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2019年10月28日 (月)

不思議の国のアリス展(そごう美術館)

澁澤龍彦が「独身者の願望から生まれた美しいモンスター」と称したアリスである。この手の娘が出てくる創作物は、通例その「独身者の願望」によって、あらぬ(極めて女性ウケしない)冒険をさせられたりするのだが、アリスは老若男女子供にまでにウケるという奇跡的な創作物になっている。なんでかっつーと、この「アリス」の話自体、現実の女の子、アリス・リデルのために創られたのであって、ひたすら女の子(というか子供)を喜ばせようとする遊びに満ち満ちている。同時代に出ている子供向けの話は、大抵「立派な大人に育つように」という目的の、道徳的な、面白くもなんともない話だったそうで、そりゃあ人気出ますわな。そうした「面白い物語」が人々に人気であると同時に、紳士達はその萌えキャラ的な存在感を密かに楽しんでいるというわけです。俺だってその一人だし。なんたってアリスは気高いので、そこらのイケメンに心奪われたりしないんです。

んで、そごうはアリスだらけで、地下の入り口からして、そういうディスプレイがある。「リアル脱出ゲームなんてイベントもやっているし、親子向けのイベントもある。時代が経っても強力なコンテンツだ。展示の最初には、初版の本だとかなんだとか、作者ルイス・キャロルの説明。だいたい知っている話だ。ちょっと面白いのが、解説で本名「ドッドソン」になっているんだな。通常「ドジソン」なんだが最近変わったのかな。「ミュシャ」が「ムハ」になったみたいにその企画の時だけじゃねーか(ちなみに次回はミュシャ展らしい)。それからキャロル本人によるアリスの挿し絵がある。じぇんじぇんうまくない。自分の挿し絵で出版しようとしたが、美術評論家のジョン・ラスキンに止められ、あのジョン・テニエルの挿し絵を使うことになったそうです。解説にもあるが、これが見事な当たりになった。

展示ではそのテニエルの挿し絵の下絵があって、これがなかなかいい。いいったって、まあ、完成版の挿し絵とそんなに変わりない。しかし、やっぱりコレだな、というヴィジュアルであって、これを越えるのはまず無理と言える。それからキャロルは、アリスの絵がついた切手ケースなんぞ販売したりして、ビジネスのセンスもあったとか。

それからアリスのストーリーをなぞって、他の人が描いた挿し絵なんぞを紹介。最初にチャールズ・サントーレ。まあまあ手堅い。ヘレン・オクセンバリー、これがなんとアリスがヴィクトリアの装いではなく、そこらの女の子の夏服。コレジャネーヨ。でも、ヴィクトリア調にすると、どうしてもテニエルに勝てないので、あえて変える画家も少なくない。ロバート・インベンは、なんかアリスが白塗り顔だったり、オバチャン顔だったり、子供じゃねえよ。ラルフ・ステッドマンは顔の長い活発なアリスだが、なんかこれも萌えねえなあ……って、アリスしか見てねえのかよおめーは。いや、他のキャラはだいたい、似たりよったりでさ。でも、ステッドマンのジャバーウォッキーは、ナンジャコリャ感が強すぎる。ジョン・ヴァーノン・ロードとバリー・モーザーは、アリスを描かず、アリスから見た不思議の世界やキャラを描く。あー、そういう人もいるんだ。アリスものでアリスを描かなかったのはルネ・マグリットだけだと思っていたが、そうでもないんですなあ。アンヘル・ドミングスはアリスを描いているが……アネゴじゃん。女の子じゃないじゃん。女性画家か?

