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2019年12月30日 (月)

未来と芸術展(森美術館)

ギロッポン♪ ……なーんて、よしゃあいいのに正月休みの日曜の六本木ヒルズ、すいてるわけがない。しかし、他に開いている美術館がないのですよ。じゃあ行かなきゃいいじゃんって言うかもしれないんだけど、オレとしてはせっかくインフルエンザが治ったんで、どこか行きたいじゃん。で、行ってきたんだが、大規模企画で未来技術と、未来建築と、現代美術が混濁  したような企画で、情報量が多く、映像作品も多い。まともに全部見るのは半日でも厳しいのではなかろうか。

会場に入る前に3階でAIの美空ひばりを見る。あーなんか話題になってたヤツね。最新技術を駆使して、なんと新曲を作ってしまった。作詞は職人秋元康だ。どんなものかと思っていたが、これが結構よくできていて驚く。AIだからという先入観で、歌に魂がこもってねえなあ、と言えなくもないんだけれど、何も知らなきゃ普通に美空ひばりが歌ってると思うぞ。YAMAHAのボーカロイド技術もここまできたのだ(ボーカロイドって素になる声があったはずだ)。映像も、動きはさすがに大きくはないが、特に違和感はない。美空ひばりにこだわりがある人は感動するでしょうなあ。

52階の会場に入り、最初は未来都市。アブダビのクリーンテクノロジー都市があり、パリのスマートシティ……はちょっと有機的過ぎてキモいぞ。建物は普通に縦横の建物でいいと思うんだが、なーんか未来を夢見る人は有機的なうにゃうにゃしたデザインにしたがるようだ。水上都市の紹介があり、MADアーキテクツの山水都市とやらがあり……これも有機的ですなあ。なんかキメエな。全ての階において、フロアの形状も広さも違うんで、結構不便だと思うぞ。建物は建物らしくした方がいいんじゃないか? それから地上に住めなくなったときのための、雲の上の大気圏内での都市……って、これどうやって浮いているのだ? あとは東京が水没したことを考えて、バイオスフィア(球体)を浮かせて住むとか。それにしてもそこらじゅうに3Dプリンタでとか書いてある。オレは勤め先で3Dプリンタの仕事をしてるが、そんなデカいものを簡単には作れませんぜ。もっとも次の展示において、3Dプリンタというのはどうも「自律して動く造形機械」みたいな認識をしているらしいと分かる。あとは、映画における未来都市だかがあって、映画の予告編いくつか。「メトロポリス」や「AKIRA」なんぞもあるね。

「ネオ。メタボリズム建築」ということで、特に中心もない構造体。これまた3Dプリンタで何でもできるような解説しているが。なんか危ういんだよなあ。期待しすぎじゃね? ちなみに3Dプリンタの個人向け需要はちょっと下降気味だゾ。一応、ここでも「自律して造形してゆく機械」という認識があるようだが。それから「ムカルナスの変異」という展示作品があるが、計算立てで作られた造形が有機的に見えるというもののようだ。これは昔「複雑系」が流行った頃、数式が作り出しているにもかかわらず有機的形状であるところの「マンデルブロ集合」とかあったんだがね。オレは「複雑系」には未来があると思ったがもう死んだのか? AIに未来のお株を奪われてしまったか。あとはシンガポールの緑化ビルとか、彫刻的造形の中に藻が入っているものとか(ポスターになっているヤツかな)、有機キノコのレンガとか。それから、普段閉じているのに人の体温を感じで花びらのように開く造形物があるが、人がいっぱいでよく分からん。
それから自動車シミュレーターがあるけど、一人はAR、一人はVRで進む。会場がすいてりゃすぐに体験できるんだがね。竹中工務店の有機的っぽい明かり、ぬいぐるみ的ロボットの「LOVOT」。前回のブログで書いた、形状は生命から遠いが、挙動により「愛嬌」に変わるというもの。コレもそうだね。他にも食用のゴキちゃんとか培養肉とかの予想広告みたいなもの。あとは3Dプリント技術で、複雑な「にぎり」を作る寿司マシン(のレプリカ?)がある。何をするのかはビデオで紹介されるが、ヘンテコで結構面白そうだ。

