« 2020年1月 | トップページ | 2020年3月 »

2020年2月25日 (火)

背く画家 津田青楓(練馬区立美術館)

明治から大正、昭和まで活躍した画家。図案から洋画から日本画、文人画まで幅が広い。

反骨的で最初は丁稚に出されたが、封建的な環境が嫌で飛び出し、図案の仕事に就く。それから徴兵され日露戦争やら二百三高地の激戦も経験。
展示の下の階では、回想っぽい紹介と、図案の展示。この図案、つまり和装のデザイン案が天才的に優れている。琳派みたいな自然物や空間をうまく使うセンス、チラシにも使われている。夕焼け空のデザイン化も見事なものではなかろうか。それから油彩もいくつかあるが、まだそうガッツリくるものではない。「顔」は暗くて見えないぐらいだし、「暮れゆく橋」なんぞも暗くて半抽象的な感じ。いや、悪くはないが。

図案は夏目漱石にも評価されて、本の装丁も手がけた。本については階を上がったところの最初の展示室に、実際の本がいくつも並んでいるが、なにぶん古本なもので、年季が入っていて全体的にくすんだ感じに見えるのが惜しい。キレのあるデザインも少なくないのだが。

次の部屋に行くと、ここからいよいよ絵画展示が本格化。二科会を作った一人だそうで、そもそも二科会は反アカデミックを信条としたそうな。うむ、反アカデミックといえばなあ。芸能人の絵画なんて、実に反アカデミックですなあ。良くも悪くも。まあそれはそれとして、最初は素描が並ぶが、実景のスケッチというより、心象スケッチであって、裸婦なんかもそれでいいのかというデフォルメをしている。「裸婦(ほおづえをつき座る)」も心象的。「裸婦」このオッパイでいいのか? 「裸婦(よりかかっている姿)」人体というか人体が表現している何か……だ。油彩の「婦人と金絲雀鳥」群青ベースのいい色合いだ。婦人の口がデカい。反骨な人好みでよく主張する人だったのだろう(女はおとなしくしておれという男の絵描きは女の口を小さく描く……らしい)。それから油彩が並ぶが、ここでも裸婦が絶好調。面白いのは同じ画家とは思えないぐらい多彩な描き方をしている。「裸婦(トランプ)」は描き方はノーマルだが実に下半身の大きい、いわゆる安産型。「肘を曲げる裸婦」は顔が凛々しい、というか男みたい。「出雲崎の女」はゴーギャン風にエッジが効いている。「片足をあげる裸婦」はルオーの影響があるそうです。「裸婦」ボッテリ系。「浮世絵のある裸婦」ガッチリ系。「頬杖の女」みたいに裸婦ではないが可愛い女もおる。

画塾を開いていたそうで、そこで学んでいた人の展示あり。今井憲一やオノサトトシノブなんて、どこかで見たかな。なんといっても、日本が誇るシュールレアリスト北脇昇。二枚出ているが、どっちもシュールではなかった。「マート」なんてなかなかいい絵ですけどね。

それから時代は大正デモクラシー。社会主義が大流行りになり、プロレタリアート全盛。当時の軍国主義と激突。反骨の極み。その中に津田青楓もいた。展示では獄中で拷問死した小林多喜二のデスマスク、その向こうに、青楓描く魂の作品「犠牲者」官憲に没収される前に隠して守られた。官憲の暴力により犠牲になった者を十字架のキリストに見立てようとした作品。隅に国会議事堂。神聖にして反骨はかくありたい。近くに、当時の反軍国主義などの「赤い」ポスターもある。うむ、当時はパワーがあったな。今こういうのはない。まったくイマドキの人間はダメだなーとか言うかもしれないが、当時は現状ではない理想のヴィジョンとして社会主義革命や社会主義国家があったし、思想のヒーローとしてマルクスやレーニンがいたのだ。今そういうヒーローもいなけりゃ理想も描けないので、反骨や反権力と言ったものの目指すところがよく分からず、単にワガママ言ってるだけの連中になってしまっている。これじゃあパワーも結集できませんよ。山本太郎がもっと思想的にインテリジェンスだったらヒーローになれたかな? がんばってはいるようだけど。で、青楓はとっつかまり、社会主義団体と手を切るように誓約させられ。自ら洋画を断筆。才能の半分を捨ててしまった。

