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2019年3月23日 (土)

「イサム・ノグチと長谷川三郎展」「最果タヒ 詩の展示」(横浜美術館)

私は詩の界隈にも出入りしているので、今回の本命は最果タヒの展示だったが、ついでにイサム・ノグチと長谷川三郎にも行ったというわけです。3月24日までって、もう終わりじゃん。

先にノグチと長谷川なんだけども、イサム・ノグチは少し前にまとめて見た気がする。長谷川三郎というのは知らなかったが、同時代の抽象画、特に墨などの日本画表現をするんですな。この二人はなかなか深い交流があったそうで、日本で一緒に行動したりしたんだって。

最初に長谷川の「無題」という墨の抽象画があり、ノグチの「雪舟」というアルミ板のデカいのがある。それから長谷川いろいろ。油彩の抽象画。雲形定規みたいなのがありましたな。概ね、ミロとかクレーとか、そういう路線ですかね。まだつかみどころがない。あと絵かと思ったら写真ってのがあったね。モノクロの。特に人とか写っていないヤツ。あと「柱」という立体が実にシンプルだ。

それから長谷川はノグチと出会って日本再発見。これで和風な画材だの表現に目覚める。「交響詩霽日」は屏風だ墨だ抽象だ。アイテムが細かくてちょっとカワイイぞ。「無題」なる掛け軸も同様。あと、木の板目模様を付けてだね……拓刷っていうそうです。写真の組み合わせもあったな。こういう長谷川コーナーの最後にノグチの「あかり」。そこからノグチいろいろになる。

ノグチも長谷川との関係で、ますますディープジャパン。「夢窓国師の教え」複数並んでおるが、おお、これってほら、寺にある枯山水じゃん……下が白い床だが。ここは玉砂利の線付きがよかろうよ。あと「書の流れ」なんて、書をそのまま立体にしようとしたような作品。「死すべき運命」なんてのも、書の立体化みたいですな。色も黒いし。

日本でのノグチいろいろ。あかりがあって、立体が並んでいて、ええと、前のノグチ展でいろいろ見たはずだが覚えていない感じで。あーそうそう広島の原爆記念館のところに作るはずだったものの模型「広島の死者のためのメモリアル」実現しなかったが、でもなんか現地で似たようなもの建ってなかったっけ。あと、丹下建三が大いにプッシュしてたらしい。

長谷川もアメリカで活躍。ますます書に近くなっていって、「Flower」には「花」の字が使われ、「山水」は「山水」の字がまんま使われ、「老子より」がヘタウマ風の絵と、漢字がいくつも使われ、「蝶夢」に至ってはほとんど書である。私は書についてはもはや豚に真珠状態で、あー字が書いてある以外何一つ分からない。

それからまたノグチ。「オルフェウス」がアルミ板で「雪舟」みたい。長谷川が最後の方にあり「精苦」という書のようなもの。ノグチのラストは縦に長い「あかり」であった。会場を出る。

常設を挟んで……いや、コレクション展だからそれなりに企画されているんだけど、特に書くことが無い。そうそう山田正亮があった。あの近代美術館での個展は、ここ何年かで見た美術展の中でもかなりの衝撃だったっけなあ。

さて最果タヒ……詩はほとんど存じ上げず。タヒの詩を朗読しているのを聞いたことはある(私より年輩のカッコイイ方がやってたんだが)。ギャラリー1のメイン展示室に入ったら、一面、詩の一節が書いてあるモビール群。うむっ、うまいこと考えたな。ストイックな人は詩というものは書かれた言葉が全てであり、余計な演出を加えるのを嫌がったり(展示のみならず朗読も同様)するものだけど、こうして見栄えのいい演出を使って言葉を出してくるのも「あり」だと思うよ。現にお客もいっぱいいたし。字だけ貼ってあるより入りやすい。こういうのはまあ、総合芸術みたいなものであり……まあ二つぐらいなんで統合芸術といったところか。統合だから悪いというものでもないし、いいというもんでもない。がしかしそれにしても世代も感性も違うもので、言葉そのものの鑑賞はふーんそうかぁぐらいのものであった。どうも自分の中に入ってこない。やっぱし先日の馬野ミキの方が自分には近い。

