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2019年1月27日 (日)

イケムラレイコ 土と星(国立新美術館)

以前東京国立近代美術館で個展をやっていたが、彫刻作品が多かった記憶がある。それがスケールアップして国立新美術館に登場。価格をどうこう言うのもナンだが、1000円でこの内容とクオリティは実に安い。知名度のせいか今のところ混んでいないので、ガッツリアート空間を享受することができる。1600円で人混みに突撃するよりいい体験ができるはずだぞ。
また作品脇のキャプションがなく、テキストは全て配布されるという近頃の流れに沿っている。これもなかなかよい。

テーマ順の展示で、最初「プロローグ」。「樹の愛」という二重螺旋状の立体作品、あと「生命の循環」というエッチング作品のパネル。パネルは言葉も多用されているので、命とはなんぞやみたいに、いろいろ考えることができますな。

「原風景」のコーナー。これはまだ初期という感じ。抽象画が並んでいて混沌としている。次に「有機と無機」コーナーで粘土を用いた彫刻群。「柱Ⅱ」といった装飾柱そのままの作品、「立って」とか「黄色いミコを抱いたダークフィギュア」という定番となる首なし人物、「オトコイエ」と「オンナイエ」という家っぽい作品があって、これは凹凸で合体できるようだ。「トゥルムヴルム(虫の塔)」はまるでチ○コ……いやいやいや違うだろねじれているんだから。しかしフロイト的に長くそそり立つモノはだな……まあいいや先行こう。ところどころ壁にポエムが書いてある。

「ドローイングの世界」。主に木炭でババッと描いた落描きのようなもの。一つ一つちょっとした芸術的意図がある。アーティストたるもの、こういうのは湯水のように生み出せるのだなあ。たくさんあるもんで、かの折元立身を思い出させる……まあ、あれほどではないが。「はァ」というのがウサギの耳がまるでチ○コ……またそこかよ。アクリルが「タランチュラ」というのがあって……クモだよな。でも顔が人っぽいし、足もただ長くとんがっている出っ張りでしかないようで、うーんこの時点で「絵はあんましうまくねえな」などと思ってしまった。全体にセンスとしては「ルドンの黒」に近い感じで、思わぬところに顔がある、みたいなものかな。

「少女」のコーナー。やっぱり最初に目につくのは立体作品「ミコを抱いて横たわる」長いスカートをはいてはいるがその中は空っぽ。そして首がないのと、顔を地面に押しつけているのという2体。(悩める?)少女の心象人物像。ううむ……鑑賞者が女性なら何か共感するところがあるのかもしれんが、こちらは野郎なもので、なんだスカートの中カラッポかよと……いやいやいや別にそういう視点ばかりで見ているわけではないんですが、次行こう。少女を描いた油彩作品が並ぶ「黒の中に立って」一見カワイイんだが、多分このぼんやりした表現が心象でしょうなあ。「赤の中に臥して」。「横たわる少女」「黒の中に横臥して」いずれも少女を表現する型を持っているね。「舞い降りて」なんていう上から降りてくる感じの絵もあるぞ。この時点で「おお、絵もできるじゃん」と思う。

次は「アマゾン」という部屋で、まず「シャドウガール」が壁に並ぶ。これは水彩絵の具のたらし込みで少女の影を描いたもの。これはなかなか「おっ」と思わせるものを持っている。そして部屋の中は「アマゾン」という一連の武装女性像がドーンと並ぶインスタレーション。音も鳴っている。これはかのアマゾネスだよな。見て思うのは「シャドウガール」あってこそのこのインスタレーションだと思う次第である。しかしなんていうかさっきから女性を強調してくるね。女性アーティストあるいは女性作家には「私は人間である。そして『おんな』である」といった女性を強調する立ち位置で創作している方が少なからずいると思う次第です。この世が男性社会だから? うーん、それだけじゃないと思うんだが。

