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2019年7月20日 (土)

塩田千春展:魂がふるえる(森美術館)

ギロッポン♪ なんかすげー展示だってウワサなんで、金曜夜に行ってきた。土日混んでるっぽいんでな。でも十月過ぎまでやってるんだけどね。しかし客はなんか外人多かったなあ。中国人とかも。
なんかこの人知らなかったけど、靴に赤い糸がいっぱいついている作品は、どこかで見たね。そんくらい。でも、実は世界的なえれえアーティストで、海外で舞台美術とかもやってる。スケールもデカい。森美術館で個展なんてそれだけだってグレートだけど、がっちり応える大型インスタレーションの連打。どんなものかは写真でも見たまえ。写真じゃもちろん空間内に入れないから、やっぱり空間に入りたまえ。

アバカノビッチに影響受けたそうです。おお、あの。今は亡き池袋のセゾン美術館でインパクト十分だったアバカノビッチ。覚えているぜ。あー、あの美術館神だったよなあ。
パフォーマンスもやるそうで。写真も映像もあるが、全裸だったりして紳士達の目の保養……って感じでもないシビアな作品だったりしてな。
作品がどういうものかイチイチ書いてもしょーがないんで、そうだ作品を前に詩でも書くか。私、詩もスゴいんです。いやぜんぜんスゴくないんだけど、ほら、一応、詩の言語も使えるつもりです。


 不確かな旅

羊水に揺られる小舟が
血管の糸できた繭を乗せていたことを
生きる中で傷を受けるたび
思い出す
その糸は長く延びていて
誰かとつながっていたはずだった
それは血を分けた誰かではなく
空に浮かぶ手に
ともにすくい上げられたい
誰か


 バスルーム

バスタブに地面を呼び込み
土にまみれてみたけれど
土には戻れず
皮膚はそれを追い出しにかかり
うめき声だけが壁に反響して
土に飲まれていく


 外在化された身体

手が落ちた
足が落ちた
血管だけが空に
昇っていこうとしたから
血管はもう
人の姿をしているのに
飽きてしまったのだ


 存在の状態

体内があまりに
かき回されているものだから
血管達は這い出てきて
整ったひし形の構造物を作り
私に見せつけてきた
私の目が丸すぎたのだ


 静けさの中で

あのピアノは生きていた
人が鍵盤を叩いて
鳴っていると思っていたものは
それはピアノの歌だった
そしてピアノは
焼けて死んでしまった
その時
焦げた血管をいっぱい吐いて
音楽室を黒い糸で埋め尽くした
私は思わず指さして笑った
私と同じだったから


 時空の反射

死んでも守るんだ
白いドレスを着た
あの日のことを
そしてその光景の中に
幻となって佇むんだ
それが最後の望み


 内と外

おいでよ私の家へ
窓がたくさんあるから
どこからでも入っていいよ
入ったらそこはもう
私の体の中だ
鼓動以外
あげるものがない


 集積-目的地を求めて

天に旅立つ日
生きていた証を残したく
残った血管に
旅行カバンをぶら下げていく
カバンの中には
天国で見せびらかす
思い出がたくさんだ
それはもう小躍りしている
これから行くのが
本当の目的地


というわけで、結構女性性を感じる作品群で、他の女性アーティストに似たテイストも感じる。先のアバカノビッチも女性で、泥まみれドレスなんて近い感じだし、血管といえばフリーダ・カーロも血管を作品で描いた。そして六本木ヒルズの入り口にあるデカい蜘蛛、ルイーズ・ブルジョア。あの感じとも似ている。
全部撮影可能(舞台美術関係は不可よ)。規模がデカいんでシャッター音もそんなに気にならん、というか作品の一部みたいにも感じる。
あと、国立新美術館のボルタンスキーと一緒に見ると、実に濃い一日を過ごすことができるぞ。あっちも大規模インスタレーションだし、テーマも対比的な感じがするよ。
https://www.mori.art.museum/jp/exhibitions/shiotachiharu/

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2019年7月15日 (月)

ジュリアン・オピー(東京オペラシティアートギャラリー)