がしかし、日本画は残っていて、その方向に邁進。もともとデザインセンスがあるので、見ていて心地がいい。展示では先の洋画の世界からいきなり変わるもんで、別の画家じゃねえかと思うぐらいである。「蓬莱仙境」「黒牡丹と真名鶴図」
なんていい構成ではありませんか。画風は変化し、詩と絵を同居させた南画の世界に突入していく。文人画とも言いますよね。字と一緒になって全体にユルユルしてくる感じの。ところがですね、私はどうもこの南画が好みじゃないのです。私はどっちかというと緻密で理屈っぽくて、それでいて超現実なダリみたいなヤツが好きなもんで。南画はその対極にありますなあ。でもバキバキ写実やってた画家の行き着く先が南画なんて、意外といたような。あのう、ほら、岸田劉生なんかもそうじゃなかったっけ? 青楓もとうとうこの世界に来たのだ。ううむ、私にはそのう……「伊万里壷」このハズシっぷり。「にらやま風景」何かメモってあるけど忘れた。「寝覚の床図」遠目でも微妙だし、近くでも微妙だし…… という自分にはよく分からない世界が展開。つまり南画(文人画)好きなら、見てみよう。終わりの方に「虎吼龍雲の図」94歳ですって。描くねえ、長生きだねえ。この虎のユルさは北斎最晩年の虎のユルさに似ている。北斎も長生きだった。

幅の広い作風と活躍。見て知っておいて損はない。
https://www.neribun.or.jp/event/detail_m.cgi?id=201912151576384229

|

2020年2月15日 (土)

バルセロナ展(東京ステーションギャラリー)

30年ぐらい前に、卒業旅行でヨーロッパ方面に行き、バルセロナにも寄りました。サグラダ・ファミリアもじぇんじぇん半でき状態で……っていうか、バルセロナといやぁガウディでしたな。ミロ、ダリ、ピカソなんてのが関係してたのを知ったのは……その後かな。あの頃は、美術鑑賞なんぞも、そうやってなかったし。
今回の展示はバルセロナの近代芸術。絵画彫刻建築……ジュエリーもあったな。カタルーニャ美術館の収蔵品を中心にってことなんだけど、この美術館、グローバルにスゲエヤツを持っていないのか、あるいは貸してくれないのか、有名どころのヤツは国内各所から持ってきたりして。あと作品的な目玉があるってわけもないので、その分解説を充実させるという涙ぐましい努力が見られる。ちょっとしたコラムもあったりして、読みつつ見て納得みたいな感じだ。イヤホンガイドもあるが借りてまへん。

最初は1888年のバルセロナ万博の頃のコーナー。入ってまず目につくのが、アウゼビ・アルナウの「バルセロナ」というブロンズ像で、都市の象徴的な女性阪半身像でお出迎えじゃ。それから当時の画家の印象派っぽいのが並んでいるが……微妙だな。というか、あんましうまくないような。おいおい、この先大丈夫かという不安が。そこにいきなりジュアン・プラネッリャ「織工の娘」。ほほう、機械と少女とはヴィジュアル的になかなかいい取り合わせですな……ってなこと言うと読み解き厨が「こ、これはね、当時のスペインにおける未成年の厳しい労働環境を描いた絵なんですよっ」ってなことを言うであろう。ちゃんとそう解説にもありますし。だからリアルな絵なんだってお。そうか。リアルなんだね。だからナニ? この女の子、結構血色がよい。絵に労働環境非難の意図は無さそうだ(あればいかにも病んで描かれるであろう)。だから画家も、機械と少女が面白いなと感じて描いた可能性もあるんじゃないか? さらに言いますと、それを画家本人に訊いても「いやいや、そんな意図はない」と言うかもしれぬ。でも、頭でそういう意図はなくても、つい表現しちゃうことはいくらでもあるのだよ。これが芸術のひいては表現の面白いところじゃん。要するに、読み解き厨ウゼエよ。えー、さて、フランセスク・マスリエラ「1882年の冬」女の子の絵だけど、顔は全部は見えない。かわいい系なんでグッズにもなってる。あとはバルセロナ万博のポスターとか、ジャポニズムの話と日本デザインの冊子とか。