「身体」のコーナーで、まずは五体不満足乙武さんの義足プロジェクト。おお、なんか足が生えているゾ。でも歩くのはなかなか厳しそうで、何とか7.3m歩行。それにしてもコケたら怖い。それからデッサンのロボがある。5台もある。カメラでとらえた顔を描いていく。よくできているのである……が、描いた見本を見ると、やっぱり機械で描いてるなあ、感が抜けない。例えば顔の一部では「目」を「目」として認識していないのですよ。もちろん事前に与えられた「顔の中に2つある目という形状」に合わせてそこにあるものを描いてはいるが、例えば「このモデルにゃ目力を感じる」とか「優しそうな目をしてるな」なんてことは考えないので、そういうのは一切デッサンには入ってこない。逆に、人間がやるデッサンには多かれ少なかれ、そういう、相手に対する感情が込められるのではないかと思うわけですよ。あと、脳神経シンセサイザーなるものがあったが、まあ音に変換してるってだけのようだ。

それからなんか暗いコーナーに入って、やくしまるえつこのなんだっけ……絶滅動物のDNAを音楽に変換したとかだったかな、うん、歌が他愛ない感じだったもんでスルー気味。なぜかライフゲーム(カオスのレベル4)の映像が使われていた。それから3次元プリンタでの臓器とかあって、いよいよ目玉(かな)のゴッホの耳の再生品。父系と母系の子孫の遺伝子から細胞を培養して耳にしたとかで「タンパク質彫刻」なんて書いてあった。情報がなければただの耳なんだが。えーと、それからなんかあったけど忘れた。あーそうそう「身体の改変」とかで、赤ちゃんを整形しちゃった想定人形と写真。頭に襞着けて放熱に有利だとか、そういう人体加工な。結構キモい。そしてこれはありかどうか? 君も考えよ。森村泰昌のゴッホなりきりがあり、オランウータンに育てられる人間の赤ちゃんの人形っぽいのがある。

「人間」のコーナー、んーと、赤ちゃんみたいなプリミティブな挙動をするロボ映像に再会。前もここで見たんだよな。手塚治虫「火の鳥 未来編」の原画。おお、これは実家にあって何度も読んだヤツだぞ……こんなシーンあったか? というのが1枚あるんだが。それから死ぬ間際の人の腕をさすって大丈夫ですよとか言うマシン。いかにも機械なんだが、どーせ誰がさすってるかなんて分かんないからこうしときゃ人手もかからずいいんじゃねというブラックジョークみたいなヤツ。AIによるちょっと不気味な風景映像。それから顔を認識して壁に大写ししちゃう部屋。アルゴリズム裁判。アルゴリズムで人が死んじゃったら誰が責任とるの問題(AI倫理でも問題にしてたヤツね)。最後はアウチの「データモノリス」普通にカッコイイ。

とても全部は見てませんが、ボケーと見てても、なんか未来っぽいのは分かりますね。あと、やっぱりすいてる時に行った方がいいよなあ。それから個々の物はそれぞれに深いところがある。どれかに食いついて深入りするのも一興。アートばっかり見てねえで、たまにゃあ地球の未来でも考えようぜ。
https://www.mori.art.museum/jp/exhibitions/future_art/
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2019年12月28日 (土)

不気味さと愛嬌と(渋谷パルコミュージアムと銀座ソニーパーク)

 これらに行ってからもう一週間ぐらい経ちますが、一応書いてはあったのだが、アップする前にインフルエンザになってしまいクタバっていた。予防接種していたもので、体温38℃で咳鼻水はほとんどなかったんで、インフルとしては軽い部類かもしれないんだが、それでも体はキツいし5日間ぐらい安静とかつまらぬ。

さて、渋谷パルコが新しくなったので、先日やっと行ってきたのです、パルコミュージアムが池袋から渋谷に戻った。その初回企画の大友は見逃してしまった。第2弾企画のWonderlustに行った。知ってるのは日比野克彦と蜷川実花ぐらい。日比野の段ボールは相変わらずユルくて、蜷川はさすがどんな写真でも様式がある感じで、見れば蜷川と分かる。あとはどうというもんでもなく、ああパルコ好みだな、という感じ。なんていうかな、あまり洗練されていなくて、ちょっとエロいとかエグいとかの感じで、でもこれ推すとセンスいいみたいに見えなくもない、みたいな。