展示は複数あり美術情報センター(図書館みたいなところ)にもある。そこの一つはiPhone動画、といっても詩を書いているところの動画みたいです。ローガンだからよく見えねえよ。もう一つは書庫の中で、本の背表紙を使った詩の展示。これもなかなかうまいことやりますな。

それからカフェにも。テーブルの上に小さい言葉付きモビール。あとプロジェクターで、~が:~で:~する、なんていう組み合わせを行っていくプログラムが出ている。「ジャバスクリプト」と書いてあるからそれで作られているんですな。これはなかなか面白いんで言葉はともかく仕組みは私にも作れそうだ。ジャバスクリプトは子供用の教則本を持ってるんだぜ。子供が使ってくれないんでもったいない。

これらの企画は間もなく終了。詩の展示は、また可能性が一つ増えた感じだ。
https://yokohama.art.museum/special/2018/NoguchiHasegawa/
https://yokohama.art.museum/exhibition/index/20190223-526.html

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2019年3月16日 (土)

福沢一郎展(東京国立近代美術館)

サブタイトル「このどうしようもない世界を笑い飛ばせ」というもの。シュールレアリスティックな絵画表現の中にも風刺が効いている、というようなものだそうです。芸術家には二種類いて、世の中がどうあれ己の信じた芸術を突き進む人と、世の中や社会から刺激を受けて、それに応じた作品を生み出す人だ。芸術には芸術世界があり、俗世から超越することをよしとする向きが多いせいか、結構後者は軽視されたりするが、俺は好きだぜっ。芸術家とて、もっと社会と対峙した作品を創っていくべきではなかろうか。

1898年生まれの近代洋画の人。最初はパリの留学時代。「人間嫌い」という汽車に乗って一人逃げ出していくような絵がある。己の姿か。まだシュールじゃない。デ・キリコの影響があるそうで、「タイヤのある風景」なんてちょっとキリコっぽい。

次に「シュルレアリスムと風刺」コーナー。ここでシュールな絵……ったって、なにそれそもそもシュールってどういうこと? という人もいるかもしれないが。本来は無意識の領域を描いて予想もつかなかった世界を生み出すようなもんだよ。その手法として全然関係ない物を一つの画面に並べたりする。福沢は主に人間を使っていて、それもヨーロッパの雑誌とかから抜いてきた人物像を組み合わせて、妙な画面を作る。うむ、エルンストも古い版画を使って同じようなことをやっていたっけな。ともあれ「他人の恋」……うむ、女の足はエロいな。人は何やってるかよく分からんが。「Poison d'Avril(四月馬鹿)」タイトルはともかく、人間描写はなかなかコミカルだ。意味はあまり無さそうだが。ただ、元ネタの絵があって、それも展示されている。「よき料理人」もよく分からねーが面白い。だいたいどれも具象だし。画面は明瞭なのだ。キリコみたいなものである。「寡婦と誘惑」も同じように元ネタも展示。「無敵の力」も数名の人がアヤシイことしてる。「魂の話」はキリコ風室内。ここまでは風刺ってほどのもんは感じないが、次の「嘘発見器」はちょっと風刺風。機械にもなぜか心臓がある。だから機械も嘘ついちゃったりしてな……って話(解説によると)。「科学美を盲目にする」これは特にキリコ風。女の人の顔を覆っているガチャガチャしたものはキリコもよく描いてた……よな。「煽動者」は驚異の煽動者のツラをシュールなヴィジュアルに。これは風刺っぽい。

帰国後の活動、ということで、パリから帰ってきた。まだ戦争前だ。「美しき幻想は至る処にあり」ここで美しき幻想扱いをされているのが、ソ連のマーク。つまり共産主義。至る処にある、というのが風刺らしいって。「教授たち会議で他のことを考えている」、こりゃタイトルまんまの絵だ。紳士だって女の裸とかお遊びとか考えているんだぞ、ってのが絵の中の絵で描かれる(吹き出しみたいなものですな)。「定めなき世に定めなき小夜衣明日は我が身の妻ならぬかな」定まらぬ男が通り過ぎていく遊女の絵。中央に遊女がいて、左に男の人が重なったオブジェ。和風シュールともいえる面白い絵画だ。隣の「題不詳」も和風もの。