「コスモポリスの光と影」ってコーナーで、近代カタルーニャ建築3つが並んでいる通りがあるそうで(3美神って名前か)、そこの建物紹介。1つが有名なガウディの「カザ・バッリョー」椅子と扉の現物が来ている。椅子のデザインはやっぱりいかにもガウディの有機的なやつで、2つがくっついて1つというのも妖しくてよい。映像もあって、やっぱガウディってスゲエな。あと2つの建物、映像とともに、1つはテーブルセットとか寄せ木の絵なんかが来てるし、もう一つは装飾タイルとか来ている。まあ、なかなか芸術性と装飾性と様式を感じていいんだけどね、ガウディのインパクトに結構やられちまいますな。しかし……現地に行きたいねえ。まー今行ってもアジア人はコロナ持ちだと思われて追い出されそうだけどねえ。えーそれから、ランベール・アスカレー「流し目の女性」顔の部分の焼き物で、なかなかリアルじゃん。ジュゼップ・マリア・ジュジョル「マニャック商店の把手」へえ。こういうウネウネした曲線を使うのはガウディだけじゃないんだー……って、アール・ヌーヴォー風かこれは。ルマー・リベラ「休息」女性が横たわって休息している癒し系絵画……だそうだが。あんまり楽そうじゃないな。なんとなく姿勢がヘンなのか? ここでリュイス・マスリエラのジュエリーが並ぶ。うううう、これもアールヌーヴォー風かな。ラモン・カザス。「入浴前」半裸の女性の絵画。日本髪かと思ったら違うんだね。リカル・ウピス「アナーキストの集会」野郎ばっかりのプロレタリア芸術っぽいヤツ。

階を降りて「パリへの情景とモデルニズマ」えーと、芸術といえばパリ。パリの空気を吸ったラモン・カザスとサンティアゴ・ルシニョルがスペインの芸術に新風をもたらしたんだってお。この二人の、今見るとどうということのない絵が並ぶ。ところでミケル・ウトリリョの「シュザンヌ・ヴァラドン」って絵があって、ヴァラドンはモンマルトルのモデルでアイドルで、ついでに誰の子供かよく分からない子供産んじゃって(すげえ女だな)、このウトリリョが認知して父親になり、それが、あの画家のユトリロなんだぜ……っていう情報込みで見る絵だな。だからナニ? だけどこういう話はそれはそれで面白いところもある。ルシニョルの「夢想」はグレコ風だそうだが、言われないとよく分からない。ウトリリョの「祈り」アゴデカいな。ジュアン・リモーナ「読書」本読んでる(当たり前だ)。
「四匹の猫」というレストランでカフェーでイベントもできる店を作ったお。そこで展覧会とか詩の朗読とか人形劇とかやったそうで。まあ、今でもイベントやるカフェは日本でもありますな。ラモン・カザスの「影絵芝居のポスター」もろロートレック風じゃん。「『四匹の猫』の人形劇」のポスター。おっとこれはポップアート風で面白いぞってポップアートはもっと後の時代じゃん。地の色が黄色いのでつい。ジュリ・ピ・ウリベリャ「人形劇の人形」うむ、普通にキモい。さてさて、かのピカソも若い頃この「四匹の猫」に出入りしてたそうで、その頃の絵がちらほら並ぶ「座る若い男」ウマいですな。東京ステーションギャラリーの収蔵品だけど。「エル・グレコ風の肖像」おお、これはなるほどグレコ風という感じです。それから、イジドラ・ヌネイのジプシーの絵いくつか。人物だけを描き、顔がよく見えず、全体に暗く、妙な個性がありますな。

ノウサンティズマという運動があったそうで、地中海文明風にしようぜって話だそうで(なんか解説が多くて疲れてきた)。ホアキン・トーレス=ガルシア「村の女たち」ううむ……ドニみたいなやつ? ジュゼップ・クララーの彫刻「若さ」若い女性の裸体の……ううむ普通だ。でも顔が地中海風かな? ジャビエ・ヌゲース、リカル・クラスボのグラス各種。あーこういう人物のデザインものは分かりやすくて面白いですな。