しかし、グルーヴィジョンズの「chappie」人形にはギョッとさせられた。等身大のヤツで、なんとも不気味なのだ。これ知ってるぞ。元は2次元イラストなのだ。同じ顔のヤツらがずらっと並んでいる。しかし、全員服が違う。顔といっても変な顔ではない。一見「楽しそう」なのだ。ニコッとしてるのだ。しかしそれが怖い。なぜだ? chappieは着せかえキャラだから。顔が同じで当然なんだよね。じゃあ、ずらっと並んでいるのは同じ人かというと、多分違う。これは「人々」だ。しかし全く同じ楽しそう顔だ。不気味だ。怖い。キモい。そう感じない人もいるだろうが。なぜかって理由の説明は割と簡単で、つまり、私はこの並んだヤツラに、恐ろしく個性のない画一性を見てしまうのだよ。「服は一人一人違うし、個性あるじゃん」って言うかもしれない。でも、逆に言うと、服の違い程度しかない個性。これすなわち、作り手と受け手がいずれも「この程度の違い」しか許容できないというショボい寛容性。この「chappie」はアプリでもあるそうだが、iphoneアプリしかないらしい。おお、それ、いかにもじゃないか。androidはいろんな会社から出しているんで、結構顔が違う。しかしiphoneは基本、同じ顔だ。そして個性はiphoneケースで発揮される。見よ。家電量販店に行った時のケースの種類の違い。iphoneの方がandroind機より圧倒的に数が多い。まさにchappieの世界、みんなと同じが安心する。iphoneでアタリマエ。iphoneのケース程度が、許容できる個性の限界ということなんだ。で、これが立体なんだぜ。同じ笑顔じゃないか。キモい人形どころではない。なんだこいつは、としか思えぬ。一見愛嬌があるが、その背後には怖さと不気味さを感じる。個性の許容差があまりに少ない集団に埋没している心地よさと、排他性を見てしまうのだ。もちろん作り手にそういう意図なんぞはないだろうけど、誤読もまた作品の一部よ(意図的な誤読は除く)。
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さて、場所は変わって、銀座のソニーパークって、どこだか分からなかったのだが、なんとソニープラザがあったあとに、地下施設を作ったのだ。地上は公園っぽいだけでほとんど何もない。企画「Affinity in Autonomiy」人とロボティクスの共生。だそうで、入ると、最初は、人の動きなどに反応する。ディスプレイ作品。ディスプレイの前に立つとなにやらもやもやした光が反応。動いていると、粒々みたいなのが画面にまとまりを見せて、人の形のようなものも作る。センサーによる認識。
次は球体がいくつも床に転がっているが、一つ一つ個性があるそうな。人を認識すると寄ってきたりするし、撫でることもできるなかなかカワイイヤツである。どの人を認識したかは、壁にディスプレイされる。フロアを見渡すセンサーがついているのだ。勝手に動くボールなんて、不気味と思うが、人の動きなどに影響されつつ動いているのを見ると、ちょっと動物っぽい愛嬌も感じてくる。これが、なんかchappieと逆なんだよね、と言いたいのです。
人型ロボットには「不気味の谷」というものがあり、いくら人間に似せて作っても、ちょっとした機械的動作などは、人間は見抜いてしまい、非人間的なものと見なすが、見かけが人間と似ているとそれだけで気持ち悪い存在になる。はじめから球体という、人間どころか生命にあらざるものという認識から、若干の人間っぽさを加味すると、今度は愛嬌になるのだ。今時の癒しロボットなんて、見かけはいかにもロボットだったりするのは、そういう効果のためかな。

次もライト付きアームが、人を認識すると照らしてくれたりするというもの。キャッチされた感じがする。あとアイボ(ロボット犬)がいるが、特別仕様で、現在の感情を表示できる。私が見た時は、「恐れ」が半分とかだった。よくできてるっちゃあよくできてるが、AIである限り、疑似生命の域を出ないはずだ。ただ、それもあまり関係ない。人は生命体でない物にも生命を感じるものである。

以上2ヶ所の話。
https://art.parco.jp/museumtokyo/detail/?id=339
https://www.ginzasonypark.jp/program/020/

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2019年12月18日 (水)

坂田一男 捲土重来(東京ステーションギャラリー)

日曜に鑑賞。フランスで活躍し、アヴァンギャルド岡山で活躍した知る人ぞ知る画家のようです。抽象画家です。
何しろ絵のタイトルが「コンポジション」とかばかりなので、何というタイトルの絵がどうという話もできない。