アリス世界のアートの広がりコーナーで、昔の映画が2つ出ている。一つは8分でストーリーを追うのに、なぜかだらだら撮っていて冗長に感じてしまう。なんだこれは。もう一つは予告編だが、こっちはなかなかがんばっている。いろいろ着ぐるみっぽいが。それから舞台の展示とかあり、で、ここで忘れちゃならない、ウォルト・ディズニーの映画。アリスのイメージでテニエルの次点ぐらいにディスニーがいる……っていうか、アリス物のゲームとかだと、このディズニーカラーの影響が極めてデカい。水色ドレスに白いエプロンとくりゃアリスだと言うぐらい、ある意味テニエルを越える。あと映画として極めてよくできていて、いや私もなかなか好きだぞ。アリスらしく、一人でも不思議世界で堂々と冒険しているのもいい。展示はアニメをもとにした漫画とか。挿し絵ではアーサ・ラッカムもよくできている。さすがイギリス人。不気味系のヤン・シュヴァンクマイエルはやっぱ不気味だわ。でもこういうヘンなアーティストまで惹きつける魅力がアリスにはある。あとなんたってサルバドール・ダリ。版画もの。アリスは縄跳びしている少女の影でしかないので狂言回しのようなもの。具象超現実ではなく、珍しく抽象画っぽい。日本人も出ている。舘鼻則孝、おや、インスタレーションかと思いカーテンの向こうに入ると、段ボール箱だらけ。ん? なんだこりゃ? 一度出る。こういうものなのか?(現代アートなんかだとアリスで段ボールの森ってのもありえない表現ではない) で、再度入ってみる。箱に「缶バッチ」とか書いてある。おい、ここの倉庫じゃねえか! 間違えた。名前の札の向こうにカーテンがあるから紛らわしい。舘鼻則孝はアリスをイメージしたキラキラの靴でした。ハイヒールだから、子供は履けないでござる。anno labというところが、ハイテクアートを展示、手を振ると、部屋に飾ってあるアリスキャラの絵がみんな一緒に手を振る。こりゃすげえ。山本容子のウサギ。あと草間彌生もアリスもの作ってるのだ、例のブツブツだが。

結構ボリュームが多く広いもんで、最初混んでいるようで、後半は客がばらける。
http://www.alice2019-20.jp/

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2019年10月20日 (日)

リヒテンシュタイン侯爵家の至宝展(Bunkamura ザ・ミュージアム)

ポップアートのリキテンスタインでわありません(当たり前だ)。リヒテンシュタイン家はハプスブルグ家と一緒に、オーストリアを支配していたんだって。1719年に侯国になったそうです。んな解説はあったが歴史はよく知らん。

入るとまず肖像群。肖像ってのは、当時の人の人となりが分かりゃあ、おお、これが、とか興味も出るんだが、単に誰かの顔ってだけじゃ結構スルー気味なんです。でもまあ今回の「侯女カロリーネ、1歳半の肖像」なんか、これ1歳半かよ。ずいぶん目力があるぢゃないか。「侯女ゾフィー、1歳半の肖像」そうかこれが後のウルトラ兄弟のリーダーか……ってこれ女じゃん。「侯フランツ1世、8歳の肖像」くそキレイだな。いやしかしこれはアレだな、岸田劉生の「麗子、8歳の肖像」とえらい違いますな(あたあた当たり前だあっちは近代絵画だ)。まー知らないと肖像の鑑賞なんてこんな感じで。でもここは肖像だけじゃなかった。フランク・クリスト・ヤネック「室内コンサート」おお、なんか気分は「ルネッサ~ンス」じゃん(貴族のお漫才のアレ。歴史用語の方ではない)。ヤネックはもう一つ「屋外での雅な音楽の集い」時代的にはロココなんで、当時流行の「雅宴画(イケてる風景の中で貴族どもがチャラチャラしてる絵)」の雰囲気。同じようなのでヨハン・ゲオルク・プラッツァー「雅な宴(うたげ)」というストレートなタイトルのもあり。一見、雅宴画なんだけど、なんと誰も笑ってないし、ちょっと狂気じみてる、いや、悪くないよこれ。おフランスのアホ貴族の宴とはちょっと違うぜっ。