で、最後のコーナーが前衛美術からスペイン内戦。ここでおなじみのミロ、ダリ登場。ミロは初期の絵画「赤い扇」と「花と蝶」ちょっと変わった静物ってところでまだそうシュールレアリズムではない。「花と蝶」は横浜美術館のもので、花瓶だ。何度か見てるよなあ。あと、京都から持ってきたデカい壷がある。ダリも初期の作品。「ヴィーナスと水兵」まだ驚異の超現実ではなくて絵が固い。素描もあるが、こっちはうめえ。元々バカテクの人だしな。ピカソ「ギターのある静物」東京ステーションギャラリーの収蔵品だが……ううむ、なんだこりゃ? 未完成品か? ピカソ「ミノタイロマキア」ミノタウロス、牝馬、少女の版画。要は「ゲルニカ」の前身。ピカソはこの手をいくつも描いてて結構好きだぞ。スペイン内戦ものになり、ピカソ「フランコの夢と嘘Ⅱ」権力激批判。反アベもこのぐらいの芸術性のもん作ってくれねえかな。ハイヒールを口につっこんで喜んでるんじゃなくてさ。ル・コルビュジェ「無題(バルセロナ陥落)」元々画家のコルビュジェ。こういう社会的テーマも描いてたんだなあ。ピカソ「黄色い背景の女」ここの収蔵品で手堅く終了。

作品そのものでそんなにスゴいのはないんだけど、豊富な解説とコラムで充実感はある。がんばっている。
http://www.ejrcf.or.jp/gallery/exhibition/202002_barcelona.html

|

2020年2月10日 (月)

見えてくる光景(アーティゾン美術館)

ブリヂストン美術館が閉鎖し、新たに建物を建てて、アーティゾン美術館に。6階建ての豪華建物になったとさ。吹き抜けガッツリの心地よい空間。それだけではない。時間予約制。入る時間だけ指定という、ジブリ美術館とか、一昨年のフェルメール展で採用されている方式。今回はコレクション展で、そう混んではいないから必要ないと思われるかもしれないが、今後混雑する企画になると効力を発揮するだろうし、その際もオペレーションを変えなくていいから楽だお。うむ、うまいことやりましたな。
コレクション展なんで全館撮影可能(一部不可かな)。なもんで、そこらじゅうでシャッター音がする。あーくそーうるせーなー。いいかげんにさー、撮影可能が多いのを「太っ腹」って褒めるのやめよーぜ……って前も同じこと書いたな。30人いると1人ぐらい、片っ端から撮ってるバカタレがいる。ロクに見てもいない。何しに来たんだおめーは? アリバイでも作りに来たのか? しかしもーこうなると耳栓でも持って行くしかないかね。サイレンシア持ってるし……なんか敗北感があるけどナ。背に腹は代えられねえ。
あとWiFiが飛んでて、スマホがありゃあアプリでイヤホンガイド聞けるんだぜ。使わなかったけど……そうだよオレはガラケーだよ。