最初の方にはフランス時代だと思いますが、キュビズムだとか、フェルナン・レジェ風の作品が並んでいる。「裸婦」とかのタイトルでも絵はキュビズムとかね、レジェかと思ったら坂田の「コンポジション」とかね、人物を描いて顔が丸くて目が点とかでちょっとカワイイとか。あと「デッサン・裸婦」なんて普通にデッサンもできるじゃん(当たり前だ)。それから、これはレジェそっくりだなあ、と思ったら、なんとレジェの絵も出ている「緑の背景のコンポジション(葉のあるコンポジション)」。

フランスから帰国してきて、絵画的には手榴弾をデザインしたものが出てくる。外を破って爆発するぜという、画家の心意気のようなそうでないような。あとは黒板にチョークで描いたような質感が見られるようになる。平面的にして、ざらついている感じ。それから静物画があったようだが、よく覚えておらず。なんとなれば、モランディが1枚出てた。やっぱり静物がキマっているね。坂本繁二郎の「モートル図」このパステルカラーのデカいモーターも奇妙だ。これどこか見たな。練馬かな。ニコラ・ド・スタールの「三個のリンゴ」妙な質感だが、坂田より厚塗りっぽい。

階を移動して、なんでも1944年に倉庫が冠水の被害に遭い、絵がほとんどダメになっちゃったってしかし坂田は転んでもタダでは起きない。自分の創作のヒントにしてしまった。「エスキース」なんていう「下書き」の段階で、既に冠水で剥げている感じのデッサンが残っている。つまり演出の一つとして、冠水被害を採用したのです「この剥げーっ!」。こうした冠水っぽくしちゃった絵の完成品もいくつか出ている。

えーそれから抽象画は変化を続ける。もはやレジェではありませんなあ。「アンサン」とかいうのは着物の人の顔か? 金魚鉢モチーフなんてのも出てくる。あと「スリット絵画」と呼ばれる。横長四角積み重ねみたいな絵が登場。なんか難しい漢字みたいですな。それからパネル解説で「男のパラダイス」とか書いてあるが何かと思ったら「坂田一郎のパラダイム」だった「一」が「|」に見えた。どんな考えで作品を創っていたかの簡単な解説。それから参考出品でジャスパー・ジョーンズとか。あと「オダリスク」というのがあるが、これ元ネタはアングルのアレか? と思ったら、キリストの何からしい。もちろん半抽象。あとは年代がよく分からないデッサンとか小品いろいろ。中にはデカいのもある。

なんとなく以前見た山田正亮を思い出す。あそこまでストイックではないかな。でも、手法が変化していく抽象画が好きならイケるであろう。というか、大抵の抽象画家って作品をまとめて見ると、結構こういう感じで常に考えながら動いてるんだよね。
http://www.ejrcf.or.jp/gallery/exhibition/201912_sakata.html

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2019年12月 8日 (日)

来るべき世界 科学技術、AIと人間性(青山学院大学)

主宰が青山学院大学シンギュラリティ研究所だそうです。12/13に「AI倫理」のトークイベントがあり、それに参加するので、中興新書ラクレの「AI倫理」を読み、さて展示の方はいかがなものかと一足先に見る。「来るべき世界」ですよ「AI」ですよ「シンギュラリティ」ですよ。どんな驚異の、センス・オブ・ワンダーが展示されているかと期待しちゃうじゃん。でも展示の方はね……なんていうか、普通の技術寄りのというか技術とはなんぞやみたいに考えました的な現代アートというところで、この壮大なタイトルにふさわしいかというと「?」であった。オレが意図が読みとれていないのかな……いやー、でも、センス・オブ・ワンダーなんて結構一発で分かったりするもんだがね。

例えばですよ、フラクタルCGの「マンデルブロ集合」ってあるじゃん。知らない? ググれ。まあ、そういうのがあるんよ。これはコンピュータの処理能力が上がって初めて出現したイメージなんだ。いくら拡大しても複雑さが失われない宇宙的造形美。初めて見たら驚異的な代物。まさにセンス・オブ・ワンダー。これに代表される「複雑系」はアート表現にも使われたわけです。今はあまり流行ってないようだけど。で、「来るべき世界」を感じさせたかったら、それこそ「AI倫理」にも書いてあるAIによるアートを出した方が、まだ企画のタイトル通りな感じがしたと思う。人間がいくら頭をひねっても人間の思考を越えない。