行動主義のコーナー。行動的ヒューマニズムだって。ここに有名な「牛」がある。穴だらけの牛。これは満州国のことを表現したらしい。理想国家のつもりが実は穴だらけだったとさ。「雲」はまるでグラフィック・アート風。なかな新鮮だ。「花」が二つ。きれいというかちょっと不気味だ。それから戦時下の前衛というコーナー。「海」が二つ。いすれもイイ。一つは色が鮮やか。もう一つはトリミングの妙。「船舶兵基地出発」。作戦記録画こと、いわゆる戦争画。ただ、福沢はただ者じゃないので、風刺を効かせたのか映画のスティルからイメージを持ってきたんだって。作戦記録画ったって、実際にゃ作戦を記録してる絵じゃない。現場でそんなことできねえもん。映画みたいなもんじゃんってな。

それから戦争が終わって、戦後の混乱期に。戦争が終わっても全然道徳的にならない人間ども。人間の愚かさを描くにゃダンテの神曲に限るってんで、それをテーマにしたため、人物を全員裸にしてしまい、なおかつ現代の世相を混ぜ込む。傑作がいろいろ誕生。「世相群像」なんて群像物が見応えあり。中でも「敗戦群像」は代表的傑作。人間がまるで積み上がった肉塊のようだ。その隣の「樹海」も強烈で、木や葉が集まっているだけのはずが、どうも肉感的だ。これが敗戦直後の人間観なのである。

この路線が続くかと思ったら、いきなりブラジルやメキシコに行って、画風を変えてきてしまった。「文明批評としてのプリミティヴィズム」コーナー。今までくすんだような中間色が中心だったが、いきなり原色バリバリの世界に変化。この変化にゃあ驚きだ。「顔」がいきなりバカ明るい。「狩猟」もまるでステンドグラスだ。「埋葬」は死が派手な旅立ちであるメキシコ風。この絵を90度回転させた創世ものが東京駅にあるんだって。死と再生の連続もメキシコっぽいね。

さらにアメリカに行き、黒人や社会運動などに影響を受け、また違う画風で迫ってくる。今度はアクリル絵の具を使用。「ハーレム」はアクリルでささっと描く。「デモ」は絵の具が垂れている筋も効果的に使用。なかなか見事だ。「霊歌」は抽象的な顔がいっぱいだが、多分アフロアメリカンだ。

そして再びダンテがテーマに。また現代の世相を導入して大物を書き始める。「なぜ貯るのだ、なぜ浪費のだ?」貯めては無駄遣いの人間どもがあ。「衆合地獄」は獣に喰われる人間どもで、ちょっとグロい。「食水餓鬼」は見たまま妖怪の餓鬼である。「トイレットペーパー地獄」世相を反映して極めて分かりやすい。これはあれだ。オイルショックのトイレットペーパー買い占め騒動。愚かな人間どもがあ。「悪魔の矢Ⅰ」「悪魔の矢Ⅱ」は連動している作品だが、迫力がありますなあ。

最後は「21世紀への警鐘」というコーナー。暗示的な神話ものがいくつか。「倭国内乱」といった不安なヤツ。中でも「悪のボルテージが上昇するか21世紀」1986年に描かれたもの。上昇しとるよ21世紀。情報化社会、中でもインターネットは同じ気分のヤツが群れて盛り上がることを容易にした。ヘイトスピーチしたいヤツは集ってお互い「上昇」できる。ヘイトなヤツラばかりではない、平和主義者だのリベラルだのといった連中まで、安部総理という格好のターゲットを獲得したため、むき出しの残忍な攻撃性を大いに発揮。見よ、ネットに集い口を揃え口汚く罵る姿を。こんなんでテメエ達は自称人に優しい平和主義者ってんだから呆れるぜっ。まさにこの絵と同じ、誰彼構わず裸の残虐性が雄叫びを上げてる世界ではなかろうか。

知名度からしてもそう混むとは思えないが、作品は面白い。じっくり対峙して、ともにこの世を笑おうではないか。
http://www.momat.go.jp/am/exhibition/fukuzawa/

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2019年3月14日 (木)

奇想の系譜展(東京都美術館)

ド平日(火曜)の午後だったが、なんか混んでるなあ~ 日曜美術館でやる前に行きたかったが、ちょうどやった後に行ってしまった(見てないが)。しかも後期の初日だ(前期見てないが)。
日本画はワビサビだけじゃねーというのが基本な。ちょっと、え? みたいなヤツラが集合。個別にはいろいろ見てはいるが、今回はまとめて見れるぞと。