さてさて、6階から5階、4階と見ていくのだ。まーコレクションはブリヂストン時代に結構見てるんで。そんなにキバらずにイケる。最初のマネの自画像からしてよく見てた。もう見たことあるヤツはいちいち書かない(展示数も多いし)。お、ファンタン・ラトゥールの「静物」。これは見覚えないぞ。それもそのはずで新収蔵品。今回、新しくコレクションに加わったヤツラが何点も出ているのダ。この静物、写実でなかなかいいですな。ロートレックの「サーカスの舞台裏」は新収蔵品ではないが、見たことないような。灰色の画面がちょっと変わっていますね。カンディンスキーの「自らが輝く」新収蔵品。カンちゃんらしい抽象っぷり。いいけど、もちっと大きい方がいいな。アンリ・ルソー「牧場」普通に素朴派じゃねえか。もっと超現実風味がほしい。ヴラマンク「運河船」うわ、フォーヴ(原色の荒々しい線で書くヤツ)だ、フォーヴ過ぎる。ヴラマンクはフォーヴ手前ぐらいの、遠目で普通に見えるのぐらいがいいんだが。ピカビア「アニメーション」新収蔵品。面白い曲線ですな。マティス「縞ジャケット」ううむ、典型的な、何がイイんだか分からないマティス(オレには)。それから新収蔵品で、キュビズムみたいなのが2つ増えている。ジャン・メッツアンジェとファン・グリス……あーどっちも知らん。藤田嗣治「横たわる女と猫」乳白色のよいものだ。ウンベルト・ボッチョーニ「空間における連続性の唯一の形態」ええと、これ確か未来派の彫刻だよな。新収蔵品? どっかで見たね。ピカソ「画家とモデル」ラフに描いた巨匠の到達点。他にピカソは何点か出ているよ(ここではおなじみなヤツ)。猪熊弦一郎「都市計画(黄色No.1)」ほう、黄色地にリズミカルなヤツラが。おや、ヴォルスなんか持ってたんだ。白髪一雄「観音普陀落浄土」うむ、白髪一雄はこないだオペラシティでタプーリ見たんで、なんか親近感が沸くね。運動と色の混ざり具合が芸術だ。そして、再会できて嬉しい、世界最高の抽象画家、ザオ・ウーキーの「07.06.85」。哲学の本を読むと「イデア」という言葉が出てくるが、まさに、ザオ・ウーキーは美のイデアを描ける画家である! ……いや、なんかそう感じない人もいるらしいんですけど。ともあれ、オレは好きなんだYO。この作品なんぞは海や水しぶきのような美しい絵、ではない。たまたま海や水しぶきが表現できている「あの何か」を絵で表現したのである。それがイデアだ。

階を降りる。土器とか陶器とか出始めるとアウェーなんでテンションが落ちる。ブリヂストンって、そういうコレクションもあるんだよね。でも、ここには絵もあるよ。梅原龍三郎とか佐伯祐三とか、ドニの「バッカス祭」ほう、こういう人の群みたいなのも描いてたんだ。ギュスターヴ・モロー「化粧」に再会。モローの水彩ってのはいいですな。ジャン=バティスト・パテル「水浴」古典的絵画。女湯を覗くのは犯罪だが、古来よりやっている女湯の絵を描くのはいかがですか太田弁護士。それより、コーナー毎にテーマが決まっているが、テーマ性を全部無視して鑑賞してた。キニシナイ。プランクーシの彫刻「接吻」。おお、これも何度も見ている。前はもっと無造作に展示されてなかったっけ? 今回ちゃんとケースに入っているよ。マティス「寝室の裸婦」ボナールかと思った。柄澤齋って人の木版画が5つ。小さくて細かいが人面魚のような異世界の生き物みたいで面白い。ゴーギャン、いやここではゴーガンの「マナオ・トゥパパウ(死霊が見ている)」黒い不気味女(死霊?)横たわる。ゴーガンはたまにこういうヘンな絵を描くから油断できない。

また階を降りる。エジプト文明とかなんちゃら文明ものになり、さらに興味がないのだ。しかし、おっと暗い別室に江戸時代の「洛中洛外屏風」新収蔵品だって。屏風だねえ。金箔使って豪華だねえ。デカいねえ。細かいねえ。買ったねえ。ベルト・モリゾ「バルコニーの女と子ども」ほほう、子供きゃわいいな。アンリ・ルソー「イヴリー河岸」これは超現実風で面白い。人の背の高さはテキトー。やっぱルソーはこうでないと。ゴッホ「モンマルトルの風車」これはきっと、パリに住み始めて印象派を吸収してた頃だよな。ラウル・デュフィ「ポワレの服を着たモデルたち、1923年の競馬場」あいかわらずデュフィの絵は遠目ではあまりきれいじゃないが、近くに寄って細かい描線まで見え始めると、実によい。まるで色彩の音楽じゃん。岸田劉生「南瓜を持てる女」女が胸を出してるサービスショット。これ岸田劉生展で見た。そして、おお、またザオ・ウーキー「風景 2004」これもどこかの風景から抜け出してきたイデアだ。

ここに書いてないのもタップリあります。この建物を説明したコーナーとかもある。今なら新しい建物でのんびり見れるぞ。
https://www.artizon.museum/exhibition_sp/emerging_artscape/
Kc4i0027a   

|

2020年2月 8日 (土)

all the women.in me.are tired - すべての、女性は、誰もが、みな、疲れている、そう、思う -(THE CLUB)