AIは膨大なデータから最適解を見つけだす手段で、シンギュラリティとは、その解が人知を越えるような場合のこと。まあ囲碁や将棋でAIが名人に勝っちゃう時代だけど、出だしから定石を外した打ち方で勝つなんてのはまさにシンギュラリティだ。それをアートに持ってきてくれよ。なんかシュールレアリスム時代にやっていたオートマティズムの方がまだ「来るべき感」があるような気がするぞ。

一応AIだのなんだのを忘れて、現代アートとして見ればまずます。食堂にある「トラロープ」なんてチカラワザも嫌いではないぞ。
https://www.aoyama.ac.jp/post06/2019/event_20191116

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2019年12月 7日 (土)

ここから4(国立新美術館)

ブダペストもカルティエも放ってこっちである。なんたって「障害・表現・共生を考える5日間」だから5日間しかない。明日の日曜までじゃん。いいテーマでも短いと見落としてしまう。まあ場所がいいだけに短いのはいたしかたない。そもそも「ここから」の1~3を私は知らぬ。見落としている。

アートが単なる心地よい鑑賞物でコラボスイーツ喰ってコラボグッズ買ってあーいい一日だったおしまいって人もおりますが(王道?)、生きるための表現手段であったり、社会に訴えかけるツールだったり、そういう面をもっと出していいと思うんです。そういえば、前にテレビゲームの展示だったか、紛争地帯やら、占領地やらを舞台にした社会派のゲームってのが海外なんかじゃあるわけですが、日本じゃ作ってねえのかよ。アートであれゲームであれ、娯楽品一辺倒じゃ寂しいぜ。

会場は緩くコーナーに分かれている「いきる-共に」「ふれる-世界と」「つながる-記憶と」「あつまる-みんなが」「ひろげる-可能性を」あとは「アイヌ文化にふれる」というもの。いわゆる障害者アート群かと思ったら、そればかりではなく、障害をはじめとする共生をテーマにしたプロの作品もあるわけです。あと最後のアイヌも異文化との共生ですな。で、ギャラリートークのタイミングで入ったもんで、それを聞いていた。

目についたもの。いきなりプロの漫画家だが萩尾望都の漫画「半身」の原画(一部複製)。初めて読んだ。結合性双生児の話だが。短くもなかなか切ない。それからしょうぶ学園の「nui project」既製服に自由気ままにいろいろ縫いつける。なんちゅうか「デコる」んですな。普段着れるものではないが、なかなか評価が高いそうです。視力を失った西野克の、作品というか、噛んで砕いて、一度耳に入れたら完成という、一見ゴミ片のようなもの。何かの表現ではなかろうかということで出ているが……確かにそれなりのケース内に置いてあれば、それなりの展示品になる感じ。

この「表現する」という言葉は非常に強力で、全くアートと関係ない話をしますが、クローン人間を推進しているラエリアン・ムーブメントが、幼くして亡くなった子供のクローンによる復活をもくろんでいたそうで(実現したのかな)、その親の言い分というのが「遺伝子コードに自分を表現する第2のチャンスを与えてやりたい」ってなものなんです。ここで「表現」という言葉が出る。単に「生きる」よりも強力なワードとして「表現」を持ってきているし、それがまあ良くも悪くも推進力になっているわけですな。