「戦い」のコーナー。ここも絵画。「カミカゼ」という飛行機と軍艦っぽい(シルエットに近い)絵があるが、とりたてて反戦といった意図はなさそうだ……え? カミカゼの写真を元にしたって? 「パシフィック・オーシャン」「パシフィック・レッド」これは、なかなかいい海の風景画ですよ。実景じゃなくて心象ですが。

「うさぎ観音」の部屋。デカい「うさぎ観音Ⅱ」の立体。プロジェクターで壁に「いずこでもない」という映像作品。それだけじゃなくて詩の朗読音声が流れている。ん? 誰が読んでんだ? 本人? いやぁ声がちょっと若い感じだぞ。オレに代われ。オレが読んだ方がウマい(一応ポエトリーリーディングのキャリアだけはある)。まあ、朗読だけ目立ってもナンだし、あとこの作品、東日本大震災がテーマだそうで、もしかしたら朗読しているのもそうした関係者の方かもしれませんな。

「山」というコーナー。「フジフェイス」という山と顔が解け合ったような粘土作品。ヤバいぜっ。「ベルリン地平線」は砂漠風。なかなかいいね。通路に入って外を見ると、おお、外にもデカい「うさぎ観音」が。ガラス越しに見るだけで近くには寄れないが、別に問題ない。それから「木」のコーナー。「木の愛」という連作。やっぱ木と顔の合致。あの、ルドンっぽいのが不気味でいいですな。次には「炎」のコーナー。おや、高島野十郎みたいな炎の連作があるぞ、と思ったら「シャドウヘア」。なんと女性の髪が逆立って炎のようになっている。これは面白い。この手があったか。

「地平線」コーナー。「オーシャンⅠ」から「オーシャンⅢ」まで、少女も描かれている海辺の作品。といっても先の少女に近い。ぼんやりした存在。「無」では暗い空の下の海岸のようなもので、地平線かというとそうかもしれないが、違うかもしれない。となりに「メメント・モリ」のコーナー。いきなり「メメント・モリ」という彫刻。抜け殻のような白い人物像。その背景には「快楽の園」のプロジェクター投影。抜け殻人物が引き立つもので、結構クるものがある。「花」という写真連作。エゴン・シーレの描く枯れかけの花のような作品群。シーレの方が生命力はあるようで、こちらはまさにメメント・モリ的な存在。「メメント・モリⅢ」はただの塊にしか見えん。

最後に「コズミックスケープ:の部屋。絵画の大作3枚×3。「うねりの春」のうねりはオキーフのような妖しい感じだ。「東海道」おお、箱根ではないか。しかも女の顔が風景に混ざっている。「コロニア」や「始原」は山々を描いている。これでもうエピローグ。「生命の循環」のエッチングなどがあり、終了。

一人のアーティスト世界を堪能できるナイスな企画。見応え十分だ。
http://www.nact.jp/exhibition_special/2018/Ikemura2019/

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2019年1月21日 (月)

In a Gamescape(ICC)

ヴィデオゲームは時に社会のあり方を映し出すとかなんとかで、ヴィデオゲームを使ったアート表現とか、アートっぽいヴィデオゲームとかで構成されるナイスな企画だ。
しかし当然ながら、動画作品も多いし、ゲームそのものが出ていたりする。一つ一つを全部エンジョイしていくと膨大な時間がかかる……のためかどうか、入場券は2度入れるのだ。

最初にミルトス・マネタスのファミコンレベルの動画を使ったアート作品でマリオが寝ているところと、水の上を飛行機が走るの。JODIの「ストリート・リーガル」はゲーム空間の中の車のスピンを延々映す。Playblesの「Plug & Play」と「Coin」はモノクロの風変わりなゲームだが実際遊べる。うむ、一応面白い。それにしても……こういうのはやっぱりmacで動いてるな。マウスが1ボタンというので分かるね。和田淳「マイエクササイズ」ボタンを押すと画面の中の人が腹筋するが腹筋を続けていくといろいろ状況が変化する……って、実際見ないと分からないよな。ジョナサン・ヴィネルはゲーム空間を使ったヴィデオアート作品つまり動画。ポエムと暴力的シーンで魅せる。ゲーム空間でありながらポエジー。山内祥太「ZONE EATER」VRを使った体験型で予約してやる……んだけど、やんなかった。なんとなれば、そうっ、オレは映像酔いしやすい。めちゃくちゃ弱い……って、じゃあそもそもこういう企画に来たらダメじゃん。はい、来てから思い出した。もうこのあたりでほろ酔い。