宗教画のコーナー。当然宗教がベースだから絵画読み解き野郎がマウントかけてくること必至で、意味も分からず絵だけ見てるんスか~ふふ~んバカじゃないの~とか指さしてくるから気をつけろ。最初に「楽園のアダムとエヴァ 堕罪」って絵があって、楽園なだけに動物イパーイ。ジロラモ・フォラボスコ「ゴリアテの首を持つダヴィデ」カラヴァッジョ風……だよな。ダヴィデ君イケメンだな。巨匠クラーナハ(父)「イサクの犠牲」うーんボチボチかな。あとはキリスト教画がだらだらあり、中にはルネサンス期のちょい古い画風のヤツもあり、おっとルーベンスがあるじゃん「聖母を花で飾る聖アンナ」。これといって普通なので何も考えないとスルーしちゃうけど、巨匠と言われてみりゃあ色のまとまりがよい感じ。ヤン・ブリューゲル(子)「風景の中の聖母子」ありゃ、ブリューゲル展で家族構成を学んだはずだが忘れた。ヤン子はどんなやつだったっけ。左側の風景はなかなかよいか、人物はイマイチなんだが(あとで確認したらヤン子は才能あるヤン父のコピーものが多かった模様)。クラーナハ(父)「聖エウスタキウス」赤い衣装「聖バルバラ」これも赤スカートと金地がナイス。赤の使い方冴えてるね。ダニエル・グラン「貧者に施しを与えるポルトガルの聖イザベル」どこぞの祭壇画の習作だぞうだが、これ絶対萌え画(要するに美人画)だろ。シモーネ・カンタリーニ「少年の洗礼者聖ヨハネ」これもカラヴァ風だよな。当時カラヴァッジョ凄かったんでみんなカラヴァッジョみたいになってるよな。

神話画、歴史画コーナー。ここで驚いたのは絵画でなく「ウィーン窯・帝国磁器製作所」の絵皿の数々。キレイ、色鮮やか、絵画にも劣らぬ出来映え。これがあれば、デカい絵いらないじゃんとか思ったりする。うむ、陶磁器はバカにできんな。いつか行かなきゃ陶板画パラダイスの大塚国際美術館。えー、絵画ではルーベンス工房「ペルセウスとアンドロメダ」工房作にしちゃあ上出来じゃなかろうか。例よってアンドロメダは裸にされてるし、ルーベンス好みのボリューミーな感じで(食い物かよ)描かれとる。フランチェスコ・マジョット「バッカスとアリアドネ」時代もさることながら雅宴画風。アリアドネが無駄に片乳出しやがって、そんなことでは太田弁護士からクレームが来ちゃうぞ。フランチェスコ・ズッカレッリ「侍女と猟犬をともなうディアナ」……え? この少し高いところに立っている萌え萌え娘がディアナですと? ギリシャ神話でいうアルテミスで、月と狩猟の女神で気性も激しいはずだがの。近頃あらゆるものを萌え娘化しているのにお嘆きの皆様、それはこんな時代からやっておるのです。

磁器、西洋と東洋の出会い、ということで、絵画は静物画かちょこっとあるぐらいで、あとは磁器、中国ものとか、日本の有田焼とか、東洋もののコレクションだけではない。なんと現地の金属装飾と合体させて、キテレツなものを生み出したのです……いや、キテレツってわけじゃないな、なかなかよくできてますよ。「染付山水文金具付きポプリ蓋物」青い山水の陶器に、金色の金具をくっつけて、ちゃんとまとまっている。

続けてウィーン磁器製作所のコーナー。先のスゲエ絵皿を作ったところでもある。そこの磁器いろいろ。カップとか、皿とか、まあ実用品群なのでどってことはないのだが、「星形蓋付砂糖入」はデザインがアール・デコ風でなかなかモダーンですよね。でもこれ時代的には1820年だから、ぜんぜんアール・デコでもないんだが。

次は風景画なんですが、ヤン・ブリューゲル(父)「市場への道」えーと、先も書いた通り特徴を忘れたが(これもあとで確認したがヤン父はピーテルの次男坊で才能あるヤツ)、風景はなかなかのようで。ここで面白いのが一つ。フィリップ・ワウウェルマン「鷹狩り」とそれを元にしたウィーン窯の絵皿「鷹狩り」が並んで出ている。絵としてはほぼ変わらんものの絵皿にするに当たって、色彩が明るく雰囲気も爽快になった。なるほど皿だもんな。絵画ではフェルディナント・ゲオルク・ヴァルトミュラー「ダッハシュタイン山塊を望むアルタウスゼー湖の眺望」なんとえらい写実画だ。山塊を見渡すところで大変広々している。

最後は撮影可能な、花の静物画コーナー。別にここもどうということはないんだが、唯一、先のヴァルトミュラーがここにも2点ある。これがヤバい。ド写実。ホキ美術館に並んでいてもおかしくない。「磁器の花瓶の花、燭台、銀器」銀器の映り込みがエキサイティングで、「赤と白のブドウと銀器」ブドウと器の質感ヤベエ。バカテク。こういうのがあると嬉しくなっちゃうぜ。