銀座の「GINZA SIX」にあるギャラリーで、それは蔦屋書店の中にある。
この日本で女性が差別され不当に扱われているというニュースはまことに多い。女性政治家も女性管理職も少ないからジェンダー・ギャップ指数とやらもはなはだ悪く121/153位だって。
東京医大入試での女性に対する得点操作のニュースなどはサイテーだ。医療現場で育児中などの女性を支えるシステムが整っていないもので、現場は男性が多い。大学としても男性を多く取りたいから、女性を一律減点なんていうありえねー得点操作しちゃった。じゃあハナっから、募集人数を男女で分けて女性を少なくしておけばまだ罪は浅かったんだが、それもしなかった。なぜか? 女性研究者活動支援事業で国から金もらってたんだってよ。そういう表向きの顔を捨てたくなかったから裏でコソコソやってた。いやもうサイテーですな。怒り心頭。で、こういうニュースを日々やられるんじゃ女性はもう疲れる決まっている。
じゃあ男は今の優位な状態を謳歌してハッピーに生きているのかというと、これがぜんぜんそうではない。幸福度からするとむしろ女の方が高いなんていう統計もある。んなバカなと思う人もいるかもしれないが、あるんだもん。で、私はどうもある一つの事象が気になっている。ここ銀座シックスであれ、渋谷スクランブルスクエアであれ、新しくできた(昔からのもそうだが)商業施設は、軒並み下層階はほとんど女性向けファッションの売場なのだ。それもかなりのスペースで。いったいどうなってるんだ? なんでそんな消費できる? なけなしの金か? 男はどこで消費しているのか。飲み屋か? いや、少なからぬ男が働きづくめで疲れている。しかも今だって「男は一家を養って一人前」なんて価値観もありあり。この国では女は機会を与えられず不当さで疲れ、男は過労でぶったおれそうになって疲れているのだ。バランスが悪い。

さてさて、そんなわけで、このタイトルが気になり見に行った。うむっ、大きいスペースではないな。一部屋のギャラリーだ。最初に見たのはChitra Ganesh。裸体の女性とそれを囲むガイコツ群の絵……おや? なんかこれは、そうだ河鍋暁斎の地獄太夫みたいだな。と、そこにギャラリーの女性が来て、この絵の説明をしてくれた。これはインドのアーティスト作で、インドでは女性が主体で描かれることはあまりない。日本の浮世絵の影響などがあって……そこで私は「河鍋暁斎の地獄太夫ですか」などと言ってしまった。「そうです」 その結果、こいつには解説不要と思われたのか、女性はカウンターの奥に引っ込んでしまった。シマッタ。よけいなことを言うんじゃなかった。見たら作品全部解説がないのである。ううむ困ったな。私は常々、アートは感性だの解説は不要だの言ってはいるが、実はこういう社会的なメッセージを含んだものは、解説がないと分からないケースが多々ある。ううむ、訊きに行こうにも、カウンターの向こうにいる人にわざわざ訊きに行くのは、よっぽどな感じがして気が引けてしまう。

なもんで、もはや直感で解釈するしかない。次のLaurie Simmonsの写真……コスプレであり顔がアニメみたいな被り物。おっと、この手合いは見たことがあるな。細かい話をすると、こういうかっこうしてパフォーマンスをするジャンルがあるのだ。もっとも「チェリスQ」という人しか知らないんだけど……あの人は男だよな……美脚だけど。ん、こっちは多分女だから表現意図は違うはずだ。さて、なんで顔がこれなんだ? そりゃああなたがた女性はいつも笑顔でとか言われるじゃん。疲れてるんだよ。被り物でもいいじゃないか。
次はAndrea Chung。コラージュみたいなものだけど、これはどう見ても解釈していいか分からず。次、ポスターになっている写真。Marilyn Minter。スリガラスの向こうに、これは女体の一部だろうなあ。手前の滴りが……水とも血ともつかない感じだが、いや血じゃないな。とにかく身体の何かであると思わせる。野郎どもは女性を女性というモノとしか見ていないが、実は体液も持った存在であるという目で見なさいよ。おめーらのモノ扱いに対応するのは疲れんだぞ、という解釈でどうだ。この人の写真はカウンターの後ろにもあるが……どうやってじっくり見ろと。えー、次のNatalie Frankの絵画一枚。女性に見えないような女性がいて、後ろには歯車ですかい。でも歯車らしくもない。これもどう見ていいんだか分からない。単にシュールレアリズム絵画みたいに面白い景色としてみりゃいいんじゃないかという気もしないでもないが違うかもしれない。