さて、同じく視力をほとんど失った上嶋重次はそれでも絵を描く。抽象画っぽい。二人組のアポトロピアは松葉杖を用いたダンス表現のビデオ作品。交通事故に遭ったが、それでも踊る人。それにしてもパワフルだ。筋肉すげえ。押見修造の漫画「志乃ちゃんは自分の名前が言えない」発語が困難な女子高生の話。「スラムダンク」で有名な井上雄彦の漫画「リアル」の原画の複製。これは車いすバスケ。まあ、漫画本が読めるわけではないんで、これはこういうものがあるということで。名前をよく聞く「やまなみ工房」所属の鵜飼結一郎「妖怪」巻物風。昔風の貴族やら、かと思えば恐竜とか、果てはアンパンマンとか、ギッチギチに描いてある。マスカラ・コントラ・マスカラという3人組ユニット。覆面レスラーの絵に、記入された妙なコメントが冴える。なかなか面白い。絵を描く人、コメント書く人、その間を取り持つ人、という完全分業らしい。有名レコードジャケットの覆面レスラー化作品もあり。えーと、森本晃司の疑似家族をテーマにしたアニメ作品「永久家族」。これはプロの作品ですな。和田淳の腹筋ゲーム「マイ エクササイズ」これは前に見たな。ボタンを押すと少年が腹筋。回数に応じて何かが起きる。結構音デカい。いがらしみきおの「ぼのぼの」を視覚障害者用にした作品。触って分かる……のだろうか? それが吹き出しか絵かの判別もなかなか難しそうだが。本田達也「Ontena」身につけて音に反応して光って振動する聴覚障害者用メカ。電波で受信した音源を振動にできる機能もあり、これで後のアイヌ早口言葉アニメを見れる。なんかフラワーロック(懐かしいね)と同じじゃんと思ったが、多分もっと高性能だぞ。佐々木省伍の絵、よくある感じの抽象画風アート。佐々木華枝の絵、ヘリコプターとか消防車をカワイイ絵に。この二人BEAMSとコラボして作品をシャツにした。華枝のシャツの方がカワイくてなかなかよい。

最後にアイヌ関係ビデオ。早口言葉はアイヌ語だが……アイヌ語サッパリ分からない。

様々な人が入り乱れた表現。生きていれば人は何かしら表現する。それを敏感に汲み取ることもまた共生と言えよう。無料だし遊べるものもあるぞ。
https://www.kokokara-ten.jp/

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2019年12月 4日 (水)

ハプスブルグ展(国立西洋美術館)

ポスターになっているあの青いドレスのマルガリータ王女、前に藝大美術館で見て、なんかイイもんだからTシャツを買ったら、どうもインクジェットで印刷した紙(?)を貼っているようなヤツで、何回か着たらボロボロになった。確かにあの手合いとしては安かったような記憶があるが。
展示は歴史順なんですが歴史はサッパリな私です。肖像画も多くて、何やってる人か分からないと、ふーんそうで終わる人も多い。よってこの展示を十分エンジョイするには、歴史と人物とキリスト教の知識あとローマ神話の知識が要ります。「絵はただ見ているだけではダメ。読み解いて意味を知ってこそ至高」とかいう読み解き厨は歓喜。

最初はマクシミリアン一世の肖像で、オレの感想は「ああ、人だな」ぐらい。で、いきなり下の階に降りていく。デカいタペストリーと甲冑が目立つが、この甲冑が、何ともカッチュイイいやカッチョイイ。そうだよなー西洋甲冑なんて、ほとんど見る機会無いもんなー。実戦用でなくて、カーニバルとか、装飾用だそうで、何ともデザインが繊細にして凝っている。最初にあるマクシミリアン一世の甲冑なんて、古さを感じないのう。ドレスみたいなのもあるし、まあそれにしても金属だから、身につけると実に重そうだね。あとはクラーナハがあると思ったら版画。工芸品も並ぶ。金属細工は繊細だ。ホラ貝ってデカいんだな。絵画ではジョルジョーネの「青年の肖像」ってこれ前に見たような。デューラーの描く油彩「ヨハネス・クレーベルガーの肖像」はなんか日本の芸能人っぽい。バルトロメウス・スプランゲル「メルクリウスの警告を受けるヴィーナスとマルス」これ、裸のヴィーナスを描きたいだけだろ。ちょっと太田弁護士呼んでこい。ヨーゼフ・ハインツ(父)「ユピテルとカリスト」ううむ、これもR18か? ちょっとそんな感じで。あとまた工芸品。おっと「十字架杯の日時計」なんてのがある。これはどうやって使うのかな。「装飾鉢」は細かいぞ。「金属細工の小籠」金の糸みたいななのをコシャコシャやって作っている。それから上の階に行き、デューラーの版画とか。