雅宴画とキレイ陶板画とバキバキの写実画と、なかなか意外なところで得る物があったぞ。
https://www.bunkamura.co.jp/museum/exhibition/19_liechtenstein/

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2019年10月13日 (日)

岸田劉生展・後期(東京ステーションギャラリー)

えーと、一週間以上前に後期にも行ってきたので、その話を。なんたってパスポート持ちなので、行かなきゃ損じゃ……とはいえ、そう大量に入れ替わっているわけではなかった。

初期の水彩は結構入れ替わってますな。「雨」は前はなかったが、うん、まあ手堅くうまい。「築地風景」とか油彩の「築地居留地風景」も入れ替わっているが、同じタイトルのものが同じ場所で入れ替わっているので……何か違うのか、という感じだ。「怒れるアダム」なんていうエッチングも同じものが別所蔵のものに入れ替わっているようだが……いや、要は版画だから、見ている側としては同じだよなあ。

明らかに前に無かったのは「The Earth」という木版。人体が土の中という、ちょっと神秘的表現が珍しい感じ。鉛筆画の「草」もなかったね。これは写実。これマジうめえよ。「画家自画像」……ったって沢山あるが、その一つも後期初だった。ええと、頭になんか巻いてるヤツ。描くのに木炭とかチョークとか使っている、要は油彩じゃないよ。「蓁」という顔も前なかった。

それから麗子については、顔がマルマルとしているいやマジでマルマルの「麗子立像」、木炭で描いた「麗子之像」……あれ、どんなんだっけ? 逆に「麗子微笑像」や「麗子坐像」は、これ前あったっけとか思ってしまったが、あったんだって。うむ、これはですな、その前のところにある「麗子八歳洋装之図」がかなりのインパクトなもんで、ついそのあとに並んでいるヤツの影が薄くなってしまうのだよ。

あとは「白狗図」という……白キツネか? それが前はなかったと分かる。あと、日本画は結構入れ替わっているのだが……春が夏にとか、同じ作品内の違う部分とかいうもんで……ん? 作品ごと入れ替わってるのもあるな。ううむ、でも同じ感じなもんで、出品リスト見なけりゃ気がつかないし、見ても忘れているのだ。
主要作品はほとんどそのままでしたな。
http://www.ejrcf.or.jp/gallery/exhibition/201908_kishida.html

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2019年10月 7日 (月)

エドワード・ゴーリーの優雅な秘密(練馬区立美術館)

先日、「トロッコ問題」というものを小学校で行ったところ、それを聞いた親から子供を不安にさせないでとかいうクレームが来て、先生が謝罪したとかなんとか。これがなにかっていうと暴走トロッコの行く先に5人の作業員がいて、このままでは5人死んでしまう。しかし待避線があり、そこには作業員が1人いて、トロッコを待避線に誘導すれば死ぬのはその一人だけだ。どうする? というもの。マイケル・サンデルの哲学書で有名になった(一応読んだことあるよ)。この場合、「犠牲が少ないんだから待避させた方がいいんじゃない?」という意見が多いそうだ。うむ、よし。しかぁし、これには続きがある。線路脇に人がいて。そいつを線路内に突き飛ばすと、暴走トロッコは止まって5人は助かる。さあ、君は突き飛ばすか? これは……ちょっとできないんじゃないかな? なぜ? どうして? 一人が犠牲になって5人が助かるのは同じだぞ……と、まあそんな際どいことを延々と考える思考実験だ。クレームを入れたヤツは、子供には明るく楽しい不安のないものを与えておくべきだと思っているのかもしれない。しかし、日常のちょっとしたことで「不安の世界」が出現するのは、誰もが知っているはずだ。
で、エドワード・ゴーリー。アメリカの絵本作家。割と最近の人です。絵本は明るく楽しいもの、と思っている向きには唖然とするような作品を作ったもんだ。それも細密なペン画で。それは黒い線だけで生み出された不気味で不安で、しかし魅力的な世界。その原画展。いや、私は実はぜんぜん知らなかったんだけどね。絵本を読めるコーナーが展示の最後にあり、そこでいくつか読んだ……うわっ、これはヤバい! 熱狂的ファンがいるわけだ。「不幸な子供」なんて、後味悪すぎ。小説ならともかく、これ絵本だぞ。まあこれ、どう見ても子供向けじゃないよなあ。