えげれすのアーティストだそうで。ぶっとい線で描いた人物とか、それが歩いたりするLEDスクリーンものとかでなかなか楽しい。大味だけどそれが味だな。
それより入口の受付で撮影に関する注意書きを見せられた。この企画は全作品撮影可能。ただし、フラッシュやシャッター音はご遠慮下さい。ほう、シャッター音禁止ですかい。撮影反対派のわしゃあちょっと期待しちゃったよ。しかしですよ、中に入ったらみんなシャッター音カシャカシャ立ててるじゃねーか。いや、連休中で客がそこそこ多くてね。多分、当初はシャッター音立てて撮ったらイチイチ注意とかしてたのかもしれないけど、ジャップのスマホはシャッター音デフォルトで、シャッター音消して撮影するアプリもあるようだけど、知らないとか使ってないとかで、注意されようもんなら「この音は消せねーんだバカヤロー」とか逆ギレされ、かくしてナシクズシで目をつぶることになったと推察する……ってこれ始まったの先週の水曜からじゃねーか。もう折れちゃったのかよ。
まあ作品がいちいちデカいし大味なんで、正直撮影もシャッター音もあまり気にならんかったよ。

入るとデカい空間の部屋で、壁にデカい絵が並ぶ。みんな太線人物。顔はノッペラボーで小さい。パネルが光ってるのもあるし、さらにデカい(590cm×670cm)パネル状の絵があり……これ色ごとに凹凸があるね。塗装した木材でできてるんだって。あとはアクリルパネルの人物。ファッションいろいろ。面白いのは人物も服の輪郭も太線でできてるのに、タトゥーとかTシャツの柄とかはわりと細かく描いてあったりしてな。そりゃまあ、そこは太線で表現できないもんなあ。部屋の一番向こうにゃLEDを敷き詰めたスクリーンを使ったアニメーション。太線の人々が走っておる。人々いろいろでなかなか楽しいぞ。スクリーンセーバー(って今使っているのか)に使いたい感じだね。

次の部屋も仕切がないデカいまま。LED四面スクリーン(つまり柱みたいなヤツ……って説明しねーで写真撮ってこいと言うかもしれないがポリシーで撮らねー)でアニメーションの作品。人が何人か歩いているぞー。柱をぐるっと回っていて。なんとなく測ってみると一人が四秒ぐらいで一回りしてるね。それから絵がそのまま立体になったヤツとか、石でできてるっぽい熊の置物。これも二次元を引き延ばして立体にした感じだ。ビルが並んでいるヤツ、それから単色LEDの太線鳥アニメ、飛んでない。歩いて止まって餌を食うのを繰り返し。5羽ぐらいいてなかなか楽しい。壁には風景画っぽいもの。空に飛んでいるのはゴミか? と思ったら鳥のつもりらしい。それからLED四面スクリーン作品。ある面で走って、次の瞬間次の面へ進む、の繰り返し。

廊下の壁一面にもLEDスクリーン。20台使ってるって。なかなか壮観だす。そこに太線の鯉が泳ぐ。結構自然な動きで泳いでいて、これもなかなか楽しいですな。この鯉アニメは窓の向こうからも見えるんで、外から何あれ楽しそうとか思ってしまうぞ。

そう気張らずお気楽鑑賞をした方がよいと思う。インスタ映えもするであろう。この企画は別にいいが、絵画展なんかで全作品撮影可能はやめてほしいんだがね。ここはアンケートがなかったんで、何も伝えられなかった。
https://www.operacity.jp/ag/exh223/

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2019年7月 7日 (日)

折元立身:絵葉書のドローイングとポストカードのシリーズから(青山|目黒)