それから結構ゲームそのものが並んでいる……ったってアートっぽいヤツね。それからイップ・ユック=ユーの「九龍の憂鬱な一日」「プラスチック・ガーデン」いずれもゲーム空間の風景動画。仮想空間の九龍城は見ものですな。ブレント・ワタナベは、オープンワールドの空間内でAIを使って動き回る一匹の鹿を追いかけたもの。なんとなく野生って感じがして面白い。ハルン・ファロッキはゲーム空間特有の現象の解説の動画作品。木はどう表現されてきたか、最初は動かない線だけだったが、今や仮想空間内の風に葉が揺れるんだぜ。実写と変わんない。あと水面がサーフェス(面)で、その下に空間があるとか、そんな解説。アブドゥッラー・カラムはRPGツクールで作った社会派RPGゲーム。実際できるんだが残念なことに英語だ。谷口暁彦「何も起きない」日用品が生活する町の日常風景動画。実写に近いところもなんか驚き。COLL.EO「イタリアからの絵葉書」ゲーム空間のイタリアの風景写真。イタリアであってイタリアではないがいかにもイタリアの絵葉書。好きなの1枚もらえるぞ……ってもらうの忘れた。

今やゲームは異世界の仮想空間を舞台にした何かであって。何やらえらい進化している。それを感じただけでも、いいじゃないか(映像酔いしながら)。
http://www.ntticc.or.jp/ja/exhibitions/2018/in-a-gamescape/

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2019年1月 6日 (日)

ソフィ・カル ─ 限局性激痛(原美術館)

前のリー・キットの最終日に行き、このソフィ・カルの初日に行く。だからナニというもんでもないが、ついこないだ行ったばかりって感じの原美術館。
展示全体で一つの作品のようなもので、1階の第1部と2階の第2部に分かれる。第2部は前にどこかで(というか多分ここで)見た……いや、その一部だったかな。でも今回はこの作品の全体が見れるというわけだ。
自分の失恋をネタに作品を生み出す。いやー、いますよ詩人でも文章書きでもアーティストでもそういうお方が。曰く「人生全てネタ」そういう人に限ってちゃんと痛いネタが降ってくる。というか、ネタに貪欲であくまで自分中心なもんだから痛いネタになるような目にあってしまう、という感じもしないでもないです。

ソフィ・カルには恋人の彼氏がいたが、ソフィは日本に3ヶ月滞在できる奨学金を得た。恋人には行くな行ったら別れちゃうとか止められたが、結局行ってしまう。恋人を試す気もあったようななかったような。ともあれ、その間は会えない。日本であちこち訪問し、彼とはラブラブな感じの文通があったりもする。3ヶ月経ってインドで会えるはずがすっぽかされ、ホテルの電話で実は好きな人ができたなどと言われて、もはやそれまで。この酷いダメージから回復するべく、作品を手がける。

第一部は、失恋前3ヶ月間の記録。日本での写真が多い。あとになって中国とかロシアとか、そんなものも出てくる。日本では京都のどこそこなんかあったり、珍しいのか映画のポスターの写真なんかもある。ところどころ手紙の文面(和訳あり)が提示される……が、この段階で、どうもあまりうまくいってない危うい感じもないではない。ただ、それより重要なのは、全ての写真や手紙などの記録に、「DAYS TO UNHAPPINESS」という番号付きのスタンプがバーンと押されているのです。相当頭にきているというか、やりきれないというか、そういうものがヒシヒシ迫ってくる……というかなんていうかな、ボディブローを食らって(実際食らったことはないが)見てるとだんだん苦しくなってくる感じ。自分を捨てた相手との記録をスタズタに破いて捨てるんじゃなくて。あえてこうしてネチネチと(って言い方もナンだが)出すところがアーティストだ……相手はたまったもんじゃないが、相手もアーティストだったりするのでオッケーさ。