スペインもの。ベラスケスが並ぶ。4つも来てるじゃん。「宿屋のふたりの男と少女」これ、前も見たかな。うーん、でもうまいね。仕草表情意味ありげというか、この絵の意味を聞いたことがあるようなないような。こういうのを解説に書いておいてほしいなあ。なにイヤホンガイドのみ? そりゃないぜ。例の「青いドレスの王女マルガリータ・テレサ」と再会……って、記憶だともっと鮮やかだったが記憶違いか。隣に同じようなのが「緑のドレスの……」なんだけど、まあほとんど同じだな。でも、やっぱ色は青の方がいい……あれ、これベラスケスじゃねえじゃん。パチモンじゃねえか。ヤン・トマスのなんとかの宮中晩餐会は人がイパーイ。それから、チェーザレ・ダンディーニ「クレオパトラ」辱めを受けるぐらいならと毒蛇で自害。毒蛇小さいね。まあ、主役はクレオパトラだし。「東方三博士の礼拝」ヤン・ブリューゲル(父)の作品に基づくですって。模写じゃん。うまいけど。パリス・ボルドーネ「緑のマントをまとう女性の肖像」腕太っ! ……っていうか、当時の普通の女性は概ねこんな感じなのかな。だって働いてりゃあ、電気洗濯機も無いんですよ。手洗いですよ。電気掃除機も無いのだよ。腕の筋肉もつくでしょうに。あとまた肖像いろいろ。ヴェロネーゼ「ホロフェルスの首を持つユディト」あー、これエッチじゃないけど人気のテーマだねえ。ユディトとグロい生首のコントラストがそそるのか。バルトロメオ・マンフレーディ「キリスト捕縛」カラバッジョ風。大流行。ヤン・ブリューゲル(父)「堕罪の場面のある楽園の風景」あー緑に囲まれ動物がいっぱいだなあ。楽園だなあ……んんっ? あそこにいるのはペンギンじゃないか? ペンギン? いや、あんなところにゃいないだろ。どう見ても温帯の環境だぞ。でもペンギンだよ。なぜにペンギン? ルーベンス工房「ユピテルとメルクリウスを歓待するフィレモンとバウキス」、とある村で神様のユピテルとメルクリウスが旅人に化けて一夜の宿を求むも断られ、唯一泊めてくれた家の話。若い娘に化けりゃあ引く手あまただったものを(もちろん野郎どもの下心だが)。最後はその家以外洪水にしちゃうのだ。神様は怖いよ。絵は工房物にしちゃまずまず。コルネリウス・デ・ヘーム「朝食図」朝から生牡蠣……いや牡蠣じゃないか。でもアタりそう。レンブラント「使徒パウロ」これまた微妙な表情がうまいね。ヤン・ステーン「だまされた浜婿」要再評価な風俗画の名手。おいおいこれも解説ほしいよなあ。何がどうだまされたんだよう。読み解き厨大喜び。

18世紀。ハプスブルグの肝っ玉母ちゃん「皇紀マリア・テレジアの肖像」あり。また人がいっぱいの晩餐会の絵あり。そしてやっぱしコレガナクチャネ、美人女性画家ヴィジェ・ルブランの「フランス王妃マリー・アントワネット」なかなか大きい絵で。まあ絵としては普通ですが。しかしドレスのスカートデカいな。小林幸子っぽい。それからもう近代になってハプスブルグも終わりの頃、ナポレオンの肖像、ベルトルト・ハッサイの描く馬車の絵があるが、えらい写実じゃん。それからフランツ・ヨーゼフ一世の肖像……ってこれ20世紀に描かれているが、描き方はクラシックというかアカデミック。

歴史好きはより楽しめる。
https://habsburg2019.jp/

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2019年12月 1日 (日)

「不自由の不自由展」(gallaryナベサン)

例の「あいちトリエンナーレ」の「表現の不自由展」についての騒動で、何かカウンター的な企画をやらんかなと思っていたらちょうどこういうものをやっていて、最終日に何とか駆け込んだ。
我が国における表現の自由は脅かされている、という危機感からの企画。ギャラリーなもんで会場は小さいが密度はなかなか。
私は以前、あの企画には公金を使うべきではないと書いた。で、それでよく言われるのはさ、というかまあ、この企画のWebサイトにも高らかに書いてあるけど「助成金を出しているのは官僚や政治家ではない。税金を収めているのは民なのだ」うん、そうだね、でもね、「表現の不自由展」のアンケートでは、税金投入反対が94%なんだよね。これだ。まあ夕刊フジだからってのもあるだろうけど、多分他でアンケートを取っても税金投入賛成が圧勝、ってのはあまりないと思う。つまり反対している人だって「民」なんだよ。「いやー、あいつらは昨今の右傾化したマスコミに頭をやられたバカだから言うこと聞く必要ないない」なーんて言うかもしれない。でもそうなると、「税金は俺達賢い人間が使い道を決めるべきだ」もっと言うと「国の金は俺達賢い人間のものだ」ってなる。そりゃーマズくないかい?

