃ。「嫉妬」「可愛い娘のところへ」の緑の部屋シリーズはイマイチ。なんとなく雰囲気が明るすぎ。「クピドとプシュケ」……神話がテーマのはずだがもうどうでもよくて、これってただのただならぬ男女じゃねーか。「マラーの詩」いいじゃん。ラフで裸婦で病んでいて、血が飛び散ってる。「すすり泣く女」……この女、デカいな。「すすり泣く裸婦」まあいいんじゃないの。顔もはっきりしないけど。「生命のダンス」これは面白いぞ。中央の男女は……ダンスしてねえじゃん。男は相変わらず目鼻のないような顔つき。なんだか女吸血鬼に襲われる寸前みたいだな。左右の女性がなんかしっかりしていて、主役をうまいこと引き立てている感じだ。

「肖像画」コーナー。ニーチェが好きだったそうで、そのニーチェを描いた絵。後は肖像画いくつか。「青いエプロンをつけた二人の少女」……萌えねえな……

「躍動する風景」コーナー。「太陽」は明るく眩しくてまっとうすぎる。「失踪する馬」は……馬のアクションをつけようとして……ウマくない。なんか素朴派の絵のようですな。

「画家の晩年」結構長生きしている。「浜辺にいる二人の少女」焼き直しっぽさが抜けねえ。「星月夜」これはいいですね。青い画面が。

ムンク全体を通して見るのにはいいが何か物足りない。なんでだ? 「叫び」に期待しすぎたか。
https://munch2018.jp/

余談だが少し前に池袋パルコでやっていた(今はやっていない)関連企画(みたいな)「ニュウ・ムンク展」に行ってしまい、がっかりした記憶も新しい。チャラいポスターを見て察しがつきそうなもんだが、つい行っちまってな。いやヒデエもんだった……いや全部が全部ひどくはないよ、面白いのもあったよ。でもね、JUN OSONとかいうヤツの作品は中指突き立てたいレベルで、だいたいムンクの「叫び」は叫んでる絵じゃねーんだよ(分かってやってるとか言いそうだが)。それだけならともかくなんだよあれは「みんな叫びたいでしょ、叫んじゃおうよ、みんな一緒だよ。きゃー」みたいな。この共感というかお仲間というかみんなお友達というかみんなでワイワイというか、いやそれだって悪くはなかろうが、それはもうムンクの孤独なる姿勢とは対極にあるじゃねーか。ぬぁにがインスパイアだっちゅーの。

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