それで階段上がって第2部は、その別れの電話を食らったニューデリー(だよな)のホテルの一室がまず実物そっくりに再現されている。それでソフィは失恋後何をしたかというと、自分のこの一件を誰かに話し、相手の不幸な話を聞いて、一組に写真付きパネルで提示する。パネルが日本語なんだが、見たところ印刷とかでなくちゃんと書いてあるっぽい。一度軽く印刷して、その上からソフィ・カルが絵の具でなぞったのかな。自分の失恋のパートはホテルの部屋の写真と同じような文章がある。「私は○日前、恋人に捨てられた……」ってな出だしのヤツが何度も繰り返されるのだが、だんだんその何日前というのが増えてくる。つまり過去になってくるんですな。同時にその内容も具体的なものから、だんだん端折られてきて、最後の方では「ありふれた話」になり、文字の方も背景に溶けていく。こうして立ち直っていくのだ。90日かかっている。人から聞いた不幸話の方はいろいろで、別れた話や身内が死んだ話など、写真も添えられてる(話した人の写真ではない)。

女性はこの立ち直りのプロセスと手段にかなり共感できると思える。女は失恋しても、長く引きずらず前に進むリアリストだそうで。一方男性はこのような潔い立ち直りの手段は取れない気がする。男はどうもロマンティストで傷ついても奇跡を期待し空想に遊んだりするためどうにも未練がましかったりする……ってもちろん全員が全員そうじゃないだろうけど。

最初の部屋に収蔵品が出ていたり、おなじみ常設もちゃんとある。
http://www.haramuseum.or.jp/jp/hara/exhibition/382/

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2019年1月 3日 (木)

バッドアート美術館展(ギャラリーアーモ)

ヘタクソとか意味不明を通り越して人を惹きつける「バッド」なアートを集めた美術館が実際にボストンにあるんだって。そのナイスな作品群を展示。点数は結構多い。
バッドアートをナメてはいけない。その頂点とも言えるのは、スペインのさる教会の「あの」キリストの修復画といっていいと思います(多分知ってると思うが)。あのバッドな1枚を見に世界中から人が来てしまうんだぜ。
そんなわけで、まじめに描いた(←ここが重要)ヘンテコな絵が並ぶ。また、しりあがり寿の絵付きコメントも楽しめる。

最初は「笑像画」つまり肖像。まあいろいろあるんだが、中でも「テレビとの自画像」はケッタイぶりが際立つ。テレビが出てきた時代に描かれたっぽいが、情報摂取の形に対するメッセージを描きたいつもりが、なんかテレビを頭に乗せてる人になっている。いや、このまじめさこそが「いい味」になるのだ。「歪み」という人体がちょっと歪んでいるなんてのは割と普通に見れる。「悲しむ少女」かわいくねえな。「麗しき死体」女体でちょっとグロい表現をするのも割とあるもんで、ここでは割とまっとうな方のアート作品に見えるね。

