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2019年3月16日 (土)

福沢一郎展(東京国立近代美術館)

サブタイトル「このどうしようもない世界を笑い飛ばせ」というもの。シュールレアリスティックな絵画表現の中にも風刺が効いている、というようなものだそうです。芸術家には二種類いて、世の中がどうあれ己の信じた芸術を突き進む人と、世の中や社会から刺激を受けて、それに応じた作品を生み出す人だ。芸術には芸術世界があり、俗世から超越することをよしとする向きが多いせいか、結構後者は軽視されたりするが、俺は好きだぜっ。芸術家とて、もっと社会と対峙した作品を創っていくべきではなかろうか。

1898年生まれの近代洋画の人。最初はパリの留学時代。「人間嫌い」という汽車に乗って一人逃げ出していくような絵がある。己の姿か。まだシュールじゃない。デ・キリコの影響があるそうで、「タイヤのある風景」なんてちょっとキリコっぽい。

次に「シュルレアリスムと風刺」コーナー。ここでシュールな絵……ったって、なにそれそもそもシュールってどういうこと? という人もいるかもしれないが。本来は無意識の領域を描いて予想もつかなかった世界を生み出すようなもんだよ。その手法として全然関係ない物を一つの画面に並べたりする。福沢は主に人間を使っていて、それもヨーロッパの雑誌とかから抜いてきた人物像を組み合わせて、妙な画面を作る。うむ、エルンストも古い版画を使って同じようなことをやっていたっけな。ともあれ「他人の恋」……うむ、女の足はエロいな。人は何やってるかよく分からんが。「Poison d'Avril(四月馬鹿)」タイトルはともかく、人間描写はなかなかコミカルだ。意味はあまり無さそうだが。ただ、元ネタの絵があって、それも展示されている。「よき料理人」もよく分からねーが面白い。だいたいどれも具象だし。画面は明瞭なのだ。キリコみたいなものである。「寡婦と誘惑」も同じように元ネタも展示。「無敵の力」も数名の人がアヤシイことしてる。「魂の話」はキリコ風室内。ここまでは風刺ってほどのもんは感じないが、次の「嘘発見器」はちょっと風刺風。機械にもなぜか心臓がある。だから機械も嘘ついちゃったりしてな……って話(解説によると)。「科学美を盲目にする」これは特にキリコ風。女の人の顔を覆っているガチャガチャしたものはキリコもよく描いてた……よな。「煽動者」は驚異の煽動者のツラをシュールなヴィジュアルに。これは風刺っぽい。

帰国後の活動、ということで、パリから帰ってきた。まだ戦争前だ。「美しき幻想は至る処にあり」ここで美しき幻想扱いをされているのが、ソ連のマーク。つまり共産主義。至る処にある、というのが風刺らしいって。「教授たち会議で他のことを考えている」、こりゃタイトルまんまの絵だ。紳士だって女の裸とかお遊びとか考えているんだぞ、ってのが絵の中の絵で描かれる(吹き出しみたいなものですな)。「定めなき世に定めなき小夜衣明日は我が身の妻ならぬかな」定まらぬ男が通り過ぎていく遊女の絵。中央に遊女がいて、左に男の人が重なったオブジェ。和風シュールともいえる面白い絵画だ。隣の「題不詳」も和風もの。

行動主義のコーナー。行動的ヒューマニズムだって。ここに有名な「牛」がある。穴だらけの牛。これは満州国のことを表現したらしい。理想国家のつもりが実は穴だらけだったとさ。「雲」はまるでグラフィック・アート風。なかな新鮮だ。「花」が二つ。きれいというかちょっと不気味だ。それから戦時下の前衛というコーナー。「海」が二つ。いすれもイイ。一つは色が鮮やか。もう一つはトリミングの妙。「船舶兵基地出発」。作戦記録画こと、いわゆる戦争画。ただ、福沢はただ者じゃないので、風刺を効かせたのか映画のスティルからイメージを持ってきたんだって。作戦記録画ったって、実際にゃ作戦を記録してる絵じゃない。現場でそんなことできねえもん。映画みたいなもんじゃんってな。

それから戦争が終わって、戦後の混乱期に。戦争が終わっても全然道徳的にならない人間ども。人間の愚かさを描くにゃダンテの神曲に限るってんで、それをテーマにしたため、人物を全員裸にしてしまい、なおかつ現代の世相を混ぜ込む。傑作がいろいろ誕生。「世相群像」なんて群像物が見応えあり。中でも「敗戦群像」は代表的傑作。人間がまるで積み上がった肉塊のようだ。その隣の「樹海」も強烈で、木や葉が集まっているだけのはずが、どうも肉感的だ。これが敗戦直後の人間観なのである。

この路線が続くかと思ったら、いきなりブラジルやメキシコに行って、画風を変えてきてしまった。「文明批評としてのプリミティヴィズム」コーナー。今までくすんだような中間色が中心だったが、いきなり原色バリバリの世界に変化。この変化にゃあ驚きだ。「顔」がいきなりバカ明るい。「狩猟」もまるでステンドグラスだ。「埋葬」は死が派手な旅立ちであるメキシコ風。この絵を90度回転させた創世ものが東京駅にあるんだって。死と再生の連続もメキシコっぽいね。

さらにアメリカに行き、黒人や社会運動などに影響を受け、また違う画風で迫ってくる。今度はアクリル絵の具を使用。「ハーレム」はアクリルでささっと描く。「デモ」は絵の具が垂れている筋も効果的に使用。なかなか見事だ。「霊歌」は抽象的な顔がいっぱいだが、多分アフロアメリカンだ。

そして再びダンテがテーマに。また現代の世相を導入して大物を書き始める。「なぜ貯るのだ、なぜ浪費のだ?」貯めては無駄遣いの人間どもがあ。「衆合地獄」は獣に喰われる人間どもで、ちょっとグロい。「食水餓鬼」は見たまま妖怪の餓鬼である。「トイレットペーパー地獄」世相を反映して極めて分かりやすい。これはあれだ。オイルショックのトイレットペーパー買い占め騒動。愚かな人間どもがあ。「悪魔の矢Ⅰ」「悪魔の矢Ⅱ」は連動している作品だが、迫力がありますなあ。

最後は「21世紀への警鐘」というコーナー。暗示的な神話ものがいくつか。「倭国内乱」といった不安なヤツ。中でも「悪のボルテージが上昇するか21世紀」1986年に描かれたもの。上昇しとるよ21世紀。情報化社会、中でもインターネットは同じ気分のヤツが群れて盛り上がることを容易にした。ヘイトスピーチしたいヤツは集ってお互い「上昇」できる。ヘイトなヤツラばかりではない、平和主義者だのリベラルだのといった連中まで、安部総理という格好のターゲットを獲得したため、むき出しの残忍な攻撃性を大いに発揮。見よ、ネットに集い口を揃え口汚く罵る姿を。こんなんでテメエ達は自称人に優しい平和主義者ってんだから呆れるぜっ。まさにこの絵と同じ、誰彼構わず裸の残虐性が雄叫びを上げてる世界ではなかろうか。

知名度からしてもそう混むとは思えないが、作品は面白い。じっくり対峙して、ともにこの世を笑おうではないか。
http://www.momat.go.jp/am/exhibition/fukuzawa/

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