画家別。最初は伊藤若冲。なんかもう有名になっちゃって、これだけで客呼べそうな感じだよなあ。最初に「象と鯨図屏風」何度か見てる。墨画なんでモノクロで、左の鯨が背中だけで潮吹いてて潜水艦みたいですな。「鶏図押絵貼屏風」若冲が大好きな鶏の墨画が並んでいる。前に見た……ん? 初公開だと? いやーなんか見たことが、というか鶏だからなあ。若冲は似たようなものいろいろ描いてるしなあ。巻物の「乗興舟」これは背景が黒いのでネガみたいに見えるが、センスが現代アートと変わらない感じ。今の画家が描いてても不思議じゃない。「石榴雄鶏図」これもコケコッコだな。「雨中の竹図」淡いな。「蝦蟇河豚相撲図」文字通りガマガエルと河豚がすもう取っているのだ。「旭日雄鶏図」おお、これは若冲らしい。鶏愛で羽毛をビッシリ描き込んでいる。やっぱこうでなくちゃ。「虎図」おっと虎だよ。獰猛ではなくペロペロな感じ。

二番手は曽我簫白。「群仙図屏風」まさに簫白。子供のエグい表情は見たら忘れない。「雪山同時図も代表昨の一つで有名だ。珍しく「美人図」なんてのがあるが、見ると、顔がヤバい。怖い。狂ってる感がある。「獅子虎図屏風」虎が弱そうだ。妙な顔をしているな。

長沢芦雪。なんたって「白象黒牛図屏風」右の象がデカすぎる。左の牛もデカいが。牛の方にいる小さい犬がチャームポイントですな。「牡丹孔雀図屏風」うわっ、若冲とまではいかないが、なかなか緻密に描いてるじゃないか。孔雀の羽模様がイケる。「猛虎図」マヌケ面ではないが、小さい? 「方寸五百羅漢図」約3センチ四方の中に、五百羅漢を描いたというか……単眼鏡使ってもよく見えない。別に細かい人物画ではなく、顔と体で丸一つずつとかいう感じ。「なめくじ図」前に見たかな。ナメクジの通った跡も描いてある。「花鳥図」正攻法。「猿猴弄柿図」猿の顔、オモロー。「群猿図襖」サル山。「龍図襖」デカい、でも淡い。

岩佐又兵衛。浮世絵の元祖のような浮き世又兵衛こと岩佐又兵衛。巻物「山中常盤物語絵巻」第五巻と第四巻が出ているが……この展示見にくい。人ビッシリ。第五は血まみれで倒れているのがポイントか。痔四は金箔を使いまくって豪華な印象。あとはそんなにハデなのはないか。「雲龍図」、龍の顔だけ。あと伝岩佐だが「妖怪退治図屏風」右側に集結する妖怪がシュールな感じだ。

狩野山雪、「蘭邸曲水図屏風」異国情緒溢れる庭? じゃないか建物の中か? 何か床に川が流れているぞ。「梅花遊禽図襖」木の幹が琳派もびっくりの大曲。そこに花が咲く。「龍虎図屏風」龍の顔がちょっとユルいぜっ。虎はオモローだな。
白隠。前に白隠展でずいぶん見た。最初にある「達磨図」おなじみのコミカルフェイスのヤツ。「鐘馗鬼味噌図」これも再会。心の鬼を潰して味噌にしてしまえ。「達磨図」が太い線のヤツとデカいヤツと。「南無地獄大菩薩」その文字が描いてある書だ。「蛤蜊観音図」再会。癒し系の顔ですな。そういえば「すたすた坊主図」がまた見たいと思ったが、前期に出ていたのか。
鈴木其一。ヘイ、キーツ! 琳派展ではおなじみなもんで、どこかで見たようなのが多い。まあ、キーツの絵はあちこちでいろいろ出くわすからなあ。「百鳥百獣図」動物と鳥がいっぱいだっ。
最後は国芳。もう何度も見た代表版画が並ぶ。骸骨のヤツや、人が集まって人になるとか、セミクジラとか。版画じゃないのは2つ「一ツ家」鬼婆のヤツな。見たことある。デカい板に描かれているんだぜ。あと「火消千組の図」これも板だが、こっちは初めて見たかも。