風景画や静物画。「卵の採掘」シュールな風景としては普通タイプ。なんだよ普通っぽいのが多いなと思ったら、「人工爪」ん? 靴から変な手が生えている。しかも爪。このわけのわからなさがイイな。「緑地」黄色い何かがあるからって解説で「ゲロ」はないでしょ。これは割ときれいめな幻想絵画だと思うがね。「ランプ。C型クランプ、ヤモリ、果樹、卵」……それより星が何かヤバい。「分解された電球、煮詰められた卵、エグザクト・ナイフ、ペッツの空き容器」後ろに工場っぽいものがあり、文明批判っぽいが、それゆえありがちとも言える。おお、そうだ、バッドアート好きなら「九条美術展」に行ってみろ。結構「バッド」なヤツらに逢えるぞ(憲法九条がバッドなのではなく、その高い問題意識と稚拙な表現のギャップが時に「バッド」になるのだ)。「青い顔と緑のトウガラシ」トウガラシが生き物なのだが、わけわからん系。「青神」遠目でダリのようなダブルイメージかと思ったら全然そうではない。単なる海中が顔の絵である。キモい。「美しき死」立体っぽいが、これは割とまっとうな感じ。「沼ピクニック」なんかSF的な緑の装いの男女。それが沼でデートしている。なんじゃこりゃ? それになぜ沼なのだ? 疑問符つきまくりがナイス。「あたらしい日」火山の噴火だが、まるで星の王子様の星ですな。「ある風の強い日」あらゆるものが風になびきすぎ。

「ぬーど絵画集」コーナー。ヌードだお。「じーっ」男のヌードだが……なかなか長いモノをお持ちですな。「女性的繁殖性」マグリットの「陵辱」のような女体を使ったバッドでシュールな表現。普通にキモい。「ジョージとトイレの日曜日」トイレで座っている男だが……おい、シニャックみたいな点描だよ。

動物コーナー。「見えないワン」目の×印はなんなんだ? 「飼い犬に鼻を噛まれる」まんまな絵だが。ラフな表現がおかしいぞ。「御者台からの光景」馬の尻側から見た。珍しいと解説にあるが、たまに見かけるよ。「海辺のキリン」ダリの足の長い象みたいにしたくて失敗か。「ケンタウロスとバイカー」ちょ、この取り合わせがシュール(デペイズマン)すぎる。「娼婦のフェレット」遠目ではクリムト的色使い。近くで見ると……うむう。

「ドッペルゲン画」とのことで有名人。「オバマ大統領」は普通にうまいよ。周囲に並んでいる人はよく分からんが。「足の爪で立つマリリン」膝を曲げてジャンプしているところを描いたらしいが、描き方を失敗してタイトル通りの絵になっている(タイトルが分からんから美術館側で適当につけたみたい)。「キュビズム風の灰色の女性」うむ、ピカソだ。「女とギター」ギターのネックを部分を見つめているって、ちょっと待て、それはギターのネックには見えん。ほとんどチ○コだぞ。「緑のジミヘン」ヤバい。中途半端にウマいだけに。緑だよ。宇宙人かよ。「スリラー」マイケル・ジャクソンだが……白いよ。いや、実際白かったけどね。

スポーツ絵画。「セーフ」野球の緊迫場面だが……いやちょっと待て、そこに思い切り怪物がおるって。なんだよそれ。アウトだって。「ゲーム」麻雀だが。指が6本ある人がいる。いや、でもこれはアニメとかでよく作画間違いあるじゃん。

最後は宗教もの。「魚を揚げるメデューサ」なんかキモカワイイ。「我らが法王」真ん中の赤いギザギザがポイント。「叶えられた祈り」修行中の洞窟にエロい美女がやってきた……って叶えられすぎだろ。「聖母子像」いくつか。いずれもキリストであるところの赤ちゃんがおよそ赤ちゃんらしくない。頭脳デカそうとか。でもルネサンス期の絵とか行くと、時々出くわす感じでもある。「エクセレンス」鳥の骨格がなぜエクセレンスか? 「海辺のカーリー神」海辺リゾートかよ。「スピリット・イン・ザ・スカイ」ユルいキリストがイェーイ。

あと応募作品いくつか。

なかなか楽しい。面白い。混んでいない。でも、いいものを見たという爽快感はないよな……まあ「バッド」なんだからそういうもんなんだけど。あとフラッシュなしなら撮影もできるよ。
https://www.tokyo-dome.co.jp/aamo/event/MOBA2018.html

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