といったことを考えつつ会場へ。やっぱし企画者でもあるらしい木村哲雄の作品が一番数も多いし目立っている。2階に氏のアニメーション作品がある。タイトル「日本の穴」いやー、なんていうか、ステレオタイプで分かりやすいディストピアではないか。金しか頭にない、いかにも悪人な経営者、背広を着た「歯車」としての会社員。怒りで立ち上がっても権力者に暴力で潰される。権力=暴力的悪というストレートかつ分かりやすい表現はもは微笑ましい。現実はそんな簡単に善悪が分けられるほど単純ではない。そもそも経営者は(よっぽどのワンマン社長でない限り)社員に機械的な歯車でいろなんぞ望んでいない。社員も会社全体のことを考えて主体的に動きなさいという、ある意味もっとタチの悪いことを考えている。見よ。かの評判の悪い「モチベーション・アップ株式会社」のポスター群を。あれが権力社目線だって。でもまあ、そういう「個人より会社」というのも「歯車」って言ってるんだろうけどね。この木村哲雄は絵画作品もあって、事故で死んでる人をスマホで撮る人の群とか、現代の風刺に満ち満ちている。

有名どころ会田誠は立体作品で、なんと高校時代の現代アート初作品の再現。タバコ丼と激辛ウドン(?)の食品サンプルみたいなものを作って、先生から表現の不自由を食らう。もう一人、特殊漫画家根本敬。自分の貴重なデッサンとかをなんと母親に捨てるよう命じられる。そのゴミ(?)のポリ袋。母曰く孫達に見せられんという、母親から食らった表現の不自由。そのマンガもある。いずれも国家ではなく、もっと近いレベルで不自由があったじゃんと訴える作品。この二人、木村の対国家権力のハイテンションな訴えと逆な、ちょっと脱力な感じがカウンターのカウンターっぽくて面白い。

あと目に付いたのは1234という人(?)の「CP1」同じ顔の同じファッションの娘達がハイルヒトラー。うん、分かりやすいですね。天井に渡辺ナオの絵。例の平和の少女像使用。木村哲雄も使っているし、平和の少女像が表現の不自由のイコンになりつつあるようだ。それから急階段に牧田恵美の絵。男根。なかなかファンシー(?)ですな。作品集も置いてあって、見ることができる。おおっ……不気味さも相当でヴァニラ画廊にありそうな……あそこ1回しか行ったことないが。

最近「AI倫理」という本を読んでいるが、ビッグデータをもとにAIにより最適化するつもりが、人間の階級を細かく決める結果になるディストピアを生んでしまうかもなんてことが出ている(ちなみAIは意思なんぞ持ちません)。生命科学の方面でも、どこまで命を選別できるかというレベルでディストピアが出現し得る。テクノロジーは進み、起こり得る危機的な世界の種類も増えていく。しかし芸術家達、特に平和運動なんぞに手を出している方々の多くが描くディストピアは、もうずいぶん前の、国会前で若者達が暴れていたあの頃と何ら変わらないように見える。悪の権力者に対し、みんなでデモでもすれば世界が動いて、すばらしく変わるかもと信じていたあの頃だ。権力者を倒しさえすれば、バラ色の未来が来るであろうと思ったあの頃だ。「悪」がどこかに確かに存在したと信じていたあの頃だ。しかし、実は「悪」はいるように見えるだけで、悪人らしい思考の悪人なんぞどこにもいやしない。戦争は正義対正義で起こり、社会においては功利主義の宿命として犠牲が出ているに過ぎない。そこに犠牲はあるが悪はなかったりする。それを表現できるかが問題だ。旧態依然の表現では、とりあえず自分たちを「善」側に置いて「敵」として表現できる。でもそれは本当に正しい姿なのかい?

考えることはいろいろ。批判的な目で見ることもあるが、こういう企画は好物だ。またこの手はやってほしい。
https://gallerynabesan.wordpress.com/exhibition/fujiyuten/

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