Natalie Frank。絵画です。パッと見でジェームス・アンソールみたいな雰囲気。女性に言い寄っているピエロのような、でも女性は嫌がってる? 隣の絵も……うん、なんとなく淫靡な(エロいことが起きそうな)感じですな。淫靡な世界に女性が入り込んでいる。両方の絵ともそんな感じだが。入りたいけど入ったら結構危ないんじゃないかという気持ちが入り乱れる、ような。ここでいきなり関係がなさそうなありそうな話。中島みゆきの名曲で「ファイト!」ってありますね。ちょっと聞くと応援ソングで、CMとかでも使われてたりするんだけど、実は結構深い悔しさを含んでいるのでは。そう、この一節「力ずくで男の思うままに ならずにすんだかもしれないだけ  あたし男に生まれればよかったわ」何となく聞き流しているかもしれないが、ここは結構重い部分じゃなかろうか。こう言うと「いやいや俺はそんなこと絶対しないしー」って言うかもしれないけど、力があるんだからする可能性はあるじゃん。絶対しないなんて心の底までは見抜けないじゃん。まして初対面とかつき合いが浅いとかだとなおさらじゃん。だいたい銃を持ったら使いたくなるというではないか。平和主義者が「兵器を持っているだけで使う可能性があるから持ってはいけない」というではないか。ならば君が男であるだけで女に対する兵器を持っているようなものではないか。平和主義者の男達よ。君達はそう問われたら女に何て答えるのだ? 存在そのものがストレスだ。いや、だ、だって男なんだかしゃーないじゃん。信じてくれよ、ぐらいしか言えん。いやーこれじゃあ女は疲れるに決まっている。……という力の問題もあるので、ここで話が戻っていく。女が気軽に淫靡な世界、要するに体を張った快楽の世界に軽く向かえるわけではない、よな。身体的にいいようにされるリスクも少なからずある。で、この絵の話に戻るんですよ。この表情。妖しく魅惑的な色のエロの世界に囲まれつつも、そこから逃げ出したくなる感つまりアンビバレントな状況は男よりはるかに強かろう。疲れるんじゃ。。
次はHiba Schahbaz 割と柔らかい調子で、裸の女性が向かい会って座っている絵。うーん、これは同じ女性っぽいから、一人が鏡を見ているみたいに向かい合わせの状態じゃないですかね。似たような絵が2枚あって、左の絵は対称だけど、右の絵は対称が崩れて、一人が額縁で切り出されたみたいになってる……って説明むずい。裸の自分と向き合えば、常に自分自身でもいられない。何も飾っていないのが、果たして自分と言えるのか、その均衡は危うい。女は着飾るし化粧もするし……ってまあ別に男もするんだが女ほど多くはないよな。裸の自分と向き合ったって、それはあんまり自分じゃなくない? ほとんどの人に会う時は、そんな姿じゃないじゃあないか。外見でとやかく言われて幾年月、これも女の方が疲れているのだよ。

あとZoe Buckmanは、天井からぶら下がったボクシンググローブなんだけど、割といろいろ飾ってある。そう、ファイティングポーズは取るけども、そこは女性らしく飾って……ってそういう女性像も世間のというかオレの押しつけか。
そんな全編適当な解釈で出てきた。蔦屋書店がまた、渋谷スクランブルスクエアの書店と同じように、内装落ち着きのこじゃれてての、PenとかCasa Brutus読者みてーな意識高い系が喜びそうな感じでよ。しかしなんでどっちも書店内でコーシーが飲めるんですかね。コーシー飲んでるすぐ傍らで本探すって落ち着かなくないか? まあいいや。オレはブックオフが好きなんだが、新宿東口のもとうとう潰れた。もう時代の役割を終えたのか。

書店を見つつ行ってみよう。世界へのメッセージが君を待っている。
http://theclub.tokyo/ja/exhibitions/jasmine/

|

« 2020年1月 | トップページ | 2020年3月 »