平日でも混んでいるが、デカい絵も多いので、ストレスはまずまず。無理して行かなくても、注意していれば、この誰かにスポットを当てた企画は結構ある。一企画だけで全員見たい人はぜひ突撃。
https://kisou2019.jp/

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2019年3月10日 (日)

ル・コルビュジェ 絵画から建築へ - ピュリスムの時代(国立西洋美術館)

上野の国立西洋美術館はル・コルビュジェが設計したのです。そこでコルビュジェ展をやるという、なかなか粋な企画。開館60周年記念企画だお。いつものように企画展示室に行こうと思ったら閉鎖しとるんよ。そう、コルビュジェが設計したのは常設展示室の古い方の建物。今回の会場もそこなのだ。つまり今回、常設の中世の宗教画とかを全部取っ払って、この企画に入れ替えたんですな。

入ると普段ロダンとかが展示してあるホールにゃ今回イントロ動画と建築模型とか。動画でジャンヌレ(コルビュジェの本名)とオザンファンが進めたピュリスムという芸術運動がどんなもんか概ね分かる。絵画に物体を表現する時に、上から見たヤツと、横から見たヤツを一緒に描くんだ……まあ、これ建築図面みたいなもんですな。平面図と立面図な。あと黄金比でレイアウトするんだって。ついでにそれらを重ね合わせると。それが西洋美術館にも生かされているんだぜありがてえなって話。しかし初めて知ったが、コルビュジェは最初から建築家だったんですな。最初絵描きであとで建築やった人かと思ってた。模型は「イムーブル=ヴィラ 1/100模型」いやーこれは、機能的にして美的な感じがいいですな。前にアアルトに行って、あれもなかなかよかったんだが、やっぱしアアルトはモダニストだし、コルビュジェはモダニストでも芸術家寄りな感じだよなあ。あと、「ヴォアザン計画」という都市計画模型があって、確か前にも見たんだが、細かいことは描いてなかった。

スロープを上がると、オザンファンとジャンヌレが出してた雑誌「エスプリ・ヌーヴォー」の紹介。表紙が全部見れる~……って数字だけじゃん。近代文明の発展、特に機械を肯定したんだって。あれ、これってイタリアの未来派も同じじゃん。あっちは文明的なスピードとか運動とかだったかな。とにかく未来派の話題は出てない。それから順番からするとジャンヌレのデッサンがある。初期の「暖炉」って絵もあって、まあ豆腐みたいなもんだけど。西洋美術館はピュリスム的重ね合わせのフロアレイアウトで、そこに接して「ラ・ロシュ=ジャンヌレ邸」コーナーがある。それは初期のピュリスム的建築……でももうコルビュジェらしさができている感じはするな。それより、そこのフロアから最初のホールを見下ろせる……と同時に天井の三角ガラス窓が目に入る。おおなるほど、こういう演出か。西美の常設なんてほとんど行かないもんで、あらためて見てみるとなかなか面白いですなあ。

戻ってオザケンじゃなかったオザンファンの絵がいろいろあり、いよいよピュリスム誕生だー オザンファン「ヴァイオリンのある静物」、ジャンヌレ(コルビュジェ)「赤いヴァイオリンのある静物」同じモチーフでヴァイオリンとか水差しとか。共通するのは先の、上から見た姿と横からのが共存している。表現はやや違い、オザンファンの方がやっぱし画家なもんで絵画感がある。ジャンヌレは建築家が絵を描いたみたいな感じ(そりゃそうなんだが)。しかしこの対比は面白いぞ。それから次とかその次とか、二人の絵画が並ぶが……モチーフが同じで表現がちょっと変わるぐらいなんで、最初はおおーっとか思っていてもすぐ飽きる……いや、飽きちゃいかんでしょ。しかし、ううむ……モランディがさ、同じモチーフでちょっとずつ違う絵を延々描いていたじゃん。あれは面白かったのになあ。お、モランディさん、またちょっと新しいヤツを見つけましたね……っな感じで。どうもそういう喜びがないんだが。なんでだろ。なんかこう、理屈っぽくやるのに夢中で楽しんでない感じ?

少し先行してキュビズムがあり、ピュリスムはそれに対抗してというか批判的に描かれたそうな。そのキュビズムいろいろ。もちろんピカソとブラック中心な。おなじみなものが並ぶ。ブラックなんておなじみ過ぎちゃって、晩年のイケてるジュエリーとかのブラックの芸術を知ってる向きには、またブラックといやキュビズムかよ、みたいな不満があるけどしょーがないよキュビズムといえばブラックだもん。フアン・グリスというのもいたんですな。知らなかった。あとフェルナン・レジェ。で、ピュリスムも最初はキュビズムに対抗していたが、なんかやってることが同じじゃんって感じになって、理解して仲良くなっていったそうです。そこからピュリスムも変化し、複雑になって重ね合わせなどの要素が出てきた。ジャンヌレ「縦のピュリスム的静物」「輝く静物」それから大作「アンデパンダン風の大きな静物」入り乱れ重ね合わせる「多数のオブジェがある静物」など。でも、私としては重ね合わせの複雑な物より最初のコントラストが強くてプリミティブ(意図が明確)な方が好みだったりする。

建築では、「ヴァイセンホフ・ジードルンクの住宅」の模型とか。コルビュジェの提案した近代建築の5要素があり、屋上庭園とか、ピロティとか……あと忘れた。要するにそれが様式美みたいになっていて、コルビュジェに芸術になっているんだな。こういうのを見ちゃうと、ああ建築は芸術だとか思っちゃうけど、建築かじった程度の凡人じゃ真似できんよ多分(建築学科でうだつが上がらなかったヤツの僻みだが)。えーそれからオザンファンが雑誌から出ていってピュリスムが終焉を迎えたそうな。レジェとの付き合いが増えたようで、レジェの絵が並ぶ、動画の「バレエ・メカニック」があり……これ、名前はよく聞くんだが、そんなに面白いもんでもないな(当時は画期的だったのかもしれんが)。あと、椅子とかがある。ピュリスム以降のコルビュジェの絵画は(ちなみにコルビュジェってのはペンネームだって)、静物だけじゃなくて、人間(人体)を入れ込んだりした。最後の方にある「サーカス 女性と馬」とか「レア」は有機的な感じがする。「灯台のそばの昼食」は一見レジェみたいな雰囲気。うーん、しかしいずれも絵画として強いオリジナリティがあるかというと、そうでもないような。やっぱしコルビュジェは建築家だよ。最後に名建築で学校でも教わる「サヴォワ邸」の紹介(と模型)があっておしまいなのだ。サヴォワ邸を見ると、印象が西美と似てるよな。あと今回、気づいたんだけど、展示する壁の光は外光を利用しているのだ。うまい設計ではないか……外光だよな。曇りガラスの向こうに蛍光灯とかないよな。あと、さらに上のフロアに行く階段がいくつもあるがいつも閉鎖されている。この機会に見せてくれないのかな。あるいは使えないのか。

とにかく、つい建物にも注目してしまう。おすすめできる。
https://www.nmwa.go.jp/jp/exhibitions/2019lecorbusier.html

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2019年3月 4日 (月)

SDGs × ポエトリー(自由学園明日館)

4272(シニナニ:詩に何ができるか)主催の、ポエトリーリーディング(詩の朗読)イベントの一種として、3/3(日)に開催されたもの。SDGs(Sustainable Development Goals)とは何かというと、国連で決められた2030年に向けた「持続可能な開発目標」のことで、結構有名らしいんだけど、私は初めて聞いた。世界に関する17の目標があり、「貧困をなくそう」「飢餓をゼロに」といった発展途上国向けの目標から「エネルギーをみんなにそしてクリーンに」などという先進国向けの目標、それから「海の豊かさを守ろう」といった地球環境の目標まで範囲が広い。各目標にはさらに詳細な「ターゲット」があるのだが、そこまで行くと結構文章が難しい。