世界的なアーティストなのに日本ではあまり知られていない、というか私もちゃんと知ったのは、ここ数年といったところなのです。昔、「パン人間」(顔にパンをくくりつけて歩いたりするパフォーマンス)なんてやってたのは一応知ってたけどノーマークで。確か原美術館で個展(パン人間とアートママだったよな)をやってたけど、それも特に行かなかった。初めて引っかかったのは森美術館の「LOVE」展、「ベートーベン・ママ」の映像が出ていた。何か? おなじみ「運命」の音楽に合わせて、年老いたアルツハイマーの母親の頭をモシャモシャやる、というそれだけの映像。……なんだこりゃ? 普通、老いた母親とのコラボって、何か母への感謝とか懐かしの風景とか、そういう、なにかホンワカした親子の世界の表現だと思っていたらコレなのだ。なんか想像の外にある。モヤモヤしまくる。それからしばらくして、川崎市民ミュージアムで個展をやるというので、なんとなくアーティストトークに行った。折元氏は、日本は天才を育てないんで、この国はもう嫌だとかを連発。ベルリンに住みたいとか言う。サイン入りのポスターをもらった。それより展示に驚いた。膨大な量だった。その日は時間がなくて、後日また行った。そこで初めて、折元立身というとんでもないアーティストの全貌を目にした。自由奔放にして無数のドローイングと、世界で開催されるぶっ飛んだアートパフォーマンス。年老いた母親のケアとそこから生まれるアート作品群という、時代を先取りしたような世界。そして2017年に川崎市岡本太郎美術館で開催された日本ではあまりないダークなパフォーマンス「26人のパン人間の処刑」に参加して9番目に処刑された。あの日は台風が近づいていて嵐だった。嵐の中の城で繰り広げられたかのような、あれは、間違いなく伝説的パフォーマンスになったはずだ。

アートママこと母親の男代さんは亡くなったが、アートママは続いている。今回、ロンドンとベルリンから送られてきたはがきは全て男代さん宛なのだった。海外の滞在先で見てきたことや感じたことを絵で描く、しばしば文章も入るが、やはり絵が面白い。ペン描きも水彩もある。うまいのかと言われると、そういう感じではなくて、いわゆるヘタウマの部類に入ると思う。膨大な数のドローイングを残しているので、うまく描こうと思えば描けるはずだ。でも現実的に心に残った一瞬を残そうと思えばこそ、瞬発的な描写になるんじゃなかろうか。そこには現実が常にある。源泉であるアートママは長い間現実だったし、今もまだ現実で居続けているのだ。
展示では絵葉書一つの表の裏が一つの額縁に入っている。裏表をはがして加工したのかなと思ったらそうではなくて、写真面の方は原寸大のカラーコピーだそうだ。なるほど。

15時から公開政策とのことで、14時半過ぎに行ったところ、折元氏本人が既に在廊。なんか気さくにサインなんかに応じていたもので、あー私もあの、川崎の図録を持ってくればよかったなと。実は持ってこようかどうしようかと思って結構重いんでやめちゃったんだけど、ちょっと後悔。で……公開制作がなんと「18時からになります」とのこと。え? 理由は分からないが、もともとそのつもりか、あるいは気が変わったとか、天才だからこれはもうこちらはどうこうできず苦笑するしかない。少なからぬお客はいたけど、多分皆同じ思いだ。さすがに3時間近くここにいるのは無理なんで、しょうがないんで、今回のシリーズの図録があって、買おうかな。買うついでにサインもらおうかな、開いてみると既にサインが書いてあった。おや、サイン入りだな。……いや待てよこれ印刷かもしれん。で、別のもう1冊見てみると、違う色と筆跡でサインが入っていて、あー、じゃあ一つずつサイン入れたんだ。それで、それを購入。既にサインが入っているのにサインを求めるのもヘンなのでそのまま帰ってきたか、家であらた めて見るとなんかおかしい。拡大してみると……えっ? これ印刷じゃん! なぜ1冊ずつ違っていたのか分からぬ。いずれにしてもかようなトリプルショックを受け、しばし立ち直れず。さらに、公開制作の様子があとから写真でアップされていたが……超楽しそうぢゃないか。うぐう……
つまりは……また機会があるであろう。

P_20190706_152100    

展示そのものはもちろんおすすめできます。図録もいいんだけど、やっぱり生の絵はいいですな。
http://aoyamameguro.com/artists/tatsumi-orimoto-postcard-drawings-and-postcards-as-documents/

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2019年7月 5日 (金)

メスキータ(東京ステーションギャラリー)

