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2020年5月25日 (月)

染井霊園

また霊園訪問。よほど行くところがないのである。ここもどうにか自転車で行けるのです。んー、先週の雑司ヶ谷霊園よりも手入れされている墓が多いようですな(気のせいかもしれんが)。あと、観光客も散歩してる人もちらほらいるようです。雑司ヶ谷はほとんどいなかったんよ。

ここもそうそうたる人が多いんで、豊島区の案内マップがある。でもそれにも載ってない人がいる。で、それに載っていない人こそ、今回のメインの行き先である。誰か? 司馬江漢である。そうっ、司馬江漢はここに眠っているのです。江戸時代の画家にして、当時ほとんど誰もやらなかった腐食銅板画や油彩をやり、蘭学を身につけ、エッセイも書いた驚異の人物。そして、私の筆名「紀ノ川つかさ」は司馬江漢から取っているのですよ。紀州出身の江漢は、故郷の紀ノ川を「江漢」と称した。そして私の「つかさ」は司馬の司だ。だからこの筆名だ。はい、私は和歌山県とは関係ありませんのです。で、それだけではない。江漢の命日と私の誕生日は同じなのですよ。
そんなわけで、誰の墓を見ても大して何とも思わなかったが、司馬江漢の墓には感激を禁じ得ない。おお、ここに眠っておったのですね。生まれ変わりの(と勝手に言っているだけの)私が参りました。墓そのものは、墓でした(?)。これだけは写真撮っちゃった。それから芥川龍之介の墓があった。こちらも普通の墓だった。ちなみにこの二人は染井霊園ではなく隣の「慈眼寺」という寺にあるのだ。

で、染井霊園に戻る。明治のサブカル編集者宮武骸骨がいるはずなのだが、いるはずのところに見あたらず断念。何種何号何側という番地というか、呼び方には慣れたものの、結構現場にいると「ここはどこだ」状態になって見つけづらい。二葉亭四迷を発見。何か読んだかな。もしかして何も読んでない? 墓に長谷川何とかとか書いてあるみたいだがなじぇだろう。岡倉天心を探して見つける。美術教育家で東京芸大の設立者。これもちょっと庭園っぽい。大きな木が植えられてるし(はじめから生えてたのか?)。高村光太郎と高村智恵子、はい、ここに眠っていたんですねえ。光太郎の詩を自分で作ったバックトラックを用いて朗読し、安達の智恵子の家に2回行った私は、浅からぬ縁ではありませんか。ボイスロイドを使って作った「千鳥と遊ぶ智恵子」は自分で作った中でも結構お気に入りだぞ。

他にもいるんだけど、疲れたんで撤収。
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