イベントでは何をしたかというと、まずこのSDGsを楽しく分かりやすく理解するために作られたゲーム「2030 SDGs」の説明と体験。その後、ポエトリーリーディングつまり各自で「詩的」な発表……でなくても感想でも絵を描くでもよい。主催者がポエトリーの関係なのです。
それで、この「2030 SDGs」というゲームはどんなものか? ファシリテーターの説明で進む。まずこの世界は「経済」「社会」「環境」のパラメーター(数値)で評価される。プレーヤーは各自、お金(のカード)と時間(のカード)を持っているが、目標(のカード)も持っている。つまり目標に向かって動くわけだが、お金を集めるのが目標だったり、活動経験を集めるのが目標だったり。私のチームは「悠々自適」と書いてあり、時間を集めるのが目標であった。今回チームは二人一組で15チームぐらいだったかな。
そしてプロジェクトのカードが渡される(プレーヤーが選ぶこともあるらしい)。各プロジェクトには、そのプロジェクトを実行するための世界の条件(先の3つのパラメーターで何が必要か)、使うお金、使う時間、そしてプロジェクト実施後後得るお金、得る時間、実施後の世界のパラメーターの変化が書かれている。例えば、手元に「子供を働かせる」なんてのがあった。世界の条件は特にない、時間もお金も得られる、経済のパラメーターは上がるが、社会のパラメーターが減少してしまう。子供を働かせるということは、そういうことなのだ。他にも、「交通インフラの整備」なんてのは経済がある程度あるのが条件、お金は得られ経済パラメーターがプラスになるが、環境にはマイナス。まあそういう感じ。
「子供を働かせる」ってのは、社会にマイナスなんだけど、こちらの目標が時間を得ることなんで、実行してしまった。他のチームも万事そういう自分の目標中心の考え方だったようで、中間確認では、経済ばかりがダントツに伸びて、環境も社会も最悪という世界になってしまった(全員で世界は一つなのだ)。こりゃいかんと考えたのか、目標を達成してしまったチーム(我々も)は、世界をよくしようとプロジェクトを進めようとするが、お金が足りなかったり時間が足りなかったりする。また、いいプロジェクトが手元になかったり。そういう場合、チーム同士で交渉して、お金と時間を交換したり、経験をお金で売り買いしたりする。この交渉部分でなるべく多くの人がいいプロジェクトを実行できて、その結果世界がよくなっていく、というのがポイント。多分、交渉なしではすぐに手詰まりになってしまう。他の企業研修などでこのゲームを行って、交渉がてんでなかった例では、先のように経済だけが発展してあとはダメな世界になってしまったそうな。今回は割とみんな交渉熱心で、売り買いや交換も盛んでプロジェクトの実行も多かったようで、ゲームが終わった時には、経済、社会、環境と、全体がなかなかいい結果になっていた。ただし、目標達成できていないチームもいくつかあり、世界が完全にうまくいったわけではない。
かように世界の動きをゲームを通じて簡単に俯瞰できるという、優れたゲームではある。

後半のポエトリー部分では、その場で作った詩を朗読した人もいれば、普通に感想を述べた人もいる。意外なことに(?)、結構このゲームに嫌悪感を示す人もいた。自分の生活が手いっぱいだと、とりあえずこういう世界スケールのことなど考えていられない、とか。ここに芸術が入っていないというのも不満のポイントとしては大きいようだ。まあ今回は芸術家が集まっているようなものなので、やっぱし世界の要素としてスルーされたくはないよなあ。あと印象としてはやはり教育ツールなもので、いかにも賢い、いい人間を作りたそうな雰囲気がなんかイヤ、というのはなんとなく分かる。たまには飲んだくれたっていいじゃないかというような話。それから自分でカードを増やしたいという人も。あと絵を描いた人も何人か。ちなみに私は即興で詩のようなものを口にする例のパフォーマンス。今回はプロジェクトのカードを1枚引いてそれを使用し「リサイクル法の制定」とかいうものだった。即興のデキはイマイチ。なんか捨てるのが怖くなった、ぐらいしか思いつかん。

この「2030 SDGs」というカードゲーム、ほしいんですけど、どうも売っていないらしい。理由としてはファシリテーターの指示の元でやらないと、目的と違うようなものになるから、だそうなんだが……いやーそうかなあ。特に普通のカードゲームとしてもできる気がするが。あと、システムは単純なので、プロジェクトなどもっと簡易化して子供向けにもできると思うのだが。やらないのかな。

今回の会場は自由学園明日館という、これは抜群にいいところである。設計が旧帝国ホテルの玄関を手がけたフランク・ロイド・ライト。会議室を借りるなんてことができるんですね(ちょっとお高いようですが)。
 

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