前回のブリュック展で全館撮影可能にしてしまいGWで混雑してシャッター音だらけの会場にクレームが多数発生し、結果半分撮影禁止にした東京ステーションギャラリー。今回は最後の自動ドアの向こうだけが撮影可能エリアだ。そう、自動ドアがあるからそうすればいいと思っていたところなんで、ナイス会場。それいいんだよ。写真でSNS拡散に期待するのもいいが、基本は鑑賞だぞ。しゃべるなとまでは言いませんがお静かに願いますよ。
メスキータはオランダのアーティストで美術学校の先生で教え子の一人がエッシャー。ユダヤ人だったので70歳にしてナチスに捕まりアウシュヴィッツで亡くなったが、教え子達が作品を必死に守って今回の展示に至る。白黒の木版が多い。

最初はメスキータ紹介ということで、自画像とか。ここからもう木版メイン「髭に手をやる自画像」なんてニーチェかと思ったぜ。ガイコツと一緒の「メメント・モリ」なんてのもある。高齢だなと思ったが58歳ですって。あとは一人息子のヤープを描いた版画……ったって大人じゃん。なかなか成人した子供を描く人は少ないと思うが。

それから人々、ということで、文字通り人物もの。日本の浮世絵やアール・デコなんかの影響があるんだって。裸婦とか裸男いろいろ。これがだね、白黒木版なんだがね、横線だけでできていたりする。凹凸を表すのに前方に出て明るいところは太い線、奥の暗い方は細い線って感じで表現している。これがメスキータの特徴だが、横線だけでできている裸体ってのもちょっとキモいですな。版画だけでなく水彩なんぞもあるが、そんなに強い個性はない。日本の近代洋画みたいな感じ。「横たわる裸婦」みたいなエッチングもある。「ユリ」は裸婦も使った白黒木版だが、やっぱりこの木版の方が表現にキレがある(キレがあるって表現も抽象的だが)。かような版画を見ていくとだんだんキモいのにも慣れてきて、「うつむく裸婦」あたりになるとだいぶ普通に見れる。「エクスタシー」という作品があって、ちょっと妖しいが普通の裸婦像である。しかしこれはなんとなくルー・リードの名曲「エクスタシー」が似合うな(って誰が知ってるんだ?)。「帽子の女」は輪郭を使わす線の陰影だけで表現したなかなかの傑作。「歌う女」はアール・デコ風というのか、装飾的というのかシンメトリーでいいですな。

階段を下りて、自然のコーナー。動物もあるが植物がよいな。「サボテン」小さい作品だがこの幾何学的な面白さによく気づいた。「セダム」は絹に印刷した花だが洗練されたデザインがいいね。「アーティチョーク」は例の線の太さで表現する手法。少しあとの方に、背景デザインが謎な「アヤメ」とか、これは見事にして多分エッシャーにも影響したであろう幾何学模様のような自然模様「パイナップル」これイイネ。動物もいろいろでチラシにもなっている「ワシミミズク」の体の模様、「死せる鳩」は首吊られているが、こりゃキリストか……メスキータはユダヤ人だがユダヤ教だよな。「シマウマ」はそもそもそのまま白黒版画じゃないかってんで、やらないとかエッシャーに言ってたらしいが、結局やってたのにビックリだったそうだ。あと、部屋の中央には建築系の雑誌の表紙の仕事。

今度は空想のコーナー。無意識のドローイングだとかで、シュールレアリズムのオートマティズム(自動で描く)の先駆けとか何とか描いてはあるが、まあ無意識というか、絵画というよりなんかシュールマンガみたいな感じ。タイトルに「ファンタジー」が付く。マンガ風の人物が何かよく分からないことをやっている絵がほとんどで、ここで何か読み解くという物でもなさそうだ。「泣く人々」なんか分かりやすいかな。あと、ちょっと不気味ってことではゾンネンシュターンなんかを思い出す。エッシャーよりずいぶん右脳的だ。そんな空想ものの連作などもあったりする。それで最後の自動ドアの向こうに撮影可のコーナー。本物の作品ではなく大型パネルで自撮りでインスタ映えするぞ。よかったな。

全体見るとやはりモノクロ版画の印象が強い。まあ広告通りというか。期待は外さん。
http://www.ejrcf.or.jp/gallery/exhibition/201906_mesquita.html

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