展示は年代順という感じ。ペンとインクによる絵本原画がずらり。でも沢山の絵本のそれぞれから数枚ピックアップなもんで、原画展示だけ見ても絵本のストーリーというか全貌が分からない(一応あらすじっぽい解説は出ているが)。最初に「現のないハープ」5点ほど。うむ小さい。でも細かい。ここの人物は、あのほら、スピルバーグのE.T.に似て。目鼻口が前方に出ている。それから有名な絵本だという「うろんな客」原画4点。なにやら妙な生き物が、家に居座っていろいろやらかす話。これはいろんな国の言語に訳されているようで、その展示もあり。「ギャシュリー・クラムのちびっ子たち」これがなかなか強烈で、A~Zのアルファベットに従って、子供が一人ずつ死んでいく。うひゃあ。こんな絵本をどういうメンタリティで作成しているのかね。絵本読めるコーナーで全部見たけどね、結構ストレートに死んでるヤツもあるんよ。「ウエスト・ウィング」はただの室内風景。でも不気味な印象で不安な気分にさせる手腕はすごいです。文章がない分、これが結構クる。シュールレアリズムにも近いかな。絵本はまだいくつも出ているが、ここでもう一つ「おぞましい二人」これなんぞは完全大人向け。実話ベースだって。でもちゃんと絵本だ。いろいろ原画を見て、気になる人は展示の最後にある、絵本コーナーで読んでから(全部あるわけではないが)、あらためて行くとよい。わたひもそうした。やっぱり話を分かっている方が、原画も楽しめる。救いのないヤツばかりではなく、「キャッチ・ゴーリー」のような、愛嬌のある猫キャラでまとめているる場合もある。キャラものでは「荒れ狂う潮:あるいは、黒い人形のごたごた」。これはキャラもの……なんだけど、妖怪ともなんとも言えない人形っぽいものの戯れ。4人おるが、一人は足がなくて松葉杖とか、そういう不気味系なもん。

ゴーリー作の絵本だけじゃなくて、他人の原作で絵を描いたのもあり。「輝ける鼻のどんぐ」文字通りだ、鼻がすげえ造形。輝きはサーチライトのごとく。有名なミュージカル「キャッツ」の原作絵本も、絵はゴーリーが描いたんだって。それからゴーリーの手紙の封筒が出ているが……封筒の表紙すなわち宛先を書いておくところが全面絵になっていて、住所はその中に不自然なく書き込まれている。すげえなこれも。日本でも誰かやらねえか。あとは舞台美術。「ミカド」という日本っぽい舞台で、衣装デザインがギルバー&サリヴァンだそうで、衣装デザインが……ん? なんじゃこりゃ? これはちょっと日本っぽいけどさ、成人式のオーダー衣装よりセンスがないぞ。あとはポスター群。大きいのはいいんだけど、やっぱ原画の迫力の方が、あると思う。

全体を見ると、やっぱり最初の方の絵本原画の密度、魅力が相当なものだ。いやしかし「不幸な子供」なんて、なんであんなもの作ったのかね。解説なんぞでは、当時のヴィクトリアの絵本のお約束、「いろいろあるけど、結局ハッピーエンドだろうねえ」という「お約束」をぶブチ壊すために描いたようなことになっているし、それがまた高く評価されたことになっている。しかし、恐らくはそれだけではなくて、我々には人の不幸を愉しむ嗜好があるんではないか。同情したり悲しんだりする、そのすぐ背後に、何か高い酒でもたしなむようにちびちびと、哀れな者達の不幸と嘆きを痛みとともに愉しむのである。それは展覧会のサブタイトル「優雅な秘密」であり、サドを訳したかの澁澤龍彦言うところの「高貴なる種族」の高貴なる趣味なのだ。

さて君も味わいに来ないか? 原画だけでなく、絵本そのものも待っておるぞ。 
https://www.neribun.or.jp/event/detail_m.cgi?id=